第10話 VS兎の魔神

 順一は目の前の敵を一瞥する。本当に見た目は普通のウサギだ。しかし、恐ろしい能力を持っていることは確かだ。

 だが、噛みつかれたとしても症状が出るまでにはある程度の猶予があるはずだ。夏目は症状が出たのが朝だった。仮に通学途中に噛まれてすぐに発症したとすれば、『熱を出して寝込む』ではなく、『いきなり体調が悪化した』といった理由で休むだろう。

 仮に噛まれてしまったとしても、逃げられなければそれでいい。となれば、接近戦も選択肢に入る。

 順一は『ライズ』で全身をさらに強化する。

 倒れていた兎の魔神が起き上がる。

 地面を蹴り間合いを一気に詰め、渾身の突きを放つ。

 兎の魔神は特に抵抗もなく吹き飛び、その体はコンクリートの壁に叩きつけられた。微動だにしない。まさか倒してしまったのだろうか、こんなにもあっさりと。

 拍子抜けだ。レイラが恐ろしい魔神だと言うからもっととんでもない強さだと思っていた。これならこの前の百足の魔神の方がよっぽど強い。


「なんだ……、大したことないな」

「順くん!やっつけたの?」

「ああ、多分な。やけに弱かったぜ」

「何……言ってるの……そんなわけ……ないでしょ」


 レイラが苦しそうな声で言った。だが、どう見てもあの魔神は力尽きている。


「あはは、わかったぞレイラ。俺が思いの外、魔神をあっさり倒したもんだからビックリしたんだろ?」

「違う……!魔神が……、魔神が死ぬときは肉体も消える……!でも、まだアイツは……!」


 順一は百足の魔神のときを思い出す。たしかに、あの魔神は赤い霧のようなものになって消えていた。ということは、兎の魔神はまだ生きている。

 逃げられる前にとどめを刺さないと。そう思い、もう一度兎の魔神へ近く。


 強い光が目に入り、体が宙に浮いた。


 何が起きた?考えている間に、腹部に痛みが走る。ようやく理解した。兎の魔神に攻撃されたのだ。

 順一は地面に叩きつけられる。痛む腹を抑え、なんとか立ち上がり、魔神を見る。


「で、でかくなってる……」


 兎の魔神の体は何倍にも大きく膨れ上がり、どこか悪魔を連想させるようなおぞましい姿になっていた。まさか、今まで力を抑えていたのだろうか。


「兎の魔神は……細菌型の魔神の宿主から奪い取った魔力を自分のものにできるの……」

「あれは『ライズ』ってことか?」

「うん……」


 しかし、順一やレイラが使う『ライズ』は体が大きくなったり、筋肉が発達したりはしない。魔神のものと人間のものでは性質が違うのだろうか。

 こうなればなりふり構ってはいられない。魔神の体の構造が普通のウサギと同じなら、頸椎さえ破壊できれば絶命するはずだ。

 順一は距離を詰め、兎の魔神の顎のあたりに蹴りを放つ。

 兎の魔神はゆっくりと視線をこちらに向けた。その瞬間、背筋が凍りつく。冷や汗が頰を叩い、首筋に流れる。

 兎の魔神が頭突きをした。恐ろしい速さだった。体をねじり、避ける。ギリギリだった。もう少し気づくのが遅れていれば当たっていた。

 打撃が効かないのなら『魔弾』だ。

 順一はその体制のまま連続で『魔弾』を放つ。

 全弾命中したはずだ。そのはずなのに、魔神は煙の昇る中何事もなかったかのように佇んでいた。

 再び魔神が頭突きを繰り出す、今度は躱せない。為すすべもなく体は地面に打ち付けられた。

 順一はなんとか体を起こそうとする。

 魔神はそれを許してはくれなかった。魔神が右脚を踏みつける。耐えきれない痛みから順一は思わず悲鳴をあげた。


「順くん……!」

「ツムギちゃん!ダメっ……!」


 紡がこっちに向かってくる。ダメだ、危ないから来るな。そう言いたいのに、声が出ない。

 紡は持っていたカバンを魔神の目に投げつけた。

 魔神はバランスを崩し、順一を踏みつけていた足が浮いた。紡が順一の腕を引っ張り、肩を貸してくれた。ゆっくりとだが、魔神から離れていく。


「順くん、大丈夫?」

「ああ、なんとかな」


 本当は全然大丈夫じゃなかった。踏まれていた右脚がひどく痛む。骨が折れたかもしれない。

 だが、ここで引き下がるわけにはいかない。


「紡、お前はレイラを連れて逃げるんだ」

「でも……」

「俺は今からアイツにとっておきの技を使う。こいつは範囲が広くてお前たちを巻き込んでしまうかもしれないんだ。頼む!」

「……わかった。信じるからね」

「ああ」


 紡が走り去っていく。とっておきの技とは単なるでまかせだ。一応まだ試していない技はあるが、とてもじゃないが、あの魔神を倒せるようなものじゃない。

 だが、試さずに終わるわけにもいかない。

 順一は両手を合わせ、魔力を集中させる。一点に集中させ、凝縮するイメージだ。

 少し小ぶりな『魔弾』が完成する。見た目こそは小さいが、威力は上がっているはずだ。


「『魔弾フォーミュレイ・カノン』!」


 魔弾を掌から押し出す。魔弾は弾け、魔力のビームのようなものになった。予想とは少し違うが、普通のものに比べれば威力は上がっているはずだ。

 魔弾が魔神の耳を貫通する。

 魔弾が開けたその穴はすぐに塞がり、魔神が大きく口を開けた。そこには巨大な魔弾が準備されていた。

 それが解き放たれる。ビーム状にこちらへ向かってくる。先程の魔法を見て、学習したのか『魔弾砲』によく似ていた。

 だが、順一の放ったものとは違う。ずっと強大な魔力が込められている。この魔法は避けなければならない。頭ではそう理解していた。だが、右脚の激痛で動けない。

 このままではやられる!

 そう思った時、順一の目の前に見たことの無いような情景が広がった。


 ◆◆◆◆


 そこは凍りついた場所だった。見渡す限り何もない。ただ氷の大地が向こうまで続いているだけだった。そこに一人、順一は立っていた。


 何もない大地を歩いていく。どこまで歩いても同じ景色だった。この場所に終わりはないのだろうか。


 さらに進む。ここは地獄か何かなのだろうか。ちょっとイメージとはかけ離れているが、『何もない』というのはそれだけで苦痛だ。そういう地獄だってあるのかもしれない。


 なぜ自分は地獄に来てしまったのだろう。順一は歩きながら考えた。地獄に落とされるほどの悪行はしていないつもりだ。


 そもそも、本当に死んでしまったのだろうか。確か、兎の魔神の強力な攻撃を避けられなかった。正確に言えば、食らう直前でこの情景に呑まれた。


 何が起きた?ここはどこなのか?そんな疑問に確かな答えを出すことはできなかった。それでも前に進む。

 歩き続け、ようやく何かが見えてきた。遠くてよく分からない。走ってそれに近づく。


 それは氷の大地に埋まった、凍りついた剣だった。順一はそれを強く握りしめた。


 ―そして、全てを理解した。


 この凍てつく剣こそが自分の神器であることを。神器の魔法を。自分がまだ負けていないこと。


 そして、その剣の名前を。


 ◆◆◆◆


「『氷の神器・彗星』」


 順一の右手に凍りついた剣、神器・彗星が展開される。目の前には魔神の放った魔弾が迫っていた。だが、自分でも不思議なほどに落ち着いていた。

 順一は神器に魔力を込め、思い切り振り上げる。

 目の前に氷の壁がせり上がる。

 氷の壁に魔弾が衝突する。壁は少しずつひび割れていく。

 その隙に順一は魔力を込めた神器を痛む右脚に当てる。発生した氷が患部を包み込んだ。これでギプスの代わりになる。その上、冷やすことで少しは痛みもマシになるはずだ。

 氷の壁が砕けた。右手に魔弾を作り、前に突き出す。二つの魔弾がぶつかり合い、相殺される。風圧で少し後ろに押される。


「『氷芽連撃』!」


 魔神の足元に小さな氷の柱が生えてくる。

 魔神は大きく飛び上がった。氷の柱がより大きく空へと伸びていった。どうやらこの攻撃は読まれていたらしい。

 順一も跳び、神器を構えた。魔神の口から再び魔弾が放たれた。だが、今度は回避する必要はない。空中に氷の塊を作る。氷を蹴り、神器を振るう。

 魔弾が裂け、魔力が霧散した。魔神の姿を確かに見据える。

 左手を神器の柄に添える。

 剣を包む氷が巨大な氷の刃となる。


「『彗星壱式・諸刃斬もろはぎり』!」


 神器を全身全霊の力を込め、魔神の体に叩きつけた。

 魔神の体は二つに斬れ、ゆっくりと落下していった。

 氷の刃が砕け散る。順一の体もゆっくりと降下していく。勝った。順一は確信した。

 地面にしっかりと着地した。魔神の切断面からは赤い霧が立ち上っていた。今度こそ終わったのだ。どこまで逃げたのかは知らないが、紡たちに伝えよう。

 踵を返し、立ち去ろうとしたそのとき、肩に痛みが走る。振り返ると、先程倒したはずの兎の魔神が肩に噛み付いていた。

 魔神の頭が順一の肩の肉を引きちぎった。肩から血が滲み出た。とっさに左手で抑え、魔法で凍らせた。

 やがて魔神の体は完全に消え、そこには赤い霧だけが残った。


「……まさか、あの状態で噛み付いてくるなんて。でも、これで全部解決、だよな」


 戦いが終わり、緊張が解けたからなのか右脚の痛みが戻ってきた。


「くそ、骨折なんてしたことなかったんだけどな……」


 順一は痛む右脚を引きずりながら、その場を後にした。

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