¶-Sigh 『“吼え立てる者”』

¶-Sigh

“大平野”サミル区南東 カリア・ケロス国境付近



――『乙女の絹布』は、あっさりと食い破られた。

 当たり前だろう。騎兵主体の傭兵団が、加護持ちでない構成員を前線に出すわけがない。

 そうは言っても、最先頭の数十人は圧死した。戦功に換算すれば十分すぎる。


「でも、私は兵士じゃない」


 そう。兵士じゃない。私は兵士なんかじゃないんだ。

 でも、今から私は戦わなければ。あの黒だかりの傭兵団と。

 生きて嬲られないためだけじゃない。

 先に逃げた彼らのために、時間を稼がないといけない。


「『加護もて命ず』」


 ふわり、と両の腕が輝く。加護なしでは持つことすらもままならない巨大な槍斧を、構えるために。

 持つに使うは槍の加護。

 長柄の得物を支えるための術理を修めた先にある加護。

 騎馬たちが迫り、減速する。――馬では先に進めぬと、自ずと理解したんだろう。

 足を止めた騎馬の上から、武装した人族アルクの戦士が降りてくる。


「『今、名乗らん。月虹族ディアノが長、スリンの娘』」


 口にするのは、一族に長く伝わる戦士の掟。

 戦場にて己を示す、名乗りの呪句だ。……使うのは、初めてだけど。


「――『“嘆息せし者サイ”』」


 名乗りとともに、全身に力が宿る。

 一時的に身体能力を跳ね上げる儀式、その効果が表れたのだ。


「いざ――!」


 そして、踏み出す。

 石畳が砕け散る音。瞬間、私の視界はぐんと狭まり、眼前に武装した傭兵たちが現れた。


「らぁああああああっ!!」


 渾身の力を込めて振り抜く。右手に緑の筋が走って、ふわりと消えた。

 打つに使うは斧の加護。

 重い刃先を叩き付け、強靱な材を叩く術理の先に至る加護。


「……う、ううう、あぁっ」


 腕を肩ごと外されるような、殴打にも似た痛みが走る。

 慣性を殺しきれない。

 ああ、もう。私に槍斧の加護さえあれば!

 姿勢の維持を諦めて、私は大きくよたついてみせた。構わない。よろめく先は突っ込んだのとは逆方向だ。

 しなる長柄をはっしと握る。遅れて、むわりと香る血のにおい。

 眼前にいた傭兵たちは、馬の首ごと真っ二つに引き裂かれていた。


「加護持ちかっ!?」


 指揮官だろうか。ひとり馬から下りようとしない男が、切羽詰まった声で叫んだ。

 ちょうどいい。あいつを殺して攪乱しよう。


「――っ、殺せ!」

「「おおおおおおっ」」

 

 私の視線に震えた男が、檄を飛ばした。

 手に手に加護の光を灯して、傭兵たちが突っ込んでくる。


「邪魔」


 再び一閃。今度はそのまま槍斧を上に持ち上げて、石畳へと刃を下ろした。

 土煙。次いで、傭兵たちの悲鳴が上がる。


「あああぁっ!?」


 斬られた男たちだけではない。幾人かはその眼を押さえて苦悶していた。

 ただでさえ加護を二つ重ねがけして取り回すほどに重いのだ。その重量を線で受けた石造物は、当然のように砕け散る。

 私の狙いは、それで彼らの目を潰すこと。

 刃こぼれもせず、そして異常に重い宝具レガリアであるからこその、力業。


剣技クラフトを使え! ――何のための加護だ、馬鹿野郎っ」

 

 指揮官が吠える。鬱陶しい。

 鬱陶しいが、確かに有効な指示ではあった。

 剣には剣技、槍には槍技、斧には技と。

 そして槍斧は、槍斧技と。

 加護を得た武器を用いた武技クラフトという体系が、シャンバラには存在している。

 ただ術理を修めただけでは、加護持ちに勝つことはない。

 加護とはつまり、術理の先にあるモノだから。

 同様に、ただ加護を得ただけならば、技持ちたちには敵わない。

 武技は――加護を用いる術理・・・・・・・・であるから。


「おぉおっ、『強打バッシュ』!」


 緊張した面持ちで、小汚い男たちが長剣を振る。

 剣の身に紅の光が宿り、その姿がにわかにブレた。

強打バッシュ』。

 基礎にして第一の武技。……ただひたすらに、一撃の速さと重さを強化する。

 それを私は、


「――っ、うぅ」


 槍斧の柄で受けるしかない。

 弾くには、同様に『強打』を使うか、人ならぬ圧倒的な膂力を以て迎えるしかない。

 そして。


「……っへ、へへっ」


 その常識・・は、傭兵たちすら知っている。 


「何だ、加護だけかよ」


 先ほどまでの緊迫感はどこへやら、下卑た声を上げる傭兵。

 その眼光は、既にぬらぬらとした欲望に彩られていた。

……私に対する認識が、倒すべき“敵”から、欲望の捌け口とする“獲物”へと、変化した証。


「くっ」

 

 柄を引いて姿勢を下げる。石突きを振り上げて彼我の距離を空けようとするも、


「『強打』ゥ!」

「っぐ、」


 傭兵たちの振るう剣が、石突きの頭を押さえた。

 為す術もなく、私の動きは封殺された。


「うらぁ!」


 肉薄したひとりが、拳を突き出す。

 衝撃。

 呼吸が詰まり、間髪入れずにわかな吐き気が私を襲った。


「――っ、こはっ」


 全身が弛緩する。呪句による強化と加護が途切れて、私は槍斧を落としてしまう。

 あっという間に組み伏せられて、私の背中は街道の石畳に打ち据えられた。

 痛い。そして恐い。


(犯られる――)


 咄嗟に舌を噛もうとして、失敗する。

 顎の付け根を強く押されて、猿轡を噛まされたのだ。


「うー、んー!」

「大人しくしろって。すぐどうでも良くなるからよ」 


『強打』で私を押さえた男が、猫撫で声でそう言った。

 先を争おうとする男はいない。――最初に私を無力化したから、最初に犯す。そういうルールらしかった。


「よくやった!」


 指揮官の声が聞こえた。


「例の得物は引き離せ! また暴れられてはかなわんっ」

「おう! ……何だコレ、くっそ重いぞ」

「三人でかかれ!――せーの!」


 金属が大地に落ちる鈍い音。

 音からするに、おそらく路肩の土の方へと捨てられたのだ。

 そうこうしているうちに、傭兵の手が私の身体を下から順に弄ってゆく。

 スカートの内側を這いずるように動く右手が、太ももを生暖かく愛撫する。

 気持ち悪い。

 背筋に寒気を感じつつ、どうにかして拘束から逃れようともがいてみせる。


「意味ねーっての」


 傭兵の左手は、私の手首を掴んだまま小揺るぎもしない。呪句による強化がない今、一六になる小娘の腕力程度、無いに等しいモノだった。


「ん゛っ」

「んんん?」


 思い出したかのように私の胸を鷲掴みにして、傭兵がにぃっと笑う。

 そのまま上着の襟に手を掛けて、力任せに引き裂いた。

 ひやりとした風の感触。何を曝け出されたのかは、もう言うまでもないだろう。


「んー、んーーっ!」

「何だ、ガキかと思ったら存外あるじゃねえか」


 吸い付かれる。ナメクジのようなねっとりとした感触が、私の肌の上で踊った。


(気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪いっ!)


 記憶の中に封じておいた事象の欠片が、嫌悪感をきっかけにして鎌首をもたげてしまう。

――逃避行の最中、精神感応テレパスで否応なしに味わわされた、陵辱される仲間たちの澱んだ記憶。

 幾度も犯され、疲労の局地に至って果てた、友人や家族たちの体感覚に埋め尽くされる。

 私もこうなる。すぐにこうなる。

 確信めいた予感を覚えて、目頭が酷く熱くなる。

 どうして残ってしまったのだろう。

 後悔と悲しみとがない交ぜになった感情が、胸の奥へとのし掛かる。


「……っ」

「ぐへへ、うへへへへ」


 いやに熱く、硬い感触。

 獣欲の権化がひとつ、曝された下腹部へと宛がわれていた。


 嫌だ。

……いやだ!


 逃げだそうにも、私の腰はしっかりと押さえられていて。

 硬いナニカをいっそう強く押しつけて、助走か何かをつけるよう、男がわずかに腰を引く。


「じゃあ、いただきま――」 

 

 穢されるのを覚悟した、その瞬間。


 ずどん、と。

 

――夜色・・の風が、私の視界を浚っていった。


 沈黙。


「……へ?」


 何が起こってしまったのだろう。

 一息では理解がつかず、私は間抜けな声を漏らした。

 両手を押さえる傭兵の左手はなく。

 腰を押さえる傭兵の右手すらなく。

 ただ服を裂かれただけの私は、身一つで石畳の上。

 猿轡さえ、気付けば外れ飛んでいた。

 あれほどに視界を埋め尽くしていた下卑た笑顔は、既にない。

 代わりにそこに在ったのは。


「夜色の、」


 ひとつの背中。

 見慣れないぴっしりとした仕立ての服を纏う姿が、私の前に立っていた。


「……大丈夫かね?」


 しんみりとした、柔らかな声が聞こえた。

 この場で聞くとは思えない、優しげで深い声音が。

 それが自分に向けられたことを、寸時では理解できない。

 沈黙で返したせいか、ふぅ、と夜色の服の男は息を吐く。


「大丈夫ではなさそうだな」

 

 夜色の上着を脱いで、私の裸身にふわりと掛ける。そのときようやく、私は彼が、歳を重ねた人族アルクの男であったのだと知る。


「少しだけ待っていなさい。すぐに、終わらせてあげよう」


 こちらの身体を見ないようにと視線を逸らして、上着の男は小さく零す。

 夜色の上着の下は、考えられないほどに眩しい、夜明けのように白いシャツ。

 沈む夕日の逆光が、彼の姿にちょうど重なる。

 まるで夜明けのような人。

 私は瞬間、そのように思ってしまった。


「――さて」


 彼は静かに言葉を繰った。


「レディを一人虐め倒して、あまつさえ穢そうとする」


 本当に、静かな言葉だ。

 けれどそこには、煮えたぎる怒りの情が滲み出ていた。


「君たちは、人として許されないことをしているね」


 傭兵たちへと向き直る。唖然としていた傭兵たちが、手に手に武器を構え直した。


「私は確かにビジネスマンだが――倫理をないがしろにする奴に、容赦をする気は毛頭無くてね」


 そして、一歩。

 上着の彼は、武器の加護と武技とが戦を動かすこの世界では、あり得ない動きを見せた。


「彼女に手出しはさせないよ」


 もたげるは、無手。

 そう。……徒手にて戦う組み手の構えを見せたのだ。



 

「この私、倉井クライ肇が相手になろう」




――“吼え立てる者クライ”。彼は確かにそう言った。

 私がその名に衝撃を受けた一刹那。


 戦場に、一陣の風が吹き荒れた。

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