第20話 エピローグ

 翌朝。

 文太郎は納品先の会社に赴き、丸太をトラックのクレーンで下ろしていた。

 屋外の木材置き場でその作業をし、丸太をすべて下ろし終わったところ――。

 そこへ一人のじいさんが近づいてきた。

 丸めた新聞紙を手に持つじいさんだ。


「おい、そこの猿顔」


 じいさんは不機嫌にそう呼びかけてきた。

 ここには文太郎しかいない。

 つまり、猿顔とは自分のことを意味する。


「おい、じいさん。人を猿呼ばわりするとはいい度胸だな。あんたの老い先短い人生を、今ここで終わらせてやってもいいんだぞ」


 文太郎はちょっと脅すつもりで、そこらに落ちている角材を手に取った。

 いくら目上の者であっても、失礼なじいさんには教育的指導が必要だ。


「おい、猿顔。わしを誰だと思っとる」

「どうせ朝の散歩でもしてる暇なジジイだろ」


 するとじいさんは、ポロシャツの胸ポケットから名刺を取り出した。

 差し出されたそれを受け取ると、そこにはこのようなことが書かれている。


 ――(株)テントウムシ木材 代表取締役社長 若山富次郎


 丸太の納品先の会社名だ。

 そして名刺には、雲の上の存在を意味する役職名が記載されている。

 文太郎は角材をポイッと放り投げ、ビシッと起立の姿勢を保った。

 そして腰が骨折する勢いで深々と頭を下げる。


「す、すいませんでしたーッ! 社長様とは知らず、大変失礼しましたーッ!」

「ところで、猿顔。納品する丸太はこれで全部か?」


 じいさんは顎をしゃくり、地面に積み上げた丸太に目を向ける。


「はい! これで全部であります!」

「それにしては数が少ないんじゃないのか?」


 数が少ないのは当然だ。

 丸太はマサイ族がバリケードに使ったし、そのバリケードもトラックで破壊した。

 つまり、半分の量しか納品していないのだ。

 発注した社長がそれに気づかないわけがない。

 しかし、文太郎はその事実を口にすることができなかった。

 その事実を口にすると、警察にしょっぴかれて面倒なことになる。


「おい猿顔、これを見ろ」


 するとじいさんは、手にした新聞紙の一面記事を広げた。

 高架橋の崩落現場がデカデカと載る記事だ。

 その空から写した写真には、橋のたもとで何十本もの丸太が転がっている。


「そ、それがなにか……?」


 文太郎もシラを通すほかはない。

 この事件のまっただ中に自分がいた。

 いっときは脳の異常を疑っていたが、こうして記事になっている以上、すべて事実だったのだ。


「ここに丸太が転がっているな」

「丸太のような気もするし……丸太じゃないような……」


 文太郎は目をしばしばさせて老眼を装った。


「この記事にはこう書いてある。高架橋が崩落する直前、外国人観光客の集団が丸太でバリケードを作ったとな。そのおかげで、車が一台も崩落に巻き込まれることはなかったらしい」


 記事にはお手柄外国人の集団写真も写っていた。

 赤い民族衣装を着たマサイ族だ。

 その中には満面の笑みでピースサインをするマサオもいる。

 しかもその隣には、マサオと肩を組むクマモンもいた。


「バリケードに使われた丸太は、トラックに積まれていたものだそうだ。そのトラックは忽然と姿を消し、今も行方がつかめとらん。もしかして猿顔、心当たりがあるんじゃないのか?」

「いや……まったく心当たりがないですね……あ、チョウチョだ」


 文太郎はモンシロチョウを追いかけた。

 追いかけたくて追いかけているわけではない。


「ふん、まあいい。だがもし、わしの発注した丸太がそれに使われたのなら、わしも人助けの役に立ったということになるのかもしれんな。あくまでも、もしもの話だがな。じゃあ猿顔、気をつけて帰るんだぞ」


 じいさんはふっと笑みを浮かべ、丸めた新聞をさよなら代わりにその場をあとにした。

 百パーセント、見抜かれている。

 そして、こちらの訳ありな事情を察し、それを伏せてくれた寛大な心意気。

 さすが雲の上の存在だけのことはある。

 文太郎はじいさんの背中に一礼し、己の瞳に涙を滲ませた。

 そしてトラックに乗り込むと、納品を済ませたその足で、さっさと北海道に帰ることにした。

 少し熊本観光しようと考えていたのだが、そんな気分になどなれなかった。

 むろん、このどんよりと落ち込む心の原因は、エリコだ。

 知り合ったばかりとはいえ、彼女のことが本当に好きだった。

 ただ、エリコから聞いた話はいまだによくわからない。

 自分のトラックに轢かれて死んだだの。

 異世界に転生しただの。

 その未来から自分を助けにやってきただの、そんな話だ。

 文太郎は熊本市内を走りながらそれについて考える。

 しかし、頭がこんがらがってしまい、まったく運転に集中できない。

 そのせいで今し方、赤信号に気づくのが遅れ、横断歩道を渡っていた婆さんを轢き殺しそうになってしまった。

 こんな散漫とした状態では、熊本を出る前に十人は轢き殺しているだろう。

 だから文太郎は余計なことは考えず、一路北海道を目指すことにした。

 それに昨日、トラックの中で一晩中泣いた。

 泣いて気分は晴れはしなかったものの、いくらか気持ちの整理はついている。

 次の恋はまだまだ先だろうが、エリコとの思い出は決して忘れず、しっかり前を向いて歩いていかねばならないのだ。


「よし、俺は進むぞ。どこまでも前へ進んでやる」


 文太郎はギュッとハンドルを握り、未来を見据えてトラックを走らせた。

 だがこの先は要注意だ。

 いま走る国道三号線のもう少し先には、水道町の大きな交差点がある。

 そこは文太郎にとっていわくつきの場所。

 過去だか未来だかわからない別の自分が、未来だか過去だかわからないエリコを轢き殺した場所なのだ。

 頭がこんがらがるので、それ以上のことは理解できない。

 とりあえず、水道町の交差点だけは鬼門である。

 ゆえに、車道はもちろんのこと、歩道側にも目を光らせる必要がある。

 すると、水道町の交差点で赤信号に引っかかった。

 トラックは左側の車線に位置しており、目の前が横断歩道の先頭車両だ。

 アスファルトは正午のギラギラとした日差し受け、陽炎がゆらゆらと立ちこめている。

 横断歩道を渡る人たちはげんなりと汗ばみ、チビッコですらヘトヘトにへばっていた。

 そんなところに――。

 文太郎は横断歩道を歩く一人の女性に目を引かれた。

 その女性はぶつぶつと呟き、左の歩道側からトラックの前を通り過ぎていく。


「もう暑くて死にそうなのニャ……。こんなに暑いと、とろけるチーズのようにとろけてしまうのニャ……。今日発売のゲームはもう売り切れてたし、なんのために出かけたのかわらないのニャ……。こんなことなら、ネットでポチったほうがよかったのニャ……。ぶつぶつ……」


 どこかの文面で目にしたことのあるような言葉づかいだ。

 しかも彼女は暑い暑いと文句を垂れているくせに、猫耳のついたフードをかぶっている。

 おまけに全身、茶トラ模様のツナギ姿だ。

 というか、それはすでに着ぐるみといっても過言ではない。

 おそらく、この暑さで頭がバカになっているのだろう。

 文太郎はお悔やみの気持ちで手を合わせ、その小柄な後ろ姿を見送った。

 そんなとき――。

 猫耳のバカとすれ違うようにして、一人の女性が涼しげな顔で横断歩道を歩いてきた。

 白地に花柄のワンピースを着たその女性は、やがてトラックの前で立ち止まる。

 そして彼女は、後ろ手でくるりと運転席の方へ向き直った。

 文太郎は眼球三倍増しで目をひらき、ワナワナと震える手でパワーウインドウを下げ、股間にシートベルトが食い込む勢いで窓から身を乗り出した。


「エ、エリコ……もしかして……エリコなのか……?」

「エリコはエリコでも、こんなかわいいエリコはあたしだけだと思わない?」


 彼女はパチリと片目をつぶり、おどけたように舌を出す。


「でも……おまえは異世界に帰ったんじゃ……いや、今のおまえは、俺の知らないほうのエリコなのか……?」

「え~と、なんと言うか……記憶を引き継いだと言うか……あ、いけない、これ女神様との約束で秘密だったんだ」


 エリコはしまったという顔でポニーテールの頭をかいた。

 そして彼女は視線を助手席に移し、そちらに向けてツンツンと指を差す。


「それより、おじさん、乗せてよ」

「お嬢ちゃん、どこまで行きたいんだ?」

「北海道」

「奇遇だな。俺も北海道までだ。乗んな」


 文太郎はジェントルメンらしく、キザなセリフでエリコを迎え入れた。

 そんな文太郎の瞳には、男気あふれる涙がにじんでいた。


                             (了)

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トラック転生多すぎだろ!~トラックの運ちゃんたちが泣いてます~ 雪芝 哲 @yukisibatetu

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