後編「吉田、逃げろ!」

 「ハッピーショップ タピ岡」開店から1ヶ月がたった8月のある日。うだるような暑さの中、吉田は都内某所の関東本部に呼ばれていた。例のごとくカタギみたいなスーツを着た若い組員が本部長室の前まで通してくれた。


 この日、吉田は期待と不安が入り乱れた心持ちでこの場所にやってきた。店は軌道に乗り、開店資金の3分の1である100万を回収できるレベルまで売り上げを伸ばしていた。黒澤本部長の命を受けてからここまで商売をやってのけたということをお褒めにあずかれるのではないか、そんな期待の一方で、実は何か知らぬ間に失態を犯していて、そのことでお叱りを受けるのではないか、という不安もあった。


 というのも結局彼の店に黒澤本部長が顔を出してくれたことが吉田の知る限り一度もないのである。無論、あの夕立の中、来てくれたのが黒澤だったのではないか、と思いながらもそのことを確信できていなかった。


 吉田は今日の謁見のためにタピオカドリンクを用意した。看板メニューのミルクティーと黒澤の出身地である広島県産のレモンを使った新メニュー蜂蜜レモンの2つを保冷パックに入れて持ってきたのである。


 どんな話をされるのだろうか、そして自分のタピオカは気に入ってもらえるだろうか、そんな不安が入り混じる中、本部長室の扉が開いた。


 吉田の期待に反して黒澤の表情は曇っていた。

 そして黒澤はこう切り出した。


「すまない、撤退だ」


 吉田は思わず保冷パックを床に落とした。


「撤退……?」

「すまない」

「なんでですか、店は軌道に乗ってます、確かに経営の知識なんてないズブの素人の店でいろいろ不手際や無駄もあるかもしれません、でも……」

「でも、撤退なんだ」

「どうして!」

「いいか、吉田。お前も組織の人間ならわかるだろう。組織の中で何かをやろうという時に、周りの人間はそれをいいと思う人間といいとは思わない人間のふた通りに分かれる」

「どういうことですか! おっしゃっている意味がわかりません! 私にもわかるように説明してください」

「いいから、店をたため」


 吉田は本部長室を飛び出した。嘘だ、撤退なんて嘘だ! だいたいどこが悪いって言うんだ、俺の店に何の問題があると言うんだ! 絶対に続けてやる、何があったって店は俺が守る!


 吉田は駅まで走りながら心の中でそう叫び続けた。





 吉田は何事もなかったかのように次の日もその次の日も営業を続けた。しかし、3日目に事件は起きた。


 その日の営業を終え、午後11時ごろ、吉田はひとりバックヤードで売上金の計算をしていた。吉田は前日の売り上げと比べて頬を緩ませた。決して金儲けという意味でそうしたのではない。自分の作った店の自分のタピオカが人々に評価されている、それが数字として見えるのがうれしいのだ。


 そんなよろこびを感じている最中だった。「ガチャン!」と表で大きな物音がした。吉田はタピオカ屋の店長をやっていてもヤクザの端くれ。あくまで冷静に、まずは何が起きたのかを確認しようと立ち上がったそのときだった。


「ガッシャン!」

「ドン!」

「ジャジャジャン!」


 ただごとでないと吉田は悟った。誰かがうちの店を襲撃している……。吉田は掃除ロッカーから取り出した金属バットを持って、冷蔵庫の陰から店頭の様子を伺った。若い男3人が鉄パイプのようなものでレジやドリンクサーバーを破壊している。自分がゼロから積み上げてきたこの店が今まさに目の前で理不尽にも潰されている。吉田は金属バットを握る手にギュッと力を込めた。


 ……許さない、許さない、許さない! 吉田はそう唱えた、声になっていなかったかもしれないし、微かな声になっていたかもしれない。冷蔵庫の陰から勢いよく飛び出そうとしたその瞬間だった。誰かが後ろから吉田の口に白いガーゼを当てた。吉田は抵抗しようと振り向こうとしたがすぐに意識は虚ろになり、その場に力なく倒れ込んでしまった。





「今まさにタピオカブームじゃないですか、もう日本中ねえ。僕もこの間飲みに行ったんですよ」

「ええ、意外ですね、そういうの飲みに行くイメージないですけど」


 そんな男女のやりとりが聞こえる。そして体が揺れている。吉田はゆっくりと目を開けた。赤いランプが天の川のように遠くまで連なっている。男女の声はラジオから流れていた。今走っているのは高速道路だ。この車は……。隣を見ると運転しているのは豊豊建設の小野社長だった。


「お、気がついたか、すまねえな、吉田」

「小野さん。これ、一体どういうことですか」

「実はな」

「俺の店は…、俺の店はどうなるんです!」

「いや、だからな」

「すぐに東京に引き返してください、俺の店に向かってください! 小野さん!」

「ゴチャゴチャ言ってんじゃねえ! ゴチャゴチャ言ってんじゃねえよ……」


 小野はそう叫んだ後、目に涙をにじませて唇を噛んだ。


「俺だって、できれば引き返したいよ。お前と一緒にあいつらぶん殴ってやりたいよ」

「だったら!」

「でも、それができたら苦労しねえんだ……、それができたら……」

「小野さん、説明していただけませんか」


 小野は静かに話し始めた。小野曰く、そもそも黒澤関東本部長が吉田に「タピれ」と言ったのは組の新たな資金源を確保するためだったという。これまで黒澤は常に新しい商売を部下に命じて始めさせ、時代時代にあった資金源を掘り起こしてきた。しかし、今回のタピオカが北九州にある総本部の逆鱗に触れた。直接の呼び出しを受け、黒澤は総本部長からタピオカ事業を撤退するよう命じられる。黒澤は涙ながらに事業の存続を訴えたが、総本部長は「決まったことだ」の一点張り。飲食店というのは、表社会との接点としてはリスクが大きすぎると判断されたようだ。そうして、示された期限の直前、吉田を関東本部に呼び出して撤退するよう命じたのだった。


「つまりさ、例えばあの襲撃に来た3人組をボコボコにしたところで組織があの店を認めていないんだからいつかきっと完全に潰される。もうできることはない」

「そう、ですか……」

「黒澤さんもこれでもう組織にはいられなくなるだろうな。総本部の意向を無視したことになるわけだから」


 吉田は悲しみと絶望と諦めと、そうしたものが入り混じったような虚無感を全身に感じていた。自分の店を失い、期待してくれた人であり、尊敬していた人を失墜させた。


 吉田は思った。ああ、結局俺の人生はこんなもんなんだ、と。


「それで、小野さん、これ、どこへ向かっているんですか」

「ん? 西だな」

「西」

「そう」


 車は夜の東名高速を猛スピードで駆け抜けていた。





 キラキラと水面が宝石のように朝の太陽の光を反射して、風は静かに、そして爽やかに吹いている。フェリーは、瀬戸内海に浮かぶ小さな島の小さな港に到着した。


「確かこの坂を上った先にあったはず」


 小野社長はそう言うと思いっきりアクセルを踏み込んだ。車は海を背にして急坂を駆け上がる。果樹園だろうか、青々とした木々が左右に見える。小野は坂を登りきる少し手間に佇む古民家の前に車を止めた。どうやら誰も住んでいないようだ。雨戸が閉まったままである。車を降りた小野に続いて吉田も車から出た。


「ここだよ」

「小野さん、ここなんですか」

「今日からのお前の家」

「え、俺の家……?」


 小野はポケットから取り出した鍵で玄関を開け、家の中に入っていった。吉田も追って入った。


「すげえホコリだな。こりゃ、掃除しないと」

「あのー、ここ、誰の家だったんですか?」

「ここか? ここはな、黒澤さんが生まれ育った家だ。黒澤さんがお前にってな」

「俺に!?」

「ああ、黒澤さんはそもそも一人っ子で、ばあさんも10年近く前に死んじまって、それからこの家誰も住んでなかったらしい。それで店も組織で生き残る術もなくしたお前にやるってよ」

「黒澤本部長……」


 吉田はがらんどうの居間を眺めて黒澤に想いを馳せた。





「喉につっかえないようにな、高野のばあちゃん。あ、北岡さんも」

「大丈夫じゃよ、吉田さん。年寄り扱いせんとって。なあ北岡さん」

「そうじゃ、わしらはまだまだ若いんじゃからな」


 あれから10年が経った。吉田は黒澤からもらった瀬戸内海に浮かぶ小さな島の古民家で今日もタピオカドリンクを振舞っている。島のちびっこたちやその親、そしておばあちゃんやおじいちゃんにまで愛される憩いの場「タピオカ黒澤亭」を切り盛りしている。


「よしだー! 初物のレモン持ってきた!」


 豊豊建設の社長だった小野は地元のレモン農家を手伝っている。たまに島の建築現場に出ては地元の大工と喧嘩したりしている。


「ありがとうございます! うん、いい感じの出来ですね」


 これで今年もあれを作ろう、吉田は厨房の戸棚から蜂蜜の瓶を取り出した。レモンを半分に切って果汁を絞り、蜂蜜を加えて……。


「すみません」


 玄関の方で凄みのある感じの声がした。


「はい、今行きます」

「ここで最高のタピオカドリンクが飲めると聞いたんだが」


 吉田は今日も、そして、これからも、タピオカを信じ愛して生きていく。



《完》

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極道タピオカ物語 〜ヤクザ、タピオカはじめました〜 OK Saito @Okayokey

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