第三十五話 狂信孕む束の間の凪

第七編 北条時頼

第六話


「平安時代に確立された仏教には、南都六宗に加えて天台宗と真言宗がある。これらの宗派は互いに勢力争いをしながら朝廷との結びつきを深化させ、現代に至るまで一定の繋がりを保っている」


特に平将門の乱から33年戦争真っ盛りの頃には戦乱の多発から末法思想が貴族を中心に広がりを見せ、このことが我が国における仏教の世俗化を招いた一つの理由だろうな。903年には空也による墓寺…後の六波羅蜜寺の建立、すなわち葬儀仏教の萌芽があったことで民衆を対象とした仏教宗派の下地が出来ていたのもあって、浄土信仰を主とした宗派が幅を利かせるようになった」


今に伝わる浄土宗系の登場だな。しかし、彼らは草創期から後継者不足や分裂の危機に悩まされて宗教界に大きな革命をもたらすほどまでには至らなかった。これが動き始めるには時宗や融通念仏宗といった踊念仏系や、曹洞宗、臨済宗などの禅宗系の台頭を待たねばならなかったわけだ」


浄土宗開祖の法然には複数の弟子がいたが、特段抜きん出た影響力を有する人間が現れなかったことが大きい。時代が下ると世俗化して戒律が緩くなり、肉食や妻帯を是とするという方向性を確立したことで信者を多く獲得するようになったがな。ただしそれらが完了した時には既に法整備によって互助組織の枠を飛び越えた過激的な一派は主流からほぼ外れていたし、他の宗派も現代の彼らの立ち位置にほど近い様相を呈していたから、むしろ変化の影響を受けた方だと言えるな」


禅宗によって引き起こされた最初の変化は上位身分、特に旧武士団頭領の貴族や兵部省の人間から浸透していったことがきっかけで起こったと言えよう。平安時代より続いた豪奢で爛漫、ある種退廃的な気風は武士階級との交際によって次第に質素で質実剛健なものへと変容していた。これは建久文化に触れた際に話したと思う。そして禅宗はそのような時期に導入されたこともあって、にわかに日本の中枢部で信仰される仏教の中では主要な一派の位置に収まることとなった。臨済宗開祖の栄西によって喫茶文化が再興される速度を見れば、これは明らかだろう」


そしてこの急速な新宗派の勃興は、既存宗派の危機感を煽ると同時に、対抗思想的な気風を持った別の新興派閥も生み出していった。日蓮による法華宗、すなわち現在の日蓮宗がその代表例と言えるだろう。彼らは他派排斥の傾向が強い上に、法華経こそが国家を守護し安泰を得るための唯一の手段であるとして帰依を推奨する立正安国論を唱えたからな」


後に四箇格言と伝えられる、「真言亡国、禅天魔、念仏無間、律国賊」の文句はよく知られているが、とりわけ多層的に広がっていた禅宗への攻撃は徹底しており、彼はその著作で幾度となく批判を繰り返している。この動きは禅宗を信仰していた貴族や近衛軍の幹部を中心に非常に顰蹙を買った。黎明期から既に朝廷で議論される程度には危険視されていた上、さらに関東圏を中心に活発化していく中で一部の場では弾圧を加えるべきではないかとさえ囁かれていたんだ。どれだけ危機感を抱かれていたかが察せられるだろう」


また日蓮は立正安国論の立場から、逆説的に他宗派を放置すればいずれ国内の内乱と外国の侵略…それぞれ自界叛逆難と他国侵逼難と言う…を招くと唱え続けていた。とりわけ元軍との交渉が破談に終わったとの話が一般に広まった後は、他国侵逼難の実証が近いとして活動がさらに大々的なものとなっていた。安全保障的側面から見れば、明らかに不穏分子だ。挙国一致で挑まねばならない戦争を目前にこのような人物は拘束しておいた方が良いという風潮が出るのも自然な事だと言えよう」


事実、近衛軍の中でも特に武断的な立場を取る人間からは日蓮をさっさと捕らえて斬罪に処すべきではないのかとの意見もあったようだ。当時の治部卿、吉田経俊の日記である経俊卿記にその旨が記されている。彼が元との交渉に朝廷代表として臨んだと記録にあり、時頼ら近衛軍主流派との縁がそれなりにあったことが推測される。彼らから情報を得ていたのだろう。そして…その書きぶりから、時頼らの意図や考えも透けて見えてくる」


「彼は日蓮のように過激な宗教観を有する人間に対し、他の人間と比べて相対的に温厚であった…いや、この言い方は異なるな。むしろ脅威として捉える必要性をあまり感じていなかった、と言うべきか。少なくとも表面上の行動からはそう読み取れる。あるいは、興味本位の観察対象と見なしていたのかもしれないが…ともかく、過激な対応を以てまで封殺する理由は無いと考えていた可能性は高い。本人が明言した記録は皆無だがな。」

































-建治元年(1275年) 8月上旬 大内裏-


文永の役の成功をもって、メインの職場が最前線司令部たる大宰府から都に変わった。というか戻った。当面は奴さんも襲撃する余裕は無いだろうという判断から、軍政及び技術開発の進展監督を意図して帰朝させられたのである。一応、中央も評価してくれているようだ。従四位から正四位上、今世の祖父前世の息子泰時の正四位下でも家格を一足飛びに超えたものであった…まぁ“史実”同様ではあるのだが、歴史改変で朝廷内部の人間となっていることを考えれば彼がそれだけ優秀であったという証左だ…というのにさらにその上を行ってしまった。久々に殿上人からの目線を多く感じて若干辟易する。話しやすいタイプの人ばっかりじゃないからなぁ、前世やその前のタフネゴシエートを体でも思い出さねば。


〔私をもっと使ってもいいんですよ?〕


そうなんだけど…ある程度はやっぱり自分でやらなきゃいけないと思うんだよ。伊達に百年単位で思考し続けているわけではない、選択は自らするべきだろう。善し悪しは抜きにして、どうしようもなく歴史が変わってしまった以上は…責任を持たねばなるまい。この歩みを止めてはならぬ、と私の行動で本来の有り様が歪められた人間たちが耳元で囁くのだ。


〔また冗談を…〕


心外だな、自戒も入ってるから八割方は本気だ。


〔………はぁ〕


ため息が返ってきた。お前、そんなに器用だったっけ? 転生を繰り返す度に人間臭さが増している気がする…って、こういう思考回路の逸れも完全な冗談と受け取られる原因か。現代の記憶だけは朧気な部分も多い…多分“オモイカネ”の補助を受ける前だからであろう…のだが、その時から周りに呆れられていた気がする。いつまで経っても抜けない癖なのだろう。


〔…………〕


まぁいいや、深く詮索する時ではない。過去より今に集中するんだ。対談の最中なのに余所事を考えるわけにはいくまい。正直現実逃避したくなるくらいに頭の痛い問題ではあるんだが…


具体的に言うと、目の前にいる刀でも持たせたら無茶苦茶に斬りかかってきそうなほど怒髪天を衝く形相の坊さんをどげんかせんといかん。


〔髪は無いですし、他人事のようですが怒らせたのは貴方ですよ?〕


冷静なツッコミありがとう。


本当ならこの人日蓮と話す機会なんてあるはずもなかったんだよ。私は軍人で相手は宗教家。坊主や神主の相手は中務省か宮内省なのに…唐突に日蓮側から話をさせろと突き上げを食らったのであった。どうやら自論である他国侵逼難は元寇によって証明された、次は自国叛逆難まで迫っているに違いないから今すぐ法華経を崇め奉れと近衛軍の上層部に忠告しに来たということらしい。


連絡だけでも意図がある程度透けて見えた。これを機に中央での信者獲得を目指そうということだろう。そして軍の内部で燻る法華宗弾圧論を抑えているのは私だ。だからまず最初に接触し、本格的な入信者として取り込もうとでも思ったのかもしれない。事実、対面時の彼は愛想良く振舞っていた。それでも隠しきれない横柄さの滲んだ話し方が、予感の的中を悟らせたが。


『御坊は勘違いなされているようだ。某は法華宗に同情も、贔屓も、ましてや取り立てもするつもりは一切ございませんぞ』


流石に面と向かって無関心であると言いきられるとは思っていなかったのだろう、キョトンとした顔になった。次の瞬間には茹でダコと化したがね。そして法華経のありがたみをまくし立て始めたのだが、ハイハイそうですねと現実逃避気味に聞き流して今に至るのであった。


『そなたはてんで法華経というものを理解していない! 今回は自らの祈祷をもって近衛軍に加護を与えて退けたが次は分からないのだ。今を逃せば危ういと、折角見込みがあると思うたそなたに話を持ってきたと言うに…これは単に個々の問題というのではない、日ノ本という国の存亡に関わる問題であるのだぞ!』


『なるほど、御坊はお手前の祈祷による加護で唐土の者を日ノ本から追いやったと申されまするか』


『その通り、さも無くば都まで蒙古は押し寄せていたであろう』


『では御坊の祈祷で恩恵を受けたものとは?』


『兵の士気が上がり』


『それはその場にいた将の功績にございますな』


『…敵方の気力を衰えさせ』


『不慣れな、それも長い船旅であるならば当然でございましょう。ああ、銃の音に怯えていた者もおりましたな』


ムッとした顔でこっちを睨むなよ。沸点に到達しやすいように見えるが、言動がさほど乱れてないところに老獪さが潜んでいるようにも思える。流石に一大宗派の開祖なだけはあるか、下手に隙を与えるのは不味そうだ。


こっちは現場にいた人間だということを思い出したのか、日蓮が少し口ごもる。流石に軍事には通じていないようで、一瞬の間が生じた。この機を逃さず、主導権を握るべきだろう。さらに言を詰める。


『戦の勝ち負けを決めるのは御仏では無い、というのが某の考えでございますな』


露骨に嫌な顔をして日蓮が吐き捨てる。


『不信心者め。うぬのような者がのさばるから国が乱れるのだ』


『国が乱れるというのは御坊にとっての話でございましょう?某はむしろ興国の兆しと捉えますな』


『は?』


今度は鳩が豆鉄砲を食ったような顔になった。これは半ば本心からだろうか。


『一つのに拘るようではむしろ普段と異なる物事が起きた際に邪魔となることもございまする。異なる宗派、異なる考え、如何様にあってもよろしい』


『………』


『ただし政と律への介入はすべきでは無いと考えまする。道鏡の逸話を知らぬ御坊ではございますまい?』


『……叡山を焼いたのは汝の曽祖父であったな』


本人ですけどね。


『それに至った所以は当然御承知でございましょう。政は人の道、そこから生まれる律も同じく。そして戦は…政の最果て。故に等しく距離を置くことが望ましく、仮に無理を通そうとするならば、それがいかなる宗派でも相応の咎めを受けるべきでございまする』


『我とは相容れぬな。政とは一つの考えを基に進めねば何も動かせぬ。そもそも信じるものが異なれば考え方も違う。そのような異端は不和を呼ぶ。不和は歪みをもたらし、外敵に隙を与える。いかな信仰も許容する?汝の言うようなものの先には』


滅びしかなかろう。そう断ずる日蓮の目は異様なぎらつきで満ちていた。確かに今は…そう、それもまた正解と言えるかもしれない。


『されど、御坊の教えも今の世では遍く認められたものでは無い。そうでございましょう? 新たなもの、より世を良き道へ誘うものはその多くが生まれた時は夷狄の類とされたことも少なくありませぬ』


日蓮が微かに身じろぎをする。


『何かに凝り固まった世は疲れましょう。何人たりとも同じ者は居りませぬ。だからこそ先へと進んで行ける。留まることを知らぬ限り、滅びは訪れぬと考えておりまする』


表情が消える。いや、隠そうとしているのか。


『嘘偽り無く申すのであれば、八百万の神にも、御仏にも縋ろうとは思いませぬ。世の有り様を変えるのは人にございます。であるならばそれらよりも人間を…人の力を、某は信じまする』


そしてその試みは失敗した。明らかなる動揺。仕方あるまい、数百年も先の話をしているのだから。この時代で真に理解出来る人間などいる方がおかしいのだ。


『御坊に分かって頂こうとは思いませぬが…このようなことを考える者も居る、それを知っていただければと。お疲れの様でございますし、今日はこれで仕舞いといたしましょう』


一瞬何かを言いたげに目を泳がせた日蓮はしかし、何も言うことなく…ただ無言で頷いて席を後にした。虚無の表情を貼り付けたまま。










『おや、お早いお帰りで…上人様!? どうなされたのでございますか、顔色が悪うございます…』


『………あの男に会うべきでは無かった』


『あの男とは、お会いになられた北条様でございますか?』


『あの男は…あの男は、この世のものでは無い…』


『上人様、お気を確かに! 一体何をされたというのでございますか!?』


『話をした…しかしただそれだけで垣間見えたのだ、あの男の本質が…何なのだ、彼奴は何だと言うのだ!? 悪鬼羅刹…それともあれこそが我が打ち勝たねばならぬ試練たる第六天魔王とでも…? 想像にさえ至らぬ考えを目の当たりにすることが、ここまで悍ましいものであるとは…』


『どういうことなのでございますか』


『彼奴の信じるものは何かが…どのような者であっても、その言葉が真心から出たのであれば如何なる形にせよ人を揺さぶるというのに…あの男は違った。それに気がついたことに愕然としたのだ…彼奴は本当に人なのか…? あの顔は面で、それを剥いでしまえば虚無が広がっているのではないのか…? そう思った時の心胆の寒気、それを気取られた…自らの内面に全く目を向けないにも関わらず、他者のそれには容易く踏み込むとは…』


『…………』


『………あぁ、分かった。言葉に出し続けて漸く納得がいった。悍ましい、その通りだ。彼奴に対する畏れに近しいものの正体は、嫌悪か。彼奴が人でも、そうでなくとも、自らと似たような存在であるが故に忌避する。彼奴の言葉を正面切って否と言いたくなる。陰と陽、御仏と悪鬼、喩えようは幾らでもあるが…限りなく近いと同時に限りなく遠い存在でもある、そういうものと言えるか』


『それは…まさか』


『目指す道が交わることは無いが、紛うことなきだな。もっとも…その認識が過たず正鵠を射たものかと問われると、微かに違和感を覚えなくもないが』


『…………』


『疲れた。相済まぬが水を持っては来てくれまいか。思うていたよりも遥かに心をすり減らしたようでな…』


『は、直ぐに。そこまで思い至らず申し訳ございませぬ…お着物もお持ち致しましょうか』


『頼む』









-建治元年(1275年) 8月中旬 大内裏-


隠密達の報告書を手に取り、じっと読む。日蓮との対談以後、彼らの中央政府を目標とする勧誘活動は鳴りを潜めるようになった。悪くない傾向だ、疑心暗鬼の植え付けによってこちらが何もしなくても勝手に牽制されてくれるのだから。


都周辺や九州という現時点における主要な都市を多数抱える地域での影響力が低いのもあるだろう。直接的な戦禍の傷跡は癒え、金銀銅山の相次ぐと対大陸戦を見据えた公共事業の急速な増加は、結果を見れば経済成長にそれなりに寄与していると言えた。そのため、過激な理念をもって他宗派を排除するような性格の宗教が受け入れられる余地が減ったのである。明日の生活がそこそこに保証されているという事実は、それだけ人心に余裕を生むということなのだろう。


法華宗…すなわち日蓮宗は未来においては比較的メジャーな派閥ではあった。政治介入が目に余るレベルに達しなければ、完膚なきまでに潰そうと思えなかったのは確かだ。それに…が、その気持ちを多少なりともより強固なものにしていた。


前世北条義時における、比叡山の焼き討ち。あの時の死亡者に浄土真宗の開祖たる親鸞が含まれていたのを知ったのは、今世になってからであった。


元服してそれなりの地位に就き、中務省や宮内省の人間とも関わりを持つようになった後も、法然やその弟子たちの動向こそ聞こえていたものの、彼とその周辺だけは全く音沙汰がなかったのだ。本願寺を中核に、教義で結束した浄土真宗の侮れなさは歴史が証明している。織田信長の最大のライバルだったと言っても過言では無いほどの力を蓄える可能性がある彼らは、ある程度動向を注視しておく必要性があった。ところが、それらしい宗教団体が結成されたなんて情報はいくら待っても…彼の死亡するはずの年月日を過ぎても、絶無であった。代わりに出てくるのは浄土宗の話ばかり。いくらなんでもおかしいと疑問を持ち、そこで初めて“オモイカネ”に尋ねて、ようやく判明したことであった。


驚愕と戦慄の度合いは、頼朝の死に匹敵するか、あるいはそれをも上回った。この国における最大規模の宗教派閥が、成立前から消し飛んでいた影響は計り知れなかった。宗教は厄介だが、その特性上近代的な物流システムが整備されるまでの互助組織としての役割を兼ね備えている。阿ることはしたくないが、彼らを利用して全国的に近代化を後押しすることも検討はしたことがあった。それに、不健全ではあるが現状の政府組織たる政務議閣の腐敗が発生した場合のカウンターパート足りうる存在としても多少期待はしていた。外敵の侵入による植民地化の危機が予測されるなど、近代化になりふり構っていられなくなった最悪の場合の対処として下からの革命による時間の強制加速…しかし皇族は権威のみの存在として存続させて共和的立憲君主制として着地を図る…をもって対抗する。その因子として組み込むことさえ考えていたのだ。だが、全ては出来る前から破綻していた。


今までの改革や改変とはレベルが違う。二十一世紀、私の知りうる限りの未来全てにまであったものが根本から消し飛び、その余波が見通せないという事態は、これ以上の極端なアクションに抵抗感を抱かせたのは事実だ。歴史の流れに違いはあれど、大きな出来事については収束していたと思い込んでいた。しかしそうでは無かったかもしれない、以後は本当に何も予測出来なくなるかもしれないという可能性に気がついた時、私は臆病になったのだ。


今回の一件はまだ、予測できた。だから突然の押しかけにも対処出来たし、その後の動向もある程度コントロール出来たと思う。もたらされる報告が確かならば、元軍二度目の襲来は確実と言っていい。故にここで勝てば日蓮らの影響力はさらに下がるだろう。経済的な恩恵に加えて彼らの主張と現実との矛盾を突く。そして世論を味方につけることで宗教全体の過度な伸長を封じ、非国家組織によるイレギュラー発生の確率を軽減させる…当面の指針から外れさせたくは無かった。


変化を生じさせつつ、なぞるべき箇所は踏み外さぬようにするというアンビバレントな作業を遂行する必要があるのが歴史を知る身の辛いところだ。しかし、やるしかない。やらねば何もかもを失うのは、自分の方なのだから…





‐弘安4年(1281年) 5月3日 合浦(現馬山浦)沖‐


浮かぶ船の数は、大小合わせて九百余。六年前と同規模の戦力は一路、因縁の相手である東夷の巣食う島々を目指し進む。


一度目の戦は、中原の覇者を自認する彼らにとっては屈辱の極みであった。いくら不得手にして経験の少ない渡洋戦闘とはいえ、敵の根城にたどり着くどころかその遥か手前で邀撃され、這う這うの体で逃げ帰ることになる始末。全力で組み合い、互いに死体の山を築いた上での撤退であれば無理やり納得させることも出来るかもしれないが、実態は真逆と言って差し支えない。民衆や官僚の不満こそ、八つ当たりにも等しい南宋の完全殲滅をもって多少は逸らすことに成功したものの、相次ぐ戦役の負担は元の財政を火の車にしていたのである。


…だからこそ、交鈔を使った小手先の方法に頼らない打開策が必要だ。将来的な経済の行き詰まりが見えている故に、そして奪うことのほかに満たす術を知らない騎馬民族の主であるが故に、そう信じるフビライの意を受け艦隊は進んでいく。金銀銅、全てが有り余るほどに取れると謳われたジパング黄金郷は文字通りに人々を妄執に取り憑かせ、駆り立てていた。


人材、地図、船舶。水底に沈められた、海軍に必要なおよそほとんどのモノは、内地の治安を悪化させてまで無理やり再生産した。十年にも満たない短期間で戦力を回復させることが出来たのは、先の戦いの生き残りは将も兵も問わず片っ端から教育担当とした甲斐あってのことであろう。と最低限の練度を揃えたことはまさに奇跡と言ってよかった。


それ故に、ただでさえ相手に比して航海技術で劣ると目され、戦訓という名の苦い反省を経た彼らの作戦は、単純明快。中継拠点の確保を全力を期して行い、その後速やかに敵本土への橋頭堡の建設を行う。我の持てる確実な優越である、数と攻撃地の選択という二点を余すことなく活用した、持てる者だけが選択可能な究極の正攻法である。さらに精鋭を抽出した別働艦隊を組織して中継拠点にて合流を図ることで、海戦に不慣れな本隊が包囲されることを防ぐと共に以後の海上輸送護衛としても充てることも決定されていた。


まさしく全力出撃であるこの大軍は、総数五十万を優に超える。史上稀に見る一大戦力は大挙して蒼の野を駆け、果ての地にあるもの全てを己が手にするつもりであった。


対する近衛軍も十万単位の戦力を大宰府に集結、さらに博多湾に停泊する艦隊から複数の哨戒船を稼働させる。大陸と半島からもたらされる情報を元手に毎日のように軍議が行われ、物々しい雰囲気に満ちていた。馬で、船で、途切れることなく送り続けられる弾薬と糧食。軍人のみならず付近の住民もまた、静かな興奮に包まれていく。


両者が共に総力を挙げて臨む決戦。その戦いの火蓋が、切られようとしていた。

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