準備

 次の日、六月二日午後十八時五十二分。

 茉蒜は呉基地の司令である千種ちくさ智一ともかずに呼び出され、司令室に足を運んでいた。

「へ? それは聞いてないですよ。横須賀の港で合流するのは聞いてましたけど、新型戦闘機がそのまま空母に着艦するだなんてことは聞いてません」

「だって言ってないもん」

「なんて理不尽な!」

 千種司令は、横須賀の伊藤司令と同期であり、若い頃は一緒にやんちゃをしていたと基地内でも有名である。

 そのおかげかなんなのか、ここの幕僚長もやっぱり頭が……と、そこまで考えたところで茉蒜は思考をシャットダウンさせる。

「……大丈夫なんですか、それ」

「大丈夫大丈夫、テストパイロットは実力で選抜された奴らばかりだから、空母の着艦も大丈夫だと聞いている」

 根拠になってないよ、それ!

 茉蒜は心でそうツッコミを入れてから、これは直で言うべきだったかと少し考えたが、まぁ面倒臭いことになっても自分が損するだけだと思い言うのは流石に控えた。

「出港は明日六月三日のひとふたまるまる。君の実力が試されることになるが、分かっているな?」

「結構遅い時間ですね。まぁ、何故私が選ばれたのかは分かりませんが……それ以外は。ただ……」

「ただ?」

 腰を低くして、茉蒜は控えめに呟く。

「……あの、『極秘国家機密システム』ってなんですか? とても地下の方にありましたが」

 心配そうに見つめる茉蒜を見据え、千種司令は少し考える。

「今は言えない」

「どうして……」

「それは、君があの「かが」に乗っていたら分かることだ」

 首を傾げる茉蒜に、千種司令は彼女の頭に後ろから手を置く。

「知ってるんですね、私が前から撫でられることが嫌いなの」

「まぁ、な。お前の過去はよく分かっている。伊藤の野郎から聞いているからな」

 そのまま撫でられてされるがままの茉蒜に、千種司令は優しそうに微笑む。

 まるで娘を見ているかのように。

「大丈夫、君は強い。きっとできるさ」

「その根拠のない自信はどこから出てくるんですか……」

「さぁねぇ。それくらい、俺も伊藤も君には信頼を抱いているのだから」

 ニコッと笑い、千種幕僚長は声色を明るくして言う。

「頑張れとは言わない。「頑張ったね」と言われるような課業をしなさい」

 頑張ったね……か。

 この人はよく言うものだ。人の気持ちをどう捉えているのかは分からないが、確実に茉蒜の気持ちを知っている。

 同期の伊藤司令から茉蒜の過去や気持ちを聞いたのは確かに事実だろう。後ろから撫でることなどほとんどの人がやらないのだから。

 撫でられて安心したのか、「……分かりました」と言った茉蒜の表情は、少し朗らかな表情に変わっていた。

「それにしても司令」

「ん?」

「ここ数日まともに課業ができてないのはどう責任を取るおつもりですか?」

「あっ」

 この後、千種司令は、幕僚監部である小野おの由美ゆみ海将に説教を食らうのであった。


 ***


 廊下を歩いていると、茉蒜は変に気を遣われることが多い。

 まだ二十八歳の小さな一等海佐であるためか、多くの幹部が彼女に声をかけるのだ。だから、茉蒜は休日の廊下はあまり歩こうとはしない。しかし今日は休日であり、司令に呼ばれたこともあるため、自分の隊舎部屋に戻るには当たり前だが廊下を歩かなければならない。

「はぁ……」

 一つ、茉蒜はため息をつく。今日は話しかけられませんように……と心の中で祈りながら、茉蒜は視線が飛び交う廊下を歩いていく。

 曲がり角を曲がった時、危うく人とぶつかりそうになる。

「うぇっ、あら茉蒜? 丁度良かった、聞きたいことがあったのよ」

「んー? あぁ、典子じゃん」

 鉢合わせたのは、テスト航海で副長を務める市井しせい典子のりこ二等海佐だった。同じ部屋同士の同期であり、防衛大学校当時でも成績のトップ二位を維持していた女の子だ。

 書類を持ち直し、一緒に歩こうと促した典子を見て、無言で頷いた茉蒜が隣に駆け寄り歩き始める。

「それで? わざわざ部屋を出てまで探して聞きたかった用事って何?」

 典子を見上げ、茉蒜は質問する。

「戦闘空母のことよ」

「直球だなぁ。航海ルートとか? それなら会議の時に話さなかったっけ?」

「いやそうじゃなくて」

 呆れ混じりに呟いた典子に、頭にはてなを浮かべ「じゃあ何?」と不服そうに質問した。

「あんなに改造して本当に大丈夫なのかと思って」

「どういうこと?」

「今ドッグに入ってるから見に行く? 私はもう見に行ったけれども」

「行く、見に行きたい!」

 目を輝かせてそう答えた茉蒜に「……ヘリ空母の時とはかなり変わってるわよ」と訝しげに言う典子。

「そんなに?」

「そんなによ。大規模な改造とは言え、正直大破しないかが心配だわ」

 ため息をつき、典子は先に部屋に入り、後から茉蒜が入る。

 ごく普通の四人部屋だ。男子の場合は六人部屋だが、女子の場合は人数が少ない故に四人部屋がスタンダードだ。たまに五人部屋があったりするけども。

「あ、見えるわよ茉蒜……ってまたもう!」

 窓に手を置き、典子が振り向いた時には既に、茉蒜はベッドに潜り込んでいる。

 布団を引っぺがし、茉蒜の脇を掴んで抱きあげて窓まで持って行った。

「脇はくすぐったいんですけども……」

「どうせ身長小さくて見えないんだから、ね?」

「否定できないところがまた腹立つ!」

 身長一七三センチの巨体とも言える典子に抱かれ、茉蒜は窓の外の景色を見据える。

 二人の部屋は、丁度ドッグが見える位置にある。見てみると、見慣れない空母がドッグに入っていた。

「……あれが戦闘空母?」

「そうよ」

「え、あれが!?」

「そうよ?」

 そう、見慣れない空母……ではなく、その正体は戦闘空母に大規模改造を施された元ヘリ空母「かが」なのである。

 甲板がさらに伸び、前甲板下の大きく凹んだところには、二十センチ連装砲が二基四門、十三ミリ連装機銃が四基、かがの前にいる「いなづま」がいて少し隠れて見えにくいが、よく見ると四十五口径十二センチ連装高角砲が六基十二門あった。

「いや、第二次大戦時の「加賀」かって」

「ほんと、そう思うわ……」

 改造中に装填された兵装のほとんどが、第二次世界大戦時の戦艦空母「加賀」と同じなのだ。

 流石の茉蒜でもこれは感服していた。と同時に、明日あの空母を指揮するテスト艦長になると思うと、何処と無く恐怖を感じた。

「シーラムとかはそのままなんでしょ? あれ……明日私はあれを指揮するのよね」

「私もそうだから安心しなさい、茉蒜。苦しみを味わうのはあなただけじゃないのよ」

 降ろされて呟いた茉蒜に、典子はそっと彼女の肩に手を置いて同じく呟いた。

 二人同時にため息をついた時、部屋の扉がノックされる。

「?」

「誰かしら……どうぞー」

 典子の声に恐る恐る入ってきたのは、「かが」先任伍長の舞子だ。落ち着かない様子で部屋に入ってきて、「えへへ、失礼します……お二人に挨拶しておきたくて」と、照れ気味に呟く。

「あらまぁわざわざ普通隊舎から……大変だったでしょ」

「いえ、というか視線が……幹部の方達はお節介な方ばかりですね、すぐにお二人の居場所を教えてくれましたよ」

「挨拶なんてそんなんいいのにー。朧ちゃん律儀なんだから」

 茉蒜の言葉に、「まぁ、お世話になるんですし、これくらいは許してくださいな」と笑いながら舞子は答える。

「改めて黛艦長、市井副艦長、明朝からよろしくお願いします」

「うんうん、よろしくねー、頼りにしてるよ!」

 茉蒜は笑顔で言う。それに安心したのか、舞子は深く頭を下げ「失礼します」と言いながら部屋を出て行った。

「あの子も気遣いのいい子ね」

「私は別にいいんだけどなぁ」

 クスクスと笑いながら、二人はベッドに腰を下ろしてのんびりお菓子を食べ始めた。


 同日一一○○、航空自衛隊入間基地の待機所内。

「はぁ……」

 亮は不機嫌そうにため息をこぼす。

 というのも、入間基地に着いたのはほんの二日前。そう、入間に異動命令を下された当日に異動してきたのだ。

 それから丸二日間、新型テスト戦闘機「YF−23J」の飛行訓練をさせられていたのだから。

「そうため息つきなさんなってー! お茶いる?」

 ニコニコ笑顔で亮にお茶を渡す一人の女性。同じテストパイロットである田口たぐち雅美まさみだ。

 あちこちに跳ねた長い髪の毛を雑に束ね、猫のような口をしている。

「あぁ、なんでお前はそんなに楽しそうなんだよ」

「えぇ? だって戦闘機とかかっこいいし、私も戦闘機の操縦初めてだもん」

「理由になってないぞ、それ」

 亮は紙コップに入ったお茶を受け取り、一気に飲み干す。

 と、彼の視界にもう一人の人物が見えた。

「おぉ良介」

「ん? おぉー亮!」

 赤縁のメガネをかけたパイロットスーツの姿で声をかけてきたのは、岡田おかだ良介りょうすけ。もちろん、二人と同じテストパイロットだ。

 良介は二人に近づいてくると、「休憩か! お疲れ!」と笑いながら口にする。

「いや、お前俺たちと訓練していただろう」

「そうだけどよ!」

「喧嘩するほど仲がいい……?」

「どこを喧嘩って思ったんだよ雅美?」

 良介が不思議そうに問いかける。雅美は「なんでもないよ! それよりさ!」と話題を変えた。

「艦長、どんな人なんだろうね?」

 その言葉に、二人も少し考える。

「そう言われればそうだな。雅美は何か聞いてないのか?」

 亮の問いかけに、雅美は思考を巡らせる。

「うーん、確か一等海佐ってのはパパから聞いたんだけど、それ以外は聞いてないや」

「俺らよりも上かよ……」

 顔を顰めて呟いた良介に「大丈夫でしょ、海自の幹部の人はみんないい人ばっかだって聞いたよ?」と雅美は首を傾げて言う。

「そう言う問題ではない」

 亮がそう口を開く。

「亮、なんで?」

「俺は信用に値するかが不安なんだ。万が一信用できなかったら艦艇ごと沈めてやる……」

「やめろ亮、それはお前だけじゃなく俺らも怒られるんだぞ?」

「でも艦長、女の人って聞いたよ?」

 雅美の言葉に「どう言うことだ?」と亮が質問を返す。

「いやいやだから、女の人なんだって。しかも私たちよりも年上で、こんなに小さな艦長なの」

 自分の手で艦長の身長を表す雅美に「ちっちゃくね?」と真顔で返す良介。

「本当なのよ! 身長一三〇センチくらいって……」

「自衛隊の合格基準より馬鹿みたいに下じゃねぇか」

 冷静にツッコミを入れた亮に、「本当、びっくりだな」とメガネを指であげながら良介が呟く。

「まぁ、幹部ってことは防衛大卒なんだろう。俺は心配だがな」

「亮はほんと心配性よねぇ」

 雅美がそう呟いた途端、昼休憩終わりのラッパが響く。

「あ、行かなきゃ」

「よし、行くか」

「あと少しだぁ……」

 立ち上がった三人は、やがて待機所を出る。

 本来、入間基地には戦闘航空団はない。しかし今回、新型戦闘機の導入として特別に訓練を受けているのだ。

 この時、まさかあんなことになるなんて、三人は予想もしなかっただろう。

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