第25話 沙織ちゃん、嫉妬する 下 【改訂版】

 何故か俺の部屋の洗面台に置かれている、二本目の歯ブラシ。身に覚えはないけど、それを説明するのに沙織ちゃんの出入りを説明するのはマズすぎる。


 まずい、普段彼女がどうしていたかも含めて記憶があやふやだ……だが、今は俺の物だと勢いで押し切るしかない!

「それは細かく磨くために二種類使っているんだ!」

「……嘘くさいな」

「何を言うか」

 こういう時は断言しないとダメだ。平然とした顔で言いきる俺。

「……おまえ、化粧水なんか使うのか?」

 言われて見れば、女物の化粧水が一緒に並んでいる。

「肌が弱くてな!」

「……なんで一人暮らしなのに、シャンプーが二セットあるわけ?」

「途中でどうも合わない気がしたから変えたんだよ!」

「石鹸もか?」

「液体のボトルは身体用、固形石鹸は顔を洗う用だ!」

 すごい疑ってそうな目つきだったけど、一応そこで追及を止めて他に移るゴンタ。

 ホッとしていると、クローゼットを開けたゴンタにまた呼ばれた。

「おい誠人」

「今度はなんだよ!」

 クローゼットには当然俺の服……と一緒に女物のパジャマがかけてある。様々な柄のニャンコの顔が一面にプリントされた、どう見ても俺が着れないヤツ。

「母親が泊まりに来た時のだよ!」

「……おまえの母ちゃん、ずいぶんファンシーなの着るんだな」

「身内として恥ずかしいぜ!」


 その後も、いろいろな物が見つかりまくった。

 本棚からは少女漫画。

 机の引き出しには女物の腕時計。

 ベッドと敷布団の隙間からは髪留めやらリップクリームやら。

 紙ゴミに出すつもりだった古雑誌の束からも、ティーンズ誌の新しいのが何冊も。

 しまいには、ゴンタが「布団から女物の化粧品の臭いがする」などと言い始めた。

 もうエトセトラ、エトセトラ。

「誠人。これだけ見つかっておいて、まだ同棲してないなどとほざくのか!」

「実際してないんだよ!」

 同棲はしていない! いいところ半同棲だ。家に泊まったのはあの乱痴気騒ぎの後の一回だけだ!


 ていうかこれ、俺も途中で気がついたけど沙織ちゃん絶対仕込んでるよね!? 単純な忘れ物とか生活環境が、なんて話じゃないよね!? なぜこんなことをしたのか沙織ちゃんを問い詰めるのはまた今度として、とにかく今はゴンタを追い返さなければならない。

「だいたいゴンタ、沙織ちゃんの家は隣だぞ!? 隣に親がいるんだぞ? 娘が隣の若い男の家に住み着くなんて許すはずがないだろ!」

「それを言われると・・・・・・」

 ゴンタが言葉に詰まった。

 実は許しそうなイカレた親なんだけど、それは今は置いておく。ゴンタにそこまで説明してやる必要はない。


 やっと決着がつく。

 ほっとした俺の後ろで……玄関の扉を開ける音が、ガチャガチャと響いた。




 無言で注目する俺たち二人の目の前で扉が開き……管理人さんが顔を出した。

 いつも無造作にまとめている髪を、今日は珍しく肩に流している。肌も上気しているし、今まで風呂にでも入っていたのだろうか。こうして別バージョンを見ると、ちょっときつめだけど確かに美人ではある。


 その湯上り美人が一言。

「なんだ、いたのか」

 俺の家になんで俺がいちゃいけないのか。

 この人、俺が居ないと思った上で入って来るってなんなの!? そしてそれ以前に、親子そろって当たり前みたいに勝手に出入りするな。

 呆気にとられているゴンタが俺の袖を引いた。

「な、なあ……こちらの美人、どちら様?」

「おいおい、あの合コン? の時に後から来ただろ。お前覚えてないのか? うちのマンションの管理人で、沙織ちゃんのお母さん」

 管理人さんもゴンタに気がついた。

「あれ? お友達?」

「先日のお疲れ会で文奈ちゃんに踏まれていたゴンタですよ」

「あ、ども。文奈ちゃんに踏んでもらっていた田原です」

 なぜ文奈ちゃんに踏まれていたってところを、コイツは自慢げに言うのか。

「ああ、どうも。お友達が遊びに来ているところにすまんね」

 挨拶はどうでも良さそうに管理人さんは周りをきょろきょろ見回した。

「今日はまた、なんですか?」

「いやね、沙織がまたやらかしてさ」

 管理人さんはチェストに目を付けた。

「君の部屋に、あちこち沙織の私物が転がってなかったかい? あいつどうも、君がゼミのを連れ込むと聞いて嫉妬したみたいでさ。“隣のお兄ちゃん”が泥棒猫に盗られるってんで、君に女がいると思われるように偽装工作を仕込んだんだな」

 そこら中のはそういうことか……昼間に沙織ちゃんに会った時に、“友達が来る”って言ったけどゴンタだとは言わなかった。


 沙織ちゃん、“お兄ちゃん”が他の女にうつつを抜かすと思いこんでかわいい事を……。


 と、ほんわかした気持ちになりかけたが……こんなに面倒な事になるのなら、あの時“来るのはゴンタだ”とハッキリ言っとけばよかったと思い直した。

 もっとも今の管理人さんの説明で、沙織ちゃんの理由は判明したけど厄介事も増えてしまった。

 同棲の嫌疑は晴れるだろうけど……沙織ちゃんが自由に出入りしていることが親の証言でバレちまったやんけ。ゴンタにそこをどう巧く説明するか……。

 そんなことを考えていたら、管理人さんがチェストの引き出しからネイビーブルーのレースのブラジャーを引っ張り出した。

「沙織ったら君の家に仕込む下着が足りないってんで、私の物まで一切合切持って行きやがったんだよ。風呂から上がって気がついたら一枚もないじゃない。沙織をとっちめたら白状したんで、とりあえず今つける分を回収に来たんだよ」


 ……待って? つまり、管理人さんは今……。


 後ろで意味に気がついたゴンタが驚愕に悶えるのが気配で伝わってきた。

「ああ、そんで誠人君」

 管理人さんが指先に引っ掛けたブラジャーをくるくる回しながら、真顔で忠告してきた。

「あとで沙織に取りに来させるけど、“D”は私のだからな」

「……はっ!?」

んならデカいほうのだぞ?」

 そう言い残して彼女は帰っていった。


 楽しむってなんだよ……。


 いや、意味はわかるけど。そのデカいの、あなたの娘のでしょ? それを「楽しむ」って……咎めもしないでむしろ煽るとか、まったくあの人は……と今の状況から逃げている俺の肩を、ゴンタがむんずと掴んだ。

「それじゃ誠人くーん? いろいろとお話を聞かせてもらおうかなぁ……」



   ◆



 自宅に帰った詩織は、土下座している娘に見てきた状況を説明してやった。

「というわけで、今日来たゼミのお友達とやらは先日のポンタ君だ。女じゃない」

「良かった……お兄ちゃんに目を付けた色ボケ女子大生が無理矢理押しかけてきて、二人きりの部屋でお兄ちゃんを押し倒すつもりかと……」

 暴走した妄想が勘違いと分かりホッとする娘に、詩織は母として頭が痛い。

「色ボケしているのはおまえだ沙織。人の下着まで誠人君のタンスに詰め込みやがって」

「お母さんの大人なランジェリーなら、肉食JDに威嚇効果があるかなって……」

「そんな手は男にしか通用しないよ。あんたのと私のと、サイズも趣味も違う下着がバラバラに混じっている引き出しなんか女子には違和感しか伝わらんわ」

 この子は学校の成績は良いくせに、なんでこんなことになると当たり前の理屈がわからなくなるのだろう? 恋は盲目? ……違うな、数字に見えないところで浅慮なだけだ。

 誠人君限定でおかしくなるのだから、大した問題じゃないのかもしれないけれど……症状の軽いヤンデレなのか? これ。

 娘は用意していた大きめのカバンを手に立ち上がった。

「それじゃ、要らなくなった物を回収に行ってきます」

「待ちなさい」

 この子はやっぱり根っこがポンコツなのかもしれない。

「今はまだ誠人君とポンタ君が揉めてるはずだから、友達が帰るまで待ってなさい」

「どうして? 邪魔はしないよ?」

「揉めてる原因があんたの持ち込んだアレコレだからよ。今行ったら絡まれるわよ」



   ◆


 

 男同士で友情を深め合いドツキあい、一応落ち着いたゴンタと俺は床に座って一息ついていた。

「しかし、おまえは妹みたいなものだっていうけどよ……その沙織ちゃん? は恋愛感情があるんじゃないのか?」

 コップに注いだジンジャーエールを一気に半分ほど飲んでむせながら、ゴンタは俺が考えないようにしていた事を指摘してきた。

「いや、管理人さんの話だと一人っ子だから『お兄ちゃん』に憧れているんだっていう話で……」

「始まりはそうかもしれないけどさ」

 ゴンタはテーブルに置いた沙織ちゃんの私物の数々を指で弾いた。

「合コンの時のあの態度といい、今日のこの嫌がらせ? といい、どこから見ても好き好きオーラ全開じゃないか」

「そうか?」

「そうだよ。ちょっとしたブラコンであんな恋人プレイを延々続けたり、ここまで部屋のあちこちにトラップ仕掛ける妹なんかいないぞ?」

「えー? でも、漫画とかだと定番だろ?」

「おまえリアルに妹がいるくせに、なんで参考データが漫画なんだよ」

 やれやれ、ゴンタはわかってないな。

「現実世界に可愛いブラコン妹なんかいないからだ。沙織ちゃんのは兄弟がいない中で願望が育ったモノだから……どちらかというとむしろ、現実より創作の妹の方が近いと思う」

「おまえの方もこじらせてるな」


「だけどその漫画のブラコン妹にしてもさ」

 ゴンタはちびちび飲んでいたジュースを卓上に置いた。

「作者の意図としてはどうなんだろうな」

「どういう意味だ?」

「ああいうのって、彼女の一種として描いているよな。妹ってのは恋愛対象キャラの特徴づけであって、主人公に本当の意味での妹を用意したわけじゃないと思うんだよ」

「……おまえ実は詳しいな。実生活じゃ女関係からっきしなのに……」

「ふっ、三次元の弱者が二次元でも弱いと思うなよ?」

 自慢にならないことを自慢げに言うと、ゴンタは俺のレポートから抜き書きした要点をカバンにしまった。

「おまえはもう一度、沙織ちゃんが今までどんな態度だったかをよくよく考えてみろよ。それが“妹”の懐き方だったのか、“乙女”のアタックだったのか、見えなかったものがあるかもよ」

「……そうだな。ちゃんと考えてみるよ」

「おう」

 ちょっとしんみりした空気を振り払おうと、俺は中身のまだあるペットボトルを手に取った。

「ジンジャーエール、もっと飲むか?」

「いらん! おまえジンジャーエール買ってくるのに、なんで生姜糖サイダーの方を選ぶんだよ!? 普通はドライなカナダの方だろ!? ラベル見ずに飲んでむせたわ!」

「俺、こっちのきっつい方が好きなんだよ」

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