金谷美花の話

金谷美花が死んだときは雪が降ったその日から三日前のことであった。

空には雲の影もなく、いつものように流れるそんな日。彼女は病室のベッドの上からその風景を力なく見つめ、これが自分の生きた最後の空なのだと思いを馳せていた。

その空は、何の変哲も無い快晴の空であったけど金谷美花はその空が自分が生きてきた中で一番きれいな空模様だと思った。この世で一番美味しい物が高級な食べ物ではなく遭難した時に食べる物であるように、人生の最後に見るものが最高のものだと知った。

彼女は空を見つめながらベッドに垂れる自身の右腕を首を動かさずに見つめた。ベッドを囲むようにして集まる親族一同の姿、正月や盆休みでもこれほどの人数を見たのは始めてだった。その中でも彼女の動かなくなった右手を必死に握り祈るようにする一人の男の姿に金谷美花は人生最高の空模様よりも目を引きつられた。

「美花、ごめん」

そう呟く彼は今にも泣き出しそうな鼻声で、それにつられるように周りを取り囲む親族一同は涙を流し始めた。金谷美花はそんな光景をどこか他人事のように感じ、どうして皆は泣くのだろうと思った。

「そんな事、言わないで…」

金谷美花は乾いた唇をゆっくりと動かし手を握る彼に囁いた。


金谷美花が彼である林将太(はやし しょうた)と出会ったのはお互いに中学生の頃だった。

金谷美花と林将太は最初にクラスの中で話をした時から、二人はまるで前世からの付き合いだったかのように付き合うのだと悟った。

運命の出会いに勘付いたお互いは、毎日のように言葉を弾ませながら話をし、遊んで過ごした。そんな二人は、学年中の噂される前に、林将太からの告白の言葉でさも当然のように付き合い始めた。周りはそんな二人の関係に最初は驚きを見せてはいたけど、直ぐに二人の会話する姿や一緒に帰る姿を見て二人の関係というのがさも日常の中の一片に過ぎないよう感じ始めるようになるにはそう時間はいらなかった。

そんな関係は同じ高校に進学しても変わらなかったし同じ大学に入っても変わることはなかった。互いに日常の生活の中になくてはならないと認識し始めたのは、少なくても大学2年生頃だった。だからその頃に彼から婚約の申し込みをサプライズされたときも、差して驚くことはなく当時大学生の彼がなけなしで買った金色の指輪を左手の薬指につけて手を陽にかざして見ても深い意味というのは感じられなかった。と、こう言えば、淡白な人間なのだと思われるかもしれないが、自分たちの関係を指輪で図らずとも目に見えない安心出来る根拠のようなものを持っていた二人には形で愛情を表すというのは不思議な話しだったのだ。


そんなプロポーズから約半年が経った夏休みのある日のことだった。

その日、金谷美花は体の不調を訴えて街にある病院へと足を運んだ。自分自身は夏風邪でも長引いているのだろうと思っていたのだが、彼女を診察した医者が訝しげな表所を浮かべながら何か画面を見ているのに気づいた。

その時点で彼女の体は病に犯されており、すでに取り返しのつかない状態まできていた。


金谷美花は林将太には病気のことを黙っていようと思った。

それは長年連れ添ってきたからこそ、彼が彼女の病を知ればどんな反応を示すのかをわかっていたからだ。

だから、彼女は一人で病と戦うことにした。

来る日も来る日も続く苦しみの日々、そんな中でも彼女は彼を思い。白い壁に囲まれた病院の一室で腕に刺された点滴の針を見つめた。

そんな彼女をあざ笑うかのように進んでいく時間が意味していたものは、彼女と彼の残された時間だった。

医師に宣告された時間よりも長く生きた彼女が最後に見つめたその空の中、彼女は今までの記憶を思い出していた。

素晴らしい人生だった。彼女は思い出す記憶の全てに彼がいたこと、そんな彼と一緒に笑みを浮かべた事。総じて金谷美花は自分の人生をそう評した。

息がつまり視界が暗転していく中、金谷美花は手にはめられた婚約指輪の冷たい感触を確かめた。


そんな彼女が次に目を覚ましたのは病室でもなければ、彼女に縁がある地でもなかった。

自身が死んだのだという感覚はあっても、なぜ自身がこうして再び世の中を彷徨う事になっているのかという理由は分からなかった。

自分はどうしてこの世に留まっているのか。

彼女はその答えを求めるように、その見知らぬその地を歩き続けた。

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