Boy

ろくなみの

BOY

BOY


 くたびれたTシャツに、ボロボロのジーンズ姿の少年は、ATMコーナーを後にした。ぼさぼさの髪をかきながら、活気がない様子で猫背のまま歩みを進める、その瞳の奥には氷のような冷たさから、周囲の人は、どこか彼から数メートル離れた場所を歩こうとしていた。

 そのまま少年は自分の財布から大量の札束をポケットへ突っ込んだ。乱雑にしまわれた札束にはアイロンをかけていないシャツのように皺ができ、はみ出た札は紙くずのようにも見えた。

 スクランブル交差点の人込みをまるで幽霊のようにすり抜けながら、信号は赤に変わる。一瞬急ごうと彼は身構えるが、そこに余裕がない様子を見せたくないと思い、そのままポケットに手をつっこみ、わざとゆっくりと歩いた。

彼はアルファベットが書かれた看板を下げたカジュアルな服屋に立ち寄った。まるで常連のような余裕を振りかざし、少年は店内に並べられた季節に沿った服を一つ一つ見定めていく。そんな少年の様子若い店員が顎髭を撫でながら見ていた。その視線に気づいた少年は、すぐさまイヤホンを耳につけ、外からの刺激を遮断する。誰にも気づかれたくなかった。ひっそりとこの町の人々の一部に紛れることを望んでいた。

 それが彼の最初で最後の、最も尊い望みであった。

 だが店員は彼の意向など気にもとめず「この服、この夏の新作なんです。よかったらどうですか?」とあくまで気さくに話しかけてきた。

 少年は店員の接近に対し、思わず視線を下へ向けるが、そこで挙動不審な態度を見せるのは格好がつかないと判断し「いいですね、これ。着てみたいと思ってたんですよ」とあくまでさわやかさを意識し、返答した。

 少年は氷のような笑顔を作る。自分の声が裏返っていないか、不自然に笑っていないか、自分の立ち姿は奇妙ではないかという様々な憶測が脳内で飛び交っていた。

 店員がそんなことを気にもしていないのはわかるが、それでも少年の思考は簡単には止められるものではなかった。

 試着室に入り、薦められた服を思うがままに羽織る。服を脱ぐ過程で自分の肘が隣の壁に当たることを気にし、彼は背中いっぱいに冷汗をかいていた。

 全て試着するも、それが似合うかどうかわからない少年は、それを全て着ていくことにし、全て現金で購入した。ポケットから札束を出す少年を見て、店員は顔を一瞬しかめるが、特に深追いはしなかった。

 少年もその視線に気が付くが、何もやましいことをしていないことは誰よりも自分が理解していた。

 店を後にし、新しい服を身に纏った少年が次に向かった先は、CDショップであった。

 気になるCDを片っ端から視聴することにした少年は、ヘッドホンを耳に当て、目を閉じた。

 その瞬間、さっきまでいた街の存在は脳内から消えていた。音楽を聞いてイメージする世界に彼はすっかりのめり込んでいた。

 それは北欧の町のはずれにある森でたたずむ少女だったり、海の底のさらに底に住む一人ぼっちの王様だったり、崖の上でオカリナを吹いている子どもだったりと、世界は無限に広がった。

 そんなことを続けていたら、いつの間にか時間は夕方になっていて、窓の外の空から見える景色は昔食べたみかんアイスの色によく似ていた。

 CDショップで少年は、気に入ったアーティストのシングルとアルバムを全て購入した。巨大な紙袋は三枚ほどの量になり、華奢な体の少年の方は地面に抜け落ちてしまうのではないかと思うほどの負荷がかかっていた。

 次に少年はいきつけのカラオケ店へ向かった。

 一人で来るのは初めてだ。そこで少年は片っ端から自身の音楽プレイヤーに入っている曲を声がかれるまで歌い続けた。だがそれも三時間ほどで喉が悲鳴をあげ、店を後にした。

 空は暗く、夜が来ていた。星は見えず、どんよりと重たい雲が空を覆う。微かな雨のようなかび臭さがした。街灯の光を眩しく反射する水たまりをまたぎ、足を濡らさないようにと視線を下にしながら歩いていると、ギャルやサラリーマンとぶつかりそうになり、時々舌打ちまでされた。その悔しさを振りほどくように地面に唾を吐いた少年が次に向かったのは、商店街の飲み屋街にある一角の回らない寿司屋であった。

 寿司屋の親父は少年の風貌を見て、店の厳粛な雰囲気にそぐわないと感じ、不愛想に「何にする」と吐き捨てる。

 少年は緊張している様子を隠すように、やや大きな音を立て、足を組んでカウンターへ座った。

「とりあえず特上」

 カラオケで枯れた声を無理やり絞り出したため、少し裏返りそうになるが、親父も客に食事を出さないわけにはいかず、とりあえず特上コースの寿司を出し続けた。

 いただきますと誰にも聞こえないような声で呟き、寿司を口へと運ぶ。まずはトロだ。トロの脂身は普段スーパーのセール品の寿司ばかり食べている少年にとって刺激が強く、一瞬の嘔吐感すら感じたが、慌てて噛まずに飲み込んだ。

口の中の脂っぽさが落ち着くと、まるで魔法にかかったような幸福感に満たされた。

親父の出す寿司を次々と躊躇なく口へと運ぶ。これは自分が今まで食べてきた寿司の概念を根本から覆すものであった。

頭の中でサングラスをかけた男たちが突然手拍子をしながらダンスのステップを踏み出すようなそんな気持ちだった。

そこから約一時間、気が付けば少年の胃は満たされていたのだが、その間の記憶はほとんど失われていた。記憶をなくすほど美味い飯を少年は食べたことがなかった。

調子に乗って日本酒も注文していたようで、店を出るとき、まるで羽が生えたかのような幸せ気分だった。

酔いが回ってきた少年は、まだポケットの中に札束が残っているのに気が付いた。おつりは今までの服や、CD屋、寿司屋のすべてでいらないと告げてきたため、小銭等は一切ない。

すると今度は、アロハ服を着た男が泥酔状態の少年に近づいてきた。

「気持ちいいところ悪いがね、もっと気持ちよくなれるものを売ってるんだ。どうだい? 一つ」

 と少年はポケットから残りの札束を全て取り出し、アロハ服の男に放り投げた。

「大金じゃねえか。これじゃああるもんは全部売ることになっちゃうぜ」

 アロハ男は戸惑いながら白い粉を少年へ手渡そうとしたとき、アロハ男の肩を、黒いジャケットの袖から見える白い手がつかんだ。

「その子はうちのだ。ちょっかいかけないでくれない?」

 肌の白さとは裏腹なほど低く、力づよい女性の声だった。黒いジャケットに黒いズボン。黒い帽子を深くかぶり、帽子のツバからかすかに見える二つの瞳は、よく研がれた刃物のように鋭い光を放っていた。

 アロハ男は舌打ちをしながら、痰をアスファルトに吐き捨て、逃げるように路地裏の外へと走っていった。

 少年はうつろな瞳をしながらしゃがみ込み、膝を抱え込んだ。

「こんなところで、何してるの? 店長」

「あんた、すごい声だね。カラオケで熱唱でもしたの?」

「関係ないだろ?」

「あら生意気ね。服屋の店長が、あんたが大金もってうろついてるって教えてくれて心配したのに」

「別に悪い金じゃないよ。俺のバイト代だよ」

「全部下ろしたの?」

「うん」

「なんで?」

「別に」

 しゃがみ込んだ少年の傍に座り、店長と呼ばれた女性は少年の持っていた紙袋を開いた。そのCDを一枚一枚見て、ぼそぼそと「このアルバムはいい。でもこれはクソかな。センスが偏ってるね」と言いながら、クソと判断したアルバムは左の袋へ。いいものは右へと移動していた。

「こっちのアルバムはいいけど、こっちは聞く価値ないかな」

「そんなの、勝手でしょ」

「少年が一丁前に反抗期か。そんな寂しそうな顔してさ」

「俺がどうなろうと知ったこっちゃないでしょ」

「知ったこっちゃないね。でも、このアルバムを聴かないで一生を終えるやつを私は許さない」

「今この瞬間自殺している人がいてもその人にあなたはそう言うの? 今この瞬間飢えて死んでる人にも、通り魔に刺されて死ぬ人にも、そういうの?」

「言うね。私、このアルバム超好きだから」

「そうですか」

「この中、あのアルバムが入ってないね。明日シフトでしょ? 明日貸してあげるから、ちゃんと来てね。待ってるから」

 店長はそう言うと路地裏を後にした。

「また明日」

 少年はかすれた声でそう言った。

そのままアルコールが回り、強い眠気がやってきて泥のように路地裏で眠りについた。

 まどろみの中聞こえたのは、ティッシュ配りの人の声や、誰かがガム吐き捨てた後、舌打ちをする音に、ポツポツと降ってきた小雨がアスファルトを叩く音だった。

 少年は、ポケットにしのばせていた大量の睡眠薬を排水溝へ投げ捨て、とりあえずバイト先に向かうことにした。

                                     おわり

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