夏思いが咲く ~アベフトシ 随想~

青い向日葵

HE GOT THE SUN ★ あれから十年の時を経て

 また悲しみの夏が来る。


 梅雨が明ければ、青く抜けるような高い空に、直視出来ぬ凶暴な光を放つまばゆい太陽が燦々さんさんと照り輝く季節、陽炎かげろうみたいに、どこか現実離れした景色ばかり鮮やかな季節が、今年も律儀にやって来る。


 だる暑さに、どうしたって誰もが軽装になり、学生には長い夏休みという儚くも膨大な非日常があって、祭りや賑やかなイベントが競うように催され、興奮と熱狂に包まれる瞬間があちらこちらに生まれては消えてゆく。

 夏になると、開放感と明るい期待に心弾むという人が、どちらかといえば多いのではないかと普通ならば思う。


 俺たちだって、そうだったんだ。ほんの一昔前までは。

 今から十年前の皆既日食の日。ちょうどその日に、あの悲劇が起きる前までは、根拠もなくわくわくするような気持ちを何気なく携えて、いつまでも続きそうな夏の魔法に身を委ね、透明な楽しみだけを探して、俺たちは先の見えない狭い道をただ真っ直ぐに歩いていたんだ。

 何の躊躇ためらいもなしに、前を向いて。




 ◇ ◇ ◇




 アベフトシという男をご存知だろうか。

 主に、1994年の加入から2003年の解散まで、ミッシェルガンエレファントという日本のロック・バンドで活躍したギタリストである。


 その風貌は、187cm58kgという長身痩躯に鋭い目。清涼感を漂わせつつも、迂闊に近寄ってはいけない空気、狂気すら感じさせるオーラを纏う強面コワモテでステージに立ち、マシンガンのようにギターを掻き鳴らす。高速のカッティングが際立つ力強い奏法プレイを得意とした。

 いくつかの使用機材は、すべてテレキャスターと呼ばれる種類のキレのある硬質な音が持ち味のエレキギターであり、エフェクターの類は一切使用せず、楽器に接続したシールドを直接アンプに繋ぐシンプルなスタイルが特徴であった。


 どんなにハイテンションなパフォーマンスの後でも、楽器を置く時は優しく静かに丁寧に、日頃の細やかなメンテナンスも欠かさなかった。

 プライベートではミシンでちょっとした縫い物をするなど、手先の器用な人で、ミッシェルのアメリカツアーでは、スタッフがインロックしてしまった車を数秒のうちに針金を使って解錠してみせる場面も、微笑ましいオフショットの一片として映像に残っている。


 ステージでの勇姿を称して「鬼」というニックネームもあるが、花を愛する心優しい純朴な人柄と、時折見せる笑顔、ニカッと口角を上げて破顔する人懐っこい一面にも、心底惚れ込んだファンは後を絶たない。老若男女を問わず、時代を超えて根強い人気を誇る魅力的な人物だ。


 広島県の江波に生まれ、恵み豊かな土地で健やかに育った彼は、イギリスのバンド、ザ・パイレーツのミック・グリーン、ドクター・フィールグッドのウィルコ・ジョンソン、ザ・クラッシュのジョー・ストラマーなどのロックンロール、パンクロックのヒーローが奏でる爆音とギタープレイのスタイルに魅了され、自ら実践するようになった。

 後に、先に挙げた偉大なる先輩ミュージシャンとは、それぞれ共演を果たしている。


 ギターに生涯を捧げる情熱を見出してからは、本格的な音楽活動を開始、プロを志しギタリストとして上京した。

 そしてある時、共通の知人の紹介により、ソングライターであるヴォーカルのチバユウスケと、ドラムのクハラカズユキが在籍していたバンドで、元は大学のサークルで結成されたというミッシェルガンエレファントへの加入を打診されたのだ。

 当時、ミッシェルは前任の脱退後ギター不在のまま活動を続けており、既にベースのウエノコウジも加入し、次のライヴの予定を間近に控えている状況であった。


 ハンバーガーショップで待ち合わせをして、初めて対面したアベとチバは互いの音楽の好みやルーツを知るや意気投合し、早速ライヴに出演してくれ、という話になった。

 アベは、カセットテープに録音された20曲ほどを猛練習してただちに覚え、どの曲を演奏することになっても対応出来るように短期間で仕上げたという。何もかもが急速に進んだ。

 程なくして、ミッシェルガンエレファントは、名曲「世界の終わり」を掲げてメジャーデビューを飾ったのである。


 以降の活躍は、当時を知る人、または次の世代であっても、音楽好きでガレージロックに興味があるような若者ならば、自ずと知れる輝かしい栄光と、切ない有終の美の歴史の両面がある。

 例えば、横浜アリーナにおけるオールスタンディングのライヴを初めて実行したのはミッシェルガンエレファントであり、当時は極めて斬新で画期的な出来事だったのだ。


 ここでは、長くなるので詳しくは書かないけれども、揃いのモッズスーツに身を包み、クールに熱いロックを奏でる4人組の記憶は、多くの人の心を奪って離さなかった。もう、彼らの音楽が無い世界には帰れないほどに。

 そして彼らに、とりわけギターヒーロー・アベフトシに心を奪われたのは、日本をはじめとする地上の人々だけではなかったらしい。


 ロックの女神は、ある日、うっかり太陽に手を伸ばし吸い込まれて消えたみたいに、すらりと見上げるような背丈の美しい男をこの世界からさらっていった。おそらく地上を見下ろして遠くから眺めるだけでは飽き足らず、いつも彼女の傍に置いておきたかったのだろう。許し難い暴挙であるが、気持ちはわからなくもない。

 そうとでも思わなければ、健康な彼が、若くして天国に行かなければならなかった理由なんて、どんなに考えても見つからなかった。


 悲しみが深すぎて、あまりにも早い彼の死を受け容れられない人が今でも多く存在する。思考と感情の狭間で出口の見えない孤独感に苦しみ、理解と納得の周囲を延々と彷徨っているのだ。

 だが、過去に解散したとはいえ長きに渡ってともに活動し、とても仲が良かったミッシェルのメンバーの心情は如何ばかりかと、外からではあれ想像力を駆使しておもんばかれば、ほんの少し冷静になれるかもしれない。


 いつからか一部のファンは、思い出を風化させないこと、素晴らしい音楽とアベの愛すべき人柄を後世に伝えることを、使命と感じるようになった。



 骨になってもハートは残るぜ

 宇宙はどこにもありはしないぜ

 LOVEとピースは違うことなのさ



 解散直前、後期ミッシェルのチバユウスケによる楽曲の歌詞ことばが、やけにリアリティを持って、胸に刺さる。


 時は流れて、十年後の日本は元号も変わり、新しい時代を迎えた。

 アベフトシとともに、かつてミッシェルガンエレファントであった三人のメンバーは、現在も優れたミュージシャンとして第一線で活躍している。チバとクハラに至っては再び同じバンドのメンバーとなって活動しており、それぞれが、変わらぬ根幹に基づく新しい音楽で見事なグルーヴを生み出しているのだ。


 この現実が、ミッシェルガンエレファントという奇跡の、真実のすべてではないだろうか。


 現在の彼らのライヴに、多忙な日常の束の間を縫って相変わらずドキドキしながら足を運び、深みの増したあたたかな音楽に触れる度、その随所に盟友への不変の思いを感じることが出来る。

 すぐ傍に彼が居て、一緒に聴いているような気がする。あのゴキゲンな人の善い微笑みを浮かべて。

 アベのさり気ない発言に、次世代の若者たちにロックを継承したいという意味の言葉があった。仲間たちはそれを今も現役で行い、日本のロックンロールを、揺るぎない意志で華麗に牽引しているのだ。




 ◇ ◇ ◇




 なあ誰か、教えてくれないか。

 太陽を見つめていたらついに手が届いて、その手に、たぎる情熱の源を掴んでしまったあの正直な男は、その時何を思い、感じていたのだろう。

 無念。後悔。寂寥。どんな気持ちで、終わらない夏を黒く塗ったのか。

 十年前の夏。まるで不吉な知らせみたいな日蝕にも似て、まだ若きギタリストの訃報は、俺たちを日をむしばむ翳りの中へ、真っ黒な闇へと文字通り叩き落とした。


 ◇


 嘘だろ……。嘘だと言ってくれ。しょうもない冗談なら、よしてくれよ。

 再び真夏の強い陽射しが白々しく照らす何ら変わらない世界に、もうお前が居ないなんて信じられるわけがなかった。

 そのうち、ふらっと帰ってきて「ごめんな、驚かせちゃったな」なんて目で言いながら、爽やかなあの笑顔で「ただいま」って、まるで何事もなかったように目の前に現れてくれないか。今更だなんて遠慮は要らないから。


 俺はもう十年もここで待ってるっていうのに、気配すら感じさせないギターヒーローは、決して戻ることのない、過去。思い出。

 それでも、忘れようとしたって忘れられない大切なこの想いに名前を付けるなら。そうだな、夏思い。

 つらくて悲しくて、やりきれない重い想いを引き摺ったまま、俺たちは生きることを強いられたように暗闇の中をじりじりと歩き続けてきた。

 太陽は沈んでも、やがてまた昇り、規則正しく、強く或いは優しく輝き続ける。俺は不図ふと気づけば、柔らかな光に包まれていたんだ。過去には知らなかった、答えに似た何か。そんな不思議な光の真ん中に。


 熱を孕んだの光を見ていると、彼の実直な生き方や唯一無二の音楽の才能を思い出して理不尽な運命を呪うけど、無力な俺たちには何も出来やしない。こうしてただ、心の奥で思うだけ。

 遠き日々の記憶の温かさに今は素直に感謝して。「お前に会えて本当によかった」と。

 直接伝えられないのが悔しいが、ずっと忘れたことなんてなかった。夏だけの思いではないのだけど、皆の記憶に悲しみが刻まれた命日には、声を大にして言わせてくれ。


 ありがとう。愛してるよ。


 貴方あんたが好きだと言った向日葵の花は、俺たちの心の中で、いつだって光をいっぱいに浴びて真っ直ぐに背を伸ばし、今も青空のもとに咲くのさ。

 やがて、地上にばら撒かれた沢山の種が芽吹き、子供たちや若者たちの羨望の彼方で、貴方が遺した色褪せることのない音楽は、再び何度でも咲き誇るだろう。

 楽曲が時空を超えて永く愛されるのと同じように、アベフトシは世代を超えて、今も多くの人々に愛されている。その事実が俺たちを救い、貴方がくれた幸福な時間と確かな気持ちを思い出させてくれるんだ。


 夏思いが咲く丘の上で、向日葵が揺れている。

 一途に太陽を見つめ背筋を伸ばす健気な夏の花が、今年もまた、華やかに咲き始めたよ。


 終わらない夏も果てしない夢も、途絶えてしまった願いも、もしかすると、姿形を変えてここにあるのかもしれないな。

 変わらない想いを抱きながら、変わり続ける世の中と俺たち。またどこかで貴方に会える日まで、悲しみの向こう側に辿り着く時を気長に待つしかなさそうだ。

 そんな緩やかな日々も意外に悪くないって、この頃は思えるようになったものさ。長く生きてると、いろんな事があるよ。


 また今度、ゆっくり話そうぜ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夏思いが咲く ~アベフトシ 随想~ 青い向日葵 @harumatukyukon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ