藪の中

わたなべ すぐる

藪の中

「まずは1回目の……かんぱーいっ!」

「かんぱーいっ!」

 天井には高級そうなシャンデリアが輝き、テーブルには華やかな料理の品々が並ぶ。都内のイタリアレストランを貸し切った結婚祝賀パーティーは、集まった大勢の若者の歓声とともに始まった。

「深浦、おめでとー!」

「おめでとう!あの雄一が結婚とはね。」

 ワックスで髪型を決めた青年たちも、色鮮やかなドレスに身をつつんだ若い女性たちも、皆、口々にお祝いの言葉を述べる。彼らに取り囲まれた一人の青年、深浦雄一は、照れたように笑った。

「ありがとう。こんな素敵なレストランで、こうして皆に祝ってもらえて、ほんと、俺もみのりも幸せ者だよ。」

「店の都合もあって、とりあえず先に始めちゃったけど、みのりちゃん、まだ来られなさそう?」

 先ほど乾杯の音頭をとった青年が、シャンパンの注がれたワイングラスを傾けながら、心配そうに尋ねる。

「いや、さっきようやく取引先を出たって連絡があったよ。あと15分もすればつくんじゃないかな。」

「それなら良かった!しっかし、タイミング悪いよなー。せっかくの結婚パーティーだってのに、仕事が入っちまうなんて。」

「あいつ、仕事に関しては鬼だからな。夜中だろうが、休日だろうが、契約とるためならどこへでも!って感じだよ。」

そう言って苦笑いをする雄一をからかうような言葉が、方々から飛んでくる。

「でもそういうところも好きなんだろ?お前、昔っから、自立してるしっかりした女性がタイプだって一貫してたもんな。」

「確かに、確かに!しかもみのりちゃんって、仕事だけじゃなくて、料理もめちゃめちゃ上手で超かわいいんでしょ?そりゃ流石の雄一でも結婚したくなるよな!」

「流石の、ってどういう意味だよ。」

雄一はすかさず、わざと不貞腐れたような口調で尋ねた。

「だってお前、勉強もできて、スポーツもできて、顔も良くて、スタイルも良くて、女の子にはモテまくりの人生だっただろ?大学卒業してからも、大手の商社マンとしてバリバリ稼いでさ。でも全然結婚願望はないって言ってたじゃん。なのに、いきなり結婚することになりましたーってマジでビビったんだけど。しかも、金には絶対困ってないはずなのに、結婚式はあげないって言うし。」

「そうそう!深浦とみのりちゃんの勤め先のこととか考えても、結婚式あげないって、結構イレギュラーな決断だよな?」

「あー……まあ、ねえ。」

雄一は逡巡するかのように、一瞬口をつぐんでから、話を続けた。

「もう結婚決まった今だから言うけど、俺が結婚したくなかった理由って、親にあってさ。」

「親?」

「そう。俺の親って、いわゆる結構な毒親でさ。」

「え、マジで!?」

「俺、両親が40歳過ぎてから産まれた子供だから、物心ついたときから二人とも、結構なおじさんとおばさんでさ。んで、最悪なことに、なんかよく分からないけど、子供の頃からすげえ多額の借金抱えてて。それなのに、親父もお袋も正社員じゃないんだよ。毎日毎日、親父もお袋も、朝から晩までなんだかよく分からない仕事、たくさんしてさ。だから碌に構ってもらった記憶もないし、普通のあったかい家庭ってのが、いまいち分かんなかったんだよね。」

 それぞれ雄一との付き合いの長さはまちまちだったが、パーティーの参加者の誰一人として耳にしたことのない話に、それまで騒がしかった場が一気に静まり返った。そんな空気を察したのか、雄一は取り繕うかのように、

「まあ、結局塾に通わなくても大学には入れたし、学費もバイト代と奨学金でなんとかなったし、無事安定した就職先も見つけて、あったかい家庭築けそうな相手とまで出会えた今となっては、そんなのどうってことないんだけどな!」

と明るく笑った。

「ただ、みのりの親御さんは結構ちゃんとした人たちだからさ。一応、顔合わせはしたんだけど、結婚式開くとなると、向こうの親戚一同もくるし、そしたら俺の方も呼ばなきゃだけど、うちの親、そんな感じだから、親戚からはすげえ距離置かれてるし……。みのりとも相談して、結婚式はやらないことにしたんだ。まあ、そのおかげといってはなんだけど、こうして皆に祝ってもらえる機会が出来たわけだし、俺たちとしては納得してるよ。」

一息にそう言うと、雄一はワイングラスを口に運んだ。本当に吹っ切れているかのように聞こえるその口調に、静かに話を聞いていた仲間たちは少しずつ口を開き始める。

「……そっか。まあ、そういうのも全然ありだよな!」

「ありだろ、あり!今は、無し婚?とかいわれて、結婚式あげないのも流行ってるみたいだし。」

「結婚式なんて、結局、労力と!時間と!金の!人生盛大な浪費!!みたいなところ、あるしなー。」

「もー、マジであんたら夢なさ過ぎ!まあ深浦とみのりちゃんが幸せならなんでもいいけどね!」

 すっかり賑わいを取り戻した様子に、雄一はほっと安心したかのように息を吐いた。この場に集まってくれたのは皆、息の詰まる家庭からの逃避先を作ってくれた、大切な友人たちだ。思わず話してしまった自分のくだらない愚痴のような昔話のせいで、祝いの場の雰囲気を壊すことは絶対に避けたかった。

「お前、見かけによらず苦労してたんだな。何もかも完璧なチートキャラだと勝手に思ってたわ。……それじゃあ、お前と同じような感じで、弟くんも苦学生やってたのか?確かお前、弟、ひとりいたよな?」

 雄一の隣に立っていた中学生時代からの幼馴染の青年が、周囲に聞こえないくらいの声でそっと尋ねた。

「え?ああ、弟、いるよ。あいつは大学、行ってない。」

「そうなのか。やっぱ金銭的な問題か?」

「いや。あいつ、俺と違って、子供の頃から何やらしてもダメでさ。勉強もスポーツも。やる気もなくて、意気地もない。高校はなんとか卒業したって聞いたけど、そのあとは一体どうやって生活してるんだか。」

 気の毒そうな口調でうかがう心優しい友人に、雄一はぶっきらぼうに答えた。みのりに強く言われて、弟の健二にも一応結婚の報告はメールでしたが、終ぞ返信はなかったし、もう何年も会っていない。子供の頃は、自分とは違うグズグズとした性格に随分イライラさせられ、口を出してものらりくらりとかわす態度に喧嘩もしたものだったが、それもまた、過去の話だ。

「へー。兄弟でも違うもんなんだな。」

 その言葉に雄一がうっすらと微笑んだ時、ポケットにいれていたスマホが電話の着信を知らせた。

「ごめん、ちょっと電話。みのりからだ。……もしもし?いまどこ……え?……いえ……俺は、あの……婚約者で……え?」

 一言断って電話に出た雄一の顔からはすぐに色が失われ、わなわなと震えて薄く開かれた唇からは、意味をなさない言葉がうわごとのように発せられている。その手から力が抜け、スマホが滑り落ちそうになったところで、幼馴染の青年が横からスマホを取り上げた。

「おい、どうした?大丈夫か?……もしもし?僕は深浦雄一の友人ですけど、一体何が……え?」

 ただならぬ様子に気づき始めた周囲が、再び、静かになる。

「……はい。はい。分かりました。すぐに連れて行きます。はい。失礼します。」

 通話を切った青年は、様子をうかがっている仲間たちの方へ青ざめた顔を向け、

「みのりちゃんが……ここにくる途中で、男に刺されたって。病院に、緊急搬送されたらしい……。」

そう力なく呟いた。


 *


 集中治療室前の、薄暗い廊下の椅子。雄一は両手を握りしめて、ただ座っていた。隣には、雄一からの連絡を受けて駆けつけたみのりの両親も座っていたが、誰も言葉を発しなかった。緊急搬送されたみのりは、長い手術を終え、なんとか一命はとりとめたものの、全く予断を許さない状況で、すぐさま集中治療室に運ばれた。家族でさえも面会謝絶であり、3人とも、悲しみ、焦り、憤りや恐怖といった様々な感情を、ただ持て余し続けるしかなかった。

「……雄一。」

 ふいに耳に入った自分の名前に雄一が顔をあげると、長い間会っていなかった両親が、慌ただしげにこちらへ向かってくるところだった。

「親父。お袋。なんで、ここに……?俺は連絡していないのに。」

ぼんやりと尋ねる雄一の肩に手を置いて、

「私がご連絡したんだ。」

みのりの父親が立ち上がり、雄一の父親が軽く頭を下げた。

「この度は本当にひどいことで……なんと申し上げたらいいか。来るのが遅くなり、申し訳ない。」

「いえ。」

みのりの父親はちらりと雄一を見やると、

「ここにいても現状、何もできることがない。一度妻と私は自宅へ戻って、必要なものを揃えてこようと思う。何しろ連絡を受けてから、取るものも取り敢えず、病院へ来たからね。……雄一くん。君もそうだろう。君もいったん家へ帰って、シャワーを浴びて、着替えて、それから少しばかり眠るといい。」

静かな口調で声をかけたが、雄一は虚ろな目をしたまま、答えようとはしなかった。その様子をしばらく悲しげに見つめたあと、みのりの父親は妻を支えるようにして、

「では、いったん失礼いたします。」

と、雄一の両親に軽く会釈をし、その場から離れていった。

「……とんだことになったな。」

雄一の父親が、雄一の隣に腰掛けながら言った。

「なんでこんなことに……。今日は、俺たちの結婚を祝ってもらっていて……。パーティーをしていたんだよ。でもみのりは急な仕事が入って……遅れてしまって……。」

小さな声でぽつぽつと話す雄一に、父親は尋ねた。

「犯人は捕まったのか?」

「……みのりを刺したあと、逃げようともせず、そこに突っ立っていたらしい。……笑いながら。」

雄一は、ぐっとさらに強く両手を握りしめた。

「頭のおかしなやつなんだ!40代の中年の男で、あっさり捕まって……一体何がしたかったんだ!」

「落ち着け。」

荒げた声を諌めるように、父親が雄一の肩を掴んだが、雄一はそれを振り払う。

「犯人の身元ももうわかってる。名前は、藤沢広樹。」

「……藤沢……!」

 雄一が口にした名前に驚いたかのように、父親が息を飲んだ。おろおろと立ちつくしたままだった母親も、ひっと息を吸い込む。雄一は、初めて父親の目を見据えて言った。

「……まさか、知ってるのか?」

「……。」

 父親は黙ったまま、何も言わない。母親も、口を押さえ、顔面蒼白で震えるだけだ。

「……おい!なんとか言えよ!おい!」

 雄一は年老いた父親の肩をがっしりと掴み、揺さぶった。椅子が壁にあたり、ガタガタと耳障りな音が響く。

「……母さん、行くぞ。」

 何も言わずただ揺さぶられていた父親は、雄一を力の限り振り払って立ち上がり、母親の肩を無理やり引っ張って立ち去ろうとした。勢いよく振り払われて、廊下の床に打ち据えられた雄一は、痛みをこらえながらその背中に声の限り叫んだ。

「ふざけんな!どうせまた、お前らのせいなんだろ!お前らの知り合いなんだろ!?なんか恨みを買うようなことでもしたんだろ!ふざんけんな……ふざけんなよ!俺の幸せをことごとく……ことごとく邪魔しやがって!!!お前らなんて親でもなんでもない!もうあんたらを親だなんて、金輪際、思わないからなっ!」

 息子の叫びに一切振り返ることなく、老夫婦は去っていく。騒ぎに気づいた看護師たちが駆けつけるまで、そんな彼らを雄一は罵り続けていた。


 *


 両親がいなくなってから、どれくらいの時間が経ったのか。一人になってからも、廊下の椅子にただ一人座り続けていた雄一だったが、病院のスタッフに促され、半ば強制的に病院の外へと出された。しかしそれでも帰ろうとはせず、病院の玄関前にある階段に、じっと座り続けている。

(あの様子は絶対に犯人のことを知っていた。親父はともかく、お袋のあの怯え方……!何か後ろめたいことがあるんだ……。あいつらのせいで……あいつらのせいで……!)


「想像よりも、すげえ顔してるね。」


 突然上から降ってきた声に、物思いに沈んでいた雄一は、ぱっと頭をあげた。金髪で、耳にいくつものピアスをした青年が、気だるげに雄一を見下ろしていた。雄一を哀れんでいるようでも、面白がっているようでもなく、その目からは何の感情も読み取ることはできない。

「……健二。お前、なんで。」

「俺のところにも親父とお袋から連絡がきてね。二人は警察に行って話さなきゃなんないことがあるから、代わりに兄貴の様子を見に行ってくれないかって。先に家に寄ったんだけど、いなかったからさ。もしかして、とは思ったけど、まさかホントにこんなところで一人寂しく座ってるなんてねー。」

健二は、雄一の隣に腰掛けながら、面白がるように言った。

「……ふざけんな。心配なんて……どうせこれっぽっちもしてないんだろ。」

「あ、わかる?」

「てめぇ……!」

思わず掴みかかろうとした雄一に、弟はふと真顔に戻り、

「まあでも親父とお袋が心配してたからさ。兄貴のこと。」

 それを聞いた雄一は、感情を抑えるかのように深く息を吐き、どかりと再び腰を下ろした。

「……何が心配だ。今回のことは全部あいつらのせいなんだ。親子の縁なんて、金輪際ぶった切ってやる……!」

「……そうなの?」

「そうだよ!今回の事件の犯人は、もうとっくに捕まってるんだ!そいつの名前を親父たちは知ってた……!親父たちが恨みを何らかの恨みを買って、その腹いせに、何も関係ないみのりが……みのりが……!」

 そこまで言うと、力なく頭を垂れ、気力を無くしたかのような兄の様子をみて、健二は少しだけ、笑った。

「……まあ、当たってるっちゃ、当たってるけど。」

「……は?」

「犯人、藤沢広樹さんだろ?俺も知ってる。」

「なんで……お前が……!?」

「ていうか、兄貴もホントは知ってるはずだぜ?」

「なに……言ってんだ。お前……。」

 呆然と自分の顔を見つめる兄に、弟は淡々と続けた。

「親父とお袋には、ずーっと口止めされてたけど、親子の縁を切ったっていうなら、もう無効だよな。藤沢さんの恨みを買ってるのは、親父たちじゃなくて、兄貴だよ。」

「俺……?……適当なこと言ってんじゃねーぞ、俺はそんなおっさん、会ったこともなけりゃ、名前を聞いたこともねぇ!」

 健二はゆっくりと立ち上がり、ぐっと伸びをした。

「子供の頃にさ。ホント俺たちがまだ小学校低学年くらいのころ。親父とお袋と兄貴と俺の4人で、休みの日に国立公園に行ったんだよ。兄貴、昔っから俺のこと、グズだ、のろまだ、っていじめてただろ?自分が俺に比べりゃ、ちょっとばかし出来がいいからって。あの日も同じでさ。捕まえたセミを嫌がる俺にくっつけようとして、兄貴がしつこく追いかけ回してきたんだよ。俺は虫が大嫌いだから、無我夢中で逃げた。そうやってしばらく逃げ回ってたら、珍しくなかなか俺を捕まれられないことに、兄貴がイライラし始めて。兄貴が全力疾走はじめたところで、あの女の人にぶつかったんだよ。」

「……女の人?」

 健二は雄一を見下ろして、呆れたように笑った。

「マジで、何にも覚えてないのな。」

「……一体、なんのことだよ。そんな昔の話……」

「俺は全部覚えてるよ。兄貴が思いっきり女の人にぶつかったことも。女の人の悲鳴も。倒れた時、運悪く頭を石にぶつけた鈍い音も。そこから広がる赤い色も。匂いも。全部。」

 沈黙が広がる。雄一は無表情に自分を見下ろしてくる弟を、ただ呆然と見つめるだけだった。

−− ぶつかった?誰が?俺が?誰に?その人が、どうなったって……?

 何も言わない兄に一つため息をつくと、兄から目をそらし、健二は続けた。

「結局打ち所が悪くて、その人は亡くなって。藤沢さんは彼女の婚約者で、1ヶ月後には式をあげる予定で、その時もその場に居たんだ。まるでおかしくなったみたいに、倒れたまま動かない彼女にすがりついてたよ……今日の兄貴みたいな、蒼白な顔して。」

−− まさか。そんな。

「親父とお袋は、正社員で働いていたけど、当然遺族から訴えられてね。多額の賠償金を払わなくちゃならなくなった。でも、訴えられたことが原因で、それまで正社員として安定して勤めてた会社からは退職しなくちゃならなくなったんだよ。それでも、支払わなきゃならないもんは、なくなってくれないからね。朝から晩まで、働きづめだったってわけ。」

−− うそだ。もし……もしそうなら……

「……なんで俺は何も知らないんだよ。おかしいだろ、当事者の俺が何にも覚えてないなんて。」

「そんなこと言われてもね。事件からしばらく、兄貴は何にも話さないし、眠らないし、食べないし。ただぼんやり宙を見つめるばかりで、まるで人形みたいだった。それが1週間くらいして、急に元の兄貴に戻ったんだよ。元の、自信過剰で、上から目線の、俺とは違って、何もかも"カンペキ"な兄貴にね。」

「もし、お前の行っている通りなら、何で親父とお袋は、一言も俺に言わなかったんだよ?子供の頃はともかく、大人になってからも黙ってるなんておかしいだろ。俺の方がよっぽど稼いでるんだ。本当に俺がやったことの賠償金を払ってたっていうなら、俺に一言いってくれれば……!」

「兄貴、昔から可愛がられてたからね。」

「……は?」

「ほら、兄貴、親父とお袋が40超えて、結婚して10年以上経ってはじめてできた、念願の子供だろ?本人がすっかり忘れちまってるもんを、わざわざ思い出させるのはかわいそうだと思ったんじゃない?」

 吐き捨てるようにそういうと健二は、黙り込んだ兄に背を向けた。


「藤沢さん。ずっと待ってたんだよ。兄貴が幸せになるの。」


「ふざけんなっ!誰が信じるかよ、そんな話!」

 雄一の叫び声が、響く。

「嫌がらせだろ、全部!お前の!」

「……そう思うの?」

「そうだよ!俺が昔からお前のこと、いじめてきたから!グズで、のろまで、ダメなやつだって!兄貴の俺はなんでも出来て、学校でも職場でも、どこでも人気者なのに、たいしたことない弟だって!ずっと雑に扱われてきたから!嫉妬してんだろ!?俺に!」

 健二は兄に背を向けたまま、一つ息を吐き、

「兄貴がそう思いたいんなら、それでいいんじゃない。」

それだけ言って、歩き始める。

「待てよ!認めろよ!今の話は、全部、お前の嘘だって!」

 健二は歩くスピードを緩めない。早くもなく、遅くもなく。雄一の声に、振り向くこともない。

「認めろよ!!!」

 小さくなっていく弟の背中に、雄一は大声で叫んだが、なぜかその場から動くことができなかった。


−− 嘘だ、嘘だ、嘘だ……!あいつの嘘に決まってる!

−− でも、もし、あいつの言ったことが本当なら……?俺のせいで、みのりが……?

−− ちがうちがうちがう……!


 雄一は、ポケットへ無造作に突っ込んだままにしていたスマホを取り出した。長く充電していないせいでほとんど電源は切れかかっていたが、震える手で父親の番号を呼び出す。

 

 呼び出し音が、鳴り続ける。父親は出ない。

−− 本当は分かってる。電話に出れば、父親はきっと健二の話を否定する。でも、それは……。

 

 呼び出し音は、鳴り続け、そして……


 了

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