第九話 『悪意の蠢動』

“大平野”サミル区南東 カリア・ケロス国境付近 丘陵部



 楡、竜、そしてくう。……この大陸で、夏として扱われるのはおおよそ三月。

 多くの場合、中に位置する竜の月が盛夏として国の暦に刻まれている。

 理由は様々だ。例えば東のある国は、最も水が多く湧き出る月だから。

 西に位置するある国は、最も大地が熱を持つから。

 そして、我らが帝国は――

 

「『偃月薙ムーン・モウっ』」


 ひと薙ぎ。

 ウヴァルの振るう長剣が、低級群狼レッサーウルフの屍を生む。鬱蒼と茂った森に、鉄の匂いが立ちこめた。

 血液と脂にまみれた鉄剣を、手持ちの布で乱雑に拭く。……丁寧に手入れできるほど、森は優しい場所でなかった。


「陛下も酷なことをする」


 思わず一言、零してしまう。


「魔獣溢れる竜月に、供のひとりも許さんとは」


 そう。

 彼が所属し母国と奉じる“帝国”は、季節のほどを魔獣の密度で振り分けていた。

 そも帝国とは、西側の国々の中でかなり若い・・部類に位置する開拓国家だ。開拓とはつまり、荒れ地を墾し、森を拓いて山々を削って均すことを指す。

 夜を制する群狼も、吹き荒れる不意な吹雪も、魔獣の所作によるものばかりが多数を占めた。ゆえにこそ、先人たちは魔獣という自然の脅威を重視したのだ。

 竜の月が盛夏として定められたのも、こうした時代の名残であるとされている。


「せめて、狩人でも雇えればよかったんだが」


 きゅうしょうかく。いずれの位階にある騎士も、従士を抱え、供をさせる権利があった。

 それを、此度に限って制限された格好だ。

 陛下はことさら、天涯孤独であるかどうかを質された。なれば、供も同じく天涯孤独であらねばならない。……そういう理屈だ。

 従士となれる若い男に、天涯孤独はそう居ない。結果、こうしてウヴァルは文字通り孤軍奮闘していたのだった。

 世知辛い、などと言ってはいられない。

 本来であれば、自分は既に死んでいるのだ。

 さて。


「はぁ。終わりか」


 先ほどの群狼で打ち止めになったのだろう。しんとした宵の森には、すでに羽虫の気配すらない。

 この場で長居をするのはよくない。ゆえあって森の奥からここまで来たが、そろそろ街道に出たいところだ。

 遠くを見下ろし、さらに一息。視線の先には、岩山の麓にひとつ、巨大な街が煌めいていた。


「ここから見れば、確かに絶景なんだがなぁ」


 カリア・ケロス連合王国、城塞都市カレイド。

 これよりウヴァルが踏み入れる――敵地の偉容がそこにはあった。



      ◆



要塞都市カレイド 外周区 衛士府前



 件の触れがあって翌日。

 私とサイ、そしてライも併せた三人は外周区へと訪れていた。

 理由はもちろん、外周区にある衛士府への出頭だ。

 知らぬ街、連れは幼い少女が二人。さすがにこれでは、真夜中に外に出るのも心許ない。

 私たちは触れの時には寝入ってしまっていたことにして、こうして朝早くからここへと訪れたというわけだ。

 それが、おおよそ三時間前。

 門脇で待てと門番に指示されてから、これまでずっと待ちぼうけだった。

 なんでも、大事な用があるため今は月虹族を・・・・入れるわけにはいかないのだそう。

 種族限定とは、これまたずいぶん怪しいものだ。

 つい十分ほど前からは、鬱屈とした口論が始まっている。

 一旦出直させて欲しいと願う我々と、それはならぬと引き留める側の争いだ。


「だから、滞在先と手形を控えて、触れの通りに出頭したと記録を取っていただければよいのです。これは通商条項メル・マルークにもある手続きです」

「ならん、たかが通行手形では真に身元の確認が取れん。その手続きを踏みたいならば国が振り出す旅行者手形を持ってこい」


 一方はサイ。

 さすがに法や規則も知らない私が出てしまうのは無防備だからね。適材適所だ。

 そういうわけでもう一方は、昨日の兵とは打って変わって精彩を欠く小太り番兵。

 すすけた白衣から見るに、おそらくは、正規の兵ですらないのだろう。それでいてあの横柄さと断定口調は、いつぞやのコンサルくんを思い出すね!

 ……失敬、過去の恨み節だ。良くないことは忘れるに限る。

 はい、えーんがちょ。

 頭の中で手刀を一発ぶち込んでいたら、くぅ、と至近距離から音がした。

 

「おじちゃん、おなかすいたー」


 胸の前へと抱いていた、猫じゃらし亭のライちゃんだ。早々に疲れてしまった彼女のことを地べたに寝かせるわけにもいかず、さりとて交渉できるサイに預けるわけにもいかず。今はこうして、私が抱き上げあやしているのだ。


「ああ、そういえば朝ご飯はまだだったねぇ。……そら、払戻リファンド


 外から気取られないように、ポケットの中でサンドイッチを呼び出してみた。蝋引きの紙に巻かれたポポマサンドを手渡すと、小気味いいくらいの速度で彼女の口に吸い込まれていく。

 いい食べっぷりじゃないか。

 そうこうしているうちに、サイがこちらに戻ってくる。

 やはりダメだったのだろう。その表情はひどく気疲れして見えた。


「梨の礫です」


 サイが言う。


「やっぱりかね」

「はい。……一時帰宅も許可できないそうです」

「ずいぶん身勝手な話だねぇ」

「稀に聞く話です。おそらく、私たちに先んじて位の高い客人が来たのではないかと」

「王女殿下の命令を棚上げするほど?」


 私の問いに、サイは小さくかぶりを振った。

 どことなく、苦笑しているような雰囲気だ。


「服装を見るに、あの衛兵はクヴァラのものではありません」

「そのこころは?」

「位は位でも、気位・・の高いほうだということです」

「あー」


 いわゆる、田舎の名士というやつだ。

 地元ではいやに力があるくせに、中央にはやたらと腰が低くて、半端に傲慢だから“挨拶”ではやけに時間をがめる方々。

 正直、あまり関わり合いになりたくないね。……ああいう手合いがおいしい話を持ってくること、ほとんどないし。


「心当たりがおありですか?」

「いや。……どの世界にもいるんだなぁって思っただけだよ」

「心中、お察しします」

「出来れば察して欲しくなかったね、そこは」


 移譲共鳴アノマラスのせいだろうけど、そんな苦労、若い子が察していいことじゃありません。

 とりあえず、ココは待つほかないんだろうね。……下手に動いて、覚えが悪くなるのも避けたいし。

 と。


「……うん?」


 不意に、門の向こう側から声が聞こえた。

 それも、一人のものじゃない。その喧噪は、大勢の人々が目的を持って動いているときのそれ。

 やがて、ちぃん、ちぃんと、規則的な鐘の音が近づいてくる。


「おでましかな?」

「おでましですね」


 私はサイと顔を見合わせる。……現状認識は一致を見た。

 そうと決まれば、棒立ちのままはまずいだろう。ライちゃんを地面に立たせて、私は行列礼の姿を取った。

 右手のひらはピンと伸ばして左肩。お辞儀の角度は、会釈よりもほんの少し軽い程度で。

 ここシャンバラで、行列をなす貴族や目上への礼らしい。もちろん、手帳クン仕込みの一般常識・・・・だ。

 気配と音で、サイもそれに倣ったのを確認。後はこのまま、通り過ぎてくれるのを待つだけだ。


 ちぃん。

 ちぃん。


 鐘の音と、車軸が微かに軋む音。

 それが、自分たちの前で不意に止まった。


「……そこな男、面を上げよ」


 いやに神経質そうな、ねっとりした声。

 

「はっ」

 

 視線を上げると、そこには白と金とで彩られた豪奢な車が佇んでいた。

 一見馬車か牛車のようだが、動力に相当する生物はいない。……どうやら、シャンバラにも自動車という概念はあったらしい。

 その扉には御簾がかかって、搭乗者の姿は見えない。けれども、御簾の向こうから訝しげな視線が飛んできていることだけは分かる。


ヒト種アルクのそなたが、なにゆえに賤民ディアノと共におるのだ」


 そして、翻訳さんのがっつり意訳。

 私は内心で、あぁ、と嘆息する。

――面倒な手合いに引っかかったなぁ、と。

 尋ねられるとしても、せいぜいが見慣れぬ風体ゆえだと思いたかったが。


(いや。これは私の失態だね)


 確かに、サイはカリア・ケロスを『わずかでも・・・・・月虹族を受け入れてくれる素地を持つ国家』のひとつだと言っていた。

 ここまで明確な蔑視を受けてこなかったから、私が勘違いしていただけで。

 なんにせよ、ここは無難に切り抜けることを目指すべきだろう。


「恐れながら。……彼女は私めの荷物持ちにございます」


 あながち嘘にも見えないだろう。私は通りすがりの商人ビジネスマンで、彼女はその同行者だ。サイが背負ったどでかい包みも、私たちの荷物であるのに相違ない。

 功を奏したか、御簾の向こうからの視線が明らかな侮りの色を帯びた。


「流れの行商か。呪われた民を使う時点で、程度が知れるな。――名と業種は?」

「クライ、と申します。取り扱いは……布を少々」


 そう言っておけば、この風体も説明がつくだろう。少々奇抜だろうが、この一張羅が商売道具そのものなのだと。


「では、クライよ」


 ふと御簾が揺れ、内側から引き上げられる。

 暗がりから覗くのは、よく言えば恰幅のいい、悪く言うならヒキガエル然とした老翁だった。


「聖教ニル派司祭、トクラ・コントの名において命じよう。このカレイド教区内で一切の布・糸・針に関する取引行為を禁ずる」

「なっ――ぁ」


 声を上げかけたのは私ではなく、サイ。

 けれど、彼女の反駁は完遂されない。彼女が何か言うより先に、サイの脳天が何者かに打擲されたからだった。


「その穢れた瞳を向けるな、はしためッ」

 

 それは、先ほどサイと押し問答を繰り広げていた衛兵だった。なるほど、確かにサイの見立て通りだったというわけだ。

 すわ流血沙汰か、と視線を向けて、違和感。


(なんというか、全然痛そうじゃないな)


 彼女の顔から読み取れるのは、「やっぱりか」とでも言いたげな諦念。言葉が止まったのも単に驚いただけで、痛くも痒くもなさそうだ。

 そういえば、人族は弱いって昨日ハッキリ言ってたな。色々と含みはあったけど。

 私は安心して、ヒキガエル――もとい、トクラ司祭とやらに視線を戻した。

 司祭の表情は微動だにしない。あくまでも、こうなるのは当たり前のことであるようだった。


「すぐに触れを出す。商売を続けたければ、疾く街を出よ。……恨むなら、月虹族を連れた己が不明を恥じるがよい」

「……はっ」


 頭を下げ、大人しく言うことを聞くこととする。……まぁ、実際痛くも痒くもないからね。

 やや置いて、ふん、と鼻を鳴らす音。きっと面白くなさそうな顔でもしているのだろう。この手の相手は反発すれば余計にヒートアップするモノだ。反発はしないに限る。


(それに、)


 これ以上難癖をつけるにしても、理由も無しに都市の外へとつまみ出そうモノなら、例の王女サマに止められてしまうだろうしね。


「衛兵」

「はっ」


 司祭の声に、頭を下げる件の衛兵。


「この男に“聖別”を。旅の汚れもあることだろう、念入りに施しなさい」

「仰せのままに」


 聖別ねぇ。

 どうせ聖水・・でも盛大にぶっかけられるんだろうと予想していたら、本当に掛けられてしまった。

 まあ、濡れないよね。なんたって神サマのお墨付きだし。

 しかし、神サマのお墨付きに弾かれる聖別ってなんなんだろうね? あ、これ以上掘り下げちゃ駄目なやつ? はい。

 益体もないことを考えているウチに、一行は視界から失せてしまった。精神衛生によくない集団だったので、それはそれでよしとしようか。

 

「クライ様っ」

「問題ないよ」

「ですが、お召し物が」

「大丈夫だとも。ほら、触ってごらん」


 脅威が去るのを十分待って、それから慌てて布を取り出そうと動き出すサイ。そんな彼女を遮るように、私は腕を差し出した。

 おずおずと触れる彼女の指が、するりとゼニアの上を滑った。そこには水滴はおろか、わずかな湿り気すらもない。


「『聖別』って」

「やめてあげよう」


 世の中には、声に出しちゃいけない言葉というのもあるのだ。

 たとえ、それが真実だとしても。


「……まあ、ご院家さんはおいとくとして」

「はい」


 どちらともなく、誰もいない衛士府の門へと視線を向ける。


「そろそろ行こうか」

「そうですね」


 ため息と同時、ずいぶんと遠回りした気分です、と零すサイ。

 ごもっとも。……だからこそ、私の気分は言葉ほど沈みきってはいなかった。


「ま、今日一日の悪いことが終わったと思えば良いさ」


 嫌なことが先にある日は、大体その後悪くない。

――ビジネスマンとは、前向き思考のプロである。

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異世界転移したら、チートになったのは俺の一張羅でした 上崎 秋成 @AlexTress

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