第十二話 まどろみの中に

第三編 源高明

最終話


-安和2年?(969年?) 3月下旬? ???-


.........

...........................


 目を開くと、200年以上前に見た世界が広がっていた。


 何も無い、真っ白なだだっ広い空間。どこまで続いているのか全く分からない場所だ。


【気がついたようだね】


 既視感デジャヴと共に響く、“オモイカネ”の声。いや、違う。これは...


「なんでまた私をこんな所に『呼び寄せた』んですか?“上位者”様?」


 問うと、少し面白くなさそうな声が返ってきた。


【もう少しやってくれると思ったんだけどなぁ...ちょっと期待外れだよ。“オモイカネ”でも感情制御が出来ずに強制的に脳回路を落とすしか対処法が無かったもんねぇ】


 どういうことだ?私は、確か...


〔...藤原師尹の死を目の当たりにして、脳にあまりにも負担がかかっていたので無理やり意識をシャットダウンせざるを得ませんでした〕


 ...あぁ、そうだった。頭痛が酷いのはそのせいか。


【こちらが強力に知覚を鈍らせないと無理だったからね、体に負担がかかるのは当然だろう】


 さて、本題に移ろうか...そう言って、声が嗤う。


【何故あそこで藤原師尹を死罪にしなかった?そうすれば“あんなもの”を見ることもなかったし、君は安心して一層の権勢を誇れただろうに】



 体が、沸騰した。



「...ふざけないで下さい」


 理屈では分かっている。だが、...、駄目だろう...!


「目の前の人間が救えない無能に、どうしてより大勢の人間を救えましょうか!」


 自分が原因で人が死ぬことを、私は私自身を許すことが出来ない。それが誰であろうとも。だからこそ、私は師尹を救えなかったことを悔いる。そしてそんな人間には歴史を変える資格など無い。



【浅い、浅いなぁ。青臭いね、人の何倍も生きている割には。覚悟も何もあったもんじゃない】


 返ってきたのは鼻で笑うような言動。それは益々私を激情に駆らせる。


「覚悟!?覚悟ならとっくに決まっている...藤原仲成を処断したあの時から既に!」


 冷水を浴びせるように、声が嘲笑った。


【あれを...覚悟?そういうのかい?】


 呵呵大笑。


【君がしたのは只の逃亡だよ。心理的なね。だってそうだろう?目を背け、部屋を後にしたんだ。彼の目を、見返すことが出来たか?彼の言葉を、受け止めることが出来たか?君が加速させた時の流れに取り残され、割を食った人間に対して自分は割り切れたかい?違うだろう。目の前で人が死ぬのが、自分がその決定を下すのが怖かったんだ】


「.........そんなことは」


【無いとは言わせないよ。平和な時代に生きていた君だ、死ぬことを見ることがあっても殺すことは経験が無かっただろう?君は無意識のうちに自覚している。怖いんだよ、生殺与奪の権を握るのが。怖いんだよ、人の一生を左右する決定を下すのが。その恐怖を知ってしまったんだ。血で、自分の手が血で塗れることが耐えられないんだ。藤原時平の処断だって厳格に法に基づけば死罪だったろ】


「...........................」


【甘いんだよ、結局は。そしてその甘さは身を滅ぼす。落第すら与えられないね。苛烈と言うならそう呼ばせておけばいい、そうでもしなければ大衆は動かないからね】


「.................................」


【君はどんな人間でも救いたい...いや、この言い方は違うな。君は、『自分以外の』どんな人間でも救いたい。たとえそれが自らに害を成すような存在でも。処断や断罪への嫌悪感があるとはいえ、全くもってお人好しの度が過ぎるぜ】


「.............................................」


【まぁ、まだ間に合う。手際自体はいい線いってるし、後は心の持ちようだな。完全に失敗ゲームオーバーするまでにその意識を叩き直しておくことだ。そうすればマシにはなるかもね】


 走る閃光。またしても“上位者”は一方的に会話を打ち切り、私の意識は雲散霧消した。






 まだ、足りないというのか。だが、私は...

































〔...よろしいのですか?〕


【なに、もうあと200年もすれば分かるさ。彼は優秀だからもっと早いかもしれんがね...、あの手の感情は早く無くしておくに限るだろう。内罰的になっていても蹲ってては仕方がない...仕方がないんだよ。たとえ幾千の犠牲を払ってでも未来が開けるのなら安いはずなんだ】


〔..................〕


【失敗したと思ったさ、私も。だがなぁ、それでも結果的にはマシにはなったんだ。アレでだけどね...だから、時間に恵まれている彼には過剰に期待してしまうんだよ】


〔私はその時の〕


【皆まで言わなくても分かってる。愚痴みたいなものだ、忘れてもらって構わない。こちらの我儘だからね】


〔...........................〕


【まぁ、厳しいことを言ったが良い歴史を作ってくれる筈だ。こんなことをしていても迷い、躊躇い、後悔ってのは消えないものだよねぇ...それをどうやって贖うのかが大事なんだろうけど】


〔....................................〕


【失っても、喪っても、亡っても、歩き続けるしかない。その先に何が待ち構えていたとしても...進まなければ報われない。肩に乗せられたモノは常にこちらを見ている。それに応えるには、立ち止まってはいけないんだ】


〔..................戻ります〕


【頼んだよ】

































-安和2年(969年) 3月下旬 平安京-


 目が覚めると、家族のほっとしたような顔が見えた。使用人が走り回る音がし、あちこちで『お目覚めになった...』という声が聞こえる。


 大丈夫だ、と頷いて布団から身を起こそうとして...力が入らなかった。慌てて息子が支え起こしてくれる。布団...これもまた時計の針を進めたが故に手に入れることの出来たものだが、その温もりも今は感じられない。既に人の何倍もの人生を送っているはずなのだが、今まで感じたことがないほどのぐったりとした感覚に襲われている。


 覚悟...覚悟とはなんなのだろうか。私は歴史を変えること、それを恐れないことだと思っていた。だが、それは果たしてこの国のためになるのだろうか。


 私が生きた時代は、世界情勢が複雑に変化し、動揺に富んでいた。それでも、日本という国は曲がりなりにも発展し、経済規模で見れば世界三位に食い込むだけの実力があった。別に国民が皆閉塞感を感じていた訳では無い、確かに災害が多く国の安全が完璧に保証されていたとは言い難いが、他国から見れば燦然と輝く国の一つではあった。そこに至るまでに多くの血を流したし、幾つもの困難な出来事があったのも知っている。だからこそ...私が歴史を変えても、私の知っている歴史よりは幸せになる人間が増える自信が無い。それに、自らの力を高めるために謀略で他人を蹴落とすような真似はしたくない。それでは、私が毛嫌いした者達と同じところまで堕ちてしまうでは無いか...理想論過ぎるのは分かってる、だがそうやって他者を陥れてまで手に入れる未来の果てに、人々の幸せはあるのだろうか?そもそもそれだけのことを成す資格が私にはあるのだろうか?下手に手を出せば不幸を招くのならば...いっそのこと、流れ移ろいゆく時の流れに身を任せた方がいいのでは無いだろうか...


〔..............................〕

































目を覚まし、自分の力で歩けるようになったとはいえ、どこか魂が抜けてしまったかのようであった...と現代には伝わっている」


衝撃的だったんだろうね。実頼が亡くなった後には円融天皇...高明が推挙していた為平親王だ...に左大臣を引退したい旨を伝えたようで、慰留によってしばらくはそのまま仕事をしていたものの980年には老いと病を理由に引退することとなった。円融帝は随分と残念がっていたようだ」


そして頭の行動力が急速に失われたことはそのまま京の動乱を招く。藤原氏とその他の氏族の抗争に再び火がついてしまったんだね」


今度ばかりは暗闘では済まなかった。どちらの派閥も主導出来るだけの力を持つ人間に欠けたというのもあるが、師尹が抑えていた不満分子が暴走したというのも原因の一つだろう」


安和の変のきっかけの一つでもある皇位継承問題。高明は男系男子、嫡子を常に皇太子とするよう言い続けていた訳だが、彼が引退してしばらくしてから円融天皇の嫡子、憲定親王が病で若くして崩御してしまう。既に流産もあって他に男子の後継者がいなくなっていた状況のために朝廷は大きく動揺していた。何せショックで円融帝が寝込み、この時の心労が祟って寿命が縮んだとまで言われているからね...


そこで藤原師輔の次男の藤原兼通は既に亡き兄、伊尹の血縁でもある師貞親王...冷泉帝の息子で、後の花山天皇だね...を推挙した。これ自体はおかしなことでは無い、何故なら冷泉天皇に息子が生まれた時点で重臣たちの一部では合意が出来ていたようだからね」


だから、問題は無いはずだった。だが円融帝が崩御して師貞親王が即位した後の皇太子をどうするか...これが揉めた。正確に言うと、自らの血縁者を据えようと画策した人間がいた」


その者の名は藤原兼家、兼通の弟だ。彼は自分の孫である懐仁親王を皇太子にしようとするため、陰謀を巡らせたんだね」


買収、脅迫、政敵の失脚...結構後ろめたいこともしたみたいだ。そんなごり押しで皇太子にねじ込むと、今度は帝の影響力の除去も狙うようになる」


大鏡に名高い「花山天皇の出家」...兼家はどうもに恵まれていたようでね、花山帝が寵愛していた女御の藤原忯子ししが妊娠中に亡くなって深いショックを受けているのを見て、自身の三男である藤原道兼を接近させ、出家の提案を持ちかけた。俗世を離れて仏門に下ろう、とね...これこそが彼の策略で、その後の道兼の出世ぶりをみるにやはり共に出家する気は無かっただろう、と言うのが定説だ」


邪魔であった花山天皇を早期に退位させて帝を支えてきた派閥の影響力を削ぐと、それまでは逸勢、道真、高明らがそれぞれの時代の中心となって防いできた、藤原氏以外の氏族の排斥にもついに手をつけた」


最も有名なのが応天門の変だろうね。これは兼家の手の者が応天門に火を放ち、それを自身の敵対者にことごとく濡れ衣を被せて政権から追放したという悪辣極まりない事変だ。これによって逸勢が中興した橘氏、道真が興した菅原氏だけでなく藤原氏の別派すらも排除してしまった。完全に力を失った訳では無いが...独走を始めた兼家派に対抗出来るだけの体制を築くことは不可能に近かった。武力的にも、兼家側に武勇で有名だった多田満仲...源満仲らが寝返ってついたことで劣勢を強いられた」


満仲が寝返った理由は諸説あるようだが...時流の推移を読むのに長けていたとされるから恩を最大限売れる瞬間を狙い、自身の家を安定させようとしていたというのが定説だね。高明自体は良いであったと回想していたという伝承もあるし」


それと最近分かってきたこととして、どうやら似たようなことをあの藤原良房が計画していたみたいなんだ。恐らく逸勢に遠慮して中止したんだろうけど、その情報...多分紙か何かで残っていたんだと思う、今となっては断片的な記録からしか伺いしれないんだけどね...を元にして高明が亡くなった直後の866年末に実行している。狙ってやったとしか思えないね、事実日記からそのような感じの文言も見つかってることだし」


これによって平安時代における最大規模の権力闘争は挑戦者の勝利に終わり、藤原氏の300年近くに渡る繁栄が続くことになる。他氏族の完全なる排除こそ残された多くの人間の抵抗によって避けられたものの、主導権は兼家の一族が独占することとなった」


ただ、兼家だって暴政を働くだけの無能ではない。高明が遺した政策をある程度採用し、技術の発展を促した。結果としては皮肉なことではあるが、彼の一族の中での太政大臣や左右大臣の席の取り合い以外は多少なりとも安定する時代となったんだ」


それまで藤原氏以外の氏族が結託して築いてきた制度の仕組みは、決して無駄ではなかったんだね。だから33年戦争の勃発までは曲がりなりにも無茶苦茶な事態に陥ることなく、時の政権は安定した」


藤原道長を筆頭とする摂関政治の絶頂期だ。文化的な視点から見れば実に面白いんだが、制度の改革や歴史の転換点となった人物が活躍したのは、この時期においては都周辺のことではなかった」


「そう、用兵の天才と謳われる源頼義。前半生に謎が多い彼ではあるが、その活躍は今も尚おとぎ話に語られる程だよね。」

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