第4話 閉ざされた世界④

 あたしの亭主がどんな男だったか、知りたいって??

 そうだねぇ……、あんたが期待しているような大したもんじゃないけど……。

 え??それでもいいから馴れ初めを聞きたいって??

 分かった、分かったよ!

 その代わり、後でつまらない話を聞いた、とか言うのは無しだからね??いい??


 亭主は近所に住む煉瓦職人の三男坊で幼なじみだったんだ。

 周りに同い年の子供がいなかったせいか、あたしと亭主は小さい頃からいつも一緒に遊んでいてね。

 亭主は腕白で悪戯好きな子供でさ。しょっちゅう納屋に忍び込んでは積んである干し草でトランポリンごっこしたり、日干ししてある牛の燻製肉をこっそりつまみ食いしたり。人気の少ない雑木林の中を駆け回って、ロビン・フッドごっこして遊んだり。同級生だけじゃなく上級生ともよく取っ組み合いの喧嘩をしていたわね。

 そんな腕白坊主だった亭主も、あたしにだけは手を上げたり怒鳴ったりとか乱暴な振る舞いは一度たりともしなかった。納屋から盗んできた燻製肉やチーズを必ずあたしに分けてくれたし、ロビン・フッドごっこではマリアン姫役で遊びに加えてくれた。亭主といる時だけは、あたしはお姫様でいられたんだよ。あたしと亭主が互いに惹かれ合うようになったのは、ごく自然な成り行きだったと今でも思うの。

 だから、高校卒業後すぐにあたし達は結婚。幸せな家庭が築けるものだと信じて疑わなかったのに……。


 え??顔色が悪いって??

 大丈夫、話は最後まで続けるから。


 ……亭主はねぇ……、優しいだけじゃなく、曲がったことが大嫌いでさ。正義感の強い性格だったのが災いして、仕事先で雇い主から理に適わない労働を押し付けられたりすると必ず諍いを起こしてはクビ、もしくは自主的に仕事を辞めるっていうのを繰り返していたんだ。

だんだん家計も切迫してきて、これじゃいけない、と決心した亭主は隣のアリスタット州の農場まで出稼ぎに行ったんだけど……。見知らぬ土地での重労働が想像以上に辛かったんだろうね……。


 亭主は仕事仲間やその友人達と徒党を組んで何件もの商店や新聞社、果ては銀行にまで強盗を働いたのさ……。

 おまけに、銀行強盗した時に銀行員の一人を銃で撃って大怪我を負わせちまって……。馬鹿だよねぇ……。


 ……って、何であんたが泣くんだい??

 ……あたしの為に泣いてくれるのね。あんたは本当に心根の真っ直ぐな良い娘だよ、サンディ――









(1)


 ロイの車は街の住宅群の間の道を走り抜け、一際広い未舗装の埃道、ダウンタウン・ヒュージニアから西――、同州の大都市ダグラスへと繋がっていく国道に入っていく。

 夕陽は僅かな赤い残像のみを残し、西の地平線上からほぼ姿を隠してしまった。太陽と入れ替わるように真っ黒な積乱雲が空を覆い隠す。辺り一面には湿地帯の荒野が拡がっている筈だが、夜の帳が迫り来る夕闇の中でははっきりと確認できない。それ以前に、例え太陽が燦々と照り付ける昼日中であっても、この状況では車窓からの景色を悠長に眺める余裕など皆無。


 はじめは歯の根も合わない程にあたしは全身をがくがく震わせていた。だけど、一定の速度で走る車に長時間揺られている内に、店主に返し忘れた食堂の鍵はどうしよう、だとか、こんな時間まで帰って来ないあたしにママはカンカンに怒り狂っているだろう、だとか。取りとめの無い事々を気に掛けるだけの冷静さを少しずつ取り戻しつつあった。

 ロイはと言うと、隣にあたしが存在しないかのように運転に集中している。


 ロイに気付かれないよう、そっと彼の横顔を盗み見る。適度に高い鼻筋やすっきりした細い顎。真横から見ても、やはり彼は美形の部類だと改めて思い知らされる。

 あと五歳程若ければ、もしかしたら恋心めいたものを彼に抱いたかもしれないが、生憎、今のあたしには彼の事は年下の坊やにしか見えない。


 その坊やに、まんまと誘拐された間抜けはどこの誰でもない、紛れもなくあたし自身だけどね……。


 ハンドルを握るロイの左手の薬指には結婚指輪らしきものが光っている。

 ラナからは、彼が既婚者などと言う情報は聞かされていなかったが――、まぁ、そんなことはこの際どうでもいいよ。

 ところで、彼は何を目的にあたしを攫い、どこへ連れて行こうとしているのか――


「……あ、あの……」

「うん??何かな??」

 ロイは前を向いたまま、穏やかな声で返事をする。

 あたしに詰め寄り、銃口を向けて脅してきた時とは全く違う、普段の彼の声色だ。

「……その、……ホテルに、ロイさんが泊まっていたダウンタウン・ヒュージニアの、高級ホテルに、戻らなくてもいい……の……??ラナから、ラナから聞いた……、けど……、打ち合わせは……」

「あぁ、編集者との打ち合わせならホテルについて直ぐ、体調不良を理由にまた後日にしてくれって、仮病使って電話で急遽キャンセルした。それに、ホテルに滞在していたところでちっとも筆が進まないから、車を出すついでにチェックアウトしてきたよ。……って、あれ、テイタムさん。顔色が悪くない??」


 誰のせいだと思っているんだ。

 ロイの呑気な口調に、背筋に薄ら寒いものを感じると共に一抹の腹立たしさすら覚えてくる。


「……あんた、本当に、小説家、なの……??」

「うん、そうだよ??えっ、嫌だな、疑っているのかい??酷いなぁ……、これでも新進気鋭のハードボイルド作家って言われているんだけどなぁー。何なら、本屋でロイ・フェルディナンドの著作を探してみて。あぁ、今のところの僕の代表作は『ホワイトストライプス』、プロの殺し屋を生業とする姉弟の話さ」

「……何で……」

「え、何??」

 あたしは一旦言葉を飲み込んだが、すぐに意を決して二の句をついだ。

「何で……、あ、あた、あたしを……、い、いきなり、拉致した、の……」

 ロイは、うーん、と小さく唸り、眉尻を下げてあたしに笑いかける。

「怒らないで聞いてくれる??実はさ……、執筆中の新作の中で、ギャングの下っ端が貧しい未亡人を車で拉致して逃亡する場面があって……。どうにもその男の心情について納得できる描写が書けなくて……。ホテルをチェックアウトしたはいいものの、どうしたものかと運転しながら悩んでいたところで君の姿を発見した。そこでテイタムさんにして貰ってその場面を再現してみよう、と、思い立ったんだ。僕が自作で一番拘っている点は、如何に作品にリアリティを持たせるかなのさ。だから、危険を承知で裏社会の人間とも交流を持っているし、銃は万が一の時のために護身用に携帯しているんだ」


 こいつは一体、何を言っているのだろう。

 到底理解し難い理由に、あたしは完全に言葉を失った。


 ロイは、益々持って青ざめていくあたしの顔色や、憮然とした表情が気にならないどころか、あろうことか心から嬉しそうに無邪気な笑顔を見せつけてくる。


「テイタムさんのお蔭で僕は苦しみから解放されそうだ!本当にありがとう!!」


 ロイの笑顔を見た瞬間、あたしの頭の中でぷつん、と、細い糸が切れる音が聞こえた。






(2)



「……あんた、何言ってんの……??」


 気付くと、普段のあたしからは想像できない程の低い声で、けれども、とてもはっきりした口調で淡々とロイに話し掛けていた。


「……あんたは悩みが解決されてめでたしめでたし、だろうけど、あたしは……、あたしのことはお構いなしって訳??いきなり銃を突きつけられて、車に連れ込まれて……、挙句にこんな夜遅くまで車で連れ回されて……。あんたのせいで、あたしは食堂の鍵を店主のアパートに返しそびれちまったじゃないか。一緒に暮らしているあたしの母親も、いつまで経っても帰って来ないあたしを心配しているだろう。もしかしたら、警察に捜索願いを届け出ているかもしれない……」

「あぁ、そうか。そこまで考えていなかったよ!ごめん、ごめん!!執筆に行き詰ると、それしか考えられなくなって他事に気が回らなくなってしまうんだ……、いきなり巻き込んでしまって本当に申し訳なかったよ。お詫びに、君を自宅に送り届ける為にショーシャーナに戻ることにしよう」

「今からだって?!ここが何処なのか全く見当もつかないけど、今からショーシャーナに向かうとしたら、とっくに夜が明けて朝になっちまうじゃないか!!町の皆が起きて仕事を始めた時間なんかにあんたと一緒に戻ってみなよ、どんな噂を立てられるか分かったもんじゃあない!!」

「何、何なんだ、テイタムさん。君はショーシャーナに帰りたいの??帰りたくないの??一体どうして欲しいのさ??」


 ロイはあからさまに眉根を寄せ、困惑しきりといった体であたしを見返してくる。だが、この時のあたしは混乱しきっていて、思いつく限りの罵詈雑言の数々をロイに喚き散らすばかりだった。 


「いい??あたしはね、あんたの名前も作品も全然知らない。本なんか読まない人間からしてみれば、あんたなんか、ちょっと羽振りの良い金持ちのお坊ちゃん、ただの坊やってだけだ!大体、坊やのくせして、いっちょまえに絹のシャツ着て、銃なんか持っちゃって!!いきがってんじゃないよ!クソガキ!!」


 ロイの萌黄色の瞳に殺気が籠ったのを、あたしは見逃さなかった。

 さすがにこれ以上はまずい、と、我に返ったあたしはようやく口を噤んだ。


 再び、車内には重苦しいまでの沈黙が訪れ、車の走る速度も徐々に上がっていく。


 車はショーシャーナに戻ることなく、夜陰に紛れて更に国道を走り続け――、遂にはダグラスの手前――、カルディナ山の山道に入った。どんどん山の奥深くに入っていく車に、あたしはとてつもなく嫌な予感を覚える。


 もしかしたらロイは、あたしを拉致した証拠を隠蔽するべく、ここであたしを殺すつもり――??


 恐怖と不安が胸の内で膨らみ続けていく間にも、車は山の上へ上へと目指し――、やがてロイは、七合目辺りで国道沿いの脇道――、広い銀杏林の手前で車を停めた。


「テイタムさん、降りて」

 ロイは、再びあたしに銃を突き付け、外へ出るよう促す。

 恐慌状態に陥ったあたしは、声を上げることも逃げ出す気力すらも持てず、ロイに言われるがまま大人しく扉を開けて外へ出た。

「この銀杏林の奥まで、目を瞑って歩きなよ」


 後頭部に銃を突き付けられ、固く瞼を閉じる。震えが止まらない足を一歩ずつゆっくりと動かして林の奥へと進んでいく。

 不思議と逃げようとは思わなかった。

 おそらく、もうどうとでもなれ、という諦念にあたしは憑りつかれていた。


 一歩進むごとに、カサカサカサと湿った落ち葉の音がやけに耳に煩く響いてくる。視界が遮断されている分、聴覚が通常時よりも鋭くなっているからだろう。

 この音が途絶えた時があたしの命も終わりを迎える時――、残り僅かの生に縋るように、あたしは歩きながら音に全神経を集中させた――、すると――


 いつの間にか、落ち葉を踏み鳴らす音の数が減っていることにあたしは気付き、試しに歩みを一旦止めてみる。



 ――まさか……―― 



 思い切ってカッと目を見開き、勢い良く後ろを振り返る――、あぁ、やっぱり……!!


 先程まで、あたしのすぐ後ろを付いてきていた筈のロイは忽然と姿を消していた。



「…………ちくしょう…………」



 恐怖からは解放されたものの、代わりに絶望の底へと叩き落とされて一気に脱力したあたしは、へなへなと落ち葉の絨毯に座り込んだ。

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