第二話 偵察

 ウォール・バンガーを五キロほど走らせて停車させ、擬装させると、真夜中になるのを待ってルシルとキィンが偵察に出た。

 厚い曇りの夜空は、二つのルナパネルの明かりでかろうじて地上を暗闇にすることだけは防いでいた。

「二時間で戻るから、それまで待ってて。休んでいていいから。でも戻らない時は構わないからリコットが運転して行って」

 留守番のみんなにそう言って出てきたが、リコットは今にも泣きだしそうな顔で、ただ瞳をぎゅっと閉じて頷いただけだった。

 それが痛々しくてそれ以上の言葉をかけることが出来ず、逃げ出すように出発したルシルだったが、灯も持たず、息を殺して足音すら立てないよう気をつけて歩いていると、引き返して逃げ出したい衝動にかられた。

 しばらく進むと、少し丘になっている向こう側がうっすらと光っているのが見えた。

「ほら、あそこだ」

 周囲を十分に警戒しながら、少しずつそこに近づいて、頭を半分だけ出して双眼鏡で様子を覗き込む。

 小さな村だった。そこは大きな窪地で、周囲を見渡すとまるで巨大な墓穴を埋め立てて作られたようだった。

 そのため周囲は小高い丘でそれが壁になって村を隠し守っている。丘の斜面はけっこう急で細かな石ばかりで滑りやすく、上から滑落すれば無事では済まない。

 鉱山に近い開拓村によくある、大きな石を積み上げて作られた家が十数棟あった。村の真ん中に広場があり、中心には円筒形の大きなタンクを備えた地下水を組み上げる装置。広場を挟んで家の反対側にはテラリスのものだろう、十人以上が寝泊まりできそうな丸い大型のテントが五つ、屋根が円錐形のまるで移動劇場のようなテントだった。

 その脇に四角い大きな豚のような赤茶色の装甲車が三台。前に見たのと同じ、タイヤが片方四輪の細長い車で、運転席だけがぽこっと浮いたような形をしていた。フロントガラスは小さく前を少しのぞけるくらい、その運転席の上には連装銃があった。

 トラックのほうは以前にルシルが乗ったくらいの幌付きの大きなものが五台、並んで停まっている。

 人の姿は見えない。取り立てて変わった雰囲気も感じられない。

「そこいらの開拓村と同じだな。みんな休んでいるのか? 荒鷲隊ってのがどんな規模かは知らないけど、ちょっと少ないな。間違いなく本体なんかじゃない」

 キィンは双眼鏡を覗き込みながら、低く静かに言った。

 ルシルはじっくりとテントを眺め、その円錐の屋根の上にはためく鷲が描かれた旗を発見する。それは手前の装甲車の側面にもあった。

 ふとあの時、装甲車の上に乗っていた頬に傷のある将校の顔を思い出す。あれがユベール・ブロフなのだろうか。

「やれないことはないな。というよりも、やるべきだ。あの程度なら撃ちまくりながら一気に突っ込んで、ウォール・バンガーで装甲車とトラックさえ壊せばそれで終わる」

「でも村の住人は? 関係ないでしょ?」

「テラリスに関わっている時点で関係ないわけないじゃないか。いや、テラリスが拠点にしてるなら住民なんていないかも知れない。どっちにしてもみんな敵だ」

 キィンが力説する。ルシルは不安に襲われながらも、あれで全てなら出来るんじゃないかと思った。だが即断は出来ない。

「もう少しだけ様子を見て……」

 同じだ、とキィンは少し語気を強めた。そして顔を引っ込めて十メートルほど後ろに下がる。

「早いところ決めてしまわないと間に合わなくなる。今はまだ連中に動きはない。やるならこの時しかない!」

「でも、そんなに簡単には……」

 キィンは目を閉じて、そしてゆっくりと吐き出すように言った。

「なあ、あんたのリコット、アンダー・コマンドと何かあったんじゃないか? これはあたいの勘なんだけどさ。あの怯え方、家族に何か、いや、あいつ自身にも」

 ルシルが、止めて、と遮る。薄い月明かりの下、キィンの顔は逆光でよく分からないが、ニタリと笑ったような気がした。それでルシルは、しまった、と後悔した。

「あんたとリコットの関係は……もしかして隠してるつもりだったら悪いけど、みんな薄々勘付いてるよ。ただの焼け出された者同士じゃないってことくらいは。だったら、いいのか? こんなチャンスはもう間違いなくないんだぞ?」

「チャンスって何?」

 キィンの言葉がどんどん強くなって、まるで魔法のように胸をくすぐり撫でるような柔らかさで締め上げてくる。

「復讐さ! 今までみんな、奴らから逃げるばかりだったんだ! 難民キャンプのあの男、あたいは気に入らなかったけど、確かにこのままだと同胞団は負けるかも知れない。その時、あたしらはどうなると思う? 同胞団じゃなくても、今まで以上にテラリスの言いなりにされるかも知れない」

「だからってあたしたちであの村のテラリスを襲撃しても、何も変わらないわ」

 だからこそさ! とキィンは熱弁を振るう。

「あんたは黙って背を向けられるのか? なあ、ルシル! リコットのことを考えてみろよ! このままずっとなすがままにやられて泣き寝入りするのか? 後ろから命を狙ってくる追手をそのままにして、ハルミドに行けるのか? どっちにしたってあたいらはもうアンダー・コマンドをっちまってる。一番安全な方法はそれしかないんだ」

 そう言ってキィンは迷彩服の上着を脱いだ。その下にシャツは着ていなくて、上下に潰れたような乳房がぶるっと震えた。

「あんたも見ただろ? あたいの体にたくさん傷があるのを。それってなんだと思う? 戦争が始まるちょっと前、あたいはアンダー・コマンドに捕まって拷問されたんだよ。同胞団が隠れているところを教えろってさ。仲の良かった友達二人も一緒でさ……輪姦まわされるほうがまだマシだ。あんた、おまんこに銃を突っ込まれたことは? 友達のひとりはそれで撃たれて死んだよ。ベッドに寝かされ、腹が弾けて内臓が飛び散るんだ。そんで上半身が千切れてベッドから落ちた。それを見てあたしは漏らして、奴らはゲラゲラ笑った。しばらくしてもうひとりも死んだ。どうして死んだかは知らない。朝になったら冷たくなってたって。二人の死体はテラリスの上の連中にバレないように埋めたってさ。場所は分からない。あたいは知っていることを答えるしかなかった。そしたらあたいを連れて、そいつらは村に向かった。その後は……」

 キィンがうなだれる。ぽたりと何かが落ちる音がした。

「あたいは解放されたけど、もう何も残ってなかった……。あたいには、あいつらに復讐する権利があるんだ! 同胞団なんて関係なく、あたい自身が!」

 そして、あんただって! とルシルを指さす。

「理由があるはずだ! このまま、何も出来ずに惨めなリコットをそのままにしていいのか? いいはずないだろ! 復讐するんだよ!」

 その気迫にルシルは息を飲んだ。

「もう、もういいわ、キィン。言いたいことはわかった。リコットのためなら……いいえ、あたしたちがハルミドに無事に辿り着くためには、やるしかない」

 そうだよ、と上着を着ながらキィンが言う。もう興奮はしていなかった。

「これは正しい復讐だ。そしてそれがハルミドに行く、一番安全で確実な方法なんだ」

 キィンの言葉にルシルはゆっくり、ええ、と返事を返した。

 ふと空を見上げる。まだ雲は厚く、夜明けには時間があった。

「そろそろ帰りましょう。みんなと話をして、準備をしておかなきゃ」



「お帰り。あれ? キィンは?」

 胸の搭乗口で出迎えたリコットが声を落として訪ねる。ルシルはひとつだけため息をついた。

「残るって。どうやらずっと見張るみたい」

「じゃあ、やっぱり……」

「夜明けに村に攻撃を仕掛けることにしたわ」

 リコットが顔を伏せる。無理もない。ルシルも危険な橋は渡りたくない。しかし今後のことを考えると、より安全な方法はそれしかない。

 何よりキィンの強い想いに突き動かされた。そうだ、愛するリコットを穢した奴らをそのままには出来ない。ルシルの奥底に潜んでいた怒りがゆっくりと首を擡げ始めたことを自身が実感する。

 しかし彼女は違った。顔を上げたリコットは、キッと強い瞳をルシルに向けた。

「ルシル、ちょっとキィンに似てきたんじゃない?」

 一瞬、何かを見透かされたような羞恥心を覚えた。でもそれが何かはわからない。平静を装い、まさか、とだけ答える。

「似てるというのは違うかも知れないけど、すごい影響されてるっていうか……」

「キィンなんて出会って間もないし、あたしたちのことなんて何も知らないんだから」

「あの子はこっちが思っているより鋭いし、人を利用することを恥じたりしない。ルシルを取り込もうとしているのがわかる。だってわたし、ずっとあなたのことを見てるもの。あの夜から……」

 闇夜の中、僅かな明かりでもよくわかる、リコットの唇の震え。小刻みに震える蕾のようなそれは、逆にルシルの劣情を激しく誘った。

「わたし、怖いの。だってキィンって、まるでアンダー・コマンドみたい。わたしを襲った男たちと同じ感じがする。怖い……、怒りに任せて人を殺すのを楽しんでいるみたいで……」

 リコットが不安と恐怖に沈みそうになるのを、そうさせまいと両肩を掴んで引き寄せ、唇を重ねる。僅かに触れた舌が次第に強く絡まった。

 最初に感じた印象とはまるで違う。初めての夜、ルシルはただ同じ境遇のリコットを守りたかっただけだった。自分よりも年下、あどけない顔で、性を踏みにじられ、生に対する渇望など微塵も感じなかった。

 しかし新しい顔を発見するたびに、彼女の中に自分にはない強さを見付けるたびに、リコットの存在はルシルの中で大きくなった。

 こんな状況でなければ、と思う。しかしこんな状況だからこそ、リコットと愛し合うことが出来た。今までルシルは同性に恋したことはない。これは一時的な気の迷いだろうか。それとも互いを惹きつける何か強い力か働いているのだろうか。

 ゆっくりと顔を離すと、リコットは大きく息を吐いて、少し安心したように笑みを浮かべた。そしてズレた眼鏡を直す。

「ハルミドに着いたら……どうなるかわからないけど、一緒にいよう。大丈夫、あたしはずっとあたしよ。あなたの知っているあたし。それはずっと変わらないわ」

 うん、とリコットが頷く。そうして少しだけ呼吸を整えて、ウォール・バンガーの中へと戻った。

 ルシルがそこに入ると寝息を立てていたのはローエだけだった。何もわからないというように安らかな顔で親指を吸う音だけが響いた。

 シエラはその横に寄り添って髪を撫でていたが、ルシルの顔を見て、ただ大きくため息をついただけだった。

 クロアも壁にもたれたまま、僅かに開いた眼でルシルを見て、お帰りなさい、と言った。それは眠りに落ちる最中のものではなかった。

 ルシルを見て、二人ともどうするかを悟ったようだった。俯いて虚ろな目をして、しかしそれが何か覚悟を決めたような、やむを得ないという諦めが宿っていた。

「夜明けに村を攻撃する。キィンが呼びに来るから、それまで休んでて」

 そう、と二人は返事をしたが、それ以降は沈黙に支配される。その中にルシルとリコットは肩を寄せ合って堅い床に身を預けた。

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