第12話 ダンス イン ザ ダーク





ガタガタと揺れる馬車の中。

光が一切遮断された馬車の中は、何も見えない暗闇の世界。

何度か脱出しようと試みたが、やがてそれが無駄だと分かると、アヤメは体を曲げて床に横たわった。

馬が地面を蹴る音、跳ねる土の音を耳に感じながら。



どこに向かってるんだろう。

どうなるんだろう。

どんな目に遭わされるのだろう。

殺されるのだろうか……。

どんな酷い目に遭っても平気だ。

死ぬのも別に怖くない。

思えば、あの人に出会うまでは、そんな生活だった。

別に、何も怖くない。






ただ、あの人に会えなくなることだけが、…………







その赤い瞳をゆっくりと閉じた。



 







ヤマトは記憶力には自信があった。

特に一度見た顔なんかは忘れない。

昔、マクシミリアンの部下だった頃、基本的に女性のことしか覚えられない(覚える気がない)彼に代わって、彼と付き合いのある軍人や政治家や官僚の顔と名前、そして彼らとの雑談に必要になりそうであれば趣味や家族構成などを隣でこっそりと耳打ちしていたくらいだ。


たが今、目の前にいるこのピエロ。


自分の顔と名前を知っているようだが、思い当たる人物がいない。

おそらく、この派手なメイクを差し引いても。

そして、


「会えて嬉しいぜぇ」


という、有難くも何ともない言葉。


「隊長の知り合いですか?」

「お前な、天然なのも大概にしろよ。」


シデンは至って真面目なつもりだったのだが、ヤマトに軽く睨まれてしまった。

取調室の椅子に座らされたピエロは下からまじまじとヤマトの顔を窺っている。


「へぇ。アンタ、写真で見るより随分、色男じゃねぇか。言われたことあんだろ?」


「写真」という単語が出た辺り、少なくとも直接、面識があるわけではなさそうだ。


どこで自分のことを知ったんだ。


いくつかの疑問が湧きながらも、ピエロと対面するように腰掛ける。


「質問にだけ答えろ。お前が軍人殺しで間違いないのか?」


「アンタのその目、良くねぇなぁ……。そりゃ人殺しの目だぜ。」


「黙れ。」


「ん?感情的になるところを見ると、多少なりとも自覚はあるようだなぁ。それとも認めたくないのか?ふふふ」


「お前の目的は何だ。なぜ軍人を7人も殺した。」


「アンタに惚れちまったんだよ。」


「無駄口を叩くな。質問にだけ答えろと言った。」


「嘘じゃねぇよ。ホテル・エルリアでの件の記事を見てアンタに会いたくなったんだよ。何か騒ぎを起こせば必ずアンタが出てくると思っていた……。そしてこうやって会えたってわけさ。」


「……。」


自分の心拍数が、平常時より僅かに上回るのを感じた。



アークレーで5人の軍人が殺され、帝都エルリアで2人が殺された。

そして図らずも、こうして自分が表に出てくることになった。

それがこの男の意思によって意図されていたものだったというのか?



「……お前は…そんなことで……」




拍動によって駆出くしゅつされた血液と共に、全身を駆け巡るかのようなこの感情。

適当な言葉が見当たらない。

だが、この感情を、この感覚を、自分はすでに知っている。




アークレーで殺された友人、アルフレッドに対する憐憫の情か?





いや違う。

もっと、もっと前だ。






今でも夢に出る。






あの死の季節。






雪が薄く降り積もる、モノクロームの世界。

血と鉄、人と木の焼ける匂い。

硝煙が燻る森の中を、仲間の体を肩に背負って引きずるようにしながら歩いていた。既に屍となったその体が、重くのしかかる。 





この人を連れて帰らなければ。

あの人のもとへ。






急に目が霞んできて足元から崩れ落ちた。肺を内側から、誰かに締め付けられているかのように苦しい。

息ができない。

まるで過度のアルコールを摂取したときのように吐き出すと、白い雪の上に赤い鮮血が零れ落ちた。

その強烈なコントラストは、死を予感させる。






僕は死んでもいい。

お願いだ。

誰か、この人を。








仰向けになり、空に手を伸ばす。

何かを掴もうとするように。

黒い太陽が見える。







瞳を閉じた瞬間、手を掴まれた。






あの手だ。

僕をいつも子供扱いするあの手。







身体と意識が、深い水底に沈んでいく。








『お前はマクシミリアン隊長のとこに戻れ。』






——待って。






目を見開き、水面に手を伸ばす。







『必ず生きて帰るんだ。』







——駄目だ。置いていかないで。






——…さん。






白い花だ。

土の匂いがする。

みんな泣いている。






どうして誰も責めないんだ。

僕のせいだって言ってくれ。

僕が、




「僕が、死ねばよかった……」




ヤマトが呟いたその言葉にシデンとクロウが目を見開いた。

何の脈絡もないその言葉の意味を問うように、ヤマトの表情を窺うも、俯いたままで見えない。


「アンタもだいぶ壊れてやがるな……。大丈夫かよ?おい。」


ピエロはその台詞とは裏腹にヘラヘラと、まるで楽しんでいるかのような声色だ。


「お前……、いい加減にしろよ。」


ヤマトのただならぬ雰囲気に何か勘付いたようで、シデンが口を開いた。


「お前、こいつの部下か?お前もせいぜい気をつけるんだな。」


「は……?何がだよ。」


「コイツは血とワインの区別もつかない。人の生き血を啜らなければ生きていけない悪魔なんだよ……。」


「お前……何を……」


シデンが思わず息を呑む。


一体、何のことを言っているんだ。


「で、何の話だったっけなぁ」と前置きすると、

「そういや、アークレーで殺した軍人の一人がアンタのこと知ってたみたいだぜ。」

と言いながら、机に両肘をついて顎の下で指を絡めた。


「アンタのことを色々聞いてやった。家族構成、出身地、オンナがいるかどうか……。だが絶対に口を割らなかった。爪を剥ぎ、指を一本ずつ折り、歯を抜き、内臓を潰して血を垂れ流しながら、それでも絶対にお前のことは喋らなかった。いい友達を持ったなあ?羨ましいぜ。大事にしろよ。……ああ、もう会えないんだっけなぁ?ふふふふふふ……。」


そう友人の死に際を事細かに語られても、ヤマトは相変わらず無言で俯いたままだった。


「こいつ……」

「なんてことを……」


さすがのクロウの声にも怒りの色が滲んでいた。


「ところで、あの赤目の白うさぎちゃんはアンタのオンナか?」


すると、それまで無反応だったヤマトの唇がぴくりと動いた。


「あいつ、いい女だなぁ。まぁ、ねぇが、早くしねぇと首締められながら犯されて殺されるぜ?そん時、アンタがどんな顔をするか興味はある

が……」



「……。」



それは一瞬の出来事だった。

瞬きを終えるまでの、ほんの一瞬。



気づいた時にはヤマトが机から身を乗り出して、片手でピエロの首を掴んでいた。


「隊長?!」


「ヤマトさん!」



ピエロを見下ろすヤマトの冷たい目つきに、2人とも金縛りにでもあったかのように動けなくなった。呼吸することすら忘れるくらい。

そんな中、ただ一人、ピエロだけが恍惚の表情を浮かべている。


「あああぁぁぁあ、あんたのその目、最高だよ……。イキそうだ……!」


「そうか?だったら殺してやる!」 


より一層、ヤマトが右手に力を込めるとギリギリと骨が軋むような音がした。



このままでは本当に殺してしまう。




ここでようやくはっとしたシデンとクロウの2人がヤマトを引き剥がして羽交い締めにした。

「隊長!落ち着いてください!」


「駄目だ、ヤマトさん!あなたがこんな安い挑発に乗ってはいけない!」


「くそっ……!」


ヤマトが珍しく悪態をついた。

その様子を見て、ピエロは咽せながらもニタニタと笑みを浮かべている。


「その目だ……」


「何……?」


「あの記事……、アンタの写真を見て一発で分かった。そして実際に会ってみて確信したぜ。アンタはてる。軍服を着ているもんで誰にも分からねぇのかもしれねぇが、オレには分かる。アンタの本質はただの殺人鬼だ。変に頭が回るもんでその欲望を必死で抑えられているが、本当は人を殺したくて殺したくて仕方ない。……ビョーキさ。」


その言葉は、ヤマトをいくらか冷静にさせたようだ。

シデンの腕をばっと振り払うと、乱れた服装を整え、黒い髪を掻き上げた。


「……お前を総帥のところに連れていってやる。殺してでも構わないという命令だったが……。そこで死ぬより辛い目にあうんだな。」


そう吐き捨てるように言うと、乱暴に扉を開いて退出した。





月の光が、窓の影を床に落としている。ヤマトよりも遅れて取調室から出たシデンは、廊下の突き当たりでヤマトの姿を見つけた。その横顔からは、どんな思いで窓から帝都を見下ろしているのかよく分からない。


「隊長、……大丈夫ですか?」


「あぁ……。すまない。」


振り返ったヤマトは顔色は悪いように見えるが、いつもの落ち着きを取り戻しているように見えて、少しだけ安堵した。

シデンの知るヤマトは、喜怒哀楽といった感情を見せない男だ。

いつも冷静沈着で、たとえ部下が何かミスを犯したとしても、頭ごなしに怒鳴ることなんてしないし、注意するときもあくまで淡々としている(それがシデンにとって逆に恐ろしいときもあるのだが……)。他人に対して社交辞令的な笑みを見せることもあるが、本気で笑うところは見たことがない。

だが、そういうな人間なのだろうと理解していた。

だからあんなに感情の起伏が激しいヤマトを見るのは初めてだったので、驚いた。

ヤマトにとってあの道化師の言動が、よっぽど揺り動かされるものがあったのだろう。


おそらくこの後、ヤマトはリヒトとアヤメを追う行動に出るだろうが、なんとなく、このままヤマトが死んでしまうんじゃないだろうか、という予感がした。

そして彼自身も、どこかでそうなることを望んでいるのではないか。

そんな危うさを、今のヤマトからは感じる。



絶対に、1人にしてはおけない。



「あの、隊長……オレ……」


「あの道化は警察に任せて、私はリヒトの後を追う。お前はよくやってくれた。今日はもう帰っていいぞ。」



低い声が廊下によく響く。



……何もかもお見通しかよ。


シデンの言葉を遮ることで牽制したつもりなのだろうが、シデンは食い下がらなかった。


「オレは隊長について行きます。」

「……。」


ヤマトは唇を開きかけて、何か言おうとしたが、シデンの真っ直ぐな瞳に諦めた様子で眼鏡の奥の瞳を伏せた。

シデンは内心、何を言われるのかと冷や冷やだったが、これは一応こちらの言葉を飲んでくれたということなのだろうか?

そこにいいタイミングで現れたクロウが、援護射撃のような言葉をくれた。


「こちらはお任せください。お二人はリヒトさんとアヤメさんを追ってください。」

「行きましょう、隊長!」

「……わかった。」


先を行くシデンに続いたヤマトだったが、ピエロのいる取調室の方にちらりと目線を向けるとクロウに呟いた。





「……あいつから目を離させるなよ。何か企んでいる気がする。」









警察署を出ると、ヤマトは1人、エルリア帝国軍の軍部に戻ってきた。

門番の衛兵はこんな夜中でも、帰ってきたヤマトの姿を見かけると、律儀に挨拶をした。

建物内に入ると、誰ともすれ違うことなく執務室にたどり着いた。

そしてその2匹は主人の顔を確かめる前に、遠くからの足音で分かっていたようだ。執務室の扉を開くなり、レックスとフライが待ち侘びていたかのように尻尾を振ってヤマトの足元に寄ってきた。


「よしよし……、いい子だ。」



足元に纏わりついてくるレックスを、屈んで強めに頭を撫でると、レックスは嬉しそうに目を細めた。だが、横にいたフライは床に伏せてこちらを見上げるだけだった。

それは何か言いたげな、怯えるような上目遣い。

その意味に気づき、ヤマトは口元でふっと笑った。


「……悪い。そんなに怖い顔をしてたか?」


白と黒の毛並みの顔を撫でると、フライは安心したかのように尻尾を振った。




「何でもない、大丈夫だ。」





それはまるで自分自身に言い聞かせるようだった。






『アンタの本質は殺人鬼だ。』





ピエロの言葉が耳から離れない。

自分自身で何度思ったことだろう。

任務といえど人を殺すことを何とも思わない自分は、この軍服を脱げばただの人殺しなのだ、と。





だが、アヤメと初めて過ごした夜に言われたあの言葉だ。





——貴方はとても気品があって、誇り高い人。その誇りを失わない限り、貴方は高潔な帝国軍人でいられる。






お前のその言葉だけが、僕の正気を繋ぎ止めてくれている。






だから ——






夜の闇のような青い瞳が、ゆっくりと開かれた。






「……さぁ、行くぞ。レックス、フライ。」




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