彼氏にタピオカしか愛せないと言われたら~人生美味礼讃~

猫柳蝉丸

本編

「武志さん、どうしても考え直してはもらえないんですか?」

「すまないが祥子さん、貴女にも僕の生き方は分かってもらえてるはずだよ」

「人生を味わい尽くす、ですね」

「そう、その通りだよ。僕は人生を愛し、人生を楽しみ、心残りの無いように生きたいと常々考えているし、これまでそう生きて来たつもりだ。だからね、祥子さん、貴女にも僕の選択を支持してほしいんだよ」

「武志さんの意志を尊重したい気持ちは勿論あります。けれど、不安になるのも正直な気持ちなんですよ。ねえ、武志さん、是が非だとしても飲まなければならないんですか? そのタピオカドリンクを」

「うん、そうだ。僕はこのタピオカドリンクを飲むつもりだよ、祥子さん。このタピオカドリンクを飲みたい気持ちだけはどうしても止められない。僕はやはり味わい尽くしたいんだよ、人生を。行っていない場所には足を運びたいし、食べていない物は如何物であったとしても積極的に食していきたい。そんな僕が現在心を惹かれているのがこのタピオカドリンクなんだ。このタピオカドリンクに三時間も行列に並んでしまったけれど、後悔はしていないよ。この気持ちはまさに恋愛感情と言って差し支えないと思えるくらいさ。愛してしまっているんだよ、この飲料を。今の僕にはこのタピオカしか目に入りそうにない」

「目の前にいる私を置いてですか?」

「重ね重ねすまないがそれが僕なんだよ、祥子さん。祥子さんの事は勿論愛している。交際を始めて三年になるけれど、祥子さんが隣に居てくれて僕はとても幸福だったよ。こんなにも愛せる人が存在するなんて思ってもいなかった。祥子さんさえよければ同じお墓に入りたいと思っているくらいなんだよ」

「武志さん、それは私も同じ気持ちです」

「それはとても嬉しいな、祥子さん。けれどね、これだけは駄目なんだ。僕は気になった事を行わなければ生きていけない。そう生まれついてしまった様だ。長い付き合いだからね、自分自身のどうしようもなさはよく分かってしまっているんだよ。このタピオカドリンクを飲み尽くしてしまわない限り、僕の目に他の物は入りそうもない。それが祥子さん、例え貴女であっても」

「分かっています。それが武志さんですものね。そんなどうしようもない武志さんの生き方を好きになってしまったんですもの。私だって武志さんの意志を尊重して差し上げたいわ。それでも私は怖いんです、そのタピオカドリンクという代物が」

「怖い?」

「ええ、私から武志さんを奪おうとしているその存在自体が怖いんです」

「分からないな、タピオカドリンクの何を怖がる必要があると言うんだい? ひょっとして巷で流布している噂の事かな? タピオカドリンクの売り上げが暴力団に流れているという噂。それとも原価がとても安いと言われているタピオカ自体の品質を恐れているのかな?」

「いいえ、そうではないんです、武志さん。もっと、もっともっと単純な理由で、私はタピオカドリンクが怖いんですよ。前にお話ししませんでしたか? タピオカドリンクではありませんが、私は似た事案でお友達を亡くしているんですよ」

「多恵さんの事かい?」

「ええ、あの明るく向日葵みたいに笑っていた多恵さん。多恵さんがあんな亡くなり方をするなんて、今でも信じられません。悪い夢であったらと今でも考えてしまいます。お気付きでしたか? 武志さんとお正月を迎える度、私が不安でしょうがなかった事。武志さんはいつまでも少年の様な瞳をお持ちでしたから、いつ多恵さんと同じ事が起こるか不安で不安で、内心ずっと怯えていたんですよ」

「僕なら大丈夫ですよ、祥子さん。これでもお正月にはいつも気を付けているんです。ですから」

「分かっています、武志さんがお正月に気を付けて下さっている事。決して私より先立つ事の無いよう細心の注意を払って下さっている事。だからこそ、そのタピオカドリンクを見ていると不安になってしまうんです」

「どうしてだい、祥子さん」

「タピオカドリンクはその大きなストローでタピオカを吸い込むでしょう?」

「そうだね」

「そのままタピオカを噛む事もせず、喉の奥に飲み込んでしまうのでしょう?」

「味よりも食感を楽しむ飲料だから、そうだろうね」

「それが怖いんです。だって武志さん、先月何歳になりました?」

「祥子さんと同じ七十七歳だね」

「そうです、喜寿なんですよ、武志さん。喜寿にもなってこんな喉に詰まりそうな飲料に挑戦しなくてもいいじゃないですか。武志さんがお正月にお餅を食べる時でも不安でしょうがないくらいなんですよ? 武志さんはお餅をよく噛んで下さるからその時は安心出来ましたけれど、タピオカドリンクはタピオカを噛みもしない飲料じゃないですか。お餅以上に喉に詰まりそうで、私は居ても立ってもしていられないほど胸が不安で溢れてしまうんです。古希を過ぎて武志さんと出会って、私は初めて人を愛す喜びを知れたんですよ。こんなにも愛している武志さんをタピオカドリンクなんかに奪わせたくないんです」

「そんな風に考えてくていれたのかい、祥子さん」

「はい、それが私の本当の正直な気持ちです」

「ありがとう祥子さん、僕の事をそんなに愛してくれて」

「私の方こそこんなに愛させてくれてありがとうございます、武志さん」

「でも大丈夫、僕は死なないよ、祥子さん。祥子さんが僕を心配してくれるのは嬉しいけれど、ここでタピオカドリンクに挑戦しない僕は祥子さんが愛してくれた僕ではないと思うから。僕は僕の信じた生き方のままで祥子さんに愛されたい。だから、信じて待っていてほしい、これからタピオカを愛す僕がより強く祥子さんを愛する姿を」

「もう、しょうがないですね、武志さんは」

「祥子さん、それじゃあ」

「はい、構いませんよ。私も武志さんを信じて待ちます。いつまでも少年の様に新しい物を愛し続ける武志さん。私がその武志さんを愛しているのも確かですから」

「ありがとう、すまないね祥子さん」

「間違っても喉に詰まらせないで下さいよ、武志さん。私が待っているんですから」

「うん、分かってるよ、祥子さん。愛しているよ」

「私の方こそ」

「それじゃ今からこのタピオカドリンクを頂かせてもらうよ」





「あっ、そう言えば武志さん」

「どうしたんだい、祥子さん?」

「タピオカってとても消化が悪いそうですから、最近胃腸の悪い武志さんのお腹に数日残るかもしれませんよ」

「えっどうしよう」





劇終

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彼氏にタピオカしか愛せないと言われたら~人生美味礼讃~ 猫柳蝉丸 @necosemimaru

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