2-5 ひねくれもん
放課後になると、部活動勢は騒がしく教室をそれぞれ出ていく。夏の大会が終われば引退になることもあり、きっと気合いの入り方が通年とは違ってきているのだろう。
一番始めに剣から「まーしー、気を付けて帰れよー」だなんて大きく声をかけられた。それに対してかすかにザワッとなる教室内を、剣は本当になんとも思わないんだろうか?
[思っとらんから無反応ながいぜ]
まぁ、そうですよね。
赤面を隠すように、剣から借りた古典のノートを慌てて取り出して、僕は自席でその書き写しを始める。
今日はその他にも自習をしておきたい。とっとと終らせてとっとと帰ろう。家で勉強をやってもいいんだけど、家だとライナルトが僕の精神を引き込める状態になってしまう。そうなると確実に勉強どころではないから。
ブンブンと首を振って、邪念を飛ばす。ライナルトがなんと声をかけてきても、無視して勉強しておかないと!
[マシンよ]
知らんぷり。
[ずぅっとお
えーっと、剣のノートによるとここはこうなって……。
[約束あったやろ? あれどうなっとんけェ]
約束は英語でプロミス……いやいや、約束なんて単語はここに出てきてないしそもそも古典だし。混同するな、僕。
[ミナモト待っとんやないがん? どこやらで]
「ん?」
目を上げる僕。皆本が待ってる? 誰を?
[忘れとんかいや! 昼前に言われよったやんけ、訊きたいことあるゥいうてやな]
「わあーっ?!」
ガタタ、と立席。そうだそうだそうだ、僕としたことがーっ!
周囲にまばらに残るクラスメイトたちがぎょっとしていたけれど、いまは構っていられない。机の上をそのままに、慌てて教室から走り出る。
なんてことだ、どうしよう! 皆本との約束をすっぽかしてしまった! 剣の、僕を
[おっちょこちょいやのー。ワシがいてよかったやん。なァ?]
えぇえぇそうですねありがとうございました一生懸命声をかけてくれて多大なる感謝を申し上げますっ!
二階の渡り廊下だったな、と
ゼハゼハと不格好に息を切らしてようやく辿り着いたときには、すっかり部活動の始まる時間を過ぎていた。もうさすがに居ないだろうと辺りを見回すと、しかしそこにはまだ皆本後ろ姿が。よがっだああ、待っててくれた!
と、一安心したのも束の間だった。
「ん?!」
僕は慌てて物陰――渡り廊下付近の太めの柱に隠れる。そっと左目だけを覗かせて、その様子を窺う。
僕は渡り廊下のこちら側、皆本は渡り廊下を渡った向こう側に僕を背にして立っている。その皆本と対面になるように、誰かが一人、なんとなく俯きがちに立っている。幸か不幸か、二人が何を言っているのかはさっぱり聞こえない。
けれど、そんな二人の姿からなんだか嫌な予感がした。自分の心臓がバグンと一度強く打ち鳴ったのが聞こえて、そこから鼓動が速まっていくのがわかる。生唾ごくり。指先が震えるからギュウと
[わーちゃあー。ありゃ告白場面やねけ]
やっぱり、そうだよね。あの感じ絶対にそうだよね?
[おん?! ちょお待てや。あれ、ツルギやない?!]
更に『やっぱり』ぃー?! なんとなくそうじゃないかなと思っていましたあの頭部とか立ち姿で!
ガァーン、と、まるで
[ぶゎっハハハ! マシィーン、どーするん? ミナモト告っとんやない? ん? 諦めるん? んー?]
ライナルトの茶化す声が遠い。暑さとは違う冷や汗が出てくる。
親友も好きな
「うぐっ……」
皆本は、きっと剣に告白したんだろう。僕に何を訊ねようとしていたのかなんて、いまとなれば簡単な話だ。というか本当に予測どおりだった。
やはり、剣に好きな人や付き合っている人がいないかを確かめて、いないと判明した上で告白しようとしていたんだ。けど、僕が来るのが遅くなったがために待ちきれず、さっさと剣に告白してしまったに違いない。そういう場面なんだ、あれは。そうだ、絶対にそうだ。
だって剣は何度も言うけど、初夏の陽射しのようなまばゆいイケメンだ。スポーツ万能成績優秀、明るくて冗談も上手くて分け隔てなく優しい彼に、欠点なんて思い付かない。
対する皆本だって、三年生屈指の美人かわいい、いうなればマドンナ的な存在だ。交流も広くて人望もあつい。得意な国語は全国模試で一〇位に入るぐらいだから、学力に於いても良い方だろう。
[マシンかて成績いいがやろ? 確かずぅっと学年一位やなかったけェ]
そうだけど、それを引き合いに出したところで二人に対向できるような特別事項にはならないよ。
はぁ。二人はくっつくべくしてくっついたと言えるだろう。いままで僕があの二人に仲良くしてもらえていたことがちょっとおかしかったんだ。そうだ、きっとそうだ。
[なんけぇそれ。ヒネクレモンめ]
皆本はいい返事を貰えたのだろうか。
まぁ、あの剣だからなぁ。さすがに剣だって、あの皆本から頬を染めて上目遣いかなにかで「……好きです」なぁんて言われてしまったら、快諾するに決まっている。
[そりゃマシンの願望やわいね]
剣は中学生のときに一人二人と付き合っていたことがあるけれど、高校に入ってから彼女はまだ一人もいないはずだ。告白された回数がたっくさんあるのは僕も知っている。覚えきれないくらいある。それだけ頻繁に告白をされている。
けど、全部断っていたはずだ。あぁ、だから皆本は怖じ気付いたんだろうか? いやいやいやいや、皆本がフラれるわけがない。考えすぎだよ皆本。
[それ、考えてて悲しないけェ]
悲しいに決まってるだろ、ライナルトのバカ! わああん、もう無理だ。望みなし。自分自身がいたたまれない。
[ぬ? ちょ、マシン黙っとけ。なんやら様子変やぜ?]
へ? 様子?
[視線! ちゃんと
うるうるの涙を拭って、ライナルトの言うとおりに思考を黙らせる。二人を注視すると、剣は向こう側で苦笑いをしている。皆本はといえば、なんと。え?!
[啜り泣いとるやん……]
ど、どういうことだ?! ま、まさか、剣は皆本をフッた、のか?!
状況把握がままならないまま二人の観察を続ける、僕とライナルト。ハラハラドキドキが僕の涙を引っ込める。
[よぉ聞こえんがやちゃ。もーちぃと大きい声で喋られんがかなァ?]
大声でよくない返事なんてしないだろ、デリカシーないなぁ。
[あっ、ああっ、ツルギどっか行きよった! ミナモト一人ンなったぜ? マシン、早よ行ってこられ。フラれたミナモトに優しィくしてやらんなん!]
そんなこと出来てたら今頃僕だって剣みたいになれてただろうよ!
[けどォンね、このままやとミナモト一人やぜ? 泣いとんやないん?]
でも、こういうときって泣き顔見られたくないもんじゃあないのかな。
[お前約束破って遅れよったやん。そんヘマの挽回でもせんかい、ダラボケ!]
ああもう! わかったよわかった、わかりました! 皆本に恋愛対象として見られていないことくらいわかってましたしね。えぇえぇ、今更ですものね! 優しい言葉をそぉーっとかけてまいりますよっ。
と、大見得をきったものの。ちょっと待て、『僕』だぞ。引っ込み思案の真志進くんだぞ? そんなことできるわけが……。
[だー、
僕が行ってきます。
「皆、皆本っ。すっかり遅れてごめん!」
うぅ、声が裏返ってしまった。最悪すぎる。どこまでも格好がつかない。けど、遅れてしまったことはきちんと伝えられた気がする。うん、いま辿り着いたような感じはした、と思う。
「え、ま、真志進くんっ?」
皆本は目を見開いて僕を振り返った。目尻に残る涙を拭った仕草は見なかったことにしておく。
「びっくりしたぁ。真志進くん来てくれないかもって思ってたら、急に声が聞こえて」
「ごっ、本当にごめん。あの、忘れてたわけじゃなくて、いやその、忘れ、えっと……」
「ううん、いいの。呼び出したのわたしなんだから、真志進くんは気にしないで」
そっと笑んだ表情が、どこか痛々しい。それはフラれた場面を見てしまった後だからだろうか。くうぅ、こっちまでつられてしまいそうだ。
「そぼっ、そういえば皆本、ぼぼ僕に訊きたいことあるんじゃなかったっ?!」
「あ、う、うんっ。えっと、あのね、その」
訊いておいて即後悔。告白した後なんだから、今更訊くことなんてないだろうよ! しかも皆本の傷を
「ごめんっ。やっぱり、また今度にしようか」
「……え?」
「ぼ、僕が遅れたのがいけないんだけど、皆本もほら、もう部活始まってるでしょ? 時間また改めて、ゆっくり取ってさ。ね?」
不思議そうに僕を見上げる皆本の表情がかわいいのなんのって。うう、直視に困る。
「明日の同じ時間は……あぁ塾だ。あ、お昼。明日のお昼はどうかな、二人で話せる?」
エヘエヘしてしまう、やっぱり格好のつかない僕。はあ、キリッとシャキッと決められたらいいのに。そんなことを思っていたけれど、皆本はいつものように柔くふんわりと笑んだ。
「うん。ありがとう、真志進くん。じゃあ明日のお昼、改めてお話させてもらってもいいかな?」
「ももももっちろん! ふ、二人でのが、いい?」
「で、出来れば、うん」
「じゃ、じゃあっ、二人で。えっと場所……」
「中庭は?」
「中庭ねっ! わかった。お昼に中庭。了解であります」
[なんけぇ、そン口調。緊張しすぎやわいね]
そのとおりだ。皆本もクスクスと小さく笑っている。は、恥ずかしい……。
「じゃあ真志進くん、また明日ね」
「う、うんっ。また!」
愛らしい笑顔を残して、皆本はそっと僕に背を向ける。
「皆本っ」
「うん?」
「あ、ええと……」
フラれてしまったのは、悲しいことだ。想像しなくたってわかる。だからせめて好きなことくらいは、皆本の笑顔が輝く時間にしてもらいたい。なんとなくその一心で、声をかけたくなった。
「今日の、部活。み、皆本が誰よりも、楽しんできてねっ」
不安な想いを少しでも解消させてあげたい。そのためには、僕も笑って見せなくては。ぎこちなくても格好つかなくてもいい。僕が笑ってることで、皆本の笑顔が見られるならそれでいい。いま僕が言えることや出来ることは、このくらいだろうから。
「ありがとう。真志進くんにそう言われて、なんか元気出たよ」
「ほんと?」
「うん、本当!」
「それならよかった」
皆本が笑ってくれると、それだけでほっとする。皆本は一歩、二歩と後ろへ下がる。
「そろそろ行ってくる。真志進くんの言うとおり、今日の部活はわたしが一番楽しんでくるからっ!」
タッと駆けていく背中。翻る制服のスカート。
「また明日ね!」
「う、うんっ!」
たとえ一瞬だったとしても、皆本が「元気出た」と言葉にしてくれただけで、僕が話かけに出ていってよかったと思えた。
「ライナルト」
[おん?]
「ウジウジの背中押してくれて、ありがとう」
小さく独り言のようにお礼を告げる。ライナルトはしばらくの後に「
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