第2話 どんだけ回廊?

 

 苔のにおいだ。

 耳を澄ますと、どこかで水が滴る音もする。


 背中の石畳が冷たい。


「俺はいったい……げほっ」


 目を開け、上半身を起こし、記憶をさぐる。

 そこで自分は勇者アラービスたちとともに魔界に入り、魔王との戦いに臨んだことを思い出す。


「げほっ……そうだ、俺は……」


 魔王の最期の呪詛を喰らい、その中で意識を失ったのだ。

 最期に奴は俺をどこかに送ると言っていた。


 なんて言ったっけ。


 立ち上がり、あたりを見回す。

 魔法の明かりで照らされたそこは、寺院の回廊のような構造になっていることに気づく。

 人が住んでいないらしく、石畳の隙間からは苔や植物が好き放題に生えている。


「うっ……げほっげほっ」


 そこで、自分は呼吸がままならなくなっていることに気づいた。


「そうか、瘴気……」


 俺は片膝をつきながら理解する。

 ここにも魔王が放っていたような瘴気が立ち込めているようだ。


 耐性のない者が瘴気を吸い続けると、毒のような持続ダメージを受けてしまう。


 自分は瘴気から身を護る結界は展開できない。

 周りを見るが、それが可能な聖女ミエルは近くにいない。


「まずい……な……」


 回復魔法ヒールで回復させてみるが、焼け石に水。

 これは終わった。


 俺は崩れ落ち、石畳に転がる。

 目の前が白くなっていく中で、自分の胸の石板が目に入った。


「…………」


 朦朧としてきた意識の中で、俺は何の考えもなしに煉獄の巫女アシュタルテを喚んだ。

 喚び出す詠唱は30秒以上と他と比較にならないほどに長いが、どうせ死ぬなら、このきれいな顔を見ながら死にたいとでも思ったのかも。


 煉獄の巫女アシュタルテって悪魔だから人間離れしている顔かと言うとそうでもなく、むしろ現代日本にいそうな、黄色人種に見えるんだよな。


 だから光属性魔法も効かなかったのかな。


 いつか、あのうにょにょ、っていうよくわからない言語じゃなくて、共通語で会話したいなぁ。


 なんて、そんなことを考えていられる自分に驚く。

 俺は急に呼吸が楽になっていた。


「……あれ」


 俺は自身にもう一度、回復魔法ヒールをかけて立ち上がる。

 まるで瘴気が消えたかのように、呼吸がスムーズだ。


「そうか……そういうことか。ありがとう」


 俺の胸に現れた物言わぬ清楚な顔は、礼を言われても目を閉じたまま。

 そう、煉獄の巫女アシュタルテは瘴気の持続ダメージを肩代わりしてくれているのだ。


「素敵過ぎる……でもこのままじゃ煉獄の巫女アシュタルテが死んじゃうな」


 煉獄の巫女アシュタルテは底なしのダメージプールを持つと文献にあり、現に勇者パーティの全力を持ってしても、それを突き破ることは出来ないくらいだからまだしばらくは大丈夫だろうが、【怨嗟】のはけ口は作るべきだろう。


 煉獄の巫女アシュタルテは【怨嗟】として自身の攻撃にのせることで、身に受けたダメージから回復するらしいから。


 俺の回復魔法ヒールも効けばいいんだけどな。


「ともかく、ここ、どこなんだろう」


 俺は先程の戦いで他界した仲間に簡易の黙祷を捧げると、身なりを整え、魔法の明かりで照らされた回廊の方へと進んでみる。


 すると……。


「ギッギッ」


「グエェェ……」


 奥から、何者かがわらわらと現れ始めた。


 悪魔たちだ。

 下級悪魔インプが多いが、上級悪魔デヴィル魔人デーモン魔人将アークデーモンまでもが混ざっている。


「まぁどこだっていいか」


 魔王が俺を天国に送るはずがない。

 俺は愛剣たる、血濡れた名もなき鋼鉄の剣を握りしめる。


 剣は、剣だけは、この世界に転移したと知ってから、ずっと練習してきた。

 ただひたすらに、狂ったように。


「行けるところまで行ってやるさ。なぁ煉獄の巫女アシュタルテ


 俺の言葉に呼応してか、その艷やかな唇がそっと開く。


「απόγευμα αιώναςέκρηξη ἔκρηξις……」


「………!」


 響き渡る詠唱を耳にして、わらわらと集まっていた悪魔たちが後ずさった。



 ◆◆◆



 敵はなにせ数が多かった。

 なので入り口の細い通路部分に誘い込んで囲まれないようにして戦った。


 下級悪魔インプはもちろん、上級悪魔デヴィル魔人デーモンクラスの雑な攻撃なら、数体まとめて相手にしても剣技で圧倒できる。


 しかし魔人将アークデーモンになると、ぐんと腕っぷしが強くなる上に、拘束バインド系魔法を使ってくるので念のために1対1で戦いたい。


 なお、時々援護してくれる煉獄の巫女アシュタルテは、瘴気ダメージの【怨嗟】をのせているせいか一撃で 魔人将アークデーモンを屠るとか、とんでもなく強かった。


 攻撃を身に受けても、一切ダメージが入らないのもものすごい安心感だ。


「終わりかな」


 百体くらいの悪魔たちを倒すと、押し寄せる悪魔が途切れた。


 先へと進むと、回廊が途切れた先に広間が見えてくる。

 そこには悪魔がおらず、湧き水が貯められており、甘い香りのする木も植えられていた。


「桃の木だ」


 熟した実もぶら下がっている。


 広場の先にはまだ回廊が続いており、悪魔たちがウロウロしている。


「やれやれ、まだしばらく戦い続けろってか」


 この際、桃は遠慮なく頂戴し、水も飲んだ。

 毒でも入っているかと軽く悩んだが、食べなければどうせ死ぬしな。


「むほっ」


 桃はとても甘くて、食べると体が蘇るような感覚があった。

 魔界に入ってから数週間、干し肉と乾いたパンをかじる毎日だったので、体が果物を欲していたのかもしれない。


 頬張ることしばらく。

 桃を12個ほど食って、満たされた。


「よーし行くか」


 2つ目の回廊に挑む。

 出てきた悪魔たちは、最初の回廊よりも上級のものが多かった。


 先ほどと同じように、細い通路で待ち構えて、順に相手取る。


 剣を振るいつつ、時々煉獄の巫女アシュタルテの剣撃に助けてもらった。

 そうやって戦いながら考えていた。


 アラービスとミエルは無事に元の世界へ帰還できただろうか。


 魔王の言い方は俺だけを咎めていたように聞こえたが、最後の行動までは確認できなかった。


(もしかしたら)


 ……彼らもこの回廊に囚われていたら?

 だとしたら、どこかで同じように戦っているかもしれない。


 鋼鉄を紙のように切り裂く「勇者リトの剣」を持つアラービスはともかく、ミエルは後衛職であり、こんな悪魔たちをさばききれるとも思えない。


 ミエルは勇者アラービスの幼馴染であり、学園でともに戦いを学び、成長してきた間柄と言っていた。


 俺がパーティに加わった4ヶ月前にはすでにふたりは婚約しており、挙式を残すだけとなっていた。


 それだけに死なせる訳にはいかない。

 夫となるアラービスのためにも。


「急がなくては」


 俺はすぐに次の回廊に飛び込んだ。



 ◇◇◇



「いつまであるんだよ、これ」


 回廊は延々と続いた。

 15を越えてからは、数えるのをやめた。


 回廊に分岐はなく、一本道を進んでいるだけである。


 身につけた剣技で悪魔たちの攻撃の隙を咎め、負った傷は回復魔法ヒールで癒す。


 最初に持っていた愛剣はとうに折れている。

 その後は悪魔が持っていた剣を奪い、死に物狂いで振るい続けた。


 熾烈な戦闘と睡眠不足で、もしかして俺はもう死んでるのでは、と思うことが多くなった。


 が、広間の桃はおいしいし、眠りからは目覚めるし、煉獄の巫女アシュタルテは居てくれるし、まだ生きているのだと実感した。


 途中から、回廊の最後に「ソロモン72柱」が姿を現すようになった。

 煉獄の巫女アシュタルテが属する、破滅的な力を手にした魔神というべき悪魔。


 のちに、『七つの大罪』と呼ばれる「ソロモン72柱」の上位種らしい、ある意味『終わった』奴らも現れるようになった。


 しかし苦戦はしなかった。


 魔王が煉獄の巫女アシュタルテばかりを起用していた理由がなんとなく理解できた気がする。

 そして俺に奪われ、あれほどに怒り狂った理由も。


 煉獄の巫女アシュタルテは、他の『ソロモン72柱』の攻撃すらも蓄積プールし、【怨嗟】にして返すのだ。


「いやーマジ惚れるわー美人だし」


 こんな素敵な女性と24時間一緒とか、幸せすぎる。

 ……でも向こうは間違いなく望んでないな。


 いいんだ。わかってる。


 でも、悪魔使役ができる『漆黒の異端教会ブラック・クルセイダーズ』の僧戦士クルセイダーになってホント良かった。


「よし、次だ」


 回廊ごとに出現する悪魔たちが変わるので、同じところを回っている気はしなかった。


 桃を食べて体調が良いせいか、俺自身もそれほど疲労を感じずに戦い続けることができた。

 本当に不思議な桃だ。


 回廊と回廊の間ではうとうとすることもあったが、そうまったりもしていられない。

 次の回廊でミエルたちが戦っているかもしれないと常に苛まれていたし、なにより瘴気を身代わりしてくれている煉獄の巫女アシュタルテの身が心配だったから。


 そうやって、黙々と殺戮マシーンのように戦い続けていたある時、気づいたら回廊が終わっていた。


 結局、アラービスとミエルには出会えなかった。

 それらしい亡骸も見つからなかった。


「生きててくれ」


 もはや、彼らが地上に戻っていることを祈るしかない。


 俺は最後の回廊を抜けた先にあった転移ゲートに入る。


 飛んだ先は、今や遠い記憶になっていた魔王の間だった。


「やっぱここからかぁ。家には戻れないよなぁ」


 俺はそこからの帰路を思い浮かべて、ため息をついた。

 まぁいいか。順調に行けば20日くらいで出られるだろう。


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