裏演謳歌Ⅱ 演舞曲―ワルツ―

『京』の閑散とした市街を、黒い乗用車が駆けていく――。

 特に何の変哲も無い、それこそ何処にでもあるような乗用車だ。前後に警護の車が付いているわけでもなく、たった一台市街を進むその車、その窓の中を偶然覗き込み、物憂げな顔をした少女に微笑まれたとしても、道行くヒトは誰も、それが皇女殿下だとは思わないだろう。


 ありとあらゆる意味で、その状況が桜花の現在を示していた。

 ガードとして付いているのは、親切な鋼也の仲間――ハンドルを握る久世統真と、助手席に退屈そうに腰掛ける御影夕子の二人だけ。大規模なガードをつける権力も無く、また、顔を見られたところで、それが皇族の桜花であると、誰一人として気付かない。


 後部座席に収まる桜花は、街行く、目が合った気がする少年に、特に理由も無く微笑みかけて………その、自身の姿が、窓に映る。


 実年齢より、少し年上に見える……そんな風にメイクを施した、顔。身を包んでいるのは、着物だ。それこそ喪服のような黒い和装に、この間わがままを言って用立ててもらった、綺麗なの羽織を纏っている。


 相手にどう見せるか、それも大切。だが、それ以上に、本当に大切なのは、纏う服が自分にどんな効果をもたらすかの方。

 言い含められるようにそう教わって、紆余曲折はあれど、桜花が自身で選んだがそれだった。

 大人として振舞うべきだ、と、そういう立場におかれ、大人として振舞う為に、知っている中で一番綺麗な、清濁相食んだような人を真似る。

 そう考えて、紅い羽織を着た事もある。

 けれど、そうではないと、思いなおしたのだ。


 どう取り繕っても、私は私でしかない、と。

 だから、桜花は、柔らかな色合いの羽織を纏った。

 季節の風物詩。散ることが謳い文句のように、幸福と儚さを意味するようなその色。


 そんな桜花が、これから向かうのは、『交渉』の席だ………。



 *



 統真と夕子が訪れ、駿河鋼也がまだ生きていると、そんな嘘を自分について……桜花は暫く、空元気ばかり演じていた。


 出来もしないのに周囲全部をコントロールしようと、嘘を自分で信じきれないままに、ただ痛々しく空回り続け、その結果、叩きのめされた。

 実の兄。現皇帝、大和紫遠に。お前はあまりに空虚で薄っぺらい、と。

 その上、コントロールしようとしていた相手にまで、怒られた。いや、叱ってもらえたのだろう。

 桜花が自分で言い出したくせに、嘘を、鋼也が生きていると、桜花がまったく信じていないだろう。そんな風に。


 それで、だから………桜花は、素直だった。

 非を受け入れ、何が良くないか考えて。


 桜花は、今度こそ、自分の付いた嘘を……いや、鋼也のことを信じると、決めたのだ。

 きっと、生きている、と。もしも、この願いが破り捨てられたとしたら……その時はまた、いや今度こそ、鋼也の為に泣こう、と。


 そんな風になりたい、と………。


 *


「着いたぞ、殿下」


 そんな親しげな声と共に、統真は車を止めた。

『京』郊外に位置する……お屋敷、のすぐ手前だ。選民区画(皇族の住処)、程の面積があるわけではないが、それでも十分以上に広大な面積を誇る、純和風な建築の、大きな屋敷。


 財閥。大和内にいくつかあるそれのうち、未だ皇帝に直接手を貸してはいないそれ――神樹財閥という強大な勢力の、その当主が住まう屋敷だ。


 桜花の最終目的は、鋼也に自分が生きている、とそう伝える事だ。

 ただ会いにいければ、それが一番良い。おそらく、鋼也は未だあの多種族連合軍基地にいるのだろうから。


 けれど、そう単純にことは進まない。竜のいるその場所を通り抜けるためには、桜花はある程度、名前以外でしっかりした権力を得る必要がある。

 皇族に生まれた、以外は殆ど一般市民と変わらないのだ。衣食住は保障されても、無茶なわがままが通る身分ではない。


 だから、……それこそ一石二鳥な、遠回りだ。


 桜花。唯一正当な継承権を持つ皇族である桜花の生存は、今の所伏せられている。

 皇帝、紫遠の考えだ。継承権を一度捨てた上で、今皇帝の椅子に座っている兄が、それを捨てていない桜花が表舞台に立つことを嫌ったのだ。


 だが、同時に、表舞台に立ち―――鋼也に桜花の生存を知らせる条件も、あの日桜花を切って捨てた実の兄は提示していた。


 信用できる様になれ。皇帝の味方だと、誰が見てもわかるような実績を作れ――。


 桜花が今こうして『交渉』に向かっているのは、なんなら、生存が公にされていないながらこうして出歩く許可が与えられているのは、だからその、気まぐれな皇帝の、兄のような情の結果かもしれない。


 車は屋敷へと進んでいく……予約アポイントは取っている。ガードマン、それこそ、極道そのもののようなこわもての男に、統真は身分証を提示し、門が開く――。


 目が合ったこわもてのガードマンに、桜花は微笑みかける。と、そこで、助手席の夕子が声を投げた。


「リベンジマッチ、ね。……緊張してる?」

「それは、もう……。前、コテンパンでしたし……」


 ガードマンに微笑み続けながら、桜花はそう、夕子へと弱音を吐いた。

 そう、この『交渉』の席に赴くのは、これで二度目なのだ。


 *


 財閥、に目を付けたのは、桜花の教育係の来栖恭子だ。

 皇帝から信用される様になる。誰の目で見ても、皇帝の味方であると理解できるようにする。


 その両方を同時に満たす条件が、帝国への資金援助を取り付ける、だったのだ。

 兄の政策は、教育や福祉に力を入れた、それこそ賢君そのもののそれだ。

 同時に、竜の脅威、休戦中であり終戦ではない、という事実から、軍備を縮小するわけには行かない。


 存外、懐事情は厳しいのではないか。

 だからこそ、兄が獲得できていない支援者パトロンを得るのはあらゆる意味で合理的な手段となる。恩を売る、と言う意味でも、信用させる、という意味でも……あるいは、兄に切られた場合に備えても。

 結局、政治は金の話になる。


 そうして、白羽の矢がたったのは、神樹という財閥。

 難物で知られる当主が居座る、一大経済勢力。


 その相手を頷かせる、と言うのは、無理難題に近いが………同時に、頷かせることさえ出来れば、桜花に足りていない明確な実績にもなる。


 そうして、先日もこの場所へと赴いたのだ。

 純和風のお屋敷を、案内役の女中に従って、歩いていく………。


 桜花は、板間が妙に懐かしい気がした。この国の人間が全員思い浮かべるような郷愁か……それとも、この間までこういう場所にいたからか。


 この板間を歩くのは2度目。

 前回は、そんな事を思う余裕もなかった。


 交渉。合理性。少しでも背伸びして、知識を仕入れてどうにか大人の話でとりなそうと、そう考えていたが、あまりにそれにばかり囚われた事が敗因だろう。


 負けて、どうにかもう一度、こうやって機会(チャンス)を貰って、桜花の宮殿にいる皆、女中たちからも意見を貰い、そうして桜花は堂々と、その板間を歩いていた。


 奥の間。

 財閥の当主がいる、その部屋の前。

 立ち止まった桜花は統真と夕子へと振り返り、言った。


「……私、一人で行きます」


 その声に統真と夕子は顔を見回せ、やがて、一様に頷いた。

 頷き返した桜花の背後で、御さなければならない大妖のいる、その場所の襖が開く――。


 *


 神樹重蔵。

 重工業、娯楽、食料品……ありとあらゆる産業に手を付けては富を生む、財閥と言う巨大な生命体の頭。


 その男は、枯れ枝のような見た目をしていた。

 やせ細った老人。あらゆる富を手にしていながら、その目にどこかこじきを思わせるような、強烈な私欲を宿し続ける白髪の男。


 その男が、踏み込んだ桜花を睨みつけていた。


「……良く、また顔を見せられたものだな、小娘」


 低い、しわがれた声には、重みがある。

 前回は、その雰囲気に気圧された。気圧されないように、背伸びして、どうしようもなく敗北した。

 重工業をになっていながら、兵器産業に噛めていない。前回桜花が持ち出したのはそんな話で、こうして、二度目の機会が与えられた契機もまた、同じ理由。


 兄が交渉を避けているのは、難物ゆえに時間を取られすぎる、と合理的に考えたから。

 皇帝でさえ労力が掛かりすぎると避けたそれを、あちらの、大人の土俵で戦ってどうにかしようとしたのが、桜花の間違いだった。


「お時間を裂いていただき、ありがとうございます」

 

 頭を下げながら、思い起こす。

 空手形に価値はない。理想論に意味は無い。そもそもお前の語る理想は空虚で熱を伴っていない。去れ。


 ありていに言って、前回言われたのはそんなところだ。

 まったく持って、その通りだとした桜花自身も思えなかったから、追い返されるようにこの場所を後にしたのだろう。


 だから、今回は、アプローチを変える。

 若さを使う。それに付随した熱を使う。………素直に、助けて欲しいと、そう告げる。

 ただそれだけだ。


「わかっているだろうな、小娘。貴様に価値はない。力も無い。ただ皇帝に煙たがれている負け犬に、無駄に裂く時間は無いぞ」


 神樹重蔵は桜花を睨みつける。

 桜花は、引かず、その目を見た。その奥に宿る色を見る。


「無駄かどうか、判断されるのはそちらです。私は今日、ただ、私の望みの話をしに参りました」


 女中メイドに言われたのだ。

 普通に身の上話すれば良いのではないか、と。それで同情を引ける類の話だ、と。


 案外、そんなものである。

 そもそも、他に桜花には切れるカードは初めから無かったのだ。

 素直に、ありのままに。ある意味究極のストレート勝負。

 だから、桜花はその大妖を前にしても、一切視線を逸らすことは出来なかったし、……逃げようと言う気は、そもそも一切無かった。

 

「望み、か?権力か?金か?」

「……貴方は先ほど、私に価値がないとおっしゃいました。それは、私も、自分でそう思います。私に、何かが出来るだけの、特別な価値はないと。ただ、生まれが良かっただけの女です。けれど、そんな私に価値があると、そう思ってくれた人がいました」

「ふん。……お涙長大、か?」


 呆れたように、重蔵は言い放つ。

 その目の奥を覗き続けながら、桜花は素直に頷いた。


「そのとおりです。私は、私の想い人に……私を想ってくれた人に、私が生きていると伝えたい。貴方の事も、他の全ても、そのためだけに利用したいと、この場所にまた、赴きました」


 桜花は話を続ける。

 伝える内容は、全て本当にあったことだ。

 鋼也と自身に、本当にあったこと。

 それで老人の心が動く、そう………楽観しているわけではない。


 ただし、計算もそこに混じっている事も確かだ。


 神樹重蔵は、数年前から隠居生活に入っている。その契機、として恭子が調べてきたのは、神樹重蔵が溺愛していた孫娘の、自殺。

 駆け落ちしたらしい。

 激怒した老人は、二人を捕え、駆け落ちの相手の方を、無理やり従軍させ激戦地へと投げた。

 その相手の戦死を知り、孫娘は後を追い………そして、老人は償いを願っているのではないか。

 それを知っている、と桜花が匂わすことは一切しない。老人の中で被れば良い。


 熱の入った、心の篭った話を続けながら、桜花は老人の目の奥を見る。

 そこに寂寥が宿るかどうかを、見続ける。

 印象を被せよう。全て構築して。ただし、本当のことだけを、本音だけを。


 桜花には、政治の舞台に立つためには、余りにも知識と経験が足りていない。


 桜花に出来るのは、唯一つ。目の前の相手をよく見て、少し性格悪く、だが素直に、懇願するだけ。



 どう取り繕っても、桜花は桜花でしかない。自身で自身をどう嫌おうと、それは桜花の一部。使えるなら、全部使う。

 だから、桜花は、柔らかな色合いの羽織を纏った。

 季節の風物詩。散ることが謳い文句のように、幸福と儚さを意味するようなその色。


 そして同時に、枝一本からでもその場所に根付き、やがて大樹に至る、かなりその花の色を。



 桜花の結びの言葉は、これだった。


「……私を、助けてください。


 やわらかで儚い微笑と共に、桜花は、そう、懇願した。

 

 清濁相食み。後ろ暗さを抱きながらも。けれど、それ以上に。そう、なったとしても。

 鋼也にまた会う。会えずとも、せめて、安心して欲しいと。それだけを、想い人に伝える為に………。



→10章序 33.5話 裏側で進む事態/拭い難い現実/幸福が秤の上に

https://kakuyomu.jp/works/1177354054890150957/episodes/1177354054891557571



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