十一 鬼多見遙香(四)

 お母さんは、早紀ちゃんから離れ、深々と頭を下げた。


「本当にごめんなさいッ」


 今度は茜色の光が視界に飛び込んできた。


 夕陽が辺りを染めている。


 日中ほどではないが蒸し暑い。


 どこだろう? 大きな池がある。


 手入れが行き届いているから公園だろうけど、郡山の地理がよく判らないから特定ができない。


 たしかなのは、ほとりのベンチに腰掛けているカップルが、玲菜さんと氷室さんと言う事だ。


「玲菜!」


 お母さんの声に二人が振り向く。


「遙香、どうしてここに?」


「あんたと氷室を探してた」


 玲菜さんが表情を曇らせる。


「アタシたちを? なんで……」


「わかってるでしょ? やっぱりダメだよ、こんなの」


「今さら……」


「どうした?」


 氷室さんが心配そうに割り込んできた。


 きっと二人がケンカをしていると思ったんだろう。


「氷室、ゴメン。あんたに非道い事をした」


「何言ってんだ?」


 お母さんは、氷室さんの額を指先で触れた。


「やめてッ!」


「鬼多見……?」


 何が起きるかを察した玲菜さんは叫び、氷室さんは戸惑った表情を浮かべた。


 その刹那、お母さんが送った玲菜さんの情報が取り除かれるのが、わたしには解った。


「あれ? オレ……何で……」


 狐につままれた様な顔をして、お母さんと玲菜さんの顔を交互に見比べる。


「氷室くんッ?」


「大久保……オレ、どうかしてた。悪いけど、お前とは付き合えない。昨日も言ったけど……

 あッ、オレ、早紀に……」


「早く行ってあげてッ」


 お母さんの気迫に気圧されながら、氷室さんはうなづくと駆けだした。


「待ってッ」


 追おうとした玲菜さんをお母さんが止める。


「ジャマしないでッ」


「もう遅いよ、魔法は解けた」


「『解けた』じゃないでしょ、『解いた』んでしょッ。どうしてこんな事するのッ?」


 玲菜さんは張り裂けんばかりの声を上げて、泣き崩れた。


「サイテーだよ、少しの間だけ喜ばせておいて、全てを奪い去るなんて、アタシに何の怨みがあるのッ?」


「ごめん……」


「あやまるくらいなら、初めからヤんなよ!」


 玲菜さんが充血した眼で睨み付ける。


「おまえ、ナニが楽しいんだよ? アタシがツライ思いをするのが、そんなに嬉しいのッ?」


「そんな訳ないじゃない!

 あたしは、玲菜を失いたくなかったから……」


「ナニ言ってのさッ、失いたくない? だからイヤがられせをするワケ?」


「違うってッ。あたしは、本当に玲菜に幸せになって欲しかった。


 でも……それでも……やっぱり人の心を操るのは間違ってる。


 それに、気が付いたの」


「ようは自分がいい子ちゃんになりたいだけだろッ。


 アタシの心はどうなるの?」


「え?」


「おまえは自己満のために、アタシの心を弄んだ!」


「それは……」


「今度はアタシの心を変えるわけ? その超能力で」


「しない、するわけないでしょッ」


 玲菜さんは鼻で笑った。


「どうだか、化け物の考える事なんてわかりゃしない」


「………………」


「もう二度と、おまえの顔なんて見たくないッ」


 吐き捨てるように言うと、玲菜さんは振り返らずに去って行った。


 お母さんはズッとその後ろ姿を見送っている。


 どうすれば良かったのだろう?


 全てうまく行く、みんなが笑顔になれる方法はあったのだろうか?


『制御出来るから、自在に使えるからこそ、大切な人を傷つける事がある』


 これは実体験から出た言葉だったんだ。


 友達に嘘は吐きたくないという理由から、わたしは凜と香澄に験力の事を話した。


 もちろん二人を信じているから打ち明けたんだし、それは今も変わらない。


 玲菜さんと同じ事を彼女たちが言うとは思えないけど、験力の事は黙っていた方が良かったのだろうか。


 だけど、験力の事を話さなければ、由衣の死や二人を巻き込んだ事件の真相も伝えられなかった。


 凜と香澄には知る権利があるはずだ。


 考え込んでいたら、いつの間にか家に戻っていた。


「遙香」


 廊下を歩いていたらお祖父さんの声がした。


「何?」


 お母さんは茶の間に入った。


「言う事があるだろう?」


「必要ないでしょ、どうせあたしの頭の中を勝手に覗き見するんだから」


「何だその口の利き方はッ?」


「事実じゃない。父さんはいつだって、験力であたしを監視している」


「生憎、俺はそれほど暇じゃない。それに出来るからと言ってやっていい事と……」


「じゃあ何で知ってるのよッ」


 お祖父さんは溜息を吐いた。


「お前は確りしているが、それでもまだ高校生だ。誤った事をする事もある。それを正してやるのが親の務めだ」


「都合のいい時ばっかり父親ぶらないでッ。

 自分は完璧だって思っているのッ?」


「俺だってまだまだ未熟だ。過ちを犯す事もある」


「だったら人の事より、自分を何とかしなさいよッ。

 少しは悠輝をかまってやったら? あの子の頭の中だって覗いてるんでしょッ?」


「ああ、悠輝に関してはお前の言う通りだ。

 だが、今はお前のした事について話している」


「あたしが何したって言うの? あたしはたった一人しかいない友達を、失いたくなかっただけよ」


「そのために、やった事は許される事ではない」


「父さんだって人の思考を覗いたり、人の記憶を改ざんしたりしてるじゃないッ」


「それは認める。だが、必要な時だけだ。特に感情や記憶を変える時は、相手の人格は勿論、周囲にも影響が無いよう細心の注意を払っている」


「それだって父さんの都合でしょ? 玲菜は絶対に必要だったのッ、たった一人の親友で、何でも話せる相手だった。あたしは、もう独りぼっちよ」


「何を言っている、俺や悠輝が居るだろう。友達はまた……」


「出来るわけ無いでしょッ!」


 お祖父さんが思わず口をつぐんだ。お母さんの声はそれほど悲痛だった。


「あたしは相手の心が解るのよ。見たくないって思ったって、仲良くなればなるほど不安になる。そして視て、絶望する。

 人間は大人になればなるほど複雑になる、そんなの解ってる。

 でも、そう思っていたって割り切れない。

 玲菜はそんな中でも特別だった!

 そんな玲菜を、あたしは傷つけた。

 この能力ちから……験力があるせいで……」


 頬を何かが伝わるのを感じた。


 涙だ。


 お母さんは泣いているんだ。


「父さん、あたしの験力を無くして」


「莫迦を言うな、そんな事は出来ん」


「まだ解らんのかッ、それは……」


「勝手な事ばかり言わないで!」


「それはお前だろうッ?」


「父さんでしょッ。

 あたしは一度だって験力が欲しいなんて望んだ事がない。

 なのに、これのせいでいくら苦しんでも誰も助けてくれない。

 無くしてくれって頼んでもダメならどうすればいいの?

 もう耐えられない……」


「…………………」


 お祖父さんが射貫くような視線をお母さんに向けている。


「あたしが本気で死にたがっているって解った?」


 自分の考えを、あえてお祖父さんに読ませたんだ。


 お母さん、本当に辛かったんだね。


「どっちでもいい、父さんの好きにして。

 あたしはもうガマンしないから」


 お祖父さんは目をつむると、大きく息を吐き出した。


「解った。だが、やはり験力を無くす事は出来ない」


「なら……」


「待て、何もしないとは言っていない。

 無くす事は出来ないが、封印する方法ならある」


「封印?」


「そうだ、験力自体はお前の中にあるが、二度と使う事が出来ないようにしてやろう」


「本当に二度と使えなくなるの?

 騙そうとしていない?

 嘘じゃないんなら、父さんの心を読ませて」


「読みたければ読むがいい。だが、それで信用できるのか?」


「…………………」


 そうか、お祖父さんなら心を読ませたと思わせて、偽物の情報を与える事も出来るんだ。


「流石に娘に死なれては適わない、それぐらいは判るだろう?

 それに、お前が居なくなったら悠輝も悲しむ」


 お祖父さんがお母さんの背後に視線を向ける。


 振り返ると襖の陰から、心配そうに叔父さんが覗いていた。

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