第三十四話 矢尽き刀折れても

第七編 北条時頼

第五話


-文永11年(1274年) 10月14日夕刻 壱岐島-


 鎧は泥にまみれ、あちこちに切り傷を負いながらも、平景隆は僅かな手勢と共に息を殺していた。


 元軍の数は千より遥かに多く、対してこちらはもう百にも満たないだろう。海岸を棄ててからもう大分時間が経ってしまった、早ければ道を見つけてここまで来るに違いない...殿しんがりの自分は真っ先に死ぬことになるかもしれない。


 それでも、と景隆は口をぎゅっと結んで大弓を握り直す。銃は連戦で火薬のカスが詰まっており、分解して掃除しなければすぐには使えない。やれることは全てやったが、さてどうなるか...


 遠くから明らかに日本語ではない声が聞こえはじめた。粗野な笑い声と、近衛軍のそれとは明らかに異なる鎧のなる音。ぶるり、と身体を震わせて箙から最後の矢を取り出した。指揮下の者共も汗ばんだ手に各々の得物を構え直す。張り詰める緊張に、生唾を飲み込む音がした。


 ついに姿を現したのは、30名ほどの集団であった。身なりの差が激しい、着の身着のままで申し訳程度に短刀をぶら下げたような者から、指揮官と思しき唐草模様の刺繍がされた全身を覆う鎧をまとった者までいる。景隆は隊列中央で馬に乗っている、一番豪奢な格好をした者に狙いをつけた。弓を引き絞りながら、最前列の兵士にも目を向ける。あと十歩..........四歩......今!


 爆発。撤退時にかき集めた火薬に銃弾を混ぜ、即席で作った木箱の中に入れた後に上蓋に火縄を括りつけただけの簡単な仕掛けだ。だが軽く掘って埋めた跡に気が付かなかったようで、見事に踏んでくれた。火薬の衝撃で弾丸が吹っ飛び、肉を抉る。被害を受けた者は足首から下が消し飛んでいた。


 そちらに衆目が行った瞬間を逃さず、景隆は矢を放つ。戦いの始まりを告げる音無き嚆矢は、狙いを違うことなく馬上の指揮官の顔面を穿った。悲鳴を上げる間もなく、どう、と音を立てて落馬する。


『行くぞ!』


 鋭い声で発せられた命令に従い、つわものどもが肉薄する。抜刀。隊列へと飛び込んだ彼らは、まだ状況を理解しきれていない者達をまたたく間に切り裂き、突き刺し、昏倒させた。そのまま道の反対へと飛び込む。一陣の風のように森の中へと消えた景隆らをどうこうすることは、元軍の兵士には不可能であった。

































そうそう、この壱岐島の戦いでは原始的な地雷が使われていたことが明記されているのも、軍事史において注目すべき事項だろう。埋火と言ってな、ものによっては余っていた銃弾を混ぜて一種の散弾地雷のようにして活用したらしい」


対馬よりかは手応えがあったものの、ブービートラップを仕掛けた上で森林を利用した一撃離脱戦法に終始する相手を倒すのは至難の業であり、夜には一度浜辺まで戻って戦力を整え、朝になってから再び進軍を行う腹積もりであったと推測されている。多勢に無勢であった防衛側はこの機を逃さず撤退し、樋詰城で戦力の再編成に注力することとした」


この時点で既に、元々300前後と言われるところから、生存者数は100弱にまで減っていたとされている。兵力差による飽和攻撃で物資も底を尽きていたことから、夜が明けて再度の侵攻が開始されれば、壱岐島は確実に陥落していたことだろう」


しかし...その時は来なかった。すんでのところで近衛軍艦隊が到着したんだ。補給は行ったとはいえほぼ連戦、しかも戦力的には劣勢であったが、夜の闇がそんなディスアドバンテージを包み隠してくれたのは僥倖であったと言えよう。対馬で散々に打ち負かされたことが伝わっていたのもあって、元・後高麗連合軍はかなり浮き足立った対応であったと伝えられている」


「そしてこの後の彼らの動きから、戦時における両陣営の思考の食い違いが特に顕著なものとなっていることは注目すべき事象だろう。その時の人々の感情を反映した「もしも」であるif論と違い、結果のみであの時はああすべきであったと語るような論は戒められるべきものであると俺は考えているが、この戦争はそういった当事者達の観点というものに注目する必要性を浮き彫りにした、中世日本の好例と見ることも出来るだろうからな。」

































-文永11年(1274年) 10月14日夜半 樋詰城-


 城に集まった人間は皆既に疲労困憊の有様であった。兵力はおろか武器食料も籠城にはまるで足りない、一度攻め立てられればあっという間に陥落し、腹を切ることになりそうである。


 幸いなことは夜襲の備えを厳にする必要は無さそうなことだろうか、と朦朧とした意識で景隆は考えた。手負いの者は呻いているが、そうでない者は泥のように眠っている。いくら日頃から鍛えていると言っても、いざ本物の戦闘ともなれば無茶苦茶な動きをせざるを得ない。圧倒的な劣勢であることも、知らず知らずに精神にまで消耗を強いていたのだろう。休める時に休め...近衛軍に属する衛士将校全員に叩き込まれる鉄則の必要性が、身をもって感じられた。


 この場の最上級者としての意識から、深手を負っていないにも関わらず浅い眠りを続けていた唯一の男を覚醒状態戦闘体勢に切り替えたのは、空に鳴り響いた遠雷のような音であった。座禅を組んだまま傍杖代わりにしていた刀を引っ掴んで立ち上がり、音のした方角を見る。部屋の空気が硬直した。


『......海、か?』


 自軍を海岸から撤退させたのは元軍も知るところのはずである、わざわざ盛大な音を鳴らし続けながら上陸するとは考え難い。そもそも彼らの持つ銅鑼や鐘のそれとはまるで違う、それこそ火車を幾十も並べて一斉に撃ち出したような...


『............!』


 その瞬間に彼の脳裏に浮かんだ可能性は、ほとんど無意識に彼の震える口から飛び出した。


『援軍だ、博多の船が辿り着いたのだ』


 直後、城内の雰囲気は一変した。息も絶え絶えで死に体であったはずの樋詰城は、瞬きひとつの間で熱意...獰猛で高潔な狂気に浸された、歓喜と暴虐に満ち満ちた塊へと変貌した。狩人は己が得物を再び手に取り、その純粋な暴力性と欲望を解放する。


 四肢の幾つかを失った者ですら立とうとしている様を見て、景隆はうち震える。こんな姿になってまで、戦おうというのか。だと言うのならば...成すべきことはただ一つのみ。


『さあ、最後の戦場逝くさ場だ。海の上の連中に我らの健在なるを、夷狄には目にものを見せてやろうぞ。もはや誉など無用、一人でも多くの蒙古を殺せ!一歩でも多く蒙古の前へ出ろ!突っ込んで死ね!死ねや者共ォ!!!』





-文永11年(1274年) 10月14日同刻 壱岐島西沖-


 硝煙の臭いが立ち上り、断続的に発射される火車の音は雷の声かとばかりに響き渡る。戦場音楽とはまさにこのことだろう。敵の数は多いが、機動力はこちらが優勢。夜間戦闘の経験があるのも相まって戦況は優位に進んでいるらしいと“オモイカネ”が報告した。ただし島々を縫って散開した敵勢力による逆包囲の危険性も否定出来ないので、入り組んだところに集中配備するのは避け、十分な船舶間距離を保持して遠距離からの火力制圧に終始している。同士討ちも避けたいから、この時点における多少の消極的行動は許容せざるを得ない。


 ある程度敵船の機動力を削ぐことに成功したら、近接戦闘は小早快速の小型艇に人員を搭乗させて送り込む予定だ。艦隊に随伴させて連れてきた輸送船から発進させるのだが、実はこいつ、源頼義四周目に整備したものの次世代型だ。改良が進んでいるとはいえ、ここまで発展するとは思わなかったよ...こんな大規模な戦略機動は相当高度な練度で無ければやれない、事前通達や軍議ブリーフィングは済ませているとはいえ、大博打にも程がある。まだ帆船なんだよ?


 天候が悪ければ混乱はおろか、衝突事故やフレンドリーファイア(火薬無し)が多発していてもおかしくは無かった。まぁ一応、天気まで“オモイカネ”が見越してこの作戦計画を立てたのだけれど。人間の動きが多少変わったところで、この時代なら天気に影響が出ることも無いと自信満々に言っていたが、私は元来心配性で博打を打つのは不得手なのだ。


 ...しかし、とりあえずこれで、彼の戦力壊滅は確定するだろう。敵水上戦力による本土侵攻の意図をこれで挫こうというわけだ、流石に全部沈めることは出来ないにせよ、橋頭堡を作らせることも無く数万規模の軍隊を撤退に追い込める意義は大きい。軍事的にも、政治的にも、経済的にも弾みがつくだろう。統一国家として迎えた初めての大規模な対外戦闘に勝つことは、それだけ内部の自信を深め、結束を強くする。いずれは人口も増えるだろう、領土の拡充と開拓が必要だな...南下はまだ厳しいし、いっそ北上するか? 落ち着いたら本格的な北海道の調査に乗り出してもいい頃合いかもしれない。博多が軍港を中心に半都市国家化して、「西京」の異名を取っている現状を鑑みれば「二極集中」の是正のためにも関東の干拓や甲州の治水もしないと。


 皮算用や考え事は尽きないが、刻々と変化する戦況が暇を許してくれない。頃合です、と“オモイカネ”の声が脳内で響く。よろしい、突撃だ。


『小早出せ!』


 法螺貝の音が、鏑矢の音が、混じりあって旋律を奏でていく。海上を松明の灯りが無数に踊り、辺りを照らしていく。射撃を停止した大型軍船からも、声援が飛んだ。接舷切込みの猛訓練に勤しんできた精鋭たちだ、戦果を上げてくれるに違いない。後はどのタイミングで戦闘を切り上げ、壱岐島への上陸作業を敢行するかだが...座礁の危険性を考えれば、日の出後一択かな?


〔日の出まで、残り3時間15分です〕


 ふむ…思ったより短いな。その程度の時間だと、なんだかんだで艦隊の集結と再編成をしているうちに余裕で朝になるだろう。加えて被害や戦果の確認作業もあるからバタバタだな...あと対馬と違って侵入されてるから、山狩りも必要だ。島の守備隊の撤収作業も含めると数日から一週間は確実にかかるし、また艦隊を割らんといかんな。水や食料はまだ余裕があるのが救いか、だが後始末も楽じゃない。博多に戻ったらすぐ帰朝して報告する必要もあるし...あと高麗帝に拝謁する必要もあるな。今回の艦隊は一応日高の連合艦隊なのだ。今は「招待」してきた技術者が活躍しているからまだいいが、亡命政権の面倒を見続ける状況が単調に続くと不和を起こしかねない。そういうのも見越しての参戦受諾だったが...捕虜の中には高麗語を話す者が多く、兵士個人間の通訳として結構重宝したようなのだ。礼も兼ねて手土産を何かしらと口添えはしてもいいだろう。実戦部隊の最高司令官という肩書きが、彼らの援護射撃に多少は役立つはずだ。





-文永11年(1274年) 10月16日 日本海海上-


 大敗だ、と洪茶丘は幾度覚えたか分からない惨めさと共に口の中でその言葉を反芻する。たかが島2つにちょっかいを出しただけで、ここまで手酷い損害を受けるとは夢にも思わなかったのだ。旗艦を含めた艦隊最奥部の船群こそ脱出は出来たが、無茶な機動や敵襲による損害によって船はもうボロボロ。夜戦であったこともあり、半日以上経った今でさえ軍全体の被害すらまともに認識出来ていない。自分たちが逃げ帰るのでやっとだったのだ。日本の本土を見ることも無く、これほどの数の船と兵が屠られたことは、彼だけでなく元・後高麗連合軍の首脳部にとっては深い衝撃であった。


『...せめて、今少し兵の練度があれば違ったのだろうか』


『分からぬな』


 漏れ出た呟きに、日本征討都元帥本軍のトップであるクドゥンが苦笑と共に反応した。


『襄陽や樊城では回回砲という新たな武器、そして十分な地形の把握と対応した作戦、それを習得し完璧にする時間あってこその赫々たる勝利であったと聞く。我らにはその全てが無かったし、噂を聞く限りではむしろ敵の方が要素全てを持ち合わせていたろう』


『何もかもが足りなかった、そういうことでございますな』


 結局、舐めていたのだろう。先々代ハングユクまでは半ば放置されていたのに、一度征討の意志を起こせば瞬く間に占領されたと同じだと、勝手に決めつけていたのかもしれない。ボロボロになった船と、自分の姿を見ながら、大きく嘆息した。


『雪辱の時が訪れることを願いたいものです』


 ハンの期待に応えることが出来ず、沙汰を覚悟していると言えどもそんな幻想に縋る。多くの将軍が同じ思いなのだろう。首肯をし...ひび割れた武器や甲冑が擦れる音が、さながら嘲笑する悪魔の笑い声のように聞こえ、皆が顔を顰めた。





-文永11年(1274年) 1月上旬 摂津国東成郡(現大阪府生野区)-


 宮中に報告した後、儀礼やら議定やらを済ませて少し余裕が出来た時には既に年が明けていた。遅れあそばせながら、摂津にある星霜台へと出向く。新たに高麗帝の座所として建設されたこの宮殿は、どれだけの年月を経ても必ず本土を奪還するという強い意志を持ってその名がつけられていた。


『陛下、遅参大変申し訳のうございます』


『構わん。既に事情は聞いておるよ。さしものその方も、仕事には勝てぬか』


 呵々と笑う少し渋のある男こそ、当代の帝王である忠烈帝。“史実”においてであった彼は、日本征伐の資源や兵士の供給を担い、積極的に加担したはずなのだが...何の因果か、この歴史では元と後高麗を因縁の相手と見定め、この地で機を待ち続けている。


『お戯れを...先の戦での光烈衆の活躍には随分と助けられまして、陛下には何と申せばいいやら』


『何、我々の出来ることをしたまでだ。結局は食客の身分なのだからせめてこの国を守るのには協力せねばならんだろう』


 兵も勿論だが、共に従って逃避行を続けてきた者たちによる恩恵も大きい。かつて私に元の襲来を告げた崔の一族の者らが例に出した青磁技術だけではなく、造船や建築、さらに哲学論や教育事業に至るまで、我が国の発展に貢献しているのだ。もちろん逆も然りで、彼らの中で経済知識や科学技術の吸収が進んでいる。単純に知識人階級の人数が増えたと言うだけでも、科学の全体的な進歩が加速しているのだ。基礎研究は多岐に渡り、なんだか個々人がやりたいことをやりたい放題しているように見えはするものの、そこから得られた経験や技術によって莫大な利益を出している実績は大きい。相乗効果はこれからも続いていくことだろう。いずれは思想哲学や政治学にも繋がるやもしれん。


『それよりも、だ。今回は連中を退けたが、その方はどう見る?これで終わりだと思うか?』


『いえ...そうは思いませぬ。あくまで肌身で感じただけではございますが...なるほど、数は多うございましたが、どうにも手応えがありませぬ。加えて船に乗っていたのは高麗人こまうど宋人そうひとばかりで蒙古はほとんど居りませぬ故...最悪の見立てでは、あれはではないかと』


 流石にそんなことは無いと思いたいし、“オモイカネ”も否定的だが、全く無いとまでは言いきれない。政治的な要請があったにせよ、編成から出撃までが早すぎる。数で押し潰せれば良し、これを倒すのならば次は本気の侵攻を...フビライがそう考えていても不思議ではない。彼らの本質が草原を疾駆する騎馬兵であるのなら尚更だ。“史実”同様、朝鮮半島からの南下と同時に、中国本土から東シナ海を北上して攻め立てる本命の軍が出現しても不思議ではない。海を草原の延長として捉えているならば、多かれ少なかれそういう機動の発想に至る。


『諸将も似たような意見であったな』


 頷き、彼は暫し思考する。


『ふむ。次に彼奴らが来るとしたら、いつ頃になると思う? そしてそれを凌げば...』


 故地へ、帰ることが出来ると思うか、と最後は殆ど聞き取れないほどの小声で呟いた。


『...難しい問いでございますな』


 前者についてはまぁ、そこまで穿った見方をしなくとも推測は出来る。戦闘結果の報告とフィードバック、戦力の補充に再編にかかる時間は年単位でかかるだろう。それに本土周辺の活動活発化や場合によっては特使の派遣もありうるか...とにかく、予兆は事前に掴めるはずである。


 問題は後者だ。確かに半島に根を張った後高麗政権へのサボタージュ、宣伝戦指導の効果は絶大である。そもそも彼らは元軍の力を背景に政権を奪取した存在であり、民の支持を受けていない。海を隔てているにも関わらず、我々が迅速かつ正確な情報が得られることがそれを裏付けている。声だけでなく実利も与えてきたお陰で、取り方によっては逃げたと見なされかねない亡命政権が影響力を維持出来ているのは大きい。しかし、どこまで行っても結局は実力で排除しなければ帰還は厳しい。そして残念ながら、我が国にはその負担は大きすぎるのが現状であった。


 それを分かっているだろうに敢えて聞くというのは、彼自身が本土へ帰れるかに不安があるということなのだろう。この時代では既に健康不安に陥ってもおかしくない年齢だ、未練が募るのも仕方あるまい。


『...次の襲来は、10年程先となりましょう。あるいは、今少し早まるかとも思われまするが。ただ...例えそこで寇軍を叩けたとて』


『未だ無理がある、か』


 無言で首肯することしか出来ない。認めたくは無かったのだろう。自らがもう二度と戻れなくなることを。だから遮った。自分でその幻想を終わらせた。


 深々とため息をつき、首を振る。


『ままならぬものだ。出来ればあと2、3年の内に終わらせたかったのだが。このまま行けば息子にも、あるいは孫にも苦労をかけ続けることになる。縁故の闇を、半ば亡国となることとなることの悲惨さを、引き継がせてやりたくなどなかった。そんな遺産は...残したくなどなかった!』


 沈痛な顔で、絞り出すように言葉を紡ぐ。あるいは、日本も何かを間違えればこうなっていたのかもしれないと思うと、感じるところが無い訳では無い。文字通りの外患内憂であったが故の結果ではあるが、その原因は偶然によるものもあるのだろうから。


 山河あれども国破れては、人は生きていけないのだ。例えどれだけ恵まれた立場にあったとしても、個人のアイデンティティが完全にその国固有のそれと同一とならなければ、いずれ不和をもたらす。移民問題がいい例だろう。恐らく可能性のある唯一の解決法は時間...そしてそれを生み出すための金銭的余裕か。金は金で買えないものを得るためにあるというのは至言だな。


『何度でも言うが、その方やそちらの帝には感謝しておるよ。我々を救い出し、あまつさえ一時の安住の地を貸し出してくれたことはどう恩を返せばよいやら...今少し、ここに居座ることを許してくれ』


『とんでものうございまする、我らとて他人事ではありませぬ故...いつの日か必ずや、どのような形であっても高麗へとお連れし申し上げましょう』


 そうだな、と寂しげに笑う。そういえば...直接は見ていなかったので後から聞いた話だが、泥縄式の避難作戦を終えた時、帝もまたほとんど着の身着のままでの逃亡になったらしい。その周りを守る将軍でさえ、剣は錆び、弓は弦が切れそうな程に消耗していたとも。かの崔将軍も帯剣はしていたが、中身の刀身がボロボロになっていたと耳にした時はかなり驚いた。武器そのものはあっても、内実は手入れをする暇も無かったのだろう。返す返すギリギリであったと思う。そして我々がそうならない保証も無い。いくらか自信はつけられているし、余程の事がなければ勝てるはずだが...万が一の時は逃げ場などない。最後の一兵となるまで戦うしかない。あらゆる可能性に対策を打たねばならん。

































文永の役は日本・高麗側の勝利で終わった。長年の情報収集と迅速な伝達、新戦術の投入により大勝を得たと言っていい」


しかし、あくまでこれは防衛戦。南宋から流れてきた商人や海賊崩れからの聞き取りから、二度目の侵略は当然あるものと朝廷は考えていた。それがさらなる大軍であり、より洗練されたモンゴル人主体の軍であることも勘案していたようだ。故に近衛軍は勝利に酔う武士の引き締めを図り、次の戦いに備え始める」


今までの遠洋航海調査に基づき立てられた戦闘予測領域内の離島に住む住民の移住奨励。国内インフラの更なる増設と整備の加速。当時としては目まぐるしい程の勢いで進む各種改革は経済を更に富を増やしていく。戦争によって、経済は活発化、加熱化の一途を辿っていた」


「これらは元寇後に利益と損失を...表裏一体の二種の影響を与えることになるのだが、まぁそれは後々の話だな。とりあえず、箸休めがてらに戦間期とも言える弘安の役までのしばらくの時間における日本の話をしよう。統一後の宗教の顛末が不十分なままだと記憶しているから、そこからかな。この議閣時代初期から中期にかけての時代に、現代日本の大衆宗教が大まかに出揃い尽くしたことは言及すべき事象であるだろう。」

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