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 謎の詐欺師呼ばわりから数日が経った。



「ごめんなさい。まっすぐ帰るんじゃなくて噴水広場の古本屋に寄ってくれる?」

「承知いたしました」



 招待されていた子爵家のお茶会からの帰り、待っていてくれた御者に行先変更を伝え馬車に乗り込んだ。窓を開け、見送ってくれる子爵夫妻と令嬢に軽く会釈する。タイミングを見計らった御者が手綱を操ってロータリーに沿って走らせ、私は子爵邸を後にした。


 窓から初夏の風が入ってきて気持ちがいい。先程までどろりと粘りつくような思惑にまみれた腹の探り合いお茶会に身を投じていたからなおさらだ。

 本当ならこのお茶会には二番目のお兄様とベルナールも一緒に招待されていたのだけれど、急な仕事と公務がそれぞれに入って二人だけ欠席の連絡をいれた。そうしたのは正解だったと心の底から思う。


 十二歳の子供だけが出席したのにも関わらず、次々と質問責めにしてくるのはいかがなものか。しかも、そのほとんどが二番目のお兄様とベルナールのプライベートに関するものだったからなおさら気分が良くない。お兄様はともかく、どうして婚約者に過ぎない私が公にされていること以上のことを口にできると思うのだろうか。しかも、本人がいない場で。


 ふつふつとしたものをなんとか飲み込んでいると、声がかけられた気がした。意識を周囲に向けると、声は外から聞こえて来た。



「お嬢様?」

「え?」



 御者が窓から不思議そうに覗き込んでいる。外を見ると、噴水が見えた。どうやら目的地に着いて声をかけられたのに反応しなかったらしい。



「ごめんなさい。降りるわ」

「はい。段差にお気をつけくださいね」

「ありがと」



  御者がドアを開けてくれ、手を借りて馬車から降りる。馬車は行きたかった古本屋の横につけられていた。



「一時間後に迎えに来てくれる?」

「いえ、私も参ります。お嬢様に何かあれば、私は旦那様や殿下にころ……お叱りを受けますので」

「でも、馬車はどうするの?」

「ここに置いておきます。見張りは丁度巡回していた警邏隊けいらたいに任せておりますので、ご安心ください」

「そう。まぁいいわ。なら行きましょう」

「はい」



 夕焼け色の赤髪を持つこの御者は私付きで、歳も一番上のお兄様と同じ二十三歳だったか。丸眼鏡をかけ、そばかすが浮かぶ顔は親しみが持てる。


 名前は……そう、四歳だった頃の私がつけた。



「たくさんいい本見つけて買うわよ! アーサー!」

「はい。お嬢様」



 御者――アーサーの腕を引き、古本屋の中へ入った。ここにはよく二番目のお兄様と一緒に来ている。軍人を多く輩出する我がフーリエ家の男にしては儚げな見た目の期待を裏切らず文学を好み、職こそ軍部についたものの、裏方の書記官だ。適材適所とはこのことだと思う。


 そんな二番目のお兄様行きつけのこの古本屋は、王都一と言っても過言じゃないほど蔵書量が豊富だ。古本屋なのだから多少は本の傷みはあるものの、それにさえ目をつむれば何の問題もなく様々な知識を得られる。私が歳不相応な言動をしても二番目の兄の影響で読書をたくさんしているからだと周りも勝手に納得してくれるんだから、二番目のお兄様万歳、最高!状態である。



「こんにちは」

「ん? あぁ、ヴィーも来たんだね」

「ジョルジュお兄様!」



 軍服を脱いで普段着を着た例の二番目のお兄様が店の手前の棚で丁度本を取っている所に出くわした。手にしているのは“リキューリア定理と無理数の調和について”。たぶん数学関連の本だと思うけど、さすがに天才の名を欲しいままにするお兄様が読む本にはついていけない。


 店内を棚と棚の間につっかえてしまわないように注意してお兄様の元まで向かう。危うく落としかけた本も後ろから来ているアーサーが床に落ちてしまう寸前で拾ってくれて事なきを得た。



「ヴィーは何の本を探しに来たの?」

「えっと……健康的になる料理の本とか、その……痩せるための運動の本、とか」

「あぁ、お父様から聞いたよ。……殿下と二人でダイエットをするそうだね」



 人目を気にしてお兄様は耳元に口を近づけ、小さな声で話してくれた。ベルナールにもこんな風に心遣いができる男性に成長して欲しいものだ。このまま行くと、デリカシーのないただの……ダメだダメだ。言葉にはブーメランで返ってくるという恐ろしい返し技もあるのだから。


 コクコクと頷いて見せると、お兄様がこっちへと私の手を取って歩き出した。

 手持無沙汰そうに店内を見回していたアーサーも私達の後ろをついてきた。時折興味を惹かれるものがあったのか、立ち止まりかけるけれども実際に立ち止まることはない。後で付き合ってくれたお礼に一緒に買ってあげるのもいいかもしれない。



「ここらの本はどうかな? 高い所にあるものは僕がとってあげるよ」

「えっ。お兄様は見て回らなくていいんですか?」



 いくら大きな戦がなく、平和な日常を国民の皆が甘受できているとはいえ、そう多くはないにしても小競り合いはある。軍に勤めるお兄様にとって、こうして自分の時間を持てる日というのは決して多くはないはず。それにもかかわらず私のためにその貴重な時間を過ごさせるのは申し訳ない。


 なによりこう……身内に努力を、特にダイエットをしようと努力をしているところを見られるのはなんだか気恥ずかしくてワァーってなる。自分でもよく分からないけれど。



「僕は大丈夫だよ」

「で、でも」

「ヴィーが気にすることはないんだよ。僕がしたくてすることなんだから。アーサー、この本を持っていてくれるかい?」

「はい」



 お兄様はアーサーに持っていた何冊かの本を預けると、私の方をふんわりとした優しい目で見つめてくる。お兄様は優しいけれど、時々こうして酷く頑固になるのだ。

 うぅーと唸ってみて数秒粘ってみたけれど、今回も折れそうにはない。時間の無駄だし、仕方ないから私が折れてあげることにした。だって、前世の私の年齢も合わせると断然私の方が年上だもの。年上はいつだって我慢しなければいけないものだと、一番上のお兄様が三番目のお兄様と喧嘩した時にぼそっと言っていたのを聞いたことがある。本当にその通りだ。



「でも、ヴィーはそのままでも十分可愛いのに」

「……お兄様、それは身内の欲目というものです。それに、今の風潮がこの体型でも問題ないだけで、風潮というものは突然変わりますから」

「そんなことないよ。どんな風潮が来たって、ヴィーはヴィーだもの。そう思うだろう? アーサー」

「はい。お嬢様はとても素敵なお嬢様です」

「アーサーまで。……とにかくっ! 私の最大の目的のためには手段は選びません。ありとあらゆる方法で私とベルナール二人で痩せて……それから……」

「そうだね。それ以上はココでは言っちゃダメだ」



 優しい手つきで頭を撫でてくれるお兄様。

 どこで誰が聞いているか分からないから婚約破棄の話は外ではタブーだ。正式なものではない限り公にするのはまずい。貴族というものは退屈で退屈で、噂でそれを紛わせようと常に耳をすましている。私達の婚約破棄を悲しむ者よりも喜ぶ者が多いことは仕方のないことなのだろうけど、なんだかなぁという気分になるのも事実だ。


 そうこうしているうちに、これと、それと、あれ。それからこれなんかも使えるかな、と、次々にお兄様が良さげな本を見つけてきてくれるおかげで早々に買うべきものの目途がついた。アーサーが気になっていた本と合わせ十冊。なかなかの数になってしまったけれど、すっごく満足している。



「じゃあ、僕は一度王宮へ戻るから。遅くならないうちに帰るんだよ」

「はーい」

「お気をつけて」



 会計を済ませ、お兄様とは古本屋の前で別れた。


 早く帰ってじっくりと買った本を読みたい。知識はいくつ持っていても取捨選択の材料にはなっても邪魔にはならないはずだというのが私の持論だ。


 アーサーにお願いして、ほんの少し急いで屋敷まで馬車を走らせてもらった。


 ……あぁ、早くダイエットに成功したい。

 それから、ご褒美にほんの少しだけ、少しだけでいいからお菓子が食べたい。


 頭では理解していても、やはり好きなものへの衝動は抑えがたいものだった。




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