第二十九話 覇王の足音

第六編 北条義時

最終話


「多少ゴタゴタがあったものの、最終的に早逝した兄の跡を継ぎ北条宗家の当主になった義時は、元武士団や地方豪族の関係を取り纏めつつ貴族閥との連携も重視しながら改革を進めていった。後鳥羽帝の信頼も厚く、一代で半家はおろか名家をも凌ぎかねない程の力を手にし、同じく飛ぶ鳥を落とす勢いの義兄、希義と協力した成果は着実に現れ始めていた」


加えて国内が一定程度安定したことで経済が活性化し、各地で商人の力が増し始める。その影響は海を越えて隣国である高麗にも及んでいたんだ。源頼義が生きていた頃からかの地でも似たようなことが発生していたが、特に光烈衆が北部の騎馬民族を撃退し続けていたことによって帝家に求心力が集中し、相互作用で日高双方の経済にさらに刺激を与えたというわけだ。情報交換も活発に行われていたようでな、政治組織の刷新も我が国から少々遅れてではあるが開始されていたらしい」


が、ここでそれらの努力を全て水の泡とする勢力が静かに...しかし着実に忍び寄っていた。13世紀とはすなわち、モンゴルの世紀。そう、モンゴル帝国の襲来が秒読みとなっていたわけだ。彼らは当時のどの軍隊よりも機動力に優れ、加えて限定的ではあるが火力投射すら行っていた。まさに大王、果ての果てまでその大地を征服せんとする草原の覇者と言えるだろう。そんな彼らが高麗にまで目を向けるのは地理的要因から見ても至極当然な時間の問題であったのだな」


華中以南の肥沃な地を手にするには邪魔なんだよな、かの半島は。モンゴル人は華北よりも北が故郷である以上、南部に侵略している時に後方遮断されたら目も当てられん。最低でも属国、可能なら植民地化する必要性を想起するのにかかった時間は決して長くはなかっただろう」


とはいえ、山脈によって蓋がされているのも相まって最初はむしろ友好的であった。金王朝に属していた契丹が高麗領内に侵入した際にはそれを追ってきた彼らと共同で撃退している。関係性があるかは不明だが、その際に火薬兵器を積極的に使用する高麗兵を見ていたはずだ。それに騎馬民族という点で類似している遼を幾度となく撃退するという実績を鑑みてか、初代ハンであるチンギスが若い頃は申し訳程度の交易と情報の交換をする程度であった。質は侮れないが恐るるには足らず、されど無理に攻めるほどの益は見い出せずというモンゴル側の評価が残っていたことが確認されている」


しかし、チンギスの最晩年から第二代ハンであるオゴタイ即位の頃にかけてこの認識が徐々に変化していった。金王朝、西夏の滅亡が時間の問題となり...その先、南宋の攻略が目前まで来ていたからだ。ここまで征服したとなるとかの半島は衛星国、あるいは滅亡まで追い込んだ方が都合が良い。そう方針を転換したが故にモンゴル帝国は高麗に対して朝貢を要求した」


とはいえ内容はむしろ高麗優位の甘い条件であり、交易物を見る限りでは宮廷としては適当に受けても良いのではないかという空気が一時漂ったようだが、それを急変させる条件と献上物が存在していた」


ダルガチ...即ち、モンゴル帝国の領土及び属国への民政監察官の配備と銀の献上がそれだ。他の属国から見れば決して無茶な要求とは言えない...なんせのことならどの国も要求されていたし、銀の要求量もそこまで莫大とは言い難いものだったからな...ものであったが、何故これが逆鱗に触れたのかというと、商人と...我が国が絡んでくる」


「当時の高麗で重視されていたのは何か?そして当時の高麗帝すら無視できない勢力を築いていたのは誰か? これによって予測される出来事の危険性に真っ先に気が付き、奏上したのが義時であった。この時が、我が国がその戦力を対外戦争へと振り分けていく分岐点になったと言われている。日本が東アジア情勢、国際情勢というものを強く意識せざるを得なくなった事件、モンゴル帝国による高麗の侵攻は既に秒読みの段階に入っていた。」

































-承久2年(1220年) 11月上旬 大内裏-


 その男の顔には、いくつもの小さな切り傷とともに、微かに疲労が刻まれていた。歳は若いが、苦労を重ねてきた者の顔だ。髪や服装こそ整えられているが、ぎらついた目は少々窪み、頬のこけ方が尋常ではなかった。この時代の未熟な航海技術で、それも少人数しか乗れない小舟で来たようなのだ。その道中は並大抵のものでは無かっただろう。しかし無事にたどり着けるだけの技量は、ゴツゴツとした手にいくつもある豆が潰れた痕と、日に焼けて黒ずんだ肌が見事に証明していた。


 男は崔忠献の一族に連なる者にして光烈衆の関係者であると自身の経歴を明かした。崔忠献は光烈衆の現頭領らしい。歴史が確実に変わっているが、崔忠献なる人物が分からん。誰だ...?まさか“ノンネームド”未知の逸材...?


〔“史実”では武臣政権...つまり武家が政治を牛耳り、王家に変わって独裁体制を敷いていた時期に頭角を現し、その地位を絶対的かつ磐石なものとした人間です。自身の弟をも含む反対派を徹底的に弾圧して恐怖政治を行った一方で、武将の出自ながら商工関係にも比較的明るいと評されていました〕


 なるほど...そんな男が光烈衆、王家...こちらは既に帝家を自称しているが...に忠誠を誓う最精鋭の軍のリーダー、か。この歴史では帝家の権威と権力が増大した結果、軍事クーデターを起こすこともなく今に至っているようだ。多少皮肉めいたものを感じる、痛いのはその辺の分岐点をリアルタイムで観測できなかったことだな。前世藤原忠実になってからは国難に備えるために、諜報組織は朝鮮半島から撤退させ、そのリソースを全て国内に割いていたから...


 彼らがわざわざ海を越え、朝廷にまでやってきた理由は、この日本にとっても決して無視できるものではなかった。モンゴル帝国が、動き出したのだ。火急の用であるからだろう、大宰府からは転がり込むような勢いで訪れたと知らせが届いていた。


『我らは貴殿らとの交易を何よりも重視しています。そこに監察官を置かれ、通貨の一つである銀を献上させられるとなると...社会への影響は甚大です。商人が皆不安がり、あらゆる物の値段が天井知らずになりました。これでは例え傘下に下ったとて体制の維持が困難になる...我が君はそう判断なされ、蒙古の迎撃を命じられました。今はまだ返答をはぐらかして時間を稼いでおりますが...数年以内には開戦せざるを得ないでしょう』


 通訳を追加で呼ぶ必要がないことに彼は少々驚いたようだが、要約するとそのような話をしてきた。なるほど、“史実”より早い決裂が起こりそうなのはそれが理由か。四周目源頼義の時にはある程度兆候があったが、まさかそこまで商人の影響力が増大していたとは...私を通じて話を聞いた何人かは少し苦い顔をした。武家上がりの奴らか、お前らはもうちょっと腹芸を覚えた方がいいぞ。たとえそれが同情的なものであってもどう取られるか分からんからな。義兄上や代々公家の連中を見習うべきだな。


『...我らとて外の情報に全くの無知ではありませぬぞ。目論んでいるのは迎撃ではなく、先の一手でございましょう』


 やんわりと、しかし根は最低限張っていると言外に表明する。まぁ向こうの言いたいことは予測がつくからこれはジャブですら無いのだが。


『失礼、その通りでございますが、我らは戦力の優劣が分からぬ程の無知蒙昧ではありませぬ。少しでも勝てるように、故に先の一手を迎撃と言い換えた次第で』


 嘘ではない、物は言いようってことだな。気持ちは分かる。少しでもこちらに心情を寄せて欲しいからそういう言い方をしたのだろう。これについてはとやかく責めるほどのことではあるまい。軽く頷いて本題を切り出す。


『...話はよう分かり申した。されど、それだけでは我々としても動くことはできませぬぞ。その情報が何かしら益か...不利益かをもたらさぬ限りは』


 重ねて尚も意地悪な応答のようだが、国家とはそういうものだ。永遠の友好など国と国との間には存在し得ない。あるのは永遠の国益のみだ。友好がずっと続くのならば、それはもはや同じ国としてしか成り立つことは無い。だからこそ、何を互いに望むのかを明確にせねばならんのだ。


『貴殿らの兵器を大口で買います。撃退に成功さえすれば通商をより頻発かつ緊密にすると陛下から許可は頂いております。こちらの青磁を含めた技術者の派遣も』


 青磁技術は、確かに日本にはまだ存在していない。高級品で、市場にほとんど出回らない美術的価値が極めて高いものだ。それらの技術者の派遣があるというのは経済の活性化に大きく役立つだろう。それにあえて口にはしなかったようだが、技術交流を目論んでいるようだな。兵器だけじゃない、恐らく冶金技術や街道整備の効率化、政治システムの再編辺りが候補か。中世ど真ん中のこの時代にそこまで考えているのなら、まぁ十分だろう、そう思った。しかし...こちらが内容を皆に伝える直前に、彼がとんでもない爆弾を持って来ていたことが発覚した。


『あぁ、それともうひとつだけ情報を。我々が調査した限りでは、蒙古の王はここ日本を狙っておりますぞ』


 想像の斜め上過ぎて流石に思わず頭を抱えたくなった。なんでだよ。先に南宋狙えよ。いくらなんでも早すぎる、冗談キツイぞ...

































モンゴル帝国、正確にはハンであるオゴタイか。高麗と密接に貿易を行っていることは既に把握されていたのだが、交易に使っていたのは主に石見で採れた銀、稀に平泉の金を利用していたために情報が歪み、日本は金銀が豊富に取れる国という認識を持たれていた。まぁ当時の鉱山資源状況を見るなら間違いじゃあないんだがな...銀に限れば向こうで流通していたのはむしろ高麗で採れたものの方が多かったんだが、この情報を聞きつけた彼は次の侵攻場所に我が国を選んだと言われている。」


で、そうなると当然ながら邪魔な半島があるな? 元々戦闘は厄介なことになりかねないと認識していたモンゴル帝国としては懐柔策を取って自陣営に引き込みたかったわけだ。火力の高い兵器を運用している実績もある、自軍に加えれば相当な強化を図れるという目論見もあったのだろう」


しかし現実はそうはならなかった。高麗側に明確に情報が伝わっていなかったこともあるが、何より現状よりも経済が悪化する...それもこの先モンゴル帝国に従う限り永遠にだ...可能性のある条件を提示されては、はいそうですかと簡単に従うことが出来ない。下手すりゃ不利益を被った商人らの突き上げで反乱からの体制の瓦解だ。高麗帝からすりゃ断じて認められるものでは無い」


故に彼らは先制攻撃に打って出た」


ただし可能な限り引き伸ばして、だ。宋はまだ残っていたし...北宋が滅んだ靖康の変は1126年だからな...遼も存在していた以上、むしろ中立政策を表面上だけでも維持するのはモンゴル帝国にとっても好都合だった」


もう一つ幸運だったのは、比較的早期に攻撃の意思をまとめることが出来た点だろう。我が国から兵器を輸入し、一時的とはいえ経済が活性化したことで国民からの支持が増大したのも見逃せん。情報網も太くなったために33年戦争の貴重な戦訓をもある程度反映させられた、と推測される。山岳戦、対騎馬戦闘、火薬兵器の取り扱い...ここだけ聞くとまるで近代のようだが、そういった策を提案したのもまた義時であったとされているな」


彼は1225年に亡くなる...結局、彼の父の側室、牧の方が産んだ子は数え16で死んだために宗家は完全に義時の系譜に移っていた...が、教育部隊を送ってまで指南した戦術は高麗侵攻において、特に序盤に大きな効力を発揮した。戦乱の火蓋が切られたのは1130年だが、そこから5年もの間戦線を後退させることなく戦えたというのだから驚きだな」


「それでは、この戦争による日本への影響に主に焦点を合わせて、北条義時が亡くなった直後から高麗制圧がなされるまでの期間について見ていくとしよう。隣国の戦争が、日本に何をもたらしたのか...今から見れば少々喜劇的な対応に感じるかもしれないが、さらに年代を進めていくと総力戦にまで生きてくる地盤となっていくということは、是非とも心の片隅に留めておいてくれたまえ。」

































-寛元4年(1246年) 11月中旬 大内裏-


『では...隠密頭、報告を』


 関白、近衛兼経が命じ、葛原隠密頭実勢さねなりが一礼して状況を報告する。


『蒙古の動きでございますが、やはり活発化しております。近々大規模な侵攻が起こるかと。あるいは既に…』


 あちらこちらからため息が出る。『次は四度目か』『高麗は耐えきれるだろうか』などと話す声には憂いが感じられる。


『退けられるかの?』


 兼経の問いに、希義の子である帥相国そちのしょうこく...守人元帥と左大臣の兼任の呼称...高義が答える。


『今回は、まだ。されど次は危のうございまする。既に蒙古はかの国の大部分を荒らし回っており、戦乱の爪痕が見られないのは南部沿岸や島々の一部という有様とのことでございます』


 機動力において騎馬に勝るものは存在しない。しかし大陸から半島への侵攻ルートは山脈という天然の要害によってある程度限られるため、まずはそこに火力を集中させ、大まかに勢力の外へと排除。反撃を行ってきたモンゴル軍に対しては、平地が狭まる山岳部まで引き込み再度火力投射や山岳戦に移行して遅滞戦闘を行う。そして時間を稼いでいる間に周辺の集落から民衆を引き上げさせ、焦土作戦を敢行することで補給を不可能にし、撤退に追い込むというのが高麗の作戦であった。事実、各種装備が充実し食糧備蓄も余裕があった初期は地の利や練度の高さから有効打として機能した。情報伝達の速度から見ても、五年に渡って戦線を後退させることなくモンゴル軍を撃退し続けたのは賞賛に値するのは間違いない。


 だが、高速で軍を移動させ、補給は現地調達略奪の騎馬民族であるモンゴル帝国は、農耕民族である高麗と違ってその攻撃の手を緩めることはなく、季節を問わず攻撃を続けた。これに対抗して年中運用できる傭兵の積極的利用を行ったが、たとえ牽制だったとしても敵に動かれる度に軍は消耗を強要される。消費した兵器や食糧の補填も、情報の共有も、兵の配置がある程度定まっているとはいえ簡単とは言い難い。少しずつ出血を強いられ、防衛戦力は徐々に先細りの様相を呈していた。


 そして一度戦線を食い破られ、開けた平地にまで進出したモンゴル軍を止める手立てはもうほとんど存在していなかった。第三回となる侵攻が終了した際にモンゴル軍の勢力下に飲み込まれたのは“史実”の忠清南道沿岸部を含む半島北部のほぼ全土。それ以上とならなかったのは単に支配地域の拡大とそれに伴って兵装補給が滞ったからであるに過ぎない。高麗朝廷は開戦と同時に都を開城から江華島に移し、加えて突破された地域の戦力にはゲリラ戦を行うように訓練を行っておくなど徹底抗戦の構えを見せていたものの、業を煮やしたモンゴル軍によって農村部を焼き払われ食糧事情を圧迫されれば、いずれはそれも難しくなると言わざるを得なかった。


『今は亡き、父上と叔父上北条義時...前亜相殿が話し合っていた通りじゃ。一度でも蹂躙を許せばもはやそれまで...蒙古の騎馬が使えなくなる山に籠るか島に籠るかしかなくなってしまう。さりとて、田畑を焼かれては戦える者も戦えぬ』


 ぼそりと話す、高義。これに対し眉間に皺を寄せて北条大納言泰時が首肯する。


『それを防ぐために我々が援助しているとはいえ、限度というものがございまする。高麗全土を支配されては次に狙われるのは間違いなくここ、日ノ本。自らの足元を固める作業も未だ完璧とは言い難いのが現状であります故』


 モンゴル帝国が“史実”より早く...その事を知っているのは一人と一柱のみだが...日本に目をつけていたことを知り、急遽日本海沿岸の防衛戦力を増強する必要に迫られてから四半世紀が経ったものの、依然として彼らを退けるまでの防備は整っていない。朝廷の最高権力者達はそう考えていた。


 希義や義経、義時らの薫陶を受け、さらに源平合戦の記憶が色濃く残っている時代に幼少期を過ごした彼らにとっては、情報とは何にも変え難い貴重なものであった。そのため言語の分かる者の育成や南宋、高麗の商人との情報網を通じた分析は特に重要視され、結果として浮かび上がったモンゴル帝国の版図の巨大さに戦慄していたのである。モンゴル帝国は効率的に侵略を行うため、盛んに自らの精強さを宣伝していた。評価が過大気味になるのも...それに応じて自身の力量に不安を抱くのも、ある種当然ではあった。


『武具の増産と食糧備蓄、日々の訓練に拠点増設。ああ、各地の地図と海図の書き起こしも。それらに反発する民草の沈静化も含めれば、銭と時間がいくらあっても足りませぬ』


 インフラ整備どころか、下手をすれば山の切り開きや海の干拓から始めるのが現状である。作業は遅々として進まない。それどころか安全確保のために治水を行おうとすれば利権を損ねられると思った周辺住民の猛反発を受け、資材が消えたり滅茶苦茶に壊されるなど散々な目に遭った場所すらあった。結果として、地方に配置されている朝廷近衛軍の治安出動は、四半世紀も経たないうちに、既に小規模なものを含めれば全国合わせて三桁後半から四桁の大台に乗ろうとしていた。


『海がある限り日ノ本を攻めるのは難しいことこの上ないとは思うが、上陸を許し拠点を築かれてしまえば向こうが一気に有利になる。時間はまだあるとは言えもう多くは残されておらん。高麗朝廷が半島から完全に叩き出され、抗戦の要が抜け落ちたときが最後であろう。それまでに何としてでも防衛体制を完成させねばならぬ』


 後世から見れば何とも壮大な計画で、「何がしたいのかは分かるが何故そうしたのかは分からない」とでも揶揄されそうな状況であるように見えたが、それを唯一の人間はこの会議に出られるほどの権力と歳はまだ積み重ねておらず...また出ていたとしても、沈黙を保っていようと決意していたことは、誰も知らない。

































源平合戦を戦い抜いてきた世代が残した戦訓は、幸いにもしっかりと次の世代に受け継がれていた」


が、どうにもモンゴル帝国側の情報戦略に引っかかっていた印象が当時の文献からは拭いきれん。まぁ完全に内部に侵入出来たのはもっと後での話だし、基本は今で言うリーガルヒューミント、それも又聞きしか出来なかったから仕方の無い話なのかもしれんが」


しかし一部ハリボテのような情報が混じってるとはいえ、強大な陸戦力があるのは事実。恐怖した朝廷は過剰とも言える程の急速かつ抜本的な防衛体制改革に着手する。時間が無い、時間が無いと言っているのはまぁ、ぶっちゃけ戦術どころか戦略的な部分の転換を図ったからってのが大きい。もっともその結果としてインフラが整備され元寇以後は通商が爆発的に活発になるから塞翁が馬って感じだがな」


とりあえず、何故高麗が大国モンゴル帝国に対して戦争を仕掛けざるを得なかったのか、そしてそれに関連した我が国の動きは概ね理解してもらえたと思う。まぁ、なんだ、近代でも無いのに半世紀も戦争準備が出来ると訓練と兵器の増産以外にもやれることが増えるから言わば『合理的に迷走した』ってのが現代の定説になるのかね...」


「少々締まらないオチであれだが、とりあえず今日はここまでとしよう。次からはいよいよ元寇の話をしようと思う。ここはたっぷりと時間を割きたいからな。硝煙の匂い燻る戦いが、いよいよ国外に拡大していく。モンゴル、高麗、そして日本。火薬兵器を組織的に運用していた当時の数少ない国々の軍が勢揃いした戦争の始まりを告げたのは、高麗帝の御座所である江華島を巡るものであった。」

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