第13話 スリープレス ナイト


レアは懐中時計の蓋をやや乱暴に閉めると、おもむろに軍服に突っ込んだ。

通りで月が真上にあるはずだ。時刻は既に日付が変わっていたのだから。



「ねぇ。なんで私たちまで付き合わないといけないの?隊長は一人でいいって言ったんでしょ?」



 広場の噴水の縁に腰掛けたレアは不満そうに口元を尖らせた。脚を組み替えながら斜め前方に立つシデンを睨みつけるも、


「いや、なんか……あんな隊長、はじめてだったんだ。ほっとけねぇよ……。」


 と、何やら歯切れの悪い様子だ。何があったのかは知らないが、夜闇の中でも浮かない顔をしているのが分かる。


「……ふーん。ま、どーでもいいけど。」


「お前さぁ、隊長のことになると結構冷たいよなぁ。なんでだ?」


「……べっつに普通よ、普通。」


「なんだよそれ。あ、お前もしかして、隊長のこと好きなのか?」


「はぁ?やめてよ。あんな無口、無愛想、無感情の三拍子揃ったような男……。一緒にいたら神経擦り減るって。そんな女がいるなら是非、お目にかかりたいものね。」


「お前、それは失礼だろ。いやまぁ、それは……」


「それは?」


「……それは……」


 明らかにレアのものではない低い声の方向を振り返ると、いつからそこにいたのだろうか、シデンの背後にヤマトが腕を組んで立っていた。全身の血の気を、サーっと死神が足元から拐っていったような気がする。

 魂ごと、どこかに連れて行ってくれればいっそよかったのに。


「た、隊長…?いつからそこに……」


「ついさっきだ。で、続きは?」


 目は完全に笑っていないが、唇の片端だけを持ち上げて笑み(のようなもの)を浮かべるその表情に、レアとシデンの2人は背筋が凍りついた。


「い、いえ、な、なんでも……」


「ほう?そうか?続きを聞けなくて残念だ。」


 続きを言ったら、おそらく首と体が分かれるだろう。

 それでも、シデンが知っているいつものヤマトに戻っていて、少し安堵したかのように一つ息を吐いた。

 ふっと目線を落とすと、ヤマトの足元の影に気付いた。


「あ、レックスとフライだ……。」


 2匹のボーダーコリーが、利口そうな表情でヤマトの指示を待つように見上げている。


「きゃー、可愛い!もふもふー!」


 レアが声を上げて2匹に抱きついた。


「相変わらず美人さんね!あーん、可愛い可愛い可愛いー!」


「……おい、あいつ……あんな女だったのか?」


「いや……なんか、可愛いものが結構好きみたいで……。子供でも猫でも、なんでも。たまにあんな感じになるんです……。」


「ふぅん……。」


 2匹はヤマト以外には絶対に懐かないというのが隊員たちの間では周知の事実だ。ヤマトの前だからか殊勝な態度をしているが、レアに弄ばれてる2匹はどこか死んだ目をしているのは気のせいだろうか……。


 しばらくして正気に戻ったレアが、「なっ、なによっ?!」と顔を赤くした。


「いや、別に。つか、何も言ってねぇだろ……。隊長、どうしてレックスとフライを?」


「レックスは元々、犯人の捜索や追跡が得意な犬だったらしい。まぁ、軍用犬にはなれなかったが、こいつならリヒトの後を追えるだろうと思って連れてきたんだ。」


 ヤマトが屈んでレックスを撫でた。やはりレアに触られている時よりも嬉しそうなのは、尻尾を見れば明らかだった。


「へぇ。そんなに優秀だったのに、軍用犬になれないものなんですか?厳しいんですね。」


「なんせ気性が激しすぎてな。元々捨て犬だったのを私の知人が拾ってきて訓練してたんだが、なにが気に入らなかったのか、試験監督を噛み殺そうとしたらしい。それも2匹とも。で、不適格の烙印を押されたわけだ。その知人が異動するっていうんで私が引き取った。」


「隊長にはすぐ懐いたんですか?」


「簡単だ。誰か主人なのかを分らせてやればいい。」


「……。」


 なんだかよく分からないが、そういうのは得意そうだ。おそらくヤマトは稀代の暴れ馬でさえ鞭一つで手懐けることができるだろう。


「これでも大人しくなったほうだぞ。お前らには吠えたり噛みついたりしないだろ?まぁ総帥だけは噛んでいいとしつけてあるが……。」


「ちょっと」


「やめてあげてください。」


 ときおり垣間見えるマクシミリアンに対するヤマトの感情は、冗談なのか本気なのかよく分からない。


「それで、リヒトがあいつと戦ってたっていうのがこの場所なんだな?」


 ヤマトはしばらく噴水周囲の石畳を俯きながら観察していた。そしてある場所で止まるとレックスを呼び、何かの匂いを嗅がせた。



「リヒトを追えるか?」



 それはリヒトが流した血の跡だった。










香を焚いた匂いが鼻につく。

 粉っぽい香りはゴテゴテと着飾った中年女がつけるパフュームのようだ。その香りは意識が浮上するにつれ、ここが自分の知っている場所ではないことに嫌でも気づかせてくれる。ゆっくりと目を開けると、どうやらうつ伏せでベッドの上に寝ていたようだ。やはり自分の寝室のものではない、悪趣味な赤いシーツが視界に広がる。





「お目覚めか?白うさぎちゃん」


「……!」



 聞き慣れない声に身体を起こすと、部屋の隅に置かれた椅子に男が腰掛けていた。白く塗られた顔に、口が裂けた禍々しいメイクを施した道化師のような男。

 目線だけ動かして部屋を見渡すと、ベッドと椅子以外の調度品がない、狭くて質素な部屋のようだ。

 アヤメの右手側の壁には人一人分くらいの横長の窓がはめ込まれていて、部屋の外側に黒いカーテンが引かれている。

それは明らかにという意図。

何を、なんて言うまでもない。

そういう悪趣味な娼館にでも売られてしまったのかとアヤメは息を呑んだ。


立ち上がったピエロは、以前見た青いスーツ姿ではなくて、襟がフリルになった白いシャツに黒いズボンを着用していた。

緩慢な動作で近づいてきてアヤメの顎を指で掴む。


「お前、アイツの女か?」


「……あいつ?」


「とぼけんなよ。あの神経質そうな眼鏡の軍人だよ。」


「……。」



 ひとつだけはっきりしたことがある。

自分は気まぐれや偶然で拐われたのではない。

ヤマトのことが狙いだと。

何が目的かまでは分からない。

ヤマトが自分を必ず助けにきてくれると思えるほど自惚れてないが、彼の性格から考えて、おそらく自分のことを探しに来るだろう。

自分がヤマトの弱みにされたことに唇を噛み、行き場のない怒りをぶつけるように無言で睨みつけた。


「聞いてんだよ。アイツとヤったんだろ?」


「なにを言って……」


下卑た言葉にあからさまに不快な顔を向ける。


「言えねぇのか?試してやろうか?」


ピエロはそう言うと、アヤメの肩を掴んでベッドに押し倒した。


「い、や……、離して…!」


「あぁ?大人しくしろよ。初めて、ってわけじゃあねぇんだろ?」


赤い舌で首筋を舐めあげると、アヤメの身体はびくっと反応した。


「なんだよ?この状況で感じてんのか?お前、変態だな。」


「ちが、う……」 


ぞくりとするような指の蠢きが、体内に侵入してきた。

そこにはもちろん快楽などない。

虫でも這っているような気持ち悪さ。


「っ……う、……」


苦痛に顔を歪めると、ピエロはくくくと喉の奥で笑った。


「痛いか?その顔、ソソられるぜぇ。あの男にどんな風に飼い慣らされてんだ?ん?」



 アヤメの赤い瞳がピエロを睨みつけると、その顔面目掛けて思い切り平手打ちをした。

ピエロは「へぇ」と、感心したかのように、派手なメイクの奥の目を細めた。




「気安く触らないで。貴方に触れられるほど安くないのよ……。私を抱きたいのなら出直すことね、。」




 その言葉にピエロはニヤリと笑い、アヤメから体を離した。



「いい度胸じゃねえか。それにアンタ、顔が綺麗だからいいになるぜ。白うさぎちゃんよ。」



「……どういう意味?」



アヤメの問いには答えず背を向けた。



「アンタの王子様は迎えにくるかねぇ?」



 ピエロはそれだけ言い残すと、部屋から退出していった。

 アヤメはその瞬間、素早くベッドから降りると、扉に耳をつけて足音が遠ざかるのを聞いていた。


死ぬのも殺されるのも怖くない。

アヤメの中で怖いのは、ヤマトに会えなくなることだけ。ぐっと唇を噛んで、前を見据えた。



ここから逃げてみせる。

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