第三章 賢者は美味しいと言わせたい②

「まあいいわ。小腹も空いてきたし、この話はおしまい。粉をふるいにかけるんだったわね。アタシがボウルを押さえておくから、モス、あなたがやりなさい」

「リヴさん、まさか、オイラのために見せ場を!?」

「楽そうな方を選んだだけよ」

「ッスよね……」


 私が特等席で鑑賞したいがために、二人にはテーブルの上で作業してもらうことにした。

 リヴちゃんが前足を使ってボウルを挟み、さらに鼻先を、むぎゅっと押し付けることで固定――というより、前足が短いから必然的に当たってしまうんだね。

 目の細かいざるに、計量した薄力粉とふくらし粉を入れるところまでしてあげると、それをモスくんが、リヴちゃんと同じく前足を使ってひょっいと持ち上げた。その間、後ろ足だけで人間のように器用に直立している。この動画だけでお金が取れそうだ。


「早くなしゃい。呼吸しにきゅいわ」

「で、ではいくッス!」


 気勢を発し、モスくんがざるを左右に振り始めた。

 しゃかしゃか。

 しゃかしゃか。


「いいよいいよー。その調子」


 しゃかしゃか。

 しゃかしゃか。

 集中しているモスくんが無言になってしまったので、脳内で台詞をアテレコしてみよう。



 んしょ、よいしょ、頑張るにゃんにゃん、ファイトだにゃん。


 尻尾と一緒にふりふりにゃん。


 にゃんだば。にゃばだば。おいしーおやつを作るにゃん♪



 なるほど、これがアニマルテラピーか。凄まじいヒーリング効果ですな。

 ただ、やっぱりモスくんの小さな体とネコの手で行うには難易度が高いらしく、結構な量の粉がボウルの外に零れ落ちてしまっている。どうやらホットケーキは一回り小さく焼くことになりそうだ。


「もしゅ、こぼししゅぎじゃにゃいかしら」

「にあっ、申し訳ないッス! すぐに何か拭く物を!」

「いいからしゃっしゃとにゃしゃい」


 瞳を除けば唯一色のついていたリヴちゃんの黒い鼻が、みるみる白く塗り潰されていった。役割分担を自分から申し出た手前、それ以上の文句をつけるのを我慢しているように見える。

 皆の視線が集まる中、モスくんがざるの中身を全てふるい落とした。


「姐さん、こんな感じでどうッスか!?」

「即日一〇万再生はいくと思う」

「姐さんの例えはよくわからないッス」


 リヴちゃんの顔についた白粉を軽く手で払い落としてから、濡れタオルでぽんぽんと丁寧に拭いてあげる。女の子の顔は、いつだって綺麗にしておかないとね。


 さて、次はいよいよアグリの番だ。

 ボウルをもう一つ用意する。ここに卵を割り、ヨーグルト、牛乳、砂糖、塩を一度に加えて混ぜてもらう。


「やってくれるね?」


 ヒットマンにピストルを渡すような緊張感を伴いながら、アグリに卵を一個差し出した。

 本当は二個使うつもりだったけど、予定より粉が減ったので、一個でちょうどいい。

 重々しく頷いたアグリが、「がんばる」と言って卵を受け取った。


「その卵、村長の家のニワトリが産んだものなのかしら?」

「さすがはリヴちゃん、お目が高い」


 何気なくされたリヴちゃんの質問に、私は待っていましたとばかりに食いついた。


「何を隠そう、この卵は、アグリが村長さんところのニワトリのお世話を手伝ったお礼としてもらってきた卵なのです。何が凄いかって、アグリがね、自分からお仕事が欲しいって言ってきたんだよ。まだ8歳なのにだよ? ほんともうびっくりしちゃった。ウチの子、可愛いだけじゃなくて、超々々良い子なんですけど。すごくない? すごいよね?」

「そうね。立派だと思うわ」

「だよね! ヤバいくらい良い子だよね! 最近、真面目に考えちゃうよ。いっそ魔法使いを廃業して、この子の素晴らしさを歌で語り継ぐ吟遊詩人にでも転職しようかって」

「あなたは別の意味でヤバいわ」


 アグリの良い子っぷりが神がかっている。

 それ自体はいいことだ。だけど、手放しで喜ぶわけにもいかない。

 仕事が欲しいなんていう子供らしからぬ発想は、自分が他人に……私に迷惑をかけていると考えているからだろう。

 完全に気を許してもらうためにも、もっと家族としての時間を増やさないと。

 このホットケーキ作りも、その一環と言える。


「今度、村の子供たちも呼んで、お菓子作り教室でも開いてみようかな。ちょっと心配はあるけど、アグリにも同年代の友達がいた方がいいと思うし」

「それなら心配いらないッスよ。お嬢はもう、村の子供たちの間で大人気ッス」

「え、何ソレ知らない。モスくん、詳しく」


 アグリは卵の構え方を試行錯誤しており、こっちの話は聞こえていない。

 私としては、まったくそんなつもりはないんだけど、皆が言うには、私はどうにもアグリに対して度を超えた過保護になってしまうらしい。教育上、それは良くないからと、村長さんの家に同伴するのを断られていた。

 アオバは来ちゃだめー。

 と、言われた時は、ショックで心臓が止まるかと思った。

 そんなことがあり、傍にいても違和感のないモスくんに付き添いをお願いしていた。


「えっとですね、最初は普通に鶏舎の掃除をしていたんスけど、いつの間にやらお嬢を近くで見ようと、結構な数の村人が集まってきたんスよ」

「それは仕方ないよ。こんな田舎に天使が降臨したら、嫌でも注目を浴びちゃうもの」

「あー……はい、そッスね」


 返事が適当だけど、これもまた仕方ないか。

 アグリが天使級に可愛いなんてことは、今さら言うまでもないことだった。


「お嬢が賢者の連れだってことは、村人全員が知っているんで、大人たちは気安く話しかけてきたりしなかったッスけど、子供たちは興味津々だったんス」

「ふむ。続けて」

「男の子の一人が言ったんス。『お前、可愛いから俺のお嫁さんにしてやってもいいぞ』って。偉そうにしつつも精一杯って感じが伝わってきて、見ていて微笑ましかったッスね。そしたら他の子たちも、ズルい、僕も、みたいなことを次々言い出したんスよ。すごい人気でした」

「その男の子たちって、どこの家の子?」

「そこまではわからないッスけど、皆仲良さげでした。女の子たちも、お嬢を歓迎してくれていましたし。あれなら、すぐに打ち解けられると思うッス」

「それも大事だけど、今はそういう話をしているんじゃないの。アグリをお嫁さんにするって言った輩の個人情報が知りたいの」

「輩て」

「例えば、兄弟姉妹が多くて一人くらいいなくなってもすぐには発覚しない、とかないかな。それだとやりやすいんだけど」

「何をやる気ッスか。姐さん、子供相手ッス。冷静になってください」


 やっぱり外はオオカミでいっぱいだ。過保護だと言われようと、目を離せそうにない。

 今後の方針を真剣に考えていると、アグリが何やらおかしな行動を取っていた。

 割るでもなく、食材の声を聞こうとするかのように、卵に耳を近づけている。


「どうかした? 割り方がわからないとか?」

「ん、とね」


 大事そうに卵を掌で覆うアグリは、質問すること自体を、どことなく気まずそうにしているように見える。ダメだよ。遠慮なんかしちゃ。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥だからね。気になることがあるなら、ちゃんと質問しなさい。


「…………ヒヨコ、中にいない?」


 私は自分の額をぺちんと叩き、天井を仰いだ。


「リヴちゃん、モスくん……どうしよう。質問が可愛すぎて立ち眩みする」

「踏ん張りなさい」

「お嬢、安心してください。この卵にヒヨコは入っていないッスよ」


 萌えすぎて膝が抜けそうになっている私に代わってモスくんが答えてくれたけど、アグリは納得できないのか、まだ不安そうに眉をひそめている。


「どうして入っていないってわかるの?」


 ん、んん~~~~。

 これは、かなり難しい質問ですぞ。無精卵について、どこまで答えていいのやら。

 リヴちゃんとモスくんに視線でヘルプを求めるが、サッと目を逸らされてしまう。


 うむむ、困ったぞ。

 赤ちゃんはコウノトリが運んでくるとか、キャベツ畑で生まれるだとか、明らかに間違った知識を与えたくはない。でも、うーん……詳細は、あと三年くらい待ってほしい。

 どう説明したものかと頭を悩ませていると、アグリが「もしかして」と先手を取った。


「村長さんのおウチのニワトリさんは、けっこんしていないの?」


 ピュアッピュアだ。

 なるほどね。アグリは男女が結婚したら、子供が自然発生すると考えているわけか。

 これも正しくはないけど、少なくとも、コウノトリやらキャベツ畑よりは現実を見ている。

 8歳なら、このくらいの知識が妥当じゃないかな。個人の感想です。

 よし、これでいこう。


「そうなんだよ。あそこのニワトリは全部雌鶏だから、旦那さんになる相手がいないの」

「そっかー。アオバと同じだね」


 ええ、そのとおりです。そのとおりなんだけど、なんでかな……。悪気のない言葉だけに、胸の深いところまで突き刺さる。


「まあ、そういうわけだから、気にせず割っちゃいなさい」

「うん!」


 心配の種がなくなり、にぱーっと朗らかに笑ったアグリが、卵を右手で鷲掴みにした。

 そして、頭の位置よりもさらに高くかかげる。

 おや? まさか、そこから行くのかな? そんなわけないか。さすがに高すぎ。


「えやっ」


 あ、行った。愛らしい掛け声とともに、テーブルに向けて垂直降下。

 殻に軽くヒビを入れる、なんて生やさしいものじゃなく、ぐしゃり! と鈍い音がした。

 卵は粉々になり、内容物がテーブルの四方八方に飛び散ってしまった。


「……豪快ね」

「さすがは魔王様の御子ッス」


 リヴちゃんとモスくんの顔にも、爆散した卵の中身がべったり付着している。

 想像していた結果と違ったのか、アグリが顔を青くした。


「ご、ごめなさ……」

「ドンマイ。最初から完璧にできる人なんていないよ」

「思うに、ほんの少しだけ力みすぎていたんじゃないかしら」

「限りなく成功に近い失敗だったと思うッス!」


 皆してすかさずフォローを入れる。なんだかんだ言って、私以外の二人もアグリに甘い。

 ずきんの上から頭を撫でてやると、私の表情を確認したアグリが、ホッとしたように緊張を解いた。失敗を怒られると思ったんだろう。そんな顔をさせてしまうのは、まだ家族としての積み重ねが足りていない証拠だ。もっと私のことを知ってもらわないと。


「もう一回やってみる?」

「やってもいいなら、やりたい」

「そうこなくちゃ。次は、今の半分――……の、さらに半分くらいの力でね」


 頑張れ。一度や二度の失敗を恐れない、強い子になりなさい。

 新しい卵を受け取ったアグリが、深呼吸をして息を整えた。

 そして今度は、さっきよりも低い位置、肩の高さで卵を構えている。

 溜めが長い。慎重に呼吸とタイミング合わせている。


「…………。やっ」


 カツン、とテーブルにぶつけ、卵に小さなヒビを入れた。

 今度は中身も零れていない。先の失敗が活きている。

 次にボウルの真上へと移動し、卵の両端を指先で摘まむようにして持ち替えた。

 その様子をハラハラと、手に汗握りながら見守る。

 ヒビ割れに引っ掛けた親指が、くしゃ、と音を立てて内側に入り込む。

 ゆっくり、ゆっくり、パキパキ……と割れ目が広がっていく。それは、割るというよりも、むしるといった方が正しいかもしれないけれど。

 開かれた殻の中から形の崩れた卵黄が落ち、遅れて透明な卵白が、とぅるん、と流れ出た。


「……できた!」


 半分ずつになった殻と、ボウルの中、そして私の顔を、忙しなくアグリの視線が走り回る。


「上出来じゃないかしら」

「うんうん、上出来ッス」


 ボウルを覗き込んだリヴちゃんとモスくんが、満足げに首肯した。

 しかし、私はその意見に不満を抱く。


「これが上出来? 二人とも馬鹿を言わないで」


 辛辣に言い放った瞬間、ピリリと空気が張り詰めた。

 リヴちゃんの黒々とした真ん丸の瞳が、鋭利な刃物のように細められる。彼女の周囲にある魔素が急激に冷え、椅子とテーブルに霜が降りていった。


「ちょっと殻が混じった程度で、これも失敗だと言いたいの? らしくないんじゃない?」

「姐さん、それは厳しすぎじゃ」

「厳しすぎるのは二人の方だよ! 二回目で、もうできちゃったんだよ!? 上出来どころの話じゃないって! 天才でしょ!」

「平常運転だったわね」

「姐さんは、やっぱり姐さんッス」


 何か誤解でもあったんだろうか。二人が肩の力を抜いた。リヴちゃんは胴と顔がつながっているので、どこが肩かわからないけど。


「将来の仕事はパティシエなんていいかもね。アグリに似合いそう」

「ぱてしぇー?」

「お菓子を作る職人さんだよ。ケーキとか、クッキーとか」


 スイーツに囲まれる想像でもしたのか。アグリが「ふわぁ」と幸せそうに口元を綻ばせた。

 かと思いきや、「でも……」と続き、困り顔に変わってしまう。


「別に、無理にってわけじゃないよ? 軽い気持ちで言っただけだから」


 子供の進路を勝手に決めるようなことはしちゃいけない。あくまでも、可能性の一つとして示し、子供が興味を持ったら全力で応援する。それが親の務め。

 思えば、ウチの親もそんな感じだった。当時は意識したこともなかったけど、本当の意味で親の偉大さを知るのは、自分が子供を持つようになってからなんだろうね。

 それはそれとして、アグリが両手の指を絡ませてもじもじ。口を開きかけては閉じを何度か繰り返している。何か言いたそうだ。


「アグリ、言いたいことがあるなら、ちゃんと言葉にしなさい」


 あ、今の台詞は親っぽかったかも。

 可愛がるだけじゃ、良い親にはなれないよね。時には威厳も必要だ。


「えっと、ね……」

「うん、ゆっくりでいいから話して」


 きっと、アグリには他に夢があるんだろう。その夢について話そうとしてくれている。

 心して聞かないと。それがどんなことであれ、応援する心積もりだけはしておく。


「ぱてしぇー……アオバは、やらない? アオバといっしょにが、いい」


 その言葉が耳に入り、脳が理解するより早く、私の腕は脊髄反射でアグリを抱きしていた。威厳もへったくれもない。愛しさが臨界点をあっさり突破した。


 あーーーーーーーーーもう!!

 あーーーーーーーーーーーーーーーーもう!!

 可愛すぎかッッッ!!


 我ながらボキャブラリーが貧困だと思わなくもないけど、他に言いようがないんだもの。

 親子でパティシエ。最高じゃない。なるよ。私、パティシエになってみせる。


「吟遊詩人になるって言っていなかったかしら?」

「歌いながらケーキを作ります」

「ウキウキね」


 こんなこと言われて浮かれるなって方が無理ですってばよ。この子のためなら、古今東西、ありとあらゆるスイーツを極めた世界一のパティシエにだってなれる気がする。


「うー。アオバ、くるしぃ……」

「ああっ、ごめんね!」


 愛しすぎて、つい我を忘れてしまった。

 これは、あれだ。

 世の中のお父さんが、あの有名な台詞を言ってしまう気持ちが今ならわかる。

 村の少年たちよ、悪いけど――――ウチの娘は嫁にはやらん。

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