#4.2 ココロの距離

 昼休みの始まりを告げる鐘が鳴り、教室にいるクラスメイトが各々お弁当を片手にグループを作り始めるなか、僕はいつものように教室を抜け出し、保健室に向かった。

「失礼します」

「はーい。あれ、渚?」

 いつもの無口な養護教諭の先生が座っている場所には白衣姿の兄がいた。彼が養護教諭として赴任してきたということをすっかり忘れていた僕は、出来るだけ具合が悪そうに振舞いながら机の上に置かれた紙を一枚取り、吐き気と眩暈と書かれた症状の欄に丸をして兄に渡した。

『君のお兄さんはTellmoreによって生み出されたAIロボット。』

 ベッドに横になりながら、昨日のメモ書きを思い出した。Tellmoreによって生み出されたAIロボットということは、父が今の兄を作ったのだろうか。

「渚」

 先ほどまで事務作業をしていた兄が、僕が寝ているベッドにゆっくり腰を下ろした。

「なに?」

「あの子と関わるのはやめなさい」

 兄の冷たい声にびくりとした。僕は平静を装いながら、少しだけ兄から距離を置いた。

「昨日、ハルのことを死に損ないって言ってたけど、兄さんはハルについて何か知ってるの?」

「あの子はサイボーグだよ」

「サイボーグ?」

「そう。機械に人間の脳を移植しているんだ。身体障碍者が自由に動ける世界の実現を目指して、父があの子をサイボーグにしたんだ。びっくりした?」

 ロボットにサイボーグなんて、もはやSFの世界だ。だが、死んだはずの兄やハルが戻ってきたのは事実だった。

「驚いて当然だよ。兄さんやハルがロボットやサイボーグになって帰ってきましただなんて、今でも信じられないよ」

「あの子から聞いたんだ、僕がロボットだって」

「あ・・・・・・」

 自分の失言に気づいた時には、もう遅かった。兄の顔を見た瞬間、背中に氷が当てられたみたいにぞわりとした。

「そうさ、僕は渚を助けるためにロボットになった。Tellmoreのアプリは、はじめから僕のようなロボットを生み出すために作られたんだ。今はまだ計画の途中で、アプリを通して疑似連絡を楽しんだりする方が主流だけど、これからはもっと僕のような存在が増えていく」

「・・・・・・兄さんは、自分から望んでロボットになったの?」

 自分の声が震えているのがはっきり分かった。兄は僕の頭を優しく撫でながら、「そうだよ」と言った。

「だって、僕は渚が大事だったから。母さんは死んじゃったけど、もう一度僕たちで家族をやり直そう」

「そんなの無理だよ」

「無理じゃない。絶対にやり直してみせる」

 兄の瞳に光はなかった。その虚ろな瞳を見て、僕はたじろいだ。

「兄さん・・・・・・?」

 僕がベッドから起き上がろうとしたその時だった。部屋の扉がガラリと開き、数人の女子生徒が乱入してきた。

「「「深海先生!ご飯、一緒に食べよー!!」」」

 弁当箱を片手に、女子生徒たちが兄の周りに群がった。

「静かにしてもらえるかな。病人がいるんだ」

 クラスメイトのひとりがちらりと僕を見た後、「彼、いつもああだから」と言った。

「君は渚の知り合いなの?」

「あ、はい。同じクラスです」

 彼女の声のトーンが急に低くなった。周りにいる女子たちも冷めた目で僕を見る。

「そうなんだ。いつも弟がお世話になっています」

 兄が数人の女子生徒に向かって深々とお辞儀をした。彼女たちは一瞬固まった後、「分かりましたー!!」と元気よく返事をした。その後、彼女たちは兄の反対を押し切ってお弁当を広げ始めたので、僕はそそくさと保健室を抜け出した。

 教室に向かって歩いていると、校庭にハルの姿を見つけた。遠くで挨拶するぐらいならいいかと、彼に手を振ろうとしたその時だった。ひとりの女子生徒がハルに駆け寄り、彼の身体に抱きついた。ハルは彼女とハグを交わした後、二人並んで校舎の中へ入っていった。僕はこれで良いのだと自分に言い聞かせながらも、胸の中のモヤモヤが膨れていくのを感じた。



 昼休み明けの授業中、カバンの中に入れていたスマホが点滅していることに気が付いた。教師が黒板に文字を書きこんでいるのを確認した後、カバンから携帯を取り出した。

『今週の土曜日、何か予定ある?』

『特にない』

『デートしよう』

 ハルを見ると、彼は素知らぬ顔で黒板の板書をノートに写していた。再度トーク画面を確認したが、メッセージの送り主はハルで間違いなかった。

『彼女と一緒に行けばいいだろ』

 送信後、すぐに送信取り消しボタンを押した。

『送る相手を間違えてるぞ』

『高橋君かっこいいよね』

 ハルから送られてきたメッセージに、思わず「はあ!?」と叫びたくなった。

『高橋君や天音さんは渚の親友じゃないの?』

 親友という二文字に目が止まる。高橋とは、同じ部活だったということもあり、中学の頃は一緒に行動することもあったが、色々あって縁を切った。天音とは、中学の頃に廊下で倒れている彼女を介抱したのをきっかけに何度か話したが、高橋と同様、色々あって関わらなくなった。

『知人。それ以上でも以下でもない』

『じゃあ、僕は?』

「深海さん。授業中ですよ」

 見上げると、古典の教師が僕をじっと睨んでいた。

「・・・・・・すみませんでした」

 スマホをカバンの中に戻すと、教師は再び教科書を読み始めた。授業が終わった後、スマホの画面を開くと、『じゃあ、僕は?』のメッセージが消えていた。



「渚?」

「何?」

 ハルがチラチラと僕を見る。

「怒ってる?」

「は?なんで?」

 ハルといるところを誰かに見られないように、こっそり学校を出たにも関わらず、駅のホームで彼と鉢合わせした。僕は人身事故による電車の遅延を呪いながら、ホームの電光掲示板を眺めていた。

「だって、顔がいつもの数倍不機嫌だから」

「生まれた時から僕はこの顔だ」

 彼の言う通り、僕は不機嫌だった。理由はもちろん分かっている。

僕以外興味がないと言っていたのに、ハルに彼女が出来たことが気に入らないのだ。高橋を気にしていることも気に食わなかった。普段からヘラヘラして何を考えているのかさっぱり分からない高橋の一体どこに惹かれたのかは置いておいて、ハルが自分から離れていってしまうのが寂しかった。楽しい学生生活を送って欲しいと彼に言っておきながら、素直に喜べない自分の心の狭さに嫌気が差す。

「渚、笑顔」

「は?」

「えーがーお!」

 ハルが自身の両頬をつまんで笑顔を作った。

「人とのコミュニケーションは、まず笑顔から。そう僕に教えてくれたのは渚だよ」

「僕は別に誰からも好かれなくていい」

「どうして?」

「どうしてって・・・・・・」

 昼休みの出来事を思い出し、無性に腹が立った。

「お前、昼休みに女子と一緒にいただろ」

「え?ああ。隣のクラスの美琴さん?渚はああいうタイプが好きなの?」

 西條美琴は、他校の生徒がわざわざ彼女を見に来るぐらい美人で有名だった。一時期、横山と付き合っていたが、興味が失せたのか、すぐに別の男と付き合っていた。自分が美人だということをちゃんと理解していて、顔面を武器にクラスのリーダー格の男と付き合うような女だ。僕が最も苦手とするタイプの女子だが、それをハルに伝えたところで彼を不愉快にさせるだけだと分かっているから、彼の質問は聞かなかったことにした。

「良かったじゃん、彼女が出来て」

「え?あ、うん」

 その後、彼女とどんな話をしたのかハルに尋ねた。嬉しそうに話すハルを横目で見ながら、彼の口の動きや言葉、表情、それらすべてを自分のものにしてしまいたいと思った。

 彼女と話していた時と同じことを僕が追体験することで、彼女ではなく僕と話した記憶として塗り替えたい。そんな醜い独占欲をひた隠しながら、僕は彼の話に耳を傾けた。

「それでね、今週の日曜日に彼女と出かけることになったんだ」

「つまり、今週の土曜日はデートの下見ってことか」

「え?いや、別にそういうわけじゃなくて・・・・・・」

「いい根性してるな、お前」

 遅延していた電車が到着した。ハルと一緒に電車に乗りこんだ後、発車直前にホームへ降りた。

「学校に忘れ物したから、お前は先に帰れ」

 ハルが口をパクパクさせながら消えていった。我ながら馬鹿だと思った。こんな子供じみたことをしても何の意味もないと分かっている。だが、これ以上ハルと一緒にいたら、もっと彼を傷つける言葉を言ってしまいそうで怖かった。

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