第二話 『その紳士、柔軟につき』

????? 上空


 

「うわぁあああああああああああああっ!?」


――はっ。

 いかんいかん、柄にもなく叫んでしまった。

 いくらなんでも、唐突に上空なんかで目覚めれば、そうなるというモノだ。

 状況確認。

 山を見る。

 山頂が白い。おそらく標高の高い山。その頂上が眼下に・・・見える。

 ならば、姿勢の安定を心がけよう。

 身体確認。

 パラシュートなし。うそん。

 懐に手帳、顔には眼鏡、左手にはダレスバッグが握られている。

 これは、どこか広いところに着地することになるかな?

 全く素敵な状態じゃないが、ビジネスマンがこれくらいで慌ててどうする。

 シェアを争う大手から“挨拶”が来るよりマシだ。忖度忖度。

 

「いやぁ、富士君と行ったオーストラリアを思い出すねぇ」


 オーストラリアはケアンズ。大学卒業間近の時分に、仲間内で赴いた卒業旅行だ。


『いやいや、僕は飛ばないって言っただろうっ!?』


 そう言いながら、結局はいの一番にダイブさせられた富士君の表情が懐かしい。

 確かに、海上四キロメートルからのタンデム落下は、今にして思えば勇敢極まりない行為だったと思う。

 いや、今は背中にインストラクターを背負ってなければ、パラシュートもないんだけどね。でも自分で落ちたわけじゃないから。


 しばし黙考。……上空にセスナとかあったりしない?


――いや、今確かめたら首がもげる。確実にもげる。安定姿勢を維持しなければ。


 気を取り直して視線だけを下へと向ける。

 風を孕んでバタバタと揺れるアルマーニには、どうしたことか穴が一つも見受けられない。

 胴体に違和感もなし。完全に無傷だ。

 検討をしたいところだけれど、この身は現在自由落下の最中にあるのだ。いたずらに姿勢を崩すことは出来ないだろう。


「……さて」


 現状に戻る。

 幸いなことに、横に流れる強風もない。眼下にも、山こそあれど川や建物、飛翔物は見当たらなかった。

 雲を過ぎ、山頂を横目に過ぎて。

 順当に行けば、この広大な大草原に私は落下することになるだろう。


(落下直前に身体を丸めて、膝とかかとを揃えて上に――だったかな?)


 どこかで読んだ落下時マニュアルを思い出しつつ、暗転した意識の中での出来事を思い出す。



――『可なり。汝は祝福された』


――『“転移者”として、汝を認む』



 何者ともつかない声音。意図の読めない勿体ぶった言い回し。

 何より、気に掛かるいくつかの語彙。


「祝福された、“転移者”、ねぇ」


 こういう展開、倉井家には少しだけ心当たりのあるものがある。

――書斎の片隅を我が物顔で占拠する、養娘むすめの愛した小説たちだ。

 あれらによれば、大抵こういう目に遭ったとき、自分が異常に強くなる。

 チート、なる現象らしい。まあ、そうじゃない本も沢山あったがそれはこの際考慮しない。


「当てもなく騒ぐよりは、信じる方が生産的だしね」


 とりあえず落下してみて、外れていたら諦めて死ぬ。

 もとより撃たれて死んだ身だ、今更一回死に直しても、減るモノはない。

 ビジネスマンはここ一番で慌てない。不可避な危機は甘んじて受け止めるのだ。


「そういえば」


 ぐんぐん迫る新緑色の大地に背を向け、私は小さく呟いた。


「あの女の子――無事なのかねぇ」


 そして、瞑目。

 轟音とともに、私は大地に打ち付けられた。

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