第21話 Route666⑥

 

 

(1)


 真夜中の田舎道を一人歩き続ける。暗澹たる闇の世界の先には何にも見えない。見える筈がない。一年以上前、ロイによってカルディナ山中に捨て置かれた時と、何となく似たような状況がいっそ可笑しくて堪らない。

 込み上げてくる笑いを堪えようとしても、唇が自然と弧を描いてしまうのまでは抑えられない。あの時は何としてでも生き延びたくて、麓の街を目指して山の中の国道を必死で下り続けていたっけな。あぁ、なつかしいねぇ……、と、束の間感慨に耽ってみたが、すぐに打ち消された。


 だって、今はあの時と全く違う。


 今のあたしには行きたい場所も目的もなければ、必死で生にしがみつく気力すら残されていない。ここから遠く離れ、この身が力尽きるまであてもなく無為に歩こうとしているだけ。闇夜にぽっかりと浮かぶ、真っ赤な下弦の月の光だけを頼りに、あたしはひたすら歩き続ける。


 きっとあたしは、自分の死に場所を探し求めているのかもしれない。

 ふと、そんな考えが脳裏を過ぎるが、すぐに掻き消されていく。


 理由なんて、もうどうでもいいんだ。

 あたしは、あたしは……

 あたし――



 ――あたしは一体、何がしたかったんだろう??――




 ねぇ、サンディ。


 あたし達、幸せになりたかっただけだったよね??


 二度と言葉を交わすことが出来ない、想像の中のサンディへ問い掛ける。



『そうよ。いつだってあたしとフランは幸せを求めていただけよ』


 あんたが笑って言ってくれるなら、きっとそれが正しい答えだろう。

 先程浮かべたものとは別の種類の、多分、心からの笑顔を、この時のあたしは浮かべていたに違いなかった。




(……ん??……)


 後方から微かな排気音が聞こえ、徐々にあたしの方へと近づいてくる。こんな真夜中に誰が……――、警察の追手、か――


 走って逃げようものなら、有無を言わさず発砲される恐れがなきにしもあらず。

 反射的にその場で立ち止まってみたものの、さぁ、どうしようか、と考える間もなく、車は背後まで迫っていた。ギラギラと光るヘッドライトがあたしを照らしだし、余りの眩しさに目元に手を翳す。車はゆっくりと徐行し始めると、あたしの目の前で停車した。車種はフォード社の黒い車――、まさか――


(……やっぱり!……)


 運転席側の扉が開き、車から降りてきたのはロイだった。


「……フランシスさん……??何で、こんな場所にいるの??」

「あんたこそ……、遠くへ逃げたんじゃないのかい??何で、まだスウィントンなんかに来たんだよ……」


 ロイは、懐中電灯もつけずにぬかるんだ畦道を歩くあたしに驚きを隠せないでいる。対するあたしも、更なる厳戒態勢がしかれているにも関わらず、スウィントンに姿を現したロイに唖然となった。

 互いへの疑問を投げかけ合うと同時に、互いに気まずそうに口を噤む。

 あたしがどう説明すべきか迷っているように、ロイも迷っているのだろう。


「……ここで立ち尽くしていても埒があかないから、とりあえず、車に乗ってください」


 ロイの言葉に従い、あたしはすぐに助手席に乗り込んだ。

 車に乗ったはいいけれど、中々話を切り出せずにいるあたしに代わり、ロイの方から話を切り出した。

 ロイ曰く、一旦は車を飛ばして故郷のチェルシー州まで戻ったのだが、やはりサンディの容態が気になって仕方がなかったので、危険を承知でスウィントンにとんぼ返りしたのだという。


「……僕がスウィントンへ戻ることで、サンディやフランシスさんを危険が及ぶのは充分理解している。それでも……」

「……サンディに会いたかった……って訳ね……」

 ロイは返事の代わりに、大仰なまでに頷いてみせる。

「……でも、君がこんなところにいるってことは、一体……。サンディは……、どうしたんだ??」

「…………」

「サンディは無事なんだよね??多少は回復したんだよね??」

「…………」

「ねぇ、フランシスさん。何とか言ってくださいよ……。いくら僕を毛嫌いしているからと言って、質の悪い冗談はやめてくださいよ……」


 ロイは運転していた車を再び止めて、助手席のあたしに向き直って縋りついてさえくる。


「サンディは生きているんですよね?!何とか言ってくださいよ!!」

「…………」

「どうして黙っているんですか?!いい加減にして下さいよ!!!!」

「…………」


 ロイはあたしの肩をきつく掴み、ぐらぐらと激しく揺さぶりを掛けてくる。

 ロイの爪の先が肩に食い込み、あたしは痛みで顔を顰めてみせる。


「何とか言ったらどうなんですか!!!!」

「…………ごめん。…………察して、おくれ…………」


 辛うじて絞り出した答えを聞いた途端、ロイの手があたしの肩から離れた。否、離れたというより、自然と手が滑り落ちた、と言う方が正しかった。

 視線を合わせるのがどうしようもなく怖くて、あたしはロイから徐に顔を背ける。

 ロイは全身をガクガクと震わせながらも、エンジンをかけて車を発進させる。

 ハンドルを固く握りしめて運転するロイは、うっ、うっ……、と、呻くように嗚咽を漏らす。美しい顔が涙と鼻水にまみれ、ぐしゃぐしゃに汚れるのも構わず、彼は静かに慟哭した。

 本当は声の限りに泣き叫びたいけれど、『男の子なんだから泣くんじゃありません』と大人に注意されないよう、泣き声を最小限に抑える幼気な少年のようだ。

 愛する女を失い、失意のどん底へ落とされて嘆き悲しむ、この線の細い若者が、非道の限りを尽くした大悪党だなんて誰が想像できるだろうか。


 それでも――、全てを失った筈なのに――、この期に及んでロイは一体何処へ逃げようとしているのか??


 もしかして――、さっきまでのあたしと同じく、この身が果てるまであてもなく車を走らせ続ける気なのだろうか。


 


 ――仕方がないから付き合ってやるか……――




 喧しいばかりのエンジンの音、ひっきりなしに聞こえてくるロイのすすり泣きを煩わしく思いつつ、あたしは覚悟を決めたのだった。









(2)



 アーリーフォードV8は、休む間もなく夜通し走り続けた。

 東の空は徐々に白み始め、太陽が中天に昇る頃には、狭い田舎道ではなく未舗装の埃道ながらも広い国道へ入っていく。けれど、国道に入ってから間もなく、巡回していたヒュージニア・レンジャーの車があたし達を追跡し始めた。


「……フランシスさん、しっかり捕まっていて……」


 前を向いたまま、ロイが無感情な小声でぼそりと呟く。

 全身に緊張が電気のように走り抜ける。あたしは即座に座席のベルトを固く締め直す。ロイはアクセルを全開にさせ、マフラーから火が噴く勢いでスピードを一気に加速させる。


 ブウァンブウァン、ブウァンブウァン!!!!


 獣の断末魔の叫びに似た轟音を上げて車は国道を暴走していく。

 レンジャー達の車間距離は見る見るうちに拡がり、瞬く間に遠くへ引き離していく。それでもロイはスピードを落とすことなく、やけを起こして暴走運転を続けた。

 さっきは運良く追跡を躱せたけれど、カルディナ山の麓に辿り着く頃までに新たな追手が派遣されるかもしれない。


 陰りを帯びた初冬の太陽の下、どこまでも、ただどこまでも無限に拡がる湿地帯の荒野。

 砂埃を巻き上げて、狂ったように走り続ける道の先には何があるというの――??




『地獄への入り口よ』




 少し舌足らずだけど、鈴を転がしたような声が脳裏に響く。

 ハッとして前方に視線を移す。目をよく凝らさなければ見えない程遥か遠く、豆粒程度の大きさの人影が、見える。


「……ねぇ、悪いけど、もう少しスピード、出せない??……」


 あの人影の正体が誰なのか、早く知りたくて堪らない。

 ロイは返事こそしなかったが、更にアクセルを踏み込んでスピードを上げる。

 加速したスピードのお蔭で、車は小さな人影に徐々に近づいていく。

 近づくにつれ、あたしの心臓が痛みを覚えるくらいに早鐘を打つ。

 人影の顔が確認できるくらいの距離に到達したところで、あたしは目を大きく瞠った。





『待っているからね、フラン』

『必ず、ロイと一緒に来てね』

『絶対よ、絶対だからね』

『約束だよ??』







「サンディ!!!!」



 道の先には、輝かんばかりの金の巻毛を肩で切り揃えた、空色の大きな瞳を持つ小柄な少女が、あたしを待っている。あたしを待っていたのだ!


「今すぐ車を止めておくれ!!!!」


 サンディにぶつかってしまう――!

 助手席から咄嗟に身を乗り出し、ロイを押しのけてハンドルに掴み掛かる。驚いたロイが何か喚き散らして抵抗するが、あたしも譲らない。譲りたくない、譲っちゃダメだ!サンディを轢いちまう訳にいかないじゃないか!!

 走行不安定になった車は右へ左へと車体を激しく傾けさせるも、無事にサンディを上手く避けていく。


「……気、でも、狂った、んですか……!」

「狂ってるって??今更気付いたのかい??遅いよ!!」


 ロイの車に乗り込んだ時から??

 真夜中の田舎道を徘徊している時から??

 サンディを置いて家を出た時から??

 

 サンディを、この手で――



「あははははははは!!あーははははははは!!!!」


 ひたすら高笑いするあたしにロイは完全に怯んでいる。

 ざまぁみろ!いい気味だよ!

 

「はははははは、はははは……、ぎゃっ!」


 あたしに体当たりをかまし、ハンドルを奪い返したロイを罵ろうととした、その時。数発の銃声と共に、車のフロントガラス、サイドミラー、ウィンドウガラスが粉々に砕け散った。

 何が起きたのか訳も分からず、言葉にならない悲鳴をあげるあたしの視界の端に、白いウエスタンハットが少なくとも七、八つ、映った。

 そう言えば、この道の両脇は小高い土手で、人が姿を隠せるだけの大きな茂みもあったっけ……。

 ロイは懐から自動拳銃を取り出そうとしたが、彼が引き金を引くよりも早く、新たな銃弾の嵐があたし達目掛けて容赦なく襲い掛かった。






 何をやらせても冴えない、地味なあたし。

 死に際が一番目立っていた、なんて。

 とんだ皮肉だよ。

 ねぇ、サンディ??






『フランシスっていうのね!じゃあ、これからお姉さんのことを、フラン、って呼んでもいいかしら??』




 サンディの屈託のない明るい笑顔が、もう一度見たかった。



 おびただしい血に塗れて薄れゆく意識の中、あたしの天使は無邪気な微笑みを浮かべていた。





(終) 

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LIVING TIME 青月クロエ @seigetsu_chloe

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