九 鬼多見遙香(二)

「日記はその日の分だけ書くのッ」


「よしゅうだよ」


「日記は予習しちゃダメ!」


「だってわかってるもん」


「何が?」


「朝ごはん食べて、お父さんに拳法のれんしゅうさせられて、勉強して、お昼ごはん食べて、あそんで、夕ごはん食べて、テレビみるかゲームして、ねる。

 夏休みは、このくりかえしだよ。お父さんは拳法とセッキョウいがいは、いそがしくていないし」


「たしかにそうだけど……」


 お母さんは溜息を吐いた。


「ねぇ、悠輝、お姉ちゃんと旅行に行こうか?」


「ん? ジュケン勉強しないとダメだろ」


「お姉ちゃんは頭が良いからいいの、安女に通ってんだから」


 安女、安積中央女子高校は、当時福島県でトップクラスの高校だったらしい。現在では名前が変わり男女共学になっている。


「いいの?」


「弟の分際で、お姉ちゃんに気ィ使わないのッ。


 で、どこ行きたい?」


 叔父さんが目を輝かせる。


「ハワイッ」


「うん、ハワイアンズね」


「本物のハワイ!」


「うん、本物のハワイアンズね」


「外国のハワイッ!」


「うん、スパリゾートのハワイアンズね」


「おねえちゃんッ!」


 叔父さんが抗議の声を上げた時、チャイムが鳴った。


「あ、は~い!」


 天の助けとばかりにお母さんは玄関へ向かう。


 引き戸を開けると、真っ赤な目をした玲菜さんが立っていた。


「遙香、やっぱダメだった……」


「そっか……

 悠輝、悪いけど、何か適当に食べてて」


 叔父さんは不満そうだったけど、空気を読んだのか、うなづいて台所へ姿を消した。


 お母さんは玲菜さんを奥の部屋に通した。


 今は明人さんの部屋で、その前は叔父さんのだった。そして、二〇年前はお母さんが使っていたんだ。


「ちゃんと気持ちは伝えられた?」


「うん……。でも、氷室くん、カノジョいるんだってさ……」


「そうだったんだ…。彼女がいなきゃ、きっと玲菜のことが好きになってたよ」


「そうかな? アタシのこと好きになってくれたかな?」


 瞳に涙があふれ、声が震える。


「なったに決まってる。あたしが男だったら、玲菜のことほっとかないもん!」


「アリガト、遙香。でもさ、アタシは氷室くんに好きになって欲しかったんだッ」


「玲菜……」


「遙香はさ、フラれた事ってある?」


「知ってるでしょ、無いわよ。だってあたしは……」


「誰かを好きになったコトなんて無い」


 玲菜さんが挑むような視線を向ける。


「そうよ」


「だから、遙香にはアタシの気持ちがわからないんだ。

 ありったけの勇気を振り絞って告白したのにさ、迷惑そうな顔されてさ、付き合っているがいるからって……」


「仕方ないよ。玲菜だって、二股かけられたかったわけじゃないでしょ?」


「氷室くんはそんなコトしないッ」


「そうだね、玲菜の男を見る目は正しかった。だから……」


「次の恋を探せって? そんなのムリッ」


「直ぐにじゃないよ……」


「ずっとムリだよッ、ムリに決まってるでしょ!

 おねがい、助けてよ、遙香」


「あたしには何もできない」


「ウソ、できるでしょ。ううん、遙香にしかできない」


「それはダメだって言ったよね」


 お母さんの口調が厳しくなった。


「なんで? だって遙香にはその能力ちからがあるんでしょッ?」


「あるからって、使っていいわけじゃない。やって良い事と悪い事がある」


「法律で禁止されてる? 遙香のお父さんがダメって言っただけでしょ?」


「どんな理由があっても、他人の心を操るなんて許されない」


「わかってるよ、そんなコト。それでもさ、どうにもならないのが好きになるってコトなんだッ! 親友でしょッ? 力を貸して!」


 すがり付かれた勢いで、お母さんと玲菜さんはベッドに倒れた。


「あたしが周りに人を近づけない理由を知っているよね?

 この能力ちからのせいで、あたしは他人の考えている事がわかる。

 知りたくなければ、覗き見なけりゃいい。でも、気になって仕方がない。

 結局、ガマンできずに相手の考えを読んで、傷つく事になる。

 何度同じ事を繰り返したかわからない。

 便利どころか呪いだよ。

 でも、玲菜は裏表がないから、あたしは友達になれた。

 信頼できるから、この呪いの事も打ち明けた。

 人の心を変えるのは、考えを読むのとは全く違う。

 その人を破壊する行為なの。

 お願いだから、あたしにそんな事させないで、あたしの信じている玲菜のままでいて」


 玲菜さんはお母さんを見つめたまま、しばらく沈黙した。


 重い時間が二人を包む。


「ズルイよ、遙香」


 そう呟くと、立ち上がって背を向けた


「じゃあさ、アタシも同じコトするね。

 氷室くんの気持ちを変えてくれないなら、絶交する」


「玲菜ッ?」


「遙香の超能力のコト、今までダレにも言わなかったし、その力を使ってくれって頼んだコトもない。

 今度が初めて、最初で最後。

 だから、お願い」


 お母さんは玲菜さんの背中を見つめている。


「ごめん」


「そう……」


 玲菜さんは部屋から出て行った。


 お母さんは玄関まで見送ったけど、声をかける事が出来なかった。


「おねえちゃん、だいじょーぶ?」


 叔父さんが心配そうに見つめていた。


 お母さんは叔父さんをギュッと抱きしめた。


「悠輝、あんたは験力なんかに目覚めちゃダメだからね」


「え?」


「こんなモノない方がいい、あっても辛いだけよ」


 わたしがお母さんの立場だったらどうするだろう?


 凜と香澄から同じ事を言われたら?


 わたしは二度と誰かを傷つけないために、験力の使い方を学ぼうとしている。


 でも、それ自体が友情にヒビを入れる原因にもなり得るんだ。


「学生時代の友達、特に高校の友達は特別なんだ」


 気付くとまた眼の前の場景が変わっていた。


 また、あの教室にいる。この声はあの名物先生のだろう。


 お母さんは座る者のない、隣の席を見つめている。


 そこは玲菜さんの席だ。


「この講習も明日で終わりだけど、自分が通う学校とは別の友達が出来ていたら先生は嬉しいな」


 新しく出来るどころか、お母さんは親友を失おうとしている。


「それじゃあ残り一日、みんなで楽しんで頑張ろう」


 講義が終わり、お母さんは席を立った。


 そして、一人の生徒を呼び止めた。


「氷室、ちょっといい?」


 玲菜さんが告白したあの男子だ。呼び止められて戸惑ったような顔をしている。


「えっと、キタミだっけ?」


「うん、玲菜の事で」


「ああ、わかった」


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