第二十六話 力と銭無き理は軽んぜられる

第六編 北条義時

第六話


「決起してから数年の間こそ陸戦が多発していたものの、彼らの本質は現代で言う沿岸警備隊、あるいは海兵隊のように水上打撃のみならず上陸戦をも敢行する強者揃いの集団だ。そのことは平氏もよく分かっていた。故に、その警戒心を逆手に取って海上戦闘に引きずり込めないかという提案が検討された」


伊勢平氏は有力な水軍を有しているが、その分陸上戦闘にはそこまで強くないという認識がなされていた。比べて源氏は着上陸から山岳戦、野戦に至るまで戦闘技術情報の蓄積が多く、平家中枢は奇襲上陸を許したら負けるとまで恐れていたと文献が書き残している」


ここまでの情報は伝わっていなかったにしろ、敵が陸戦を強く警戒していたことは希義、義時らを含む源氏の知るところとなっていた。だから船団を動かしたという情報が流れれば平氏は勝利の確率を高めるために同じように船を動かして海戦に持ち込むことを狙う可能性が高いと判断したんだ」


これに対して義経はより確実を期すために平氏が海上に出てこざるを得ない状況を作るべきではないかと訴えた。具体的には、少数精鋭を隠密上陸させて海上へと落とす...一ノ谷の戦いで彼自身が採った戦法の再現を狙ったわけよ」


んで義時はこれに同意、あわよくばここで完全に撃滅して国家の統一を達成することを企んだ。急ピッチで戦力の編成と軍船の集結が行われ、最終決戦と意気込んだ源氏軍はその士気を向上させていく」


「しかし悲しいかな、出港予定日となっていた旧暦2月18日は暴風雨によってとてもではないが船を出せないような状況になってしまった。そのため作戦の万全を期すために希義は延期を決断し、義時もそれに同意した。義経は反論したものの、最終的には義時の言葉を受けて自論を撤回する形となった。」

































-元歴2年(1185年) 2月18日 渡辺津-


『何故今動かぬ!?』


『この悪天候では死兵を無駄に作るのみ、それにそんな天気では奇襲しても敵も船を出すとは限らぬ』


 “史実”が上手くいっただけだ、この世界でも同じことが出来るとは思えない。それに悪天候を使って奇襲してもまともな指揮官がいれば寡兵であることを見抜かれて包囲戦滅される危険性も否定出来ない。内陸部に逃げ込まれてしまえば上陸戦を行うしかない。一部の連中については寝返りを取り付けることに成功したとは言えど、もし作戦の準備に手間取れば逃げられる可能性が高い。加えて船を分散して配置していた場合、下手をすれば大部分をみすみす見逃すことに繋がりかねない。となれば陸海一体の攻撃を仕掛けるのが最適だと思われた。


 ぶすりとした顔ではあるが、押し黙ったところを見ると義経もその可能性に至ったのだろう。戦術面では神がかり的な力を発揮する軍神でも、こういった作戦はちょいと不得手か。経験が無いのだから仕方がない。それに...どうも“史実”と比べて性格の角が取れたような節がある。そこは素直に喜ぶべきだろう。“史実”と違って長兄が近くに来ているのも理由なのかもしれないが。無理を言って連れ出してきて良かったよ、まぁ政治体制の構築があるからどちらにせよ来てもらわないと困るのではあるが...


『今日はゆるりと休み、船出の日に備えればよろしい。我々は既に東国から都に至るまでを押さえている、時間は我々に味方するのみであろう』


 不承不承、といった感じではあるが義経が頷く。希義あには微かに苦笑いの混じった慈愛の目を注いでいた。





-元歴2年(1185年) 2月20日 屋島-


 ぴょう、と鏑矢が鳴る。旗が振り下ろされ、数瞬の後に一斉射。甲高い爆音が聞こえたかと思うとすぐに砂浜に突き刺さる鈍い音が響いた。崩れ落ちる平家の将兵。さらに後ろからは槍でぶっ叩かれるわ、刀で斬られるわ、火筒で撃たれるわ、とボコボコにされていた。お手本のような包囲殲滅である。暴風雨...多分爆弾低気圧のせいだな...の影響を避け、予定より襲撃を少し遅らせたが、その分兵の数を揃えたのもあってか義経率いる搦手軍と私が率いる艦隊できちんと挟撃出来たようだ。しかし妙だな、平氏の船が気持ち少ない気がするが...?


〔こちらの到着が遅れ、矢合わせ戦闘開始のタイミングがズレていたようです。敵兵力及び船舶が明らかに少なく、既に海上に脱出してしまったと推測されます〕


 何、逃げられた...!? 確かに海が荒れていて予定よりも移動に時間がかかっていたのは分かっていたが、それとて搦手軍との戦闘に食う時間で十分に巻き返せるだけのものだったはずだ... 馬鹿な、それでは作戦が根本から覆ってしまう...!


〔想定以上に平家の士気は低いと見るべきでしょう。状況から判断するに、義経隊が突撃した時点でその多くが船で逃げてしまい、結果として取り残された人間達が最後の戦闘を行っているというのが現在の状況かと〕


 見通しが甘かった... いや、敵を過大評価し過ぎたのか...? 徹底的に追い込んで水上で決戦を行わざるを得ない状態に持っていけば壇ノ浦まで行かなくても撃滅、関東以西の統一が“史実”より早期に達成可能だと判断していた。だが向こうは窮鼠になることを選択せず決戦の時を伸ばして力の回復に出たとも取れるのだ。まぁ、それはあくまで結果的なものではあるだろうが...


 思考は中々纏まりそうになかった。“オモイカネ”は逃げたと言ったが、我々とすれ違うようにして渡辺津へ奇襲をかけている可能性も否定出来なかったからだ。もし攻めてきていたとしても予備隊を残してあるから余程大丈夫だろうとは思うのだが、政治的な効果も考えると許容出来るかは少々怪しい。絶対的な軍事力あってこその我々...そして朝廷との協力体制なのだ。敗北は認められない。


 歓声が聞こえ、我に返ると船はゆっくりと進路を浜辺へと取っていた。掃討が終了したようだ。義経から敵の状況を聞き出さねばならん。空は青く澄み切っていたが、心も同様とはいかないようであった。

































戦術的には朝廷側が勝利したものの、戦略的には痛み分け...というのがこの戦いの総評になるだろう。敵の脅威の度合いを大きく見積もり過ぎると本来の目的を達成出来なくなるのは今も昔も同じだという好例だな」


船団は到着してすぐに搦手軍と合流し、情報の突き合わせを行った。その結果どうやら奇襲の時点で平家は軍団を崩壊させ我先に船に乗って逃げてしまった。捕虜の尋問を行ったとの文献も残っているのだが、それらを総合して考えるとどうやらこの時点で神器を奪われたことに気がついていたらしい。安徳帝の正統性が希薄になっていたことに気がついたために士気がかなり危うい所まで下がっていたんだな」


そこに大量の弓矢や火薬兵器を持ち込んでいた義経らが突然攻め込んできたのだから堪らない。加えて義時は畿内・東国平氏の乱の鎮圧と同時並行で部下を四国東部や屋島の各勢力に秘密裏に接触させており、一部の寝返りまで取り付けていたから余計混乱が拡大したんだ」


戦力差はそれらの協力者を含めた搦手軍と平家でだいたい2対3程度だったと言われている。状況判断に優れた指揮官がいれば...あるいは士気がどん底にまで落ちていなければ奇襲とはいえここまで惨敗を喫することはなかったかもな」


歴史に「もし」は無いと言うが、俺はどうだかと思うぜ。科学万能のこの時代だって非科学的なモノはいくらでもあるし、人はそれに縋ろうとする。連綿と続く我が国のお上やその他の国の国王、女王、皇帝が好例だろうさ。時として青い血の流れる方々はまさに神に愛されているとしか言えないような出来事で命を救われたり国をまとめあげたりする。忠烈帝、沈黙王、それに最近なら黎明帝もか...民主主義が浸透しても、いや、浸透したからこそ君主は民を束ね、国が国として安定するのに貢献していると言えるだろう」


...話が逸れたな。取り逃してしまったことはかなり悔やんでいた義時だが、平氏がこれで確固たる拠点を全て失ったことも確かだ。船も地上撃破されたものが多かったことから少なくとも淡路島周辺の制海権を確保出来たと判断した希義は四国の反源氏系土着豪族の討伐と中国地方の再攻略を指示した。反抗勢力で最大の規模を誇っていた平氏が壊滅し、その正当性を示す根拠すらなく賊軍へと転落したために同時多方面作戦にも関わらず破竹の勢いで進撃を続けていくことになる」


「義時は都へと戻り、政務議閣の発足のための根回しと調整を担当することとなった。地方出身の、それも武官であるにも関わらず政治力にも優れ、宮中のしきたりに詳しく尊王の志を忘れない人物として、彼は希義と共に朝廷での源氏軍の評価を高める役割を大いに果たしたと言っても過言では無いだろう。」

































-元歴2年(1185年) 3月上旬 大内裏-


 牛車に揺られ、都の通りを進んでいく。現代から見れば乗り心地は三半規管に深刻なダメージが入りそうなほど酷いが、“オモイカネ”のサポートがあるからまぁ、大丈夫だ。希義あにはかなり顔色が悪そうだったが...


 案の定、降りた所では私の前の車に乗っていた希義あにが真っ青になっていた。馬に乗ったり船に乗ったりするのとはまた違う揺れ方だし、この当時の貴族でも普通に酔ってるから仕方が無いのではあるが...せめて木製車輪に鉄でフレームを作ってはめたりサスペンションもどきを取り付けられればマシにはなるのかな...ああ、道そのものを舗装するのも手か。金がかかって仕方がないから今現在はやろうとは思わないけれども。


 よろよろしているその背中を擦りながらふと周りを見渡す。よくよく考えればこの人生では初めての昇殿だった。というか、この人生においては本来は私が昇殿なぞ許されるはずがないのだ。


 貴族や武家にも家格というものがある。今はまだ完全には固まりきっていないようだが、上から順に摂家、清華家、大臣家、羽林家、名家、半家、地下家と呼ばれる。半家までが内昇殿...御所へと上がること...を許され、堂上家と呼ばれるのだ。たとえ公卿になっても昇殿は許されない地下家と大きく区別されるわけだ。で、私は昇殿どころか官位すらない北条宗家...の分家、江間氏初代である。今は院が実権を握り、その下へ参る院昇殿であれば比較的官位に囚われない柔軟なものになっているとはいえ、名実共に武家の棟梁となりつつある義兄上でもないのに謁見を賜ることなど出来るわけもなかった。まぁ、義兄上はこれまでの功績によって従三位、近衛大将に任じられているし、そもそも源氏長者というのは清華家なので資格は既に持ってるんだけど...


 義兄上を通じて政権上部を動かそうと思っていたものの、どうやら挙兵時の連絡係や神器奪還作戦の主導を行ったことで院に目をつけられたようで、極めて特例ではあるが無冠から一気に正五位下、院昇殿をも許される立場に昇進した。宗家の現当主たる父上より上の立場になってしまった訳である。オマケに数年後には内昇殿の見込みができており、事実上半家の扱いである。流石に宗家を超えるのは不味かろう、ということで先祖がよく分かってないのをいいことに「どうも桓武平氏庶流の末裔らしい」とでっち上げ...そういう口伝らしきものもあったから全てが嘘、という訳でもないのだが...宗家も半家の扱いにしてもらった。これ、その辺のちょっと裕福な農民が功績があったからと王侯貴族の末席に加えられるくらいとんでもない事なんだがな...


 ともかく、久々の景色を見回したところで、はて、ここまで広々としていたっけ...と違和感を感じた。一瞬、自分が本当に大内裏へ来たのか疑ってしまい、“オモイカネ”に尋ねて納得した。


〔1177年の安元の大火、通称太郎焼亡と呼ばれる火災で大極殿や朱雀門を含む大内裏の大半が焼失しています。大極殿に至っては歴史の転換が無ければ...以降の再建は行われないでしょう〕


 それだ。よく見ると三位以上の太政官レベルの連中の家も割と新しそうなものが多い。なるほどな、火事があったせいか...


『...右府殿、太郎焼亡の傷跡が未だ大きいようでございますが』


 隣で何とも言えない顔をしていた案内兼上司的立ち位置の右大臣、九条兼実に話題を振る。彼は忠通の六男...つまり、私の前世藤原忠実の時における孫だ。今では(外見)年齢的には逆になってしまっているが...


『左様、本来ならば院や帝は大極殿にて政務を行われるのが正しいやり方。しかし再建する程の力も長く続く合戦のせいで既に無い... このままでは朝廷組織を立て直せてもその威信を先の御堂関白殿藤原道長の頃のように示すことは無理よな』


 頭を振り、憂鬱そうな顔で答える孫(年上)。神器こそ無事ではあるが、そもそも金が無いのだ。戦いであちこちの荘園が荒れ果てたせいで貴族の収入源がすっからかんになっている。朝廷でのポストが実力主義でしか得れないようになっていたら貴族の協力は絶対に得られなかっただろう... だが、そのための皇室侍、宮内省だ。各々の能力に応じた職に就けるようにする一方で、とりあえず貴族であればこなせる程度のポストも用意しておく。年功序列自体も廃止する訳では無いが、もう少し柔軟に、そして組織の効率化を図ることで全体の高所得化を目指す... 幸いなことに今までの諸々の積み重ねで大掛かりな改革でも合理的であれば聞く耳を持って貰える程度には先進的な物事にも肯定的だ。それに聡い者なら...今までの人生での私のやり方を見てきた者なら、律令国統治は最低でも名義に貴族の名が使われ、自身の意向が反映させられることも分かる。つまりそこで経済発展を促せば財力を自前で確保することも理解出来るはずだ。そしてこれは権威の天皇家、財力の公家、実力の近衛軍と権力の分離独立への布石にもなる。実際にはもっと時間をかけた段階的な移行になるが、とりあえず国家というものの大枠は作れるはずだ。


『畜財があれば、よろしゅうございますな?』


 顔に幾分か血の気が戻ってきた希義あにが唐突に尋ねた。ぞくり、と首筋の毛が逆立つ。嫌な予感がするぞ...


『簡単に言うでないわ、いくらそちが武を以て天下に号令しつつある身だとしてもそう簡単に出せるだけの余りは...』


『足りるか否かは確認を取らねば分かりませぬが、援助は当てがありますぞ。詳しくはそこな義弟に聞いていただければ』


 こっちを見ながら喋るな! 目の中に『裏金あるでしょ? ちょっと頂戴』って書いてあるぞ!


 あるけど!


 衛門筆頭に長年の積み重ねで例のにはたんまり貯め込んでありますけど!


 絶対表沙汰に出来ないのをいいことに国家級の金の無心しようとしてるよこの人!


『...精査せねば分かりかねますが、ある程度賄えるだけの銭はあったように記憶しておりまする。一応、我らも伊豆を含めそれなりの地の行政を朝廷の代理人として治めております故。備蓄を捻り出せば大極殿だけであれば再建も目処は立つかと』


 これは貸しだからな、全く...


『誠か!? まずは議閣の調整を、と思っていたがそちらの方も急ぎ奏上せねばならぬな...』


 こちらの内心とは真逆に、顔が晴れやかになる兼実。そう、都の再整備はおろか政に必要な建造物すら建て直せなかったということは明確に朝廷の威信が落ちていたことを推測させる。本来の歴史であれば、院とそこまで上手くやれてなかったとはいえ保守派で勤王の志厚い人間であった兼実は憤懣やるかたない限りであっただろう。だがここで武家の棟梁の名で寄進を行い、朝廷を担ぎあげて協力する姿勢を見せれば互いの評価が高まる。win-winだ。


 あぁそうだ、上手く行けば武士の連中から官僚になるやつが出る可能性があるから、この戦乱を機に礼儀やマナーを再度徹底させよう。何しろ現状でもまだ酒が入れば乱闘、刃傷沙汰が頻繁にあるからな。肩組んで笑ってた奴らが酒入った瞬間に切り合い始めたのを見たのは前前世源頼義が初めて...確か奥州征討だったかな?...だったが、戦闘のプロ集団が戦いの前から自滅してどうするんだ馬鹿者、と騒いでた奴らを全員木刀でぶん殴って鎮圧したのは「悪い」思い出だ... 一周目橘逸勢からいい汗割と理由があるをかく暴力を行使するのにはブランクがあったが、それでも身体能力は“オモイカネ”の調整でピカイチになってるからな。今でも身長180cmくらいあるし。しかし平安貴族も大概とはいえ、平安武士の世紀末感は酷すぎる...私が直轄してた頃からいた者たちの末裔は今でもまだ大人しくしている方のようだが、他はまさしく蛮族の一言に尽きた。とほほ...


 まぁ、暴れるのには一応理由があるのは分かってる。この時代の娯楽なんて飲む打つ買うと乱痴気騒ぎ以外に無いんだ。酒は飲みすぎで色々面倒なことを招くし、博打は場合によっては駐在している村などから略奪する馬鹿が出かねないので月何回、一山いくらなどとと厳しく縛っている。女買いも同様だ。規律に違反したら良くて追放、最悪なら物理的に首を飛ばす。これだけしてようやくある程度制御出来るようになってくるのだから恐ろしいよ...縛るだけでは暴発の恐れもあるし、何か新しく娯楽を広めてやった方がいいかもしれないが...貴族との融和のために、和歌や漢詩の推奨と哲学問答みたいなものをそれとなく広めてみようか。上手くいけば科学的思考の萌芽になるかもしれないしな。

































大極殿の再建が奏上されたのは、『玉葉』の記述に誤りが無ければ義時が初めて昇殿を許された日のことであったはずだ」


これは院に対して極めて好印象をもたらしたことだろう。兼実も上機嫌だったのか、日記の文体が気持ち軽くなってるんだよな。源氏方にとってはここで得点を稼ぐのは政治的に大きく利するから是が非でもやっておきたいことだっただろう」


未だに謎なのはその財源なんだけどな... こればっかりは何だか妙に帳尻が合わない。源氏が統治していた当時の関東一帯はおよそ三公七民、他の地域と比べると非常に民の負担が軽くなってるんだ。確かにその結果購買意欲が促進され、巡り巡って税収は増えているんだが... だからといって国の建築物、それも最高級のものである大極殿をポンと建てられるほど余裕があった訳じゃないはずなんだがな...」


ん? 荘園領主やらの追加徴税はどこへ行ったかってか? ...よく気づいたな、実はそこに我が国でこの時代以降急速に貨幣経済が浸透していったタネがあるんだ。これ、源平合戦最後の戦い...つまり治承・寿永の乱最後の戦いである壇ノ浦の戦いとも繋がってくるんだよ。関東、京都、そして壇ノ浦...いや、九州に至るまでか。源氏がその影響下に収めた地域は全て、この時から近代国家への仕込みが開始されたと言っても過言では無い。武・政両面から見てこれ程劇的な変化をもたらしたために、現在では壇ノ浦の戦いを平安時代の終わり、新政時代の始まりと定義する学説も存在するぐらいだからな」


「これを以て古代以前からのヤマト王朝の勢力圏は完全に統一されたと言っていいだろう。本州における主権の及ぶ領域の拡張としては長きにわたり続いた33年戦争の最後の戦いである奥州合戦があるし、以降近代まで我が国の版図は拡充が続いていくが...政治機構の種類による時代区分をするのであれば、他国と違いここで明確に古代から一足飛びに近世へと発展したと判断するのは、間違いでは無いはずだ。」

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