牢屋~2~

「ウィル、あなたは、吸血鬼……だよね」

 疑問形ではなく、断定。

 エラは、ウィルの正体を確信している。

「なんでそう言えるんだ」

「えーっとね、まず、その赤い目。それから、こんなに暗いのに私のことちゃんと見えてるよね?」

「あぁ……まぁ」

「あとは、立ったときにふらついてたから、かなぁ。顔色も悪いから貧血だと思って」

 実際その通りだった。ウィルはこの牢屋に入れられてから血を飲んでいない。

 ウィルはエラの観察力に密かに舌を巻いた。

「ねえ。吸血鬼は血を飲んだら力が増すんでしょう?」

「……それがどうした?」

 唐突な爆弾。エラはあくまで笑顔を崩さない。

 だがウィルにはそれが悪魔の微笑みにしか見えなかった。エラが次に言うだろうセリフが、予想できるだけに恐ろしい。

「ウィル─╴」

 あぁ、だめだ。その先を言っては。

 言ってしまったら、俺は──!


「私の血を飲んで。そしたら牢屋を破れるでしょ?」

「っ!」


 ぞわっ、とウィルの背筋に悪寒が走った。

 見るまいとしても、どうしてもエラの白い首筋に視線が行ってしまう。

 あえて意識していなかった甘い香りがウィルを激しく誘惑してきた。

 あの柔らかそうな首筋。少し爪を立てただけでプツリと血がにじんできそうな……。


(考えるな!)


 ウィルは心の中で自分を叱咤しったした。考えるな考えるな考えるな。

 今、この慢性的な貧血状態で誰かの首筋に噛みついたら、どうなるか分からない。殺してしまう可能性だってある。それはウィルが一番分かっていた。

 しかし──同時にこのまま血を飲まずにいても、血を求めて暴走してしまう危険があることも痛いほど分かっているのだ。


 突然真っ青になって黙りこくったウィルを、エラは心配そうに覗き込んだ。

「ウィル?どうかした?大丈夫?」

「大丈夫なわけ、ない」

「えっ?」

「牢屋を出るとかの前にお前、俺に殺されるぞ。分かってんのか?」

 エラは一瞬きょとんとして、それから

「なめないでよ、ウィル。私のことなんだと思ってるの?

 今度はウィルはぽかんとする番だった。

 相変わらずウィルの鼻腔びこうを甘い匂いがくすぐっている。長くいでいないが、きっと血の香りだ。エラの、血の香り。

 甘い甘い誘惑を振り払うように、ウィルは「どういうことだ?」と言った。

「ふっふっふ。人魚はね、さっきも言ったけど、生命力が強いんだ。だからちょっとくらいウィルに血を吸われても平気なの。でも一方で繊細で、環境が変わるとすぐに弱っちゃうの。変でしょ?矛盾してるでしょ?バケモノみたいでしょ?だからウィル、バケモノに噛み付く感じでぐいっと飲んじゃっていいんだよ。そしたらウィルも空腹が満たされるし、私もここから出ることができる。お互いにいいことづくし。ね、どう?」

「……エラ」

「ん?」

「ほんとに危険だぞ。分かってんのか?」

 ウィルの真剣な声色に、エラはこくりとうなづいた。

「ええ。もちろんよ」

「俺は今ものすごく渇いてる。この状態で血を飲んでしまったら自制が効かなくなるかもしれない。それでもいいのか?」

 ざぶっ。

 エラが箱から上がる。美しい青色の尾ひれが優雅に揺れた。

「ウィル。何度も言ってるでしょ。私にだって覚悟くらいあるのよ」

 パタパタとエラは尾ひれを振って水に飛ばした。少しずつヒレが2本の足に変化していく。

「それに、もしウィルに殺されたとしても──」

 ペタン。

 エラが箱から飛び降り、2本足で着地した。。美しい金髪がさらさら揺れる。

「ここでじっとしてるより100倍マシだわ」

 エラは、ウィルと自分を隔てている格子こうしをしかと掴んで、挑発的な目線を向ける。エラがさっと髪をかきあげると、真っ白な首筋があらわになった。

「ウィル、首から飲むの?それとも別のところ?」

「首からがいい……だけど、今は腕とかの方がいいかな」

 2人の間には鉄格子があるのだ。首には噛みつけない。

 だがエラは鉄格子の間隔をじっと見つめて、「あ」と声を漏らした。

「待って。いけるかも」

 そう言うとエラは少し身体の向きを変えて、鉄格子の間をするりとすり抜けた。

「はっ?……え、どういうこと?」

「特に何も。ただここを通り抜けただけだよ」

「お前、ちゃんと食べてる?」

「貧血吸血鬼さんに言われたくないですぅ。ほら、どうぞ?」

 エラはとんとんと自分の首を人差し指で叩いた。先ほどより断然近く、強くなった血の香りに、ごく、とウィルは唾液を飲み込む。エラの首筋に荒っぽく噛み付いている自分のイメージがウィルの脳裏をよぎった。

「ッは……」

 どくんどくんと心臓が早鐘を打ち始める。頭がガンガンして、呼吸が荒くなる。ウィルの全身が、全力で目の前の血を欲していた。

「……ッ」

 ウィルは無言でエラの肩を荒々しく掴んだ。エラが小さく息を飲むが、もうウィルの耳には届いていない。

 ゆっくり、震えながらエラの首筋に顔を近づけ、口を開き、キバを突き立てて───。


 *


「う……」

 ウィルはゆっくり目を開いた。見えるのは天井、それから鉄格子。ウィルには見えているが、実際は真っ暗だろう。

(あれ、夢……?)

 だが口の中は甘い後味が残っていることに気づいた。そこからブワッと記憶がよみがえる。

 エラの首の柔らかさ、鳥肌が立つような血の甘味、自分をぎゅっと掴んでいるエラの手……。

(そうだ、エラは!?)

 ウィルはガバッと起き上がり、エラの姿を探した。だが、見当たらない。最悪の展開を予想してしまい、それを振り払うようにウィルは大声で呼んだ。

「エラ!」

「あ、ウィル……起きたの」

 とぷん、と音がして、箱からエラが顔を出した。乾いた髪が少し青白い顔にかかり、何ともいえない色っぽさを出している。

「エラ、顔色が悪いぞ。大丈夫か」

「誰のせいだと思ってるのよ。思ったより食欲旺盛なのね。おかげで回復するまでもう少しかかるかも」

「ああ……悪い」

「ふふ、冗談よ。意地悪したかっただけ。お腹いっぱいになった?」

「八分目くらいかな」

「まだ満腹じゃないんだ!あははっ」

「何がおかしいんだ」

「食いしん坊だなって思って。もしウィルが満足いくまで血を飲んでたら、私ほんとに殺されてたかもね?ウィル、ありがと。八分目で止めてくれて。っていうか……」

 ここでエラはまた「ふふっ」と笑った。

「気絶してくれてありがとう、かな?」

 ああ、そうだ。そういえば俺は気絶してたんだ。

 ……なぜ?

「エラ、なんで俺は気絶してたんだ?」

「えっ、私に聞かないでよ。いきなり肩掴まれて、ごくごく飲んでるなー、そろそろやばいかなー、って思ってたら、突然バタッて」

「……全然記憶がない」

「まっ、私の血が美味しすぎてびっくりしたんじゃなーい?」

「それかも」

「へ?」

 エラは頓狂とんきょうな声をあげた。顔色はだいぶ良くなってきている。

 そうだ。そうだった。

 エラの首に噛み付いた瞬間、味わったことのないような魅惑的な甘みが口いっぱいに広がって。

 空きっ腹にそんな嗜好品しこうひんを入れてしまったから、脳だか何かが混乱したのだろう。思考回路が強制停止してしまった。

「人魚の血ってもっと魚っぽくて生臭いのかと思ってた」

「なっ、何それ、失礼な!私一応、半身は人間なんだからね!」

「それはそうと、体調回復した?」

「話をコロコロと変えるのね……もうちょっと待ってて。水の中なら回復が早いはずだから、沈んでおくわ。ウィルこそ、牢屋を破る準備しておいてよね」

「ああ」

 エラの血を飲んだおかげで、調子はすこぶる良い。おまけに視界も明るく明瞭めいりょうだし、聴覚も鋭くなっているようだ。

 おりを壊すことなど、造作もないことだろう。

 エラの頭が箱の中に消えてから、ウィルは鉄格子に手をかけて、ぐっと力を入れると、それは飴細工のようにぐにゃりと変形した。八分目しか飲んでいないのに、こんなに上手く力を出せるのはいつぶりだろうか。

 出来た空間から久しぶりに檻の外に出る。

(ああ、体が軽い)

 ぐーんと伸びをすると、関節がパキパキと小気味良い音を立てた。

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