第11話 ロード・トゥ・パーディション➂

 周囲の人々はあたしとアレックスの諍いなどよりもそちらの関心が高いのか、声が聞こえてくる場所を一斉に注目し始める。あたしとアレックスも例に漏れず、諍いを中断させて他の人々の視線が集まっている方向を探り出す――、あれか。


 あたしとアレックスがいる場所から対角線上の壁際で、大声で喚き散らす女が男の顏にシャンパングラスの中身をぶちまけていた。髪からしたたる滴は男の上等なスーツへ点々と染みの痕を残していく。

 女は空になったシャンパングラスを男の胸に投げつけると、今度はもう片方の手で持っていた皿の料理を掴んでは男の顔や胸に次々とぶつけていく。

 男は女の所業に呆気に取られるばかりでされるがまま、どんどん汚されていく。

 皿が空になると、女はとどめとばかりに男の胸に投げつけ、捨て台詞を吐いた後、(あたし達がいる場所からは、何を言ったのかまでは聞き取れなかった)、わざとカッカッカッと耳障りな靴音を立てて一人で会場から出て行った。


 突如起こった激しい愁嘆場に会場内の人々は止めることもできず、ただただ事の成り行きを遠巻きに眺めるより他に成す術がなかった。それはあたしとアレックスも同じで、先程までの諍いもすっかり忘れ去ってしまったーー、訳ではなく――


「ねぇ、アレックス……。何で、あの男……、ロイ・フェルディナンドが、ここにいるのよ……」

「……さ、さぁ……」

 アレックスの視線は更に忙しなく泳ぐ。

「とぼけないで。ねぇ、もしかして……、サンディを、一晩差し出すよう言ってきたのは……、あいつ、なの……??」


 あたしの言葉に、アレックスは瞳を大きく瞠り――、いきなり長身を恭しく折り曲げて深々と頭を下げてきた。


「……少し前に、事務所に彼から電話が掛かってきて……、『妻に代わって化粧品の宣伝モデルを務めた、若い方の女性に一度お会いしたい。彼女は、今手掛けている小説のヒロインのイメージにぴったりだから』って……。このパーティーに招待してくれたのも彼で……」

「……で、サンディだけを誘うのはあたしの不信を買うと思ったから、あたしとサンディの二人を招待したって訳ね……」

「君の招待はついで、だなんて言ったら、気分を害すだろうと思って……」

「そんなことはどうだっていいわ。あたしが不思議に思うのは、何で、たまたまキャンプ場で遭遇しただけの、ほぼ見ず知らずの間柄でしかないあんたが、あの男の言う事を素直に聞いてしまったのか、よ」


 あたしは胸の前で両腕を組み、厳しく睨みつけながら問い詰める。

 アレックスは大きな身体を益々竦ませ、あたしから完全に顔を逸らしながら気まずそうに答える。


「……じ、実は、僕は……。ロイ・フェルディナンドの小説の大ファンで……」

「……はぁ?!?!」

 素っ頓狂な声を張り上げながら、あたしは眩暈で頭がくらくらしてきた。

「……もういい。あんたが、どうしようもない大馬鹿野郎だってことがよーく分かった……。悪いけど、あの男にサンディが会場に来ていると知られる前に帰らせてもらうわ。タクシー呼ぶから、送って貰わなくても結構よ」


 待って……、と、引き留めようとするアレックスを無視しサンディを探しに会場内を巡る。


 絶対、あいつとサンディを引き合わせちゃいけない。

 会場を騒がせた夫婦喧嘩のせいで、サンディはあいつの存在に気付いてしまっただろう。


 焦りばかりが募る一方、何度も会場内を探し回ってみてもサンディの姿はどこにも見当たらない。パーティー会場の大広間から白い大理石で作られた長い廊下へと抜け出した。

 廊下を間に、左右の壁にはそれぞれ部屋の扉が設置され、あたしは各部屋の扉を開けて中を確認するが、やはりサンディは見つからない。

 この短時間の間に一体どこへ消えてしまったのか――、不安が押し寄せる余り、今にも泣き出しそうになりながら、廊下を左に曲がってすぐの扉を開ける――


 ――いた――


 叫びそうになった唇に両手を宛がい、出かかった言葉を大きく飲み込む。

 次の瞬間、やっとのことでサンディを見つけたのに、あたしは勢い良く扉を閉めてしまった。


 だって――


 想定していた最悪の事態を目撃してしまったら――、大抵の人間なら怖気づくし、逃げ腰になってしまうだろ??


 大広間と同じく、金粉混じりの赤土色の壁に囲まれ、深紅の絨毯が床に敷かれた部屋の中で――、ロイとサンディが黒革張りの長椅子に隣同士で腰掛けていた。サンディは、ロイの汚れた髪や顏、衣服をハンカチで丁寧に拭っている。


 たったそれだけ、それだけのことなのに。

 二人が過ごす空間に何人たりとも入る隙などない濃密な空気が放たれていた。


 扉の前で心臓を凍り付かせたまま、石のように固まるあたしの耳に内鍵を回す音が届いた。



 あたしは――、嫌々をする子供のように何度も頭を横に振りながら、肩を落として扉の前から離れていく。離れるしかないじゃない……。

 情けない事この上ないけれど――、尻尾を巻いて大人しくこの場を退散するしかなかった。



 パーティーがお開きになった後も、サンディを待っていたいのに強制的にアレックスに家まで送られた後--、一晩経ってもサンディはあたしの元に帰って来なかった――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る