13. Into the arena

 二人は毎晩、時間を決めて火神の捜索をすることにした。捜索は最大で三時間まで。毎日交代で捜索し、三日に一回は休む。今までと比較してかなりスローペースにはなったが、続けられなくなっては意味がないと、羽月も渋々納得した。

 それから一ヶ月後。七月に入る寸前、別の問題が浮上する。

「……どうするつもりなの、これ」

 放課後、クラスメイトが帰宅しようとする中で、羽月は呆れながらも刹華を威圧する。

「……本当にすまん」

 刹華は珍しく姿勢を正し、それでいて俯いたまま自分の席に座っている。

「謝罪は要らない。私は『どうするつもりなの』って聞いているんだけど?」

 追い詰められると謝罪しか出来なくなるという体験を、何処かで見た光景のように刹華は感じていた。俗に言う、デジャヴュというやつだ。

 羽月は、深い溜息をついた。

「まさか、こんなに勉強が出来ないとは思わなかったよ。どうしてそのまま放置してたかなぁ……」

 刹華の机には、昼休みに行った羽月謹製のオリジナル小テスト。刹華が必死で足掻いた痕跡と、それを片っ端から無惨に切り捨てる羽月の赤ペンの筆跡。四文字熟語で表現するなら、死屍累々辺りが妥当な惨状だった。

「……元々勉強出来ない奴が、夜中はヒガミ探しながらバイトしてんだから、追いつける筈ねぇだろ」

「それ言われちゃうと流石に私も罪悪感がすごいんだけど……仕方ない。帰ってから勉強教えるよ。せめて、赤点は回避して欲しいからね」

 間違えている箇所から、刹華の実力は中学生レベルなのではという懸念が羽月の中に生まれており、かなり不安な気持ちを抱いてしまう。

「せっちゃん、はーちゃんからお勉強教わるの?」

 恒例行事の如く、ゆうりがとことこと歩いてきた。

「いいなー。私も一緒にお勉強していい? 教えられるところは、私もせっちゃんに教えるよー」

 それを聞いて、もしや教える相手が二人に増えるのではないかと羽月は構えたが、ゆうりはそこそこの成績だと刹華が言っていたのを思い出した。

「勿論いいよ。帰ったら私達の部屋に集合でいい?」

「りょうかいー。やったー!お勉強会、楽しみだなー!」

 その時、ゆうりが呑気に喜んでいる向こう側に、羽月は不穏な気配を感じる。無視しようと羽月が目を逸らした直後、視界の隅で『それ』が立ち上がった。『それ』がプレッシャーを放ちながら近づいてくることが気にかかり、ゆうりが何を言っているのか、全く頭に入ってこない。それほど、そのプレッシャーは強力なものだった。

 そして『それ』は、プレッシャーをそのままに、ゆうりの後ろで立ち止まった。

「グズ、先程の約束を取り消しなさい。烏丸さんに迷惑ですわ」

 栄花リオン。つまるところ、突然会話に乱入してきた『それ』は高圧的に、ゆうりに命令する。

「貴方もどうかしてますわ。自分が努力していなかった後始末を、烏丸さんに手伝わせるなんて。烏丸さんの負担を考えたことがありますの? いつかの烏丸さんの体調不良も、貴方が負担になっていたからではなくて?」

 恫喝されて小さくなっているゆうりを放置して、今度は刹華に牙を剥くリオン。それに対して、刹華は憤慨気味で羽月はやや引き気味。

「こいつが教えるって言ってんだよ。あたしが要求してる訳じゃねぇ」

「貴方のような劣悪な成績の馬の骨が隣の席でなおかつ同室なら、烏丸さんのような優しい方が手を差し伸べない訳がないでしょう? しかも、その烏丸さんをこいつ呼ばわり? 少しは恥と言葉遣いというものを知ったら如何かしら?」

「いつも安過ぎて買うのを躊躇ってたが、今日もてめぇの喧嘩は安いな。給料入ったばっかだから買ってやってもいいぞ」

 はじめから喧嘩腰の二人。周囲には止められそうな人はいない。流石にマズい気がした羽月は、二人に割って入る。

「刹華落ち着いて! 栄花さんも、私は全然に負担になってないから!」

「烏丸さんは黙っていてくださる? ……わたくし、不真面目で素行の悪い貴方の事を常々快く思っておりませんでしたの。白黒つけるいい機会ですわ。今日、全てを終わらせることにしましょう」

 リオンは啖呵を切ると刹華の机を平手で叩いた。

「貴方、わたくしと決闘をなさい」


 その言葉は教室中に響き渡った。当然、当事者達は困惑している。

「……決闘?」

 羽月は、日常生活の中では聞き慣れない単語を聞き返す。

「別に中世の銃や武器を用いたものを指している訳ではありませんのよ? そちらの方が行うような無法で野蛮な暴力ではなく、ルールを取り決め、折り目正しく、試合形式で勝敗を決しようという訳です」

 妙な空気になってしまったことを恥じているらしく、微妙に赤面しながら言い直すリオン。

「……よく分かんねぇけど、いいぞ。やってやるよ」

 刹華は、既にやる気になっている。

「私が勝利した暁には、貴方には烏丸さんと関わるのをやめて頂きます。いいですか?」

 突然の要求は、刹華を威圧する。

「は? 何勝手なこと言ってんだよ」

「賭けるものなんて、互いの勝手が反映されるべきではなくて? それとも、もう負けることを考えていらっしゃるの? 貴方、意外と利口なところもありますのね」

「ああ? 誰がお前に負けるって……」

 挑発された刹華は噛みつこうとしたが、ふと思い直す。

「やめなって刹華! そんなことすべきじゃないよ! 何の特もないって!」

 羽月の制止。それは全くの見当違いのものだと、刹華は思った。

「……お前んちって、確か金持ちだったよな」

「え? ……まあ、多少は」

 リオンには、その言葉の意図が全く読めていない。羽月はまさかと思ったが、そのまさかだった。

「三百万円、それがあたしの要求だ」

 大きく出た刹華に、リオンは驚きとも呆れとも言えない感情を露わにする。

「……加減というものを理解出来ませんの? 使い道も分からないそんな大金、はいそうですかと貴方などに払う訳が……」

「賭けられねえよな。負けが見えてる勝負で、そんな大金」

 嫌う相手の挑発を無視出来る程、リオンはおおらかでも平和的でもない。

 負けるはずがない。互いにそう認識する過ちが、とんでもない方向へと事態を動かす。

「……いいでしょう。それくらいなら私の貯金からでもなんとかなります。ですが、それを賭けるのならばわたくしの要求は些か軽過ぎますわね。なので……」

 その返答には、リオンの強い意志が篭っていた。

「貴方の退学。それを上乗せして貰いましょうか」

 明確な意志。それは最早殺意に似ていた。




「事情は分かったんだけどさぁ。なーんでウチが巻き込まれてんの? 喧嘩なら勝手にしたら良くない?」

 戦いの場として選ばれたのは、定期試験前で部員のいない武道場。ゆうりは戦うのを見るのが苦手らしく、刹華に頑張ってと伝えて帰ってしまった。故に、ここにいるのは刹華とリオンと羽月。そして、不満を漏らす霧山美里だけ。

わたくしたち両者と友好関係があるのは、貴方くらいのものですもの。それに、これは喧嘩ではなく、誇りを賭けた正式な試合ですの。公平に審判をお願いしますわ」

 リオンはジャケットを脱ぎ、腕まくりをしながら美里に語りかける。

「あーはいはい。早く終わらせてよ? ウチだって帰って古典の勉強したいし。赤点取ったら洒落になんないもん」

 美里は勝敗に全く興味が無さそうにキャリーカートに座っているが、羽月の置かれた状況は途端に変わってしまった。刹華が三百万円を手に入れようとしているのである。ここに来るまでに、

「任せろ。楽勝だ」

 と、刹華に耳打ちされたことを思い出す。金さえあれば、本当に近くにいるのかどうかすら分からない指名手配犯を追わなくて済む。とは言え、クラスメイトから三百万円などという大金を奪い取るような真似、感情的になっているとはいえ行うべきではないとも思っていた。刹華の勝利が明白なマッチアップ。見方を変えればズルである。ならば大金を手にしたとしても、時間をかけてでも利子まできっちりつけて返すべきだろうと考えていた。

「相手が相手ですので、野蛮人にも分かりやすいルールにしなければなりませんね……寝技と関節技は禁止。凶器は当然禁止。それと、爪で引っ掻くなんてことをしないようにグローブの着用。ルールを犯した場合は問答無用で敗北。拳法家のわたくしとしては、せめてこのくらいは守って頂きたいものですわ。御理解頂けます?」

 リオンは嫌味ったらしく説明をしながら、青いグローブを刹華に向けて転がした。

「お嬢様は自分のルール無しじゃ怖くて喧嘩も出来ねぇのかよ」

「貴方も、常識の範囲内でルールを追加して構いませんのよ。私だけで決めたルールで貴方を叩き潰しても、フェアではありませんから」

 それもそうか。と、刹華は追加するルールについて考えてみる。考えてみると、刹華は自身が格闘技に全く詳しくないことに気がつく。基礎だけはとある人物に教わりはしたものの、別に格闘家を志している訳ではない。ゴロツキとの喧嘩だけが彼女の戦いの場だった。

 ならば、そういったルールを設けるべきだろうと、刹華は提案した。

「勝利条件は相手の降伏。なんてのはどうだ?」

 それを聞いていた羽月は、もう少し有利になりそうなルールを追加しろと頭を抱えた。当の対戦相手はといえば、

「なんて野蛮な……いいでしょう。貴方の心がへし折れるまで、嬲って差し上げますわ」

 と、呆れながらもやる気である。

「防具もきちんと用意したかったところですけれど、構いませんわ。どうせ貴方の攻撃などロクに当たりません。始めましょう」

「上等だ。殴られ過ぎて、約束忘れんじゃねぇぞ」

「貴方こそ」

 両者はグローブを両手につけ、静かに構えた。

「……あいつら、制服のまま殴り合うワケ? 喧嘩のそれじゃん?」

 美里は気になったことを羽月に伝える。

「まあ、それは仕方ないかな。両方、用意してなかったみたいだし」

 喧嘩の準備をしてくる、というのもおかしな話ではある。

「それもそっか……じゃあ始めるよー。さっさと終わらせるように。レディ……」

 やる気のない掛け声、そして暫しの間。かくして、三百万円と学園の籍を賭けた聖戦、もとい大喧嘩が始まったのである。

「ゴー!」






 電話のスピーカーから鳴り続けるのは、長い長い呼び出し音。いつもならすぐ応答してくれるはずの相手なのに、今日はなかなか応えてくれない。かけ直そうかと思ったところで、やっと呼び出し音が途切れた。

 ただし、応答した相手は望みのものではなかった。

『ふぁいぶー、ひさしぶりー。元気だったー?』

 その声がゼロツーだと、すぐに分かった。

「電話ではまず、『もしもし、誰々です』と名乗るのが礼儀ですよ」

『えー、だって電話にふぁいぶって出てたもん。ひさしぶりでうれしくなっちゃうでしょー?』

 私は、ゼロツーが苦手だ。

「……ゼロスリーはどうしたんですか?」

『ねてるよー。昨日がんばってたから、つかれちゃったんじゃないかなー』

 何かあったのだろうかと考えたが、すぐに考えるのを止めた。私のところまで来ていないのならば、私には関係のない話だ。

「では、彼女が起きた時に私から連絡があったと伝えてください。問題無し、と」

『わかったー。モンダイナシーモンダイナーシ。……あれ、おねえさんはつーだっけ? ふぉーだっけ?』

「……私はゼロファイブで、ゼロツーが貴方です。コードネームとはいえ、名前くらいは忘れないでください。社会に出た時に困りますよ」

 ゼロツーは頭が悪い。ただ、これは彼女が責められることではない。

『りょうかーい。あ、ふぁいぶー。おはなししよー? すりーって、なに言ってるのか半分くらいしかわかんないんだもん』

 ゼロスリーは訛りが激しい。どこの方言なのかは、全く興味がないので知らない。

「お話……何をお話しすればいいのですか?」

『んー、ふぁいぶがいつもしてることを聞きたいなー。しゃかいで生活してるんでしょー?』

「機密事項ですのでお話し出来ません」

『けちー』

 ゼロツーは無邪気だ。悪意がない。可愛らしいといえばそうなのかもしれないが、きっとこれは弱さに対する認識なのだと思う。赤子を見て可愛いと思うような。当然、ゼロツーは非力という言葉と縁遠いのだけれど。

『こっちはねー、らぼからじっけんたいが逃げちゃったんだってー。すりーもさがしてるけど見つからなくてねー。さそりさん、早く殺さないとねー』

 あまりに強力な力を持ち、あまりに良識からかけ離れている。壊れている、という表現が適切かもしれない。ゼロツーは、異常の権化だ。

 そう思った時に、私はどうだろうかと自問する。ゼロツーほどの力を手に入れることは叶わず、感情というものを持ち合わせず、見様見真似でそれらしく振る舞う。異常にもなれず、正常を装うだけの私。

『……ふぁいぶー、聞いてる?』

 上の空だったことに気づかれてしまった。

「ごめんなさい。少し、考え事をしていました」

 ゼロツーが癇癪を起こすような子ではないにしろ、他人の話を上の空で聞くなんて、気が抜けているんじゃないだろうか。

『ふぁいぶ、おこってるー?』

「えっ、私がですか?」

 意外なことを言われて、聞き返してしまう。

「なんかねー。いらいらーっていうかー、もやもやーっていうかー、そんなかんじー。すりーもいってたよ? 少しかんじょうてきになったーって」

 私がイライラしている? そんなまさか。私は至って冷静なはず。感情の欠落した私が、感情的になるようなことなど、決して……

 全否定しようとした時、思考が気になるものに触れたような気がした。

「……大丈夫です。怒っていません」

『そっかー。それならよかったねー。おこってもいいことないもんねー』

「では、私は明日があるので、これで」

『あー、もうちょっとだけおはなし――』

 終話ボタンを押して、会話を無理矢理断ち切った。

 思考、思考、引っかかるそれの解析、私に巣食うイレギュラーの分析……

 感情についての知識と照らし合わせた時、一つの答えが出た。その答えが、感情と呼べるものだと気がついて、嬉しいという感情と、悔しいという感情を味わったような気がして、私は笑ったような気がした。

 これが『嫉妬』か。






 決闘の開幕直後、刹華はさっさと決着をつけるべくリオンの懐へと踏み込み、拳をリオンに向けて抉るように叩きつける。リオンはそれを捌き、見本のような軌道の突きを返す。その鋭さはかなりのものなのだが、刹華は勘を頼りに、掠らせるだけに留める。攻め、受け、避け、時に距離を取り、また近づく。傍から見ても明確な程、激しい応酬が続く。

 羽月はそれを見ながら、違和感に気がつく。始まる前は刹華が圧勝するはずだと信じていたが、開始から数分が経過しても依然として決定打が発生しない。どころか、リオンの方にまだ余力があるようにすら見える。

 そんな頃合いに、リオンが大きく距離を取る。

「レッダーの自分に、力で勝てる筈が無い……そんなことをお考えになられていました?」

 リオンの言葉に、刹華はピクリと反応する。

「準備体操はもう十分でしょう。そろそろ、本気を出してはどうですか?」

 途端に、その場の空気が変わった。

「あー、なるほど。そういう構図……こりゃせっちんのミスだわ」

 美里はこの戦いの全体像が掴めたらしく、苦笑いを浮かべる。羽月の頭には、この戦いの最悪の結果が浮かんだ。

 ゆっくりと、リオンの構えが変わる。

「本気で来ないなら、無様に潰れるだけですわ」

 リオンの金髪が伸び始めたことに周囲が気がついたのは、その直後だった。構えが変わったように見えたのは、レッダー特有の獣化による体型の変化だった。露出した四肢の質感は変わり、その姿は刹華にある生物を想起させる。

 百獣の王と呼ばれる種、獅子。今までのリオンとは、明らかにオーラが違う。

 刹華は、自分が狩られる側に立っていることに気がついた。

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