4. コンプレックス
たたん、たたん、と一定のリズムで揺れる車内は静かだ。
Lシュタット駅を出て間もなく、テオたち一同の間には異様な緊張感が漂い、簡易テーブルに広げられた食卓も、場に流れる空気に居心地悪そうに並んでいる。
ゆったりと後退りを続ける車窓を見つめる美童の顔は、誰が見てもわかるくらいにはむっすりしていたし、通路を挟んだ隣の席で長い脚を持て余しているキティも、
決して互いを見ようとしない魔法使い二人のピリついた沈黙に、兄弟は幾度目かの苦笑を漏らす。
「そ、それにしても、テオ。随分と有名な魔法使いに依頼したんだね」
「うん、まあね……」テオは曖昧に頷く。
美童はちらりとクラレンスへ目を向け、「僕を知ってるの?」と心なしか機嫌を良くした風情で言う。
クラレンスは反応が返ってきたことに安堵した様子で「ええ、もちろんですとも」と大きく頷く。
「次期三大魔術師候補の一人と名高いあなたを知らない者はいませんよ」
興奮に頬を上気させながらも、クラレンスは周囲の客を
クラレンスは天性の魔法の才能を生かし、将来は魔法で誰かの役に立つ仕事をしたいと思っているので、名の知れた魔法使いと場を共にしていることに少なからず感激しているようだ。
美童ははにかんだように口角を上げ、「それはどうも」と目を細めた。
今代の三大魔術師がその地位を退くまではあと十年ばかりの猶予があるが、こと美童に関しては、次期その座を手にする三人のうちの一人としての見解が堅い。
そんな中、テオはこの会話の中にあって、多少の気まずさを拭い去れずにいた。
なにせ彼は〈有名な魔法使い〉という肩書きのみしか美童のことを知らず、彼の兄を美童と勘違いしてしまったのだから、クラレンスの賞賛の言葉に同参して頷くことに後ろめたさを感じた。
「ぼく一人じゃ、本を見つけるなんて到底無理だもの」
テオが弱々しく笑いながら言うと、クラレンスは
「うん、そうだね……」
テオは首を傾げるように、またしても曖昧に頷いた。
実はテオには、クラレンスが言うようなそういったつもりが一切なかった。
それでもこうして、なけなしのお小遣いをはたいて美童を頼ったのは、
あまり己の考えに対し強い意志を持たないテオが、どうしてもそれだけは避けたいと思う理由――それは、クラレンス以外の兄たちに対する
テオ自身、他の兄弟と比べて魔力量も器量も格段に劣っているなどということは百も承知だった。そんな彼を兄らはいつも下に見て
勇気を出して言い返したところで、嘲笑われて終わり。テオの反抗の言葉は「負け犬の遠吠え」よろしく、彼らの興味を
だからこそ、ここで本を見つけて兄たちを見返してやりたい。今まで散々
――ぼくに本を継承する気はない。そんな器じゃないことは、自分が一番よくわかっている。
テオは期待してくれる兄の気持ちに応えられないことに若干の後ろめたさを抱いて、窓の外へ視線を投げた。
もし自分がクラレンスより先に本を見つけるようなことがあれば、それはクラレンスに譲渡する。誰が何と言おうと、その気持ちは変わらない。本を手に入れてしまいさえすれば、その権限を手の内に収めることが出来る。
ファンフリート家の長兄にこそ、あの本は相応しい。
・
・
・
「それにしても、一体父さんは本をどこにやってしまったんだろうね。あの人は把握しているのかな」
クラレンスが指先で唇を触りながら話題を変える。
「どうだろうね。だいぶ感情的になってたみたいだし……」
「やれやれ、今代の総代もなかなか派手なことをするよな」
クラレンスの
「お前さんたちのご先祖は
「ハハハ……キティさんのご期待に沿えますかどうか」と、謙遜してクラレンス。
「お前さんはどうかな。人が善すぎるだろ。我の強い兄たちに
「お前さん」と言い、キティは執念深い蛇の瞳で、反対方向を向いたテオの顔を覗き込んだ。クラレンスではなく、テオを。
彼の左目に走る刃物で切られたような細い跡が、ただならぬ魔法使い然とした雰囲気に拍車をかけている。
テオは無意識のうちに居住まいを正してキティを見返す。その射るような目で見られると、まるで痺れ薬でも盛られたみたいに身体が思うように動かなくなる。彼にその気はないのだろうが、これではまんま文字通りの《蛇に睨まれた蛙》だ。
そんな少年の心情を知ってか知らずか、傷のある魔法使いは品定めでもするみたいにじろじろとテオを眺め回し、薄い唇でニィと笑う。
「
その瞬間、テオの胸の奥にちくりと黒い棘が刺さるような、小さくも明確な痛みが走った。
その棘は、ツギハギだらけの心の切れ目に深く入り込み、じくじくと膿を誘発するような痛みを促した。何度も味わったことのある痛み。他者に比べられる度、テオの青い胸の内は黒い棘に貫かれてボロボロになっていった。
テオはいつもその言葉の棘を自らの手で引き抜き、応急処置も早々に愛想笑いで凌いできた。場の空気を乱すのだけは避けたい一心で、「兄さんはぼくなんかとは比べ物にならないくらい立派な人ですから」と、己を下げて下げて、終いには地面に這いつくばる勢いで自分の自尊心を叩き壊してきた。そんな芸当をいつまでも繰り返していられるほど、彼もまだ大人ではない。そしてついに今、その限界が来たのか、
「似てませんか、ぼくたち」と、らしくもない強い語調でキティに食って掛かる。
束の間、四人の間に冷えた静寂が流れ込んだ。
今までも、どの兄弟とも似ていないと言われ続けてきた。こと長兄のクラレンスとは顔も性格も才も――何一つ、そっくりなところなどない。それがテオの一番のコンプレックスだった。
クラレンスは驚きのあまり言葉を失ったような表情で、美童は涼しげな顔に僅かばかりの哀感を滲ませ、キティは猫のようにゆっくりと瞬きをしながら、三人の視線は幼い少年の不安げに揺れる瞳に注がれた。
優劣の比較対象にしかなれない自分。
《似ていない》――そう言われる度、自分は優秀なクラレンスのようにはなれないと決めつけられているように思えて悔しかった。そして相手も、テオがクラレンスと比較できないほどに劣った存在であると思っているのだろうと考えると、己が惨めに思えて仕方がないのだ。
肌がひりつくような沈黙に、はっと我に返ったテオは「あ、いや、その」と体裁を取り繕おうとしたが、焦って目を泳がせるばかりでろくに言葉が出てかない。
キティは刹那、その
瞬間、テオの胸に刺さった黒い棘が嘘のように溶けて消えた。
そこまでハッキリ似ていると言われることを少しも期待したことはなかった。久しく再会した親類縁者にも、会うたびに必ず、意図しない悪口じみた口上を述べる。「お前たちは
だからだろう。初めて会ったこの男に「さすが兄弟だ」とこの上ない賞賛の言葉を
同時に、すーっと熱が引いてゆき、火花が散るように熱かった頭の芯が急激に冷えてゆく感覚に、直前までのムキになった子どものような態度に激しい羞恥を覚えた。
「そ、そうですか……」と、これまたぶっきらぼうに言うのが精いっぱいだった。
浮かれて緩む口元を手で隠しつつ、どうせお世辞だろうと自分に納得させようとするも、胸の底から湧き上がる歓喜の情に気付かぬほどテオも鈍感ではない。
憧れの兄クラレンスに似ていると言われて、嬉しかった。
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