第五章 讐撃

第一話 水飲み場

「このヤロウ!」

 ローエの胸ぐらを掴んで拳を振り上げたキィンをシエラとリコットが押さえ付ける。クロアはこれ以上無駄なことに関わり合いたくないのか、酷く疲れた顔で我関せずを決め込んでいる。

「やめて!」

「ローエに酷いことをするな!」

「酷い? あたいはこいつのせいで死にかけたんだ!」

 そこにルシルも割って入った。キィンから開放されたローエは、その場に蛙のようにうずくまって、鼻をすすりながら親指を吸った。

「みんな恐ろしいのよ。怖くて仕方ないの。あたしだって怖いわ。殺されるのも……人を殺すのも。たくさん、殺したわ。みんなで。人を殺したのよ! 幾ら相手がアンダー・コマンドで、襲われて仕方なくだったとしても、みんな人殺しなのよ!」」

 ふんっとキィンは鼻を鳴らす。

「だからどうしたっていうんだ。だって今は戦争だし、ここは戦場であたいたちは武器を持っているんだ。相手も武装して襲ってくる。それがどういうことか、ルシルは考えが甘すぎる! いや、ここにいる全員がそうだ!」

 キィンは強い口調でそう言った後、シエラに向き直った。

「あんたのおかげで助かった。だから今回は見逃しておく。でもこれ以上足手まといになるなら、その時にどうするか考える」

 どうするかって何? というシエラの言葉を無視して、キィンは搭乗口近くで倒れている兵士を眺めた。

 銃撃は長く止まっていた。恐らく襲ってきたアンダー・コマンドは全員倒したのだろうが、それでも安全とは限らない。

「ちょっと、早く出発しないと。いつまた敵が襲ってくるか……」

「みてよこれ、この部隊章。荒鷲隊だ」

 死んだ兵士の横で、その体を足蹴にしながら、キィンは吐き捨てた。

 荒鷲隊、その名前にルシルはビクッと震える。荒鷲隊……と、リコットも呟いた。

 あたしを襲った部隊の名前……。

「おかしいと思わないか? こいつらは通常、部隊毎に動いているんだ。アンダー・コマンドだけで荒野をうろつくなんてことはない。多分、もっと大きなテラリスの部隊が近くにいるはず」

「じゃあ、また襲ってくるっていうの? テラリスが、もっと沢山で?」

 キィンが首を振る。

「言っただろ? こいつらは斥候だよ。全滅させたし、連絡されてないと思うから直ぐに襲われることはないと思う。でもこいつらが帰らないと不審に思って捜索隊が出るだろうな」

「じゃあ、早く逃げないと」

 ルシルが全員を見回す。

 雰囲気は悪かった。ローエは怯えたまま、キィンの姿を見て顔を背ける。それをシエラが庇い、背中をさする。クロアもようやく開放された安堵感からか、座って脱力していた。

 リコットが青ざめた顔で、何かをつまみ上げた。銃撃された時の跳弾を受けたのだろう、ボロボロになった紙だ。

「ど、どうしよう……」

「それって、まさか地図?」

 大半が細切れになり、残った部分も中身が判別できないほどに焼け焦げ、千切れていた。大雑把な地図だったが、幾つか目印をいれてあってそれを頼りに走ってきたのだ。大まかな敵の駐屯地などの情報もあった。流石にそれら全ては覚えておらず、このままでは進むに進めない。戻ることも出来ない。下手に走り続けて何にぶつかるかわからないのだ。

「地図……」

 その事態を知ってみんながうなだれた。ひとり、ローエだけが、ちー、ちー、と繰り返しながら、自分達が写った新聞の裏にちびた鉛筆で何かを書き始めた。

「どうする? このままじゃあ、動きようがない」

「ある程度の方角はわかるから速度を落として慎重に進むしか……」

「そんな悠長にして、アンダー・コマンドを全滅させたことが知られたら、あっと言う間に追いつかれてみんな殺されるぞ!」

 キィンが怒鳴って、リコットが震え上がった。唇も青ざめている。シエラとクロアを俯いたまま、どうすればいいか途方に暮れていた。

 一方、ローエは一心不乱に、ちー、ちー、と繰り返しながら、何かを書き続けていた。

「何なんだよ、コイツ!」

 流石にキィンがキレ始める。何を書いているの? と覗き込んだルシルは、それを見て息を飲んだ。

 彼女が書いていたのは、失われた地図そのものだった。しかも書き写してきた適当なものではない。まるで端末に表示された映像をコピーしたような正確さだった。

「ローエ……すごい……」

「こんな特技が?」

「昔からローエは見たものをすぐに覚えて、正確に書き写すことが出来たんだ。でもあの時、地図なんて見てたっけ?」

 シエラが首を傾げた。ルシルはシエラ本人がローエを地図から引き離したことを覚えていた。

「ほら! ローエにだって出来ることはあるわ!」

 ルシルが言うと、キィンは憮然とした顔で、たまたまじゃないか、と独り言ちた。ありがとう、と小声でシエラが感謝する。ルシルは少し嬉しくなった。

「これがあれば、ハルミドまで行くことが出来るわ」

 待った! とキィンが制した。これ、と指差したところにみんなが注視する。そこには小さな村があった。

「ここからそんなに離れてない、比較的最近になって出来た同胞団に関わりのない開拓村だ。この近くには敵の駐屯地がない。だとしたらここしかない。いわゆる水飲み場ってやつで、テラリスが村を一時的に借り上げるんだ」

 キィンの推理は正しいように思えた。敵がいると思われる場所はどこも数十キロは離れている。アンダー・コマンドだけで動くにはここからでは遠すぎる。ならばこの村を拠点にしている可能性は高い。

「今なら敵はあたいらのことを知らない。こちらから先制攻撃すれば勝てる!」

 ムチャ言わないで! とリコットが反対する。

「ムチャ? でもこのままじゃ、直ぐに奴らに見つかってまた攻撃される。斥候を全滅させたんだ。あたいらを追ってくることは十分考えられる。そしたらあたいらは皆殺しだ。それでいいのか?」

 それでリコットは反論できなくなった。言葉をひねり出そうとして唇を噛んでぐっと堪える。

「戦えるわけがないわ。さっきだって銃も満足に撃てなかったのに。返り討ちに遭うだけよ」

「奇襲が通用するとも思えませんわね。荒鷲隊というのは強いんでしょう? さっきのロケット弾を何発も撃たれたら、いくらこのビルド・ワーカーでももちませんわよ」

 シエラやクロアも反対を表する。ローエは無心で地図をさらに緻密に仕上げようとしていた。

「別に相手を全滅させようなんて言ってない。いいか? 荒鷲隊といっても駐屯するのは小さな部隊のはずだ。こんな村に大部隊でいたら直ぐに村が干上がってしまう。恐らくこの村で待機してリスタル進攻のために南下する本体と合流する予定の遊撃部隊ってとこだろう。だったら大がかりな武装はないはず、あっても装甲車と兵員を輸送するトラックくらいだ」

 キィンはそこで全員の顔をみる。そして自分の話に集中していることに満足気な笑みで続けた。

「だから作戦はこうだ。明け方、奴らが起き出す前にウォール・バンガーで突入する。破壊するのは車両だけだ。後は逃げながら撃ちまくって少しでも損害を与えればいい。足を失った上に死傷者が出れば奴らは直ぐには追いかけては来れない。リスタル方面に逃げるような素振りで十分に離れたら、そのままハルミドに向かう。いいか? リスタルとハルミドは二百六十キロは離れているんだ。仮に荒鷲隊の本体がやってきてもあたいたちはリスタルに向かったと思うだろうし、万が一、バレたとしてもリスタル進攻の兵力を割いてまで追ってや来ないさ」

 ギラギラした瞳で熱弁を振るうキィンを見れば、戦う気が満々であることは直ぐにわかる。

 しかしルシルは彼女の言うことに強い説得力を感じた。このままハルミドに向かっても装甲車やトラックで追われれば、ウォール・バンガーの速度では逃げ切ることは出来ないかも知れない。ハルミドまではまだ遠く追撃される可能性は低くない。

 外はもう日が落ちる。決断に時間をかけている余裕はない。

「奇襲して車両に大きな被害を与えることが出来たら、逃げるのは楽になるかもしれない」

 キィンの顔がぱっと明るくなった。一方、リコットは青ざめる。

「ルシルまで何を言ってるの? わたしたちなんかじゃ無理だわ。兵士でも何でもないんだから」

「でも生き残ることを考えたら、ここで敵を減らしておくのは良いことかも知れない」

 状況が自分に向いてきたことに高揚しているキィンに、ルシルは念を押した。

「でもいい? キィン。取り敢えずその開拓村を偵察して、十分に作戦を練ること! でもちょっとでも無理そうだったら……」

「わかってる。あたいだって命は惜しいんだ。ムチャってのはしないつもりだ」

 リコットにちらりと目をやって、皮肉ともとれる言い方でキィンは頷いた。空気が、やれやれという重いものに変わっていく。

 生き延びるためには仕方ない、そう思いながらも、ルシルはやはりまだ迷っていた。

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