第23話 日本国内地、東京都港区民放スタジオ


 目立つのは苦手だ。いや、目立つのを強制されるのが苦手なだけか。自分から進んで目立つのは構わない——あまりそういった心境になったことはないが。なんでも、強制されるのは厭だ。

 では果たしてこの状況は、強制された結果だろうか?

「では星見さんにお尋ねしますが、ガンジス諸島以外の世界の海水面がほとんど変化していないことについてはどう考えていますか?」

 仕切りのように敷かれた赤い絨毯越しを隔てて向こう側の席に座る男が言った。スーツ姿で髪は長い。なんとか大学のなんとかという名前の男だが、パネルに書かれたそれを確認するほどの余裕も体力も、勇凪にはなかった。とりあえず、地球物理関係の人間ではないのは知っている。


 まるで裁判だな、と思ったが、裁判に出たことなどないので、実際どのようなものなのかはわからない。研究所の近くに地方裁判所があったので、一度くらい傍聴に行っておけば良かった、などと思う。

 勇凪はうんざりしながら男の質問に答える。海水面の高度は地形や気候、塩分濃度といったさまざまな条件で決まること、そもそもガンジスの海水面上昇はむしろ陸面低下の影響であること。それらはそもそも論文で書いていた内容である。

 テレビ取材の話があったとき、勇凪は迷った。というのも、テレビに良い印象があまりない。他の研究者からも「都合の良いことを喋らされる」「編集されないように気をつけろ」「もう二度とやりたくない」といった風評を聞いていた。

 だが現在勇凪が取り組んでいる問題——ガンジス諸島の相対的海水面の上昇については、個人の力でどうこうできる問題ではない。世間に広めなければ何も解決できない。

 研究分野にも流行があり、それは時代によって変化する。ガンジス諸島や新島について研究している研究者は少ない。少ないからこそ勇凪の研究は成果を出すことができたのだが、逆にいえば他に追随する人間がいなければなかなか人が集まらないということだ。人が集まらなければ研究は進まず、人々の関心も呼べない。

 結果として勇凪はテレビ取材の話を受けたのだが、実際に話が進んでいくと、取材というよりは討論形式になるという形で話が動いていた。


「発電量から海面高度の変化を推定したという話でしたが、それは不確かなのでは?」とけばけばしいテレビセットの中、別の討論者から疑問の声があがる。「もっと確実な手法で測定し、それから検討するべきなのでは?」

 もちろん他の、もっと直接的に相対的な海水面の上昇を測定できる観測手法があれば良いというのはその通りだ。実際、既にガンジス諸島付近に新たに漂流ブイを浮かべたりしている。また、島々そのものの陥没については陸面の高度変化を測定しなければならないので、VLBI超長基線電波干渉法という遠くの星の光を地球のさまざまな地点で測定して位置変化を特定するためのレーダーも設置した。

 しかしながら、海面高度や地形の変化というのが目に見えるようになるまでには時間がかかる。はっきりと捉えられる頃には、もう手遅れという可能性もある。

 なので現在は新たな観測手段を用いながら、既存の測器で得られたデータと海抜変化を解析している。そしてそれらの結果も、基本的に海抜高度の変化は負、すなわち徐々に海面が上昇しているという結果になっている。


「わたしもガンジス諸島には行ったことがありますけど、海面が上がっているなんて誰も言っていませんでしたよ」

 と、また別の人物から言葉が上がる。

 それはそうだろう。海面上昇の割合は僅かだし、何より海面高度には潮汐による日変化がある。一日の間で高い時間帯と低い時間帯があれば、その長期的な変化など人間の目でみてもわからないものだ。生物の目は瞬間的な変化には強いが、ゆっくりとした変化は感知できない。


「だいたい、軌道エレベータの建設は何十年も続いて来た国家事業ですよ。宇宙進出へ向けた夢のある話がもうすぐ完成というところに来て、建設を止めろだなんて、そんな水を差すようなことはないでしょう」

 止めろとは言っていない。ただ、ガンジス島が沈む前にどうにかして対策を立てるべきで、少なくとも相対的な地表面高度の低下がないかどうかは調べるべきだ、という主張だ。

 夢があろうがなんだろうが、ガンジス島には人が住んでいる。勇凪の住んでいた島には。


「ちょっとよろしいでしょうか」

 と討論者の中から手が上がる。これまであまり発言してこなかった男だ。スーツ姿ではなく普段着で、服装はぱっとしなかったが眼光は鋭い。勇凪と同じか、少し年上といったところだろうか。肩書きはライターとあった。

「気候変動にともなう海水面の上昇という話を専門家に聞くと、二百年前にも同様の話があったという話を聞きます。当時も地球温暖化だとかでさんざん人類を煽るだけ煽って、結局海面上昇の影響などほとんどなかったではありませんか」

「それは——」

 勇凪はテレビ撮影が終わってから、どうやって家に戻ってきたのかよく覚えていない。


 撮影時の様子を思い起こすと、うまく喋ることもできなかったように思う。未だに学会発表だって予定通りに喋れている気がしないのに、テレビ取材なんて無茶だった。取材ではない。討論出演だ。最初からそう言ってくれれば、断っていただろうに。

 住み慣れた自宅のベッドに倒れこむ。床にも机の上にも物が散乱している。衣服も食器も。最近、とみに忙しい。

 薄暗い中でテレビを点ける。今日撮影したばかりの番組はもちろんまだ放映されていないが、関連する番組はあった。『気候変動を振り返る』というテーマの特番だそうだ。

『過去を振り返ると、こういったことは少なくないんですよ』

 テレビモニタの中の評論家が言う。何の評論家なのか、どんな分野に精通しているのかは知らないが、実際のところ、評論しているからには評論家なのだろう。

 彼が「少なくない」と言ったのは、気候変動や地震に伴う地盤変化についてではない。曰く、「研究者のデマが国にとって大きな障害となったこと」が、だ。


 評論家は言う。

『たとえば大きいのだと、地球温暖化というのがありました。二百年も前の話です。研究者たちがこぞって大気中の温室効果気体によって地球が温暖化し、南極の氷が溶けて海の高さが上がったり、気温上昇によって生物が絶滅したり、気候がまったく変わってしまったりだとかするだろう、と予測したのです。ここでいう温室効果気体というのは、たとえば人間の呼吸によって出てくる二酸化炭素だとか、湿地から出てくるメタンだとかです』

 そうだ。地球温暖化が唱えられていたのは二百年ほど前——人間の寿命から考えれば、遠い昔だ。テレビで評論家が言っている通り——そして昼の番組録画中の質問があったとおり、温室効果気体によって地球全体が温暖化すると言われていた。主として化石燃料から排出される二酸化炭素は、大気の下層を温め、上層を冷やす。地球全体で見ればエネルギーの量は変わらないが、人間にとって重要な大気下層が変化すれば大きな影響が出るだろうと予想されていた。温室効果気体としてメジャーな二酸化炭素だけではなく、寿命は短いが影響の強いメタンも挙げたのは、ある程度勉強しているということだろう。


 二百年前、人間は地球温暖化を重要と考え、どうにかしてそれを抑制しようとした。主として挙げられていたのは、大気中で分解されたり変化しにくいため、寿命が長い温室効果気体である二酸化炭素の排出抑制だ。

 その結果、どうなったか。

『その結果がどうなったかは、ご存知でしょう。温暖化なんてしませんでした』

 こちらがこの三百年間の地球の平均気温のグラフです、と言ってグラフが出てくる。横軸が年で、縦軸が気温。グラフは大きくぶれながら、二百年前まではおおよそ上昇傾向にある。だがある年から、それは下降傾向に転じた。


 隕石落下の年だ。


 巨大隕石は大量の粉塵を巻き上げ、造山活動を活発化させた。大気中に巻き上げられた粉塵——エアロゾルは太陽の光を遮る。一部は光を吸収し、熱に変えてまた再分配するが、重要なのは太陽光を宇宙空間に返還する効果だ。地球は太陽の光を吸収することで、その温度を保っている。温暖化も、太陽の影響をより強く留めた結果なのであり、地球単独で暖まっていくわけではない。孤独では、いつか死ぬのだ。

 隕石の影響は瞬間的なエアロゾル量の増加のみに留まらなかった。火山活動が活発化され、噴火によってもさらに多量の粉塵が巻き上げられ続けた。結果として温暖化は止まった。どころか、現在は数百年単位で見ると、かなり寒冷化している。

 だが、世間にとって重要なのは、過剰な温暖化が食い止められたということではない。


『もしあの時代、温暖化対策などしていなければ、この二百年の足踏みはなかったでしょう』

 大量のエアロゾルによって太陽光発電量は低下し、地形隆起に伴う気流の変化は風力発電の不安定化をもたらした。勇凪の故郷であるガンジス諸島は、このときに隆起した新造島だ。

 急激な温暖化は食い止められた。だが人は得をするよりも、損をしないことを好むものだ。

 かくして隕石落下から技術・文化水準を立て直すまでの期間は「失われた二百年」と称され、地球温暖化対策は忌むべき思い出となった。


 二百年未来の人間である勇凪から見れば、当時の地球温暖化に対する議論は間違っていなかったと思う。地球温暖化のメカニズムも、人為起源の温室効果気体の増加も、その影響も。温室効果気体の中で寿命の長い二酸化炭素は一度増えればなかなか減少しないので、未だに大気中の二酸化炭素濃度は高い。それでも温暖化しないのは、隕石衝突時の影響が大きいからだ。それだけ地球の気候というのは繊細で、外部からの衝撃で簡単に変わってしまうものなのだ。

 人間は結果を重んじる。

 過程が正しかろうが、結果がとも伴わないものは悪と論じられる。


 勇凪は慌ただしい日常に戻った。

 自分が出演した番組は見なかったが、どのように放映されたかは急に増えたメールを見て理解できた。メールアドレスは研究者情報を検索すれば簡単に特定できるので、番組を見た視聴者が送って来たのだろう。

 勇凪の主張に賛成、応援するという趣旨の内容が二割ほど。中には過激な内容があって、軌道エレベータを爆破したいだとかの話もあったのだが、こうなるともうただの破壊願望なのではないかという気がする。

 一方で主張・研究に対して反対する内容は六割ほどあったのだが、これに関しても一蹴するだけではなく、良いものと悪いものもあった。たとえば、海面高度の相対的な上昇はありえるかもしれないが、軌道エレベータの建設停止以外の方法で止めることはできないか、という内容。ガンジス島の住民にとっては重要な問題だろうが、軌道エレベータの建設に関わっている人間にも死活問題であるということ。確かに急を要する事態かもしれないが、具体的にどれくらいの速度で取り返しのつかない状態になるのかがわからないのでいたずらに不安を煽るだけではないのか、という指摘。それらは楽しく読めたし、実際に考えなければいけないことでもあった。

 驚くべきことに、海面上昇やそれに関する討論の内容についての言及がまったくない、ただ罵詈雑言が連ねられただけのメールが二割ほどを占めていた。

 それ以上の取材やテレビ出演は控えたが、なかなかそういったメールは減らなかった。


 自分は負けたのではないか、と思えてきた。呼び出されて決闘場に上がったは良いものの、相手の思惑通りに踊ることしかできず、敗北したのでは、と。自分の望む通りの結果を出せず、ただただ負けたのではないか、と。

 思えば勇凪はこれまでの人生、失敗したこと、負けてきたことは幾度となくあった。

 学会発表、論文、そしてレイラニのこと。

 これが騎士の決闘であれば、勝敗が決したあとの結果は明らかだ。死だ。いや、死によって負けが決定されるのかもしれない。殺し合いであれば、そういうものだ。

 現代はそう暴力的ではない。負けても死はない。腕は落ちないし心臓に剣先は食い込まない。肉は削がれることなく、血を流すこともない。

 ただ敗北者になる。

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