14. Into the arena

 三田ヶ谷商店街は今日も平和である。日の傾きかけた現在、人がまばらに通行したり、或いは店先で店員と話し込んだりしている。

 八百屋のみつおは、いつも通りの仕事をこなし、店先に水を撒きながら夕飯は何だろうかなどと考えていた。そんな折、商店街をふらふら歩く見知った顔を見つけた。

「ようお嬢ちゃん。今日はお散歩かい」

 声をかけられた幼い少女は、蛇に睨まれた蛙のように硬直し、じっとみつおを見る。

「怖がる必要はねえだろ。取って食いやしねえよ」

 少女は怯える様子で、みつおから少しづつ距離を取り始めた。その時、背後から別の声が飛び込んでくる。

「おめえの顔が恐いんだよみつお。もっと笑顔で話せ」

 向かいの魚屋からの声に、虚を突かれた少女は驚き、来た道を辿るように走って逃亡し始めた。

「タコ!お前が急に声かけるから逃げちまったじゃねえか!」

「みつおの時点で怯えてただろうが! 顔面が物騒なんだよ!」

「タコ入道みたいなお前の方が威圧感あるだろうが!」

「やかましい! ハゲの何が悪いんだよ!」

 やいのやいの言い合う二人。いつもの光景ではあるのだが、その声を聞きつけた一人の女性が、ゆったりと近づいてくる。

「お前らの声がでかいんだよ。元々気弱なんだ。威圧すんじゃねぇよ」

 女性にしては類稀な長身。白いTシャツにジーンズ、そしてスニーカーのラフな出で立ち。その上に『ふりーだむ』と書かれた赤いエプロンがあるので多少気の抜けた印象を与えるが、長い黒髪や強気な顔つきには妙に強い存在感がある。そして、その後ろには先程の少女が隠れており、男二人を睨んでいる。

「文句言うならちゃんと面倒見とけよ。こっちは良かれと思って声かけたんだろうが」

 八百屋のみつおが反論をするも、

「見てるから此処にいるんだろうがよ。幸織さおり、このおじさん達は怖くないからな。顔は厳ついけど」

 と、赤エプロンの女性は軽くいなす。

「顔の文句は親に言えっての……ま、サオリちゃんだっけか? その子もあれから問題無いみたいで何よりだな」

 魚屋のタコは、なんだかんだ言いながらも愛想は良い。

「問題無い訳でも無いが、どうにでもするさ。刹華の頼みだしな」

 女性は、幸織の頭を撫でる。幸織は撫でられることで、多少落ち着いているように見える。

「そういや刹華のやつ、夜な夜な何やってたんだろうな」

 みつおは腕組みして、一月程前のことを思い出す。

「この辺の治安あんま良くはないからなぁ。ヤンキーと喧嘩して退学みたいなことになったら、笑いながらボコボコにしてやるわ」

 女性はケラケラ笑いながら物騒なことを言う。

「ま、喧嘩に関しては、もう流石にあたしの方が弱いかもしんねえな。あたしはただのか弱き乙女だからな」

「か弱い乙女ってのは冗談でもキツイぜ。お前ももう三十過ぎてんだろ」

「タコ、乙女は実年齢じゃなくて心意気だ。棺桶にブチ込んでやろうか」

 女性は倍近く歳上の相手にも全く遠慮がない。それはお互い様であるのだが。

「しかし幸織を頼まれたっきりで、刹華に会ってねぇな。近況も聞きたいし、近々ちょっかい出してみるかね」

 目を細めて夕焼けを眺めながら、女性は幸織を撫でる。その頃、刹華が大変なことになっているとも知らずに。






 リオンの攻撃は、先程までと比べて明らかに質が変わっていた。威力、密度、精度、敵意、どれを取っても段違いのものと成り果てている。先程までを試合と例えるならば、最早これは狩猟である。強者による無慈悲な暴力。嵐のように叩き込まれるその打撃に、刹華は獣化を経てなお防戦を余儀無くされている。その中でダメージが確実に蓄積し続けているのは、誰の目にも明らかだった。

「……こいつは、ヤバいね」

 霧山美里は、スーツケースに腰かけたまま羽月に話しかける。

「せっちんはリオンがレッダーだと知らなかった。リオンの方はネットか何処かで知ってたんだろうね。それで、せっちんは通常の人間がレッダーに敵うはずがないと思っていた。リオンはリオンで、獣化しなくても空手で全国大会優勝レベルの実力なんだから、同じレッダーに負ける筈が無いと踏んだ。となると、どちらも必ず勝つと信じていたせいで、レートがやばくなったと」

 美里は試合に然程興味がないらしく、携帯電話を弄り始めた。

「……随分落ち着いてるね」

 羽月は、美里の姿勢について指摘する。

「まあ、ウチに関係ないし? どっちがどうなろうと、両方ウチのダチだって事には変わんないし」

 平等という意味では、リオンの見立ては正しかったのかもしれない。などと少しだけ思うも、良くも悪くもブレない美里に羽月は少し呆れた。

「……まあ、このままだと単純にせっちんが負けて退学だろうし、それ自体は残念だけどね。だからって、どんなに有効活用されるとしてもダチに無理矢理大金支払わせるのも不本意。どっかに良い着地点があればいいんだろうけど、何も出来ないなら何もしなくて良いんじゃない?」

 美里は携帯電話を弄ることを止めない。

 羽月は、美里が恐らく正しいことを言っているのも分かっている。無理矢理止めようとしたところで、あれだけ本気になっている二人を自分の力で止められる気がしない。単に無駄に怪我をするだけな気すらする。ただ、どの結末も良い事とは思えないでいるのは確かだった。三百万と聞いて、少しだけ冷静さを失っていた自分を羽月は憎く思っていた。もう少し、もう少しだけ早い段階で止められていれば。

「ところでさ、はつきんってリオンのこと苦手だったりすんの?」

 美里の唐突な質問。

「……突然どうしたの?」

「ああいや、聞くまでもなかった。苦手だよね。あいつをファーストインプレッションで苦手と感じない方が少ないと思うし」

「……まあ。強いて言うなら、そうかもね」

 美里の話の筋が見えない羽月。

「でもさ、本当はあいつ、頑固で不器用なだけなんだよ。それこそ、ここにいる誰よりも頑固で不器用なだけ。そういう意味じゃ、ウチはあいつよりいくら成績が悪くたって、あいつの事を馬鹿だと思ってるよ」

「随分仲がいいみたいだけど、長い付き合いだったりするの?」

 羽月が思ったことを素直に口にすると、美里は携帯電話を弄るのを止めた。

「まあね。中学の時からだから、ざっくり五年目かな。その時は、あいつにも少しだけ心にゆとりがあったよ。よくウチに噛み付いてきてたけどさ」

「最初から滅茶苦茶に茶化してたのは想像できる」

「よく分かってるじゃん」

 美里は悪びれることなく、ケラケラと笑う。

「あいつ、自分が親の会社を継ぐって信じててさ。その跡継ぎに相応しい器になれるようにって、勉強とか武道とか、色々頑張ってた訳よ。あの時は茶道なんかもやってたっけ。私はそれを結構馬鹿にしてたんだけど、結構本気でさ。それこそ、はつきんが今やってるみたいに」

 そう言われると、羽月も下手な事を言えなくなってしまう。

「でもある日、すっげぇ落ち込んで学校に来てさ。いつもみたいに茶化したら大泣きされちって、めっちゃ大変だったのよ。あん時は、学校サボって無理矢理リオン連れ出して遊び回ったっけ」

「……学校サボってる栄花さんは想像できない」

「あいつにとっては、あれが最初で最後のサボタージュだと思うよ。それでやっと、落ち込んでた理由を聞き出してさ」

 羽月は試合を眺めながらも、意識はそちらを向いていた。

「レッダーになってしまったことを両親に相談したら『栄花の血に相応しくない』って言われて、跡継ぎから外されたんだってさ。ウチは馬鹿馬鹿しいと思ったけど、あいつの今までの頑張りが突然ひっくり返されたって思うと、かなり辛かったんだろうね」

 差別。レッダーは危険で粗暴な存在として見られることがある。リオンの親が旧体制的な思想なのであれば、それは尚更辛いものだったのかもしれない。肉親に迫害される気持ちというのは、想像は出来ても理解が及ばない。

「次の日になったら、リオンはちゃんと学校に来てたよ。そん時からだよ。クソ真面目に拍車がかかったのは。素晴らしい人間になって、両親を認めさせるって。ずっと成績上位をキープして、武道の道も血の滲むような努力を続けてる……そういうのがあるから、せっちんとかくずもりんとかみたいに、ちゃんと頑張ってる風に見えない奴が許せないのかもね。ホントは、みんななんかしら頑張ってると思うんだけどさ」

「……傲慢だね」

 そう言い放った羽月も、気持ちが分からないではなかった。

 自分がこんなに頑張っているのに、周りも本気になればもっと出来るのにどうして。そんな気持ちが全く無いかと言えば嘘になる。でも、それでも、誰かを責めることは違うと思いたい。

「もしかしたら……あいつは単純に嬉しかったのかもね。成績がいつもぶっちぎりのトップで、いつも一人だったあいつに、それと同レベルの成績のはつきんが現れて。その横に気に食わない不良がいたら、負の感情が加速するのも分からなくはないかな。私のライバルを堕落させるなって、思うかもしれない。それこそ傲慢で、何処かが間違ってるのかもしれないけどさ」

 そこまで言い終えると、美里は背伸びを一つ挟んだ。

「……さて、ウチの自分勝手な弁護もおしまい! 残念だけどさ、勇敢に立ち向かったものの敗れるせっちんの勇姿を見届け……あり?」

 そこで、美里はやっと自分の認識がズレていることに気がついた。

「根拠は無いよ。だから、本当に無責任だと思うんだけど」

 羽月は、二人が殴り合う様をずっと見ていた。そして、一旦距離を取った『二人が』、『互いに』疲弊しきっている現状を見ている。

「想像つかないんだよ。このルールで、刹華が負ける姿が。栄花さんを相手に『参った』って言ってる姿が」

 リオンの猛撃の中、刹華はそれを必死でかわしながら攻撃を繰り返していた。リオンが十回撃つ内の八発程を避け、その間に二回程度の打撃を放つ。ただし、その内一回しか当たらない。そんなやり取りを繰り返していた。蓄積するダメージでいえばリオンが圧倒的に有利なのだが、空振りが多過ぎた。自分が有利だと思い込んだが故の慢心かもしれないが、それは結果として確実にリオンを蝕んでいた。空振りを続けることは、体力に軽くない負担をかけ続ける。

「この……不良風情が……!」

 感情を剥きだしにするリオンと、ボロボロのまま辛うじて構えを崩さない刹華。

「……来いよ。高飛車女」

 刹華の挑発を合図に、リオンは踏み込む。今迄の猛攻を再現するような勢いで、刹華へと拳を振り上げる。対する刹華は、体重移動と身体の捻りを用いて、渾身の一撃を拳に乗せる。

 それが、互いの最後の一撃だった。リオンの放ったそれは、刹華の顔を掠める形で衝撃を与えた。そして、刹華の拳はリオンの鳩尾に直撃していた。正面衝突のようなエネルギーがその一点だけで発散された結果、リオンは呻き声を短く残し崩れ落ちる。そして、今までに蓄積したダメージと最後の一撃により、刹華もふらつくようにして倒れた。

「刹華……刹華!」

 倒れてしまった刹華のもとに、羽月は駆け寄る。意識はあるが体の方が限界を迎えているらしく、立ち上がろうとする腕に力が入らない様子だった。

「ごめん……もういいよ。もう、戦わなくて良いから……怪我させてごめん……」

 羽月は、最後まで戦わせてしまったことを詫びた。変な期待をしてしまい、我が身可愛さに止められず、その責任を刹華に任せてしまったことを、詫びた。

「……まだですわ。烏丸さん……退いていなさいな」

 その後ろで、栄花リオンは立ち上がった。腹部を庇いながらも、その目からは依然闘志を感じさせる。

「降伏しないのならば。立ちなさい……さあ……」

 刹華はそれに応じようとするも、立ち上がることが出来ない。当然、降参する意志も見せない。

「……お願いだから、もうやめにしようよ、栄花さん。刹華が横暴な要求をしたことは、私が謝るから」

「どうして……どうして貴方が謝るんですか! それに、まだ決闘は終わっていませんわ!」

 羽月はゆっくりと立ち上がり、怒鳴るリオンに対して深々と頭を下げた。

「ごめんなさい。こんなことをさせてしまって」

 感情の行き場を失ったリオンは、謝罪する羽月に対して困惑していた。

「もうやめなってリオン。お金の話はともかく、あんたが勝ってせっちんを退学させても、はつきんが悲しむだけだと思うよ」

 美里はスーツケースに腰掛けたまま、真面目な口調で呼びかける。

「それに、あんたは誰かを虐げる為に鍛えてきた訳じゃないっしょ。今回の件をどっちが悪いとか言うつもりはないけど、これからまだ戦おうって言うなら、ウチはあんたを軽蔑するよ」

 珍しく真面目な美里に、リオンはほんの少し怖気づいた。そして、暫しの間を用いて思考し、リオンは答えを出した。

「……そうしましょう」

 まるで、つまらないとでも吐き捨てるような答えだった。




 後日談。

「わたしも少し期待しちゃったのは本当に悪かったと思うけど、流石に三百万ふっかけるのは横暴だと思うよ」

 次の日のホームルーム前の朝の教室。絆創膏や包帯だらけの刹華に、羽月はほんの少しだけ反省を促す。

「あっちだって横暴だっただろ」

「まあ、それはそうなんだけど。相手が悪いからって自分が悪くていい訳じゃないからね」

「ことわざか何かかよ」

「私の言葉だよ」

「そうかよ。しっかし、良い考えだと思ったんだけどなぁ。あいつから金を合法的に奪うの」

「……刹華、栄花さんのこと嫌い過ぎでしょ。あと、決闘自体が違法だからね。決闘罪っていうのがあるから」

「あたしが嫌いなんじゃなくて、あいつが嫌ってんだよ」

 微妙に話題がズレてきた頃、葛森ゆうりが教室に入るや否や、刹華の元へと走ってきた。

「せっちゃん! 無事だったんだね! よかった……退学しちゃったんじゃないかっておもったよぉ……」

 駆けつけて早々抱きついて泣き出すゆうりに、鬱陶しいようなありがたいような複雑な気持ちになった刹華は、心配かけて悪かったとだけ返した。

「でも、たくさん怪我してない? ミイラみたいだよー? 跡が残らないといいけどー」

「……そういや、あれだけ激しくやり合ったのは久しぶりだな。もしかすると、初めてかもな」

 夜道で不良と喧嘩になることはあれど、それはいつも無傷で帰還する為、こんなにボコボコにされた経験を刹華は一つしか思い出せない。

「葛森さん、少し退いて頂けるかしら」

 突然、ゆうりの後ろから声がかかった。その声は昨日を繰り返しているようで、ゆうりは思わず縮み上がった。

「……退いてくださる? 長居はしませんわ」

 二度の催促により、ゆうりは硬い動きで栄花リオンに場所を譲った。つまりリオンは、刹華の真横に陣取った。

「……また文句でも言いに来たのかよ」

 刹華は臨戦態勢とばかりに、リオンへと敵意を向ける。

「今日はそういうお話ではありませんの。もう少し前向きな話かと。わたくしにも、貴方にも」

 眉を顰めながらも、刹華はとりあえず聞いてみることにした。

「昨晩、ずっと考えておりましたの。無謀にもわたくしに挑んだ貴方の胆力、乱打戦の中でわたくしに一矢報いる強かさ、そして、烏丸さんを味方につけるだけの人間性……まあ最後のは、正直私わたくしには理解しかねますが、その程度は貴方を評価すべきだと、わたくしの中で結論を出しました」

 上から目線ながら、何処かいつもと違う雰囲気だと、その場にいた者全員が感じていた。

「ですので、気に食わない所もありますが……貴方を認めましょう。わたくしの『敵』であると」

 そんなことを言いに来たのかと、刹華は呆れながら「そりゃどうも」と雑な返事をする。

「それともう一つ。貴方にはきっと才能があります。昨日、それを確信しました。ですので……」

 リオンは言葉を続ける前に若干の間を置いた。

「空手部に入りませんか。わたくしは歓迎致しますわ」

「……やなこった」


――青暦二四三九年

エデルライオン、捕食する対象を失い絶滅。

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