5 マシン、動揺

5-1 敵に塩を送る

 早朝から降りだした雨は、昼過ぎで上がるという予報らしい。でもこの降り方では、そうそう予報どおりにはいかないだろうと僕は踏んでいる。朝一番で雨雲レーダーをチェックしたけれど、上空から雲が抜けるとは考えにくそうだったからだ。

 街道沿いからは、湿気を含んだ甘い土の匂いが薫りたっている。青々と茂った木々の葉は雨粒を弾き、細かくなったそれらを整備された歩道へ落として、やがて水溜まりを作る。

 なんと静電気と無縁な光景か! 皆本がくれた静電気避けブレスレットを着けてはいるけれど、『非人為的に静電気の心配がない』という状況が、僕にとって一番ストレスフリーだ。

 傘をクルリと回して、鼻唄を混ぜてバス停へ向かう。

[マシン、歌下手クソやのー]

「ええ? そうかなぁ。こんなものだと思うけど」

 ライナルトに小馬鹿にされてもダメージは少ない! うん、今日は実に『いい天気』だ。

 バス停に着くと、既に剣がバスを待っていた。声をかけようとしたところで、しかし既視感ある光景に脚が止まる。

[わちゃー。朝から元気やのー、現代の子ォらは]

 多分あの感じ、さてはまた告白されているな。他校の女の子二人と対峙している。恐らく一人が告白して一人は付き添いだろう。

[あんなどこンムスメかわからん奴より、ユズキのがたったとてもいいォやがいね! ツルギ見る目ねーがか?]

 別に剣はあのたちにOKを返してるわけじゃないと思うから、そこまで言わないの。ていうか『皆本の方が~』ってライナルトが薦めないでよ。敵に塩を送るってやつじゃあないか!

[テキニシオォ? なんけェ、塩送っちゃればシオシオォーになるわいね!]

 それ、『青菜に塩』と誤認してない?

[お、シオとシオでかかっとるわ! ブフッ、ナメクジかァいうて!]

「……ソウダネ」

 一人でゲラゲラゲラのライナルトは話にならないので一旦無視。離れた位置で、女の子たちが剣から離れるのを待つ。待っている間にスマホをチェック。

[おー、ユズキからなんや来とるやん。なにけェなにけェ]

 本当だ! 三分前にメッセージが届いている!

 バクバクの心臓で届いた内容を順次確認。ええと? なになに?


『おはよう!』


 挨拶を添えたキャラクタースタンプが手始めに押されている。それは目のまんまるなトラネコで、ビビッドピンクの丸ゴシック体の『おはよう』が、晴れ空のようにエネルギッシュだ。

[日本語ムツカシーて読めんがやけど、そんそのかいらしかわいらしい絵ェはなんやユズキに似とるじ?]

 確かに。大いに確かに。ネコっていう選択すらも皆本らしくてまたかわいい。

[お前……ほんまユズキに対して盲目すぎん?]

 いいでしょ、別に。もはや僕は彼女のファンみたいな立ち位置なんだから。みずからの叶わぬ恋心より、皆本の片想いを応援したい――そんなところだ。

 って。スタンプひとつでこれだけ話題になってちゃいけない。肝心の本文は、っと。


『明日か明後日で真志進くんの予定が大丈夫なら、ウチ来れる?』


[絵ェの下、何て書いたるんけェ]

 明日か明後日で家に来られるか、だって。

[ほーん、ほうけ。ほいだら、マシンの都合次第ねんろ? わかっとるがんやったら、はよ返事しられ]

 言われなくとも。えぇと、『どっちでも伺えるよ』――。

「って」

 ピシャーンと雷に打たれたような衝撃が、遅れてようやく脳天へ突き刺さる。

 この僕がッ! あの皆本に! 『ウチ来れる?』って誘われているんだけれどもッ?!

 目を見開いて、口はあんぐり。おまけにスマホが手から滑り落ちそうになってしまった。それを慌てて拾い上げようとした拍子に、僕の瓶底みたいなメガネがずり落ちる。

[何しとん。もともとそーいう話やったがん忘れっちまったンけェ?]

 忘れてないよ、忘れてない。覚えてたけど! なんか、現実のものとして日を改めて認識してびっくりしたっていうか。こ、こういうの、慣れてないんだよ、剣と違って僕は無縁だから!

「まーしー? 大丈夫?」

「っぶっわぁ?! つっつつつ剣ッ!」

 至近距離の剣。わざわざ傘をくぐって僕を覗いていた。飛び退いてしまったら剣が濡れてしまうので、傘の位置はギリギリキープしたままを努める。

「おっはよん」

「おっ、おはよ……」

 ぎこちない笑みと共に返す挨拶。スルリとスマホをスラックスポケットへ滑り込ませて『一旦保留』に。

「こんな離れたとこに立って。どした?」

「えっ! あっ、いやー、あー……」

「もしかして見えてた? さっきの」

「え、えと、他校のたちと『話してた』っぽいやつ?」

「あは。ま、それですわ」

 首肯と、はにかんだような困ったような笑み。僕の傘から抜けて、剣は僕の左隣に並び立つ。

 低く、小さく、あまり触れてはいけないことこように訊ねる僕。

「いつものだった? やっぱり」

「うん。けど、お断りいたしました」

「そっか」

[断ってしもたンけ。ユズキに続き、バッサバッサ斬り倒していく男やなぁ、ツルギだけに。……ブフッ! 傑作ッ!]

 無視。

 一方で、どこかシュンとしている剣に僕は首を傾いだ。

「なんか言われた? 元気ないけど」

「うーん……」

 剣の生返事。これは、言いたいけど言い出せない合図。

「無理強いはしないけど、僕、聞くくらいならいくらでもするよ。剣のツラかったりキツいこと、少しでも緩和できるならいくらでも。ほんとに」

 僕が剣にいつもそうしてもらっているから、僕もそうして返したい。これは常々願っていることだ。

 傘の布地に雨粒がボツボツと当たる。それに隠れて深呼吸をしたあとで、剣はもう少し口角を上げた。

「俺、実は最近フラれてさ」

「そっかぁ……」

[ほーん……]

「ん?!」

[おんん?! なんやて?]

 つ、剣が、フラれた? あ、あは、まさか。悪い夢に違いない。

「あの。フッたんじゃなくて?」

「逆。俺が告った側」

 ていうか、剣をフる女の子って存在するの? この世に? あは、そんなバカな。こんないい男を放っておけるわけがない。

[やかましっ。マシン混乱しすぎやがいね。ちょお黙っとられ]

 だって。前代未聞だよこんなの。何年間剣と付き合ってきてると思ってんの。

 剣は寂し気に瞼を伏せる。

「だから、まぁしばらくは傷心状態ってワケでして。近々きんきんはその以外考えられそうにねーなーっていうやつで、お断りしたのですよ」

「ごめん。僕、剣が傷付いてることに全然気が付かなくて」

「当たり前。超隠してたし!」

 一転、晴れ空のような笑顔が僕を向く。

「このことまーしーに隠しとくの、実はめちゃめちゃハードでさァ。俺、まーしーに隠しごとすんのマジ向いてねーわーって思った」

 うぐ、それは僕にも痛烈に刺さります……。

「俺が隠しごとしてる間、多分態度に出たりしてまーしーとぎこちなくなってくような気ィしかしなくて。そしたら変に意識しちゃって、どんどんまーしーと普通に話せなくなってったから、モヤモヤしたんだよね」

 それで様子がちょっとおかしかったのもあるのか。僕だけがぎこちなかったわけではなかったんだ。

「そんなことしてたら、まーしーにそのうち『面倒くせー』って思われるかもーってぐるぐる考えちゃったりして。アハ、俺案外繊細ィー」

「え? いやいや、そんなこと思うわけないでしょ、何年間一緒にいると思ってんの」

「そうだけど。例えば一生女の子に好かれなくなったって平気だけど、まーしーに嫌われるのだけは耐えられねーもん」

「剣……」

「だから怖かった、まーしーと本音全開で付き合えないの。ぶっちゃけフラれたことよりキツくて。フハッ、マジでまーしーのこと大好きだからさぁ、俺」

 なんか、全方向に同感だ。剣は唯一無二の親友だ、子どもの頃からずっと一緒なんだ。剣が傍にいない日々なんて嫌だって、誰に対してでもすぐに言える。

[兄弟同然、ちゅーこっちゃな]

 うん。多分、そうなのかも。こんなの、素直に嬉しい。剣も小さいときからずっと変わらずに、今でも僕と同じ気持ちでいてくれているだなんて! ああ、僕の中にある小さくて渇ききった承認欲求が、一気に潤い充ちていくようだ。

「ごめんな、まーしー。つまんねー隠しごとして」

「ううん! そんなの気にしてないし謝ることじゃあないでしょ。剣がフラれるなんて天変地異が起こってもおかしくないくらいだと思うけど、きっとさ、その的に何かしらのタイミングが悪かっただけだよ!」

 と言いつつも、ありきたりなことしか言えてない自分が恥ずかしい。

「フフッ! サンキュ。あんね、俺がフラれたのは、そのに好きな人がいたからなんですよ」

「わちゃあ、それは致し方ない……」

「だろォー? だからさァ、しばしの傷心なのです。ぐすん」

「ぼ、僕だったら、剣に告白なんてされたら、剣のことよく知らなくたって僕に他の好きな人がいたって、きっと即OKするよっ」

「ええー? マジかよ。嬉しすぎて結婚するわ」

[……お前ら、ワシん前でマジにイチャイチャせんでや? ワシの趣味やないげん]

 ドン引きライナルトは置いておいて。

「そ、それに剣は、いろんな人から認められてるよ。さっきも告白されちゃうくらいだし、いつもビシッと魅力的だから。ねっ!」

「うん、うん。ありがとな、まーしー。ちょっと元気になってきた」

 白煙を引き連れてバスが到着。順次傘をたたみながらバスへ乗り込んでいく。

「僕、剣に好きな人がいたってことも知らなかった。ごめん、そういう相談にすらのれなくて……」

「しゃーねーよ、俺が黙ってたんだから。気にしなさんな」

「う、うん……」

「もー。俺がまーしーに慰めてもらおうと思ってたのに、いまどっちが慰めてんだよっ」

 小刻みに笑う剣にいつもどおりの空気が戻る。ちょっとだけホッとして、僕はひとつ「そっか」と笑った。

 平日の朝はさすがに満席だ。僕と剣は、前方で吊り革に掴まりながら並び立つ。

「そういうまーしーは?」

「え?」

 吊り革を挟んで、剣が笑顔で僕を覗く。

「まーしーは、まだ告ったりしないわけ?」


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