第六章 果てなき旅路

第一話 やりたいこと

 アミナは後悔していた。出立がすっかり遅くなってしまったからだ。

 ルシルらを乗せたウォール・バンガーを見送った後、食事のために立ち寄った焚き出しの広場で声をかけられ、支援スタッフとしてボランティアをすることになったのである。

 ウォール・バンガーを追うように人々はハルミドへと出発し、それと入れ替わるように新しい難民がやってくる。それがしばらく止め処なく続いた。

 だが五日もするとようやく難民の数はめっきりと少なくなり、焚き出しや医療を行っていたグループも次々と解散、撤退していった。最後まで残ったのはアミナのところだけだった。

 支援スタッフが少なくなってくると、アミナの仕事は多様に増えていった。その中でもアミナが一番関心を寄せたのは、医療に関してだった。

 住んでいたマンションの二階に小さな医院が入っていたこともあり、アミナは小さな頃からそこで看護士のまねごとをしたりして遊んでいた。だから親しみもあったし、人一倍不器用なことを自覚しているアミナでも、人の役に立っていることが嬉しかった。こうしてちゃんと医療行為を手伝ってみると、それが戦争の中でどれほど有意義なことなのかがひしひしと実感出来た。

 医者か看護士、みんなのための仕事が出来ればいいな……。

 アミナの想いは次第に強くなっていった。

 不思議だったことがある。支援物資のほとんどがテラリスから送られたものだったからだ。

 勢力を拡大してきた同胞団に対して、アンダー・コマンドを使って攻撃を仕掛けたのはテラリスのほうではなかったか。それによって都市が破壊されて大量に難民を出すことになったのだ。

 実際にアミナのいたエルキスタもアンダー・コマンドの進攻のよって破壊された。

 それなのにテラリスは難民を救うために支援物資を供出している。どこか釈然としない話だった。

「人道支援ってやつだよ。と言っても外に向けてのアピールだけどな。テラリスはあくまでイルダール内戦には直接は関わってなくて、だから難民の支援をやっているってスタンスなんだ。ありがたいことにそのお蔭でユニバーサル《U》・ライフ《L》・ガーディアンズ《G》は食料や医薬品、日用品の工面に四苦八苦しなくて済んだけどな」

 スタッフのひとりがそんなことを説明してくれた。

 腑に落ちない。釈然としない。外の世界の情報が入ってこないので、イルダールで何が起きているのか、それがどんな風に外に伝わっているのか、まるでわからない。

 戦争は自分たちの周囲で起こっているのに、思惑は全く別のところにあって、自分たちはただ動かされているだけ、そんなふうに感じられ、得体の知れない感覚が気持ち悪かった。

 考えても埒があかない。仕事はまだ沢山あった。長旅で怪我や不調を訴える難民は多い。彼ら彼女らが回復しキャンプを出立するまで、アミナはずっと世話を続けた。

 胸のもやもやを振り払うように仕事に没頭しているうちに、とうとうアミナは難民キャンプに残る最後の一握りとなった。

「もうこのキャンプは解散だな。迎えが来たら我々も撤収する。残念ながら規則で難民の君を保護するわけにはいかないんだ。テラリスは部隊を集めてリスタル攻略のために南下している。これからの道中、今までのような危険は少ないはずだ。気をつけて」

 グループのリーダーにそう言われて、アミナは笑顔で握手を交わした。もちろんアミナにも分かっていた。これでようやくハルミドへと向かうことが出来る。

 南へ向かう道は轍のように踏み固められていた。それを辿れば二週間ほどでハルミドに到着する。不安がないわけでもない。

 残った物資を分けてもらったが、食料も水も全く足りていないし、夜の寒さを凌ぐ防寒具もなく、持っている薄い毛布一枚では心許ない。そして一番不安をかきたてられるのがアンダー・コマンドだ。安全が確立されたわけではない。この先に何が待っているのか、想像もつかない。

 しかし他に行く当てのないアミナには、他の大勢の難民と同じく、ハルミドを目指すより他に術はないのだ。



 歩き始めて三日目となった。

 陽が登ってから足元が暗闇に埋没するまで、ひたすら歩き続けた。休憩するのは食事と小用のみ、整地されていない荒れた大地を歩くのは、幾ら踏み固められた道であっても辛かった。

 足はこの上なく痛み、ブーツはボロボロになった。擦れて出血したところは無数にある。それが痛みと痒みをもたらせ、不快感が酷い。

 完全に陽が落ち切る前に身を隠せそうなところ、例えば大きな岩の脇や窪地の隅など、を見付けて毛布に包まって睡眠をとる。もちろん熟睡など出来ない。身を切るような底冷えの夜に深く眠ってしまったなら、体温を奪われ動けなくなってしまう。夜はひたすら体力を温存し、出来るなら明日に備えて少しでも回復させ、朝を待つのだ。

 四日目になると、アミナも歩きながら寝るという技術スキルを身につけた。最初は道の先にも後ろにもまばらに人の姿があったが、徐々に抜かれていき、今ではもう人影は全く見えなくなって、ひとり置き去りにされたかのような感覚に襲われた。

 それでも歩くしかなかった。

 疲れが限界まできて、陽の高い午前中から午後までの大半を居眠りしながら歩くという状況の中では、背後に迫ってきたものに直前まで気付かなかったことを責めることは出来まい。

 遠くからの地鳴りが真後ろまで達してようやくそれに気づいたアミナは、しかし振り返りはしなかった。

 恐ろしかったからだ。足元から恐怖が這い上がってくるかのような地鳴りはずっとアミナを追い、朦朧とする頭の中で、それが今にも自分に食いつこうかという巨大な竜、怪物のように思われた。

 逃げなきゃ、逃げなきゃ。

 しかしどんなに歩みを早めても、地鳴りは追ってくる。そして足が絡まってそこに転倒した。

「痛たたっ……」

 それで我に帰った気分になって、ようやく後ろを振り返った。

 そこにいたのは、赤茶色の錆びたような鉄に覆われた巨大な車、それが列を作っていた。そしてさらにその後ろには、本当の怪物のような巨大な人の上半身を乗せた戦車が並んでいた。

 アミナは凍りついた。目の前にいたのは本物の怪物だったのだ。自分を喰らいに来たのだ。そんな戦慄が沸き上がる。

 その装甲車の上に、ひとりの男が姿を現した。黒い軍帽とジャケットに身を包んだその男の目はやけに鋭く、傷のある頬はシュッとして精悍で、異様な迫力があった。

 怪物たちの主、そう認識したアミナを、その男は静かに見下ろしていた。

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