第四話 忌むべき過去

 リコットの家は機械修理を営む小さな工場だった。父親は既に亡くなっていたが生活を維持する程度の仕事はあった。機械修理といっても重機や車両から家屋の細々とした修理まで何でもやる。もちろんリコットも手伝っていたし、仕事は楽しかった。特に重機や車両の扱いは父親の仕込みもあって、リコットが一番上手かった。

 母親と姉、食べ物に困ることはなく、裕福ではないがさして不自由でもない、ごく普通の当たり前の暮らし。

 しかし突然、戦禍が街を襲った。破壊され、蹂躙され、逃げまどう人々。リコットたちも逃げ出す用意をしていた。

 そこに踏み込んできた男が五、六人、翼を広げた鷲のようなマークの入った腕章をつけた戦闘服に身を包んだ兵士たちだった。彼らはリコットを見つけるや否や、奇声を上げて飛び掛かってきた。無抵抗な女がいれば狙いはひとつしかない。

 リコットは兵士たちに輪姦まわされた。母親や姉もそこに一緒に引き倒された。

 母親は犯されながらも姉とリコットの手を握ってその名を呼び、兵士たちに命乞いをした。苦痛と屈辱に壊れそうになる中でその声だけがリコットが唯一縋すがれる一筋の光だった。

 だが苛ついたひとりが母親の頭を銃で撃ち抜き、彼女は絶命した。

「おい、まだってんだろうが!」

「へへっ! こいつ、死体と犯ってやがるぜ!」

 男たちの間に下卑た笑いが巻き起きる。まるで小動物でもいたぶっているかのような彼ら。

 身体の感覚を失い、世界の何もかもが色も音も消え失せて、リコットの意識は虚無の深淵へと落ちていった。遠くに見える姉の顔も、青ざめ惚けたように瞳は宙を漂っていた。

 次々と入れ代わりリコットの上に覆い被さる男たちの顔はみんな悪魔のように醜悪で、そこに理性などは微塵もなかった。

 長く犯され続け、リコットは何時しか気を失っていた。そして意識が戻った時、もうそこに兵士たちの姿はなかった。

 あるのは血溜まりの中で横たわる母親のむくろ。姉はいなかった。しかし部屋の真ん中に倒れた椅子があり、視線を上げるとそこに姉がいた。見開いた生気のない瞳、めくれた唇から異様に長い舌が飛び出していた。彼女はベルトを天井の照明に繋いで首にかけ、ぶら下がっていたのだ。

 失っていた感情が、体温が、恐怖が、痛みが一気に込み上げ、叫んだ。喉が潰れるほど、髪を振り乱して、狂ってしまうほど金切り声を上げ続けた。そのまま狂えられればどんなに良かっただろうか。しかしそうはならなかった。

 それからリコットは泣いた。泣き続けて声も出なくなり、それでも泣いた。泣いて泣いてどうしようもなくなって、ようやく泣くのをやめた。

 姉を下ろし、母親と並べて上に毛布をかけた。そして街にを出て歩き始めた。行き先などない。もう街はほとんど破壊し尽くされていて、黒い煙があちこちから立ち上り、人の姿はなかった。当てどなく彷徨い歩いていたところを、トラックに拾われたのである。


「そう、そんなことが……」

 テラリスは車やトラック、特に開拓用重機ビルド・ワーカーなど、脅威になりそうなものをことごとく破壊している。恐らく機械の修理などを行う工場は、大小関係なく真っ先に標的にされたはずだ。

「だから、わたし、汚された自分の体が許せなくて……悔しい……ママやお姉ちゃんも……」

 ぽろっと涙がこぼれる。ルシルはそれを指で拭った。

「でもリコットは生き残ったんだから。だから家族の分まで自分を大切にして」

 それに返事はない。無理もない、と思う。

「あたしも同じなのよ」

 そう言うと彼女は顔をあげた。驚きの眼でルシルを見る。

「そんな……ウソでしょ?」

「あたしの場合、二度目だけどね」

 両の腕を見せる。そこにあるたくさんの切り傷。

「これって……」



 経済的に恵まれていることが幸福とは限らないということを、ルシルは小さな頃に理解した。裕福ではあったがずっとひとりぼっちだったからだ。

 テラリスの勢力境界線にある都市メイザル。そこで父親は建築関係の会社を経営していた。開拓特需によって羽振りは良かったものの仕事は何時も忙しく、それを手伝っていた母親も同様で、家は放置気味、僅かな使用人がいるだけだった。

 従業員の宿舎が屋敷の近くにあって、彼らがルシルの話し相手、遊び相手になることが度々あった。新しく雇った従業員の中には、地球から渡ってきた若い男も多く、垢抜けたセンスを纏った彼らは憧れだった。

 次第に顔を広めていった父親は、政治に関わる人物とも交流を持つようになり、地元の名士を招いたパーティが自宅で何度も行われていた。

 あるパーティの夜、若い男に誘われたルシルは、くすねて飲んだ馴れない酒の酔いもあって軽い気持ちでついていった。何時も地球の楽しい話を聞かせてくれた気の良い青年だった。

 辿り着いたのは少し離れた資材倉庫。そこで数人の男が待っていた。ルシルは訳がわからないまま引きずり込まれ、そして襲われた。

 抵抗する術など持っていなかった。されるがままで、ただひたすら耐えた。遠くからパーティ会場の華やかな話し声や音楽が流れていた。

 ルシルが解放された時、もうパーティは終わり片づけが行われていた。全身に激しい痛みとだるさがあった。体を引きずるようにして両親のところに行き、自分がされたこと、どれだけ辛かったか、涙ながらに訴えた。しかし両親の反応は期待していたものと違っていた。

「この大事な時期にお前はなんてことをしてくれたんだ!」

 父親の第一声。このとき父親は政治家との関係作りに躍起になっていた。味方になってくれると思っていた母親からも、泣きながら酷い言葉で罵られた。

「このことが広まってみろ! 私の努力は全くの無駄になってしまう! 阿婆擦れ《アバズレ》の娘が大切なパーティを抜け出して従業員と乱交していたなどと!」

 事件はもみ消された。ルシルを襲った男たちは解雇されたが、彼らにはけっこうな金が渡された。口止めである。

 日常は何一つ変わらなかった。ただひとつ、ルシルを除いては。愚かだった自分と両親への怒り、悲しみ。部屋に閉じ籠もりベッドに上でただただ無為に時間を過ごしていた。

 その鬱憤が頂点を迎えた時、ルシルはナイフで自分の手首を切った。その時、自殺したかったのかどうかはわからない。ただ傷は致命傷にはならず、しかし流れ出る大量の血によって、何かの贖罪が行われたような気持ちになった。痛みが自分を癒す、不思議な感覚。

 穢れた自分は血を流すことによってゆるされる。

 そんな奇妙な思いに取り憑かれ、ルシルはことあるごとにナイフを手にするようになった。腕に傷が増えるたびに、それが免罪符のように思えた。

 もうひとつ、ルシルがやり始めたことがある。自慰だ。

 快楽に溺れるためではない。むしろ自分を淫らで汚らわしい存在へと陥れるためだった。自分はこれほと汚らわしいのだ。だから男に襲われるのも当然だし、両親もそれを知っているから無関心なのだ。そして気持ちが高揚してくると、そんな自分を罰するために腕を切る。そんなサイクルが確立していった。

 それが長く続いて、もう知り合いにも見せられない腕になってしまった。長袖の服しか着られなくなり、激しい自己嫌悪と焦りがルシルを蝕むようになっていた。

 家を出よう、誰も知らないところにいってひとりで暮らそう。

 人生をやり直すため、ルシルは役場で転出の手続きを行った。南の名も知らない小さな町でも、給仕の仕事でも見付けられれば何とか生きていける。僅かな希望にすがろうとしていた矢先だった。

 メイザルの街は戦禍に見舞われた。

 押し寄せるテラリスの兵士たち、銃撃と砲撃が周囲を残らず破壊していく。

 何で? どうしてテラリスがここに? この街は同胞団なんて関係ないのに!

 男も女も大人も子供も関係なく死んでいく中、ルシルは混乱を押し退けるように走り抜け、自分の屋敷に帰って来た。

 だがそこにあったのは炎上する屋敷と庭に転がった大量の死体、それは従業員や避難してきた近隣の住民たちだ。目立つ屋敷は格好の標的だった。

 疎遠になったとはいえ、自分の両親である。燃え盛る炎を避けながら屋敷の中に駆け込んだルシルが見たのは、無残な屍になった親と、それを玩具のように引きずって玄関に飾ろうとしていた兵士たちだった。

 ルシルには直ぐにわかった。彼らはテラリス連合軍の兵士ではない。アンダー・コマンド、入植者でありながら同胞団を裏切ってテラリスに与した連中だ。

 その先は言わずもがなだ。兵士たちに捕まったルシルは、庭先に連れ出され暴行された。

 再び行われる凌辱。でもルシルは何か達観したような気持ちで、自分はこうして死んでいくのが当然なのだ、人生をやり直すことなど出来ないのだ、と抵抗する気にもならなかった。

 彼らは最初からルシルを殺すつもりだった。銃を構えた男が凌辱が終わるのを待っていた。引きトリガーに指をかけ、ルシルの頭に弾を撃ち込む瞬間を待ち望む、悪魔のような笑み。それを助けたのは、巨大な鉄の塊のような赤茶色の八輪の装甲車の上で半身を出した、将校らしき男だった。

「何をしている、移動命令を聞いていないのか!」

「し、しかしまだここの生き残りが……」

「黙れ! 貴様らの役目は何だ! さっさと行け!」

 アンダー・コマンドたちは敬礼もそこそこに逃げるように散っていった。

 その将校の顔をみる。

 鋭い目つきで見下ろす彼は歳の頃は三十代後半くらい、頬に長い切り傷があった。凄味のある眼でルシルを一瞥し、装甲車を発車させた。

 去っていく彼の背中の鷲のマークがやけに印象に残った。そう言えばアンダー・コマンドたちも同じマークのある腕章をしていた。

 こうして全てを失ったルシルは街を逃げ出した。

 自分でも不思議だった。死んで当然と思っていたのに、心の中で死んではいけない、まだ生きたいという感情がふつふつと沸いてきた。不本意にも生き残ってしまったからなのか、それとも両親や家、そういうしがらみが全て消え失せてしまったからなのか。

 ルシルは解き放たれた気持ちになっていた。

 目的地は特に決めていなかったが、南に行って同胞団の勢力地に入れば安全だと思った。疲れても空腹でも歩き続け、ようやくあのトラックに拾われたのである。

 リコットと出会ったのはさらにその二日後のことだ。

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