第三章 寇軍、来たる

第七編 北条時頼

第三十話 七周目

第七編 北条時頼

第一話


「さて、それでは元寇についての話を始めようか」


一般的に元寇、元寇とまとめて言われるが、正確には1274年の文永の役、次いで1281年の弘安の役が日本への元王朝の侵攻と言われる。寇というのは倭寇という言葉から見て取れるように外から侵入して害を与える敵という意味があるから、計2回に及んだ侵攻をまとめて元寇と呼ぶわけだ」


前に喫茶店で話した通り、モンゴル帝国は交易で得た情報から日本を支配下に置くことでその莫大な金銀を...つっても彼らに伝わっていたほど大量にあったわけではないが...手中に収めようとした。で、日本列島を制するための前準備として白羽の矢を立てられたのが高麗だったが、高麗はその服従条件を拒否して大戦争に発展したという所までは先日喫茶店で説明したな」


最終的には半島全土を制圧されるが、その後もその土地の人間による散発的なゲリラ戦や焦土作戦によって手を焼かれ、侵攻回数は全六回に達した。傀儡とはいえ新しい指導者を擁立し、その政権による全面降伏が成されたのが元寇の10年前、1264年だと言うのだから凄まじい。一説には最終侵攻時だけで捕虜の数は20万を超えたとも言われている」


それでも彼らは...高麗朝廷宗家は、モンゴル帝国に、その後継である元に屈服することを良しとしなかった。民衆も似たようなものであっただろうことは数多くの歴史書を含む当時の資料に残されたモンゴル人への反発や破壊工作の話が如実に物語っている。門外漢だし話の本流から逸れるから詳しくは言及しないが、そもそも高麗という国が過去にあの半島で形成された国家とは少々異なる価値観を育んでいたというのがそれまでに苛烈な抵抗を示した理由の一つではないかというのが割と信憑性が高くてな。あそこは漢民族と遊牧民族との境界線に隣接してるせいで国の絶妙な舵取りを要求される。一国でも己を簡単に滅ぼしうる力を持った連中同士が自分の方につけと揃って恫喝してくる場所ってのはまぁ恐ろしいとしか言いようがないわな」


で、そのために新羅までの王朝は時流を読んでその当時の強い方につくという策を取っていた。取らざるを得なかったともいえるが。だが太祖の建国以後高麗と最も密接な関係を築いたのは、本邦であった」


この辺りは清岡君から聞いたな。で、交易が活発になるにつれて高麗は...と言うより高麗朝廷は、ビジネスパートナーとしての付き合いならいざ知らず他国に全面的に服従するような状況になるのは不味いと判断した。民族意識というと少々高尚過ぎるかもしれないが、まぁそんなようなもんだ。折しも日本との関係を深めるに当たってその障害となりそうな人間は中枢から排除された時期であったのも作用したっぽいな」


加えて中華王朝は戦国時代に突入したことでしばらくは建国以来の怨敵と見据えた遼のみに注力が可能で、源高明らが開発した各種の火薬兵器や源頼義が直々に出向いた戦術指南などの援助もあり国力を富ませて防衛戦争に勝利するなど成功体験を積み重ねて自信を持てたのも要因だろう。途中から遼を従えるようになった金も撃退してるしな…それにモンゴル帝国の伸長期には既に民族自決に近い議論が存在していたくらいだ。まぁそれ故にそんな国家意識を否定するような傲慢とも取れる要求をしてきたモンゴルには強烈な拒否感と四半世紀以上にも渡る徹底的な抗戦で応えたわけだが」


話の流れを戻そう。オゴタイの代から劣勢は変わりないものの、完全屈服はおろか支配地の統制もろくにされていなかった高麗だが、5代ハンにして元王朝初代皇帝であるフビライがその座に就いた頃から流れが変わり始める。フビライは今までの征服政策から再度懐柔策に転換し、内部からの崩壊を狙った。長く続く戦争のために税を搾り取られ、集落を荒らされた地域、特に元々モンゴル帝国にあまり脅威を感じていたわけではない中北部に手を出し、さらに極めて遠縁ではあるものの帝家に連なる血を引く在野の人間を引き入れることに成功した。彼の名は王亶、先程述べた政権...後に後高麗と自称する傀儡政権の初代だ。実はフビライの代でも日本への侵攻を構想していたのは彼が煽っていたというのも一因だったりする。彼の生い立ちは結構悲惨なんだが、様々な要因から鬱屈した感情もあって反体制思想が強かった。そのため高麗朝廷のみならずそれと協調する日本も打破の対象であったというのが定説だな」


そしてフビライより援助を受けた王亶は密かにシンパを集めて力を蓄え、1264年のモンゴルによる高麗への最後の侵攻と時期を合わせて蜂起。対応能力が飽和した高麗軍を破って江華島の対岸、今の金浦や江華郡周辺にまで到達した。幸いにも軍船をまともに保有していなかったことから江華島への即時上陸までには至らなかったが、高麗朝廷にとって事態は既に一刻の猶予もなくなっていた」


定期的に造船所に襲撃をかけるだけの海軍力は朝廷側が有していたから、実際のところは妨害自体は可能で、島を舞台とした籠城戦の展開は出来ただろう。だが、海路封鎖で作戦そのものに支障が出る段階まで武具を損耗していては、逆侵攻された場合に悲惨なことになることを念頭に置いておかねばならん。いくら日本が船舶による支援物資輸送をしていたとはいえ、運べる数には限りがあるし、途切れた瞬間を狙われては元も子もないからな。だから彼らは我が国に対してかなり思いきった撤退作戦を提案した」


「これは朝廷近衛軍初となる異国での軍事行動になった。目的は江華島内の領民を含む約3000人にわたる全人口の収容と日本への護送、そして対岸の再度の強襲。動員されたのは軍船50に輸送船30、上陸兵力500名。後に伝えられるスローガン事実上の作戦名は、乾坤一擲。そしてその司令官こそが今回の主役、北条五郎時頼。北条義時の子、泰時が孫にして元寇勃発時に近衛軍参謀長として陣頭指揮を執った英傑だ。」

































-文永2年(1265年) 3月中旬 江華島-


 情勢は非常に厳しい。蒙古のみでも我らの手に余るというのに、まさか在野の人間の中に帝の傍流がおり、蒙古と手を組んで攻撃してくるとは...我々は島にて守りを固めているから、簡単には攻められることはないと言えど、交易を封鎖されては手も足も出ぬ。最後の望みを託して日本へと使いを出したが、間に合うかどうか...


 高麗の文官筆頭、柳璥ユ・ギョンは最悪の結末を考え、暗澹たる気持ちになった。騎馬民族であるが故に今まではなんとか江華島への上陸は防ぎ、日本から供給を受けた武器によってその戦力を向上させた兵士の活躍によって国土の南部は辛うじて蹂躙を免れていたが、今回の侵攻は島嶼部以外の全占領を覚悟しなければならなかった。武官筆頭、崔竩チェ・ウィの血を吐くような奏上を聞いて敵を侮る者は誰一人としていない。末端、それも自称とはいえ帝家の血に連なる者が国内の反乱の首謀者という情報に御前だというのに冒瀆的な言葉を呟きそうになったのは自分だけではないだろうと柳は思う。


 帝は...泣いておられた。おそらくは、自分の無力さを。もっと国に力があれば民を侵略の恐怖に晒すことは無かった。自身と血の繋がりのある者の中から、現状に絶望してこの高麗建国以前に伝わるような、大国に屈しぎりぎりのところを生き永らえるのを是とする者を出したくはなかった。そんな嘆きを感じた。


 勿論、国が滅ぶよりはそうやって存続させるのがいいに越したことはないのだろう。だがそれも結局は長く続かず新たなが生まれるだけだ。真に繁栄を目指すのであればまずは己が率先して民を守る姿勢を見せ、降りかかる災厄を払う覚悟を持たねばならない。


 そこまで考え、柳は再び苦笑した。なんだ、蒙古への対抗に日本を頼るようでは何も変わらぬでは無いか。確かに今までは有り得ぬくらいに良心的な態度で我々と交易をしてきたが、単に国内の混乱があったからそのようであったのを、惰性で続けていただけでは無いのだろうか。彼らにとっては今の我々は虎の目の前に投げ出された肉も同じ。ここで日本に助けてもらうのであれば、結局はあの王亶とかいう者やそれに従う奴輩と変わらぬのではないか。


『どうした、柳殿。いつも以上に辛気臭い顔だな』


 ため息をついたところで、通りかかった崔竩が柳に声をかけた。柳は一瞬誤魔化そうとも考えたが、武臣の最高官であり年が離れてはいるものの旧来の友人でもある彼に隠し事というのもはばかられ、思い切って自身の考えを打ち明けることとした。


『...なるほど、一理ある。だが柳殿にしては珍しく少々視野狭窄になっているのではないかな』


『というのは?』


『蒙古と日本とでは大きな差がいくつかある。私は武官だからまず最初にその観点から見るなら、蒙古にとってこの戦争はそもそも日本を征服するために始めたものだろう?というのがある。断続的とはいえ戦いが長い年月にわたっているせいで原因を忘れがちだが、我々はむしろ日本に恩を売っている立場とも言える』


 あ、と柳は声を漏らした。そうだ、我々が耐えれば耐えるほどむしろ要求は通しやすくなるのではないか。


『それに日本にとっては、我々と自由に交易している方が利が大きいというのもある。無理矢理支配して汁を啜るより商売のお得意さんとして扱った方が得になるのは今までの彼らの...少なくとも向こうの朝廷の総意ではあることは確かだ』


 この辺りは専門はむしろ柳殿の方であろう? と悪戯っぽい笑みを浮かべる崔に対し、柳は大笑で応じた。商人との繋がりが非常に濃いが故に、銭に最も敏感な職業将軍である君が言うとは傑作だ。細めた瞳がそう言っていた。


 なんとも言えない閉塞感でいっぱいだった城内に、少しだけ明るさが戻る。そこへバタバタと血相を変えて一人の武官が飛び込んできた。


『え、援軍です! 日本が軍船を率いて...港にやってきています!』













 夜間の入港の場合、敵味方識別の方法は松明の振り方でと彼らからの救援要請には記されていた。同士討ち無く入港出来たのは良かったな、とりあえずこれで艦隊は無事に辿り着かせられたから、あとは復路だな。


 今世は前世北条義時の曾孫だった。前世の家に再転生、というのは初めてだな。北条時頼というと、能の『鉢の木』の元ネタとなった人物であるということで有名だろうか。あとは“史実”の元寇における鎌倉幕府のトップ、北条時宗の父親であるということも。“史実”なら既に死んでいる人間なのだが、私はこの通りピンピンしている。“オモイカネ”のおかげだ、とりあえず元寇が起きるまでは大丈夫だと思いたい。


 北条の人間は定期的に病弱な人間が出るというのだろうか、父(孫)が早死にしてしまったので養育係は祖父(息子)になっていた。あまりにもカオスな環境だったせいで小さい頃は表情筋が死んでいたような気がする。ごめん、前世の息子じいちゃん。こればっかりは折り合いつけるのは無理だ。その分はしっかり働くから。王亶という、明らかにノンネームドどころか、下手したら歴史改変によって生まれた人間のことは気がかりだが...噂で伝え聞く彼の経歴は、“史実”の忠烈王に相当するように思えてならない。歴史が収束しているとでもいうのか?


 そんなことを頭の片隅で考えつつ民衆の誘導を指揮していると、武官の中でも特に位の高そうな人間が姿を見せた。


『挨拶遅れ申し訳ない。武臣筆頭の崔竩という者だ。救援に来ていただき誠に感謝する』


 筆頭、そして崔の苗字。“史実”であれば武臣政権として高麗朝廷を牛耳っていた人間だろうか。


〔崔一族最後の支配者ですね。“史実”では文官筆頭の柳璥、武官の金俊キム・ジュンに暗殺され、結果モンゴルへの全面降伏が成されました〕


 ...あれ、柳璥って確かこちらに救援を送ってきた人じゃなかったか? ここでも歴史が変わっているのか?


『朝廷近衛軍艦隊司令、北条時頼と申します。柳璥殿の書簡を拝見し、軍を動員しました。現状を教えていただいても?』


 10度の敬礼...近衛軍設立時から既に礼式は一通り現代のそれと変わらぬものを採用している。また将来の人間がどこからともなく生えてきた謎の儀礼に頭を抱えるだろう...をしつつ、それとなく尋ねる。通訳がいらないことに彼は一瞬驚いたようだったが、答礼...どうやら軍事指導によってこちらでも根付いていたようだ...を行うと共にそれは消え、同時に人懐っこさのある笑みが浮かんだ。


『柳殿の書簡が間に合ったか... や、彼は私の知己でな、年が些か離れてはいるがつい先程も話してきたばかりなのだ』


 へー... ふーん... そんな世界線もあったのか... 武田信玄と上杉謙信が仲良い...というか織田信長と足利義昭が仲良いって言ってるようなものでは...?


『それで、現状の確認であったな。軍に関していえば、戦闘能力の喪失には至っていない。最低でもあと一回は造船所と港に襲撃をかけてもお釣りが来るぐらいには戦力は温存させてある。だが民草については、食糧事情が少々切羽詰まっていたところだ。あと一週間程で蓄えが怪しくなる所だった。貴軍が来ることは公表していたから辛うじて目立った混乱は起きていないが』


 なるほど、危ういところをギリギリで助かった感じか。我々の来援を公表していたのは情報保護の観点から見ると少々頂けないが、港は全て軍の管理下にあるようだからまぁ良しとしよう。


『了解しました。襲撃についてですが、指揮系統の関係から観戦武官及び上陸戦における歩兵の派遣として、残りは御一任させて頂きたく思います。残存戦力は船への収容時における混乱防止と船団の警護に』


『分かった、兵の抽出は光烈衆から行おう。観戦武官は旧来の規定通りに。民の乗船は夜更け過ぎには終わらせる、それでよいかな?』


『はい、避難の時間は我々が稼ぎます。誘導のために一隻軍船をつけますので、夜明けまでに沖に出ていただいていれば大丈夫でしょう』


 観戦武官についての取り決めは近衛軍設立以前からある。それを踏まえても即断即決で理解のある人物でよかった、これなら避難民への被害はまず出ることは無いだろう。安心して攻撃に専念できる。


 矢合わせ襲撃はなるべく早い段階で開始させよう。避難の様子を悟られにくくなるからな。まだ対岸はそれほど大きな動きがない、何かがおかしいと思っていても船が無いからまとまった軍事行動が出来ないんだ。天佑はある、この作戦は何としてでも成功させよう。最低でも“史実”と同じ時期まで時間を稼ぐのだ、なんとしても! 神風に頼っているようじゃダメだ、だから我々は準備してきた。


 50年、半世紀だ。それだけの時間をかけて国土を強靭化し、可能な限り円滑かつ健全な政治体制を維持できるよう下地を作って後継者へ引き継ぎ、軍の練度と戦力の強化に並行して経済の拡大を行ってきた。もちろんそれが全て上手くいったわけではない。だが、良いのか悪いのかはその時にならないと分からないとはいえモンゴル帝国をこちらの首脳部が過大評価した結果、今では“史実”以上に自然現象に頼らずとも勝てる自信があるだけの力を手に入れようとしている... それを確実なものとするためにこの前哨戦があるのだ。被害は極小化されなくてはならん。負ける要素はほぼないはずだが、コラテラルダメージの許容範囲を超えた被害が出ては目も当てられなくなる。気を引き締めてかかるとしよう。

































救援要請が届いてから実際に駆けつけるまでにかかった時間はおよそ3日。これは相当早い動きだと言って間違いない」


当時の船で江華島まで行こうとするともっとかかってもおかしくはないんだ。往復だと2週間以上必要となる可能性すらあった。それがここまで短縮出来たのは、今の福岡港周辺に既に艦隊を配置し、準戦闘体制に移行していたからだろう」


伝承では知らせを受け取ってすぐ海路で筑前まで駆けつけ、その間の船上で作戦計画を練り、必要な人員・物資の計算を行ったと言われているが、これは嘘偽りのない話だろう。じゃなきゃいくら準備が整ってても無理な話だからな」


練度の向上を半世紀近くに渡って欠かさず続けてきた近衛軍は迅速な動員にも対応し、その能力を遺憾無く発揮した。大規模な艦隊行動、それも難所で知られる日本海を渡る大変困難なものであったが、特に大きな問題が発生することも無く彼らは江華島まで辿り着いた」


当時の島の人口は開京...今の開城から朝廷とともに逃れてきた人を含めても3000人程度。輸送船の数と容積にはゆとりがあったし、高麗の武臣達は救援の予告を出していたから、宵の口から開始された住民の船舶への乗り込みだが、順調に進めば夜の闇に紛れて脱出が出来る目算が立っていた」


その障害となったのはやはり、対岸の敵勢力だな。昼夜を問わず船舶の建造に勤しむことで島の監視もしていたようだし、これをどうにかするのが時頼の率いる部隊の役割と言えるだろう。敵戦力の攻勢を遅滞させる意味を含めた陽動だ、ついでに言えば船舶建造の技術者を拉致するという嫌がらせ的な側面もあったようだな」


拉致といっても連れていかれた先で技術力を買われ、厚遇されたから現代的な用語での説明は難しいものがあるのだが。その子や孫の世代の中には亡命した高麗朝廷に仕え、半島奪還時には臣下として活躍した者もいるしな。昔その当事者の子孫を名乗る人と話す機会があったんだが、まぁその家では美談として伝わってるみたいだ。塞翁が馬みたいな所があるし、人それぞれ捉え方は違うと思うがね」


さて、これである程度各勢力の状況と目標の整理は出来たかと思う。日本にとってはこれはあくまでも前哨戦であるということは強く意識しておいて欲しい。立場の差によって起きたことへの受け止め方がまるで違う、そういうことが恐らくこれからの歴史を語る上でかなり多くなってくる。評価の背景には必ず因果関係があり、それがまた次の歴史的な事柄を起こす原因となる。乾坤一擲作戦はある面で遅滞防御作戦であり、またある面で極めて政治的作戦であり、さらに別の面では奇襲攻撃による攻勢防御作戦であった」


「そこから導き出された次の行動で彼らの思考がどうなっていたのかが推測出来るだろう。この辺りはとりあえず今は置いておくとして...戦闘の経緯、江華島大脱出の顛末、それに対する元王朝及び王亶政権の反応について語るとしようか。」

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