ヨサクにて

やまかわあいこ

であい

アールグレイのシフォンケーキ、ラズベリーパイ、フルーツタルト、アップルパイにバナナケーキ、カップケーキにスフレ、ザッハトルテ、ブラウニーにベイクドチーズケーキ。


私はスイーツを吸い込んで涙で吐き出す妖怪になった。


嗚咽でろくに喉に通らないくせに、向日葵色の爪で鷲掴みにして食べる。

食べる、食べる、食べる。

クリームと涙が入り混じって落ちていく、胸の間に滴って滑って行く。


「梨絵子(りえこ)。そんなに焦って食べたら、死んじゃうよ」


要(かなめ)は優しく私の背中を撫でた。

猛獣が飼育員に撫でられて落ち着いて行く気持ちが今、すごくわかる。


「だって、寝取られる方が悪いなんて、そんなわけある? 」


私がカップケーキを口紅が付くのも御構い無しに頬張りながら言うと、


「でもあんた、そんな理由で仕事また辞めて。次から次へと。この先どうするつもりなの? 」


要は液状のヨーグルトをストローですすった。


毎回、仕事が決まって慣れた頃には彼氏が出来た。私は特別綺麗なわけでも、異常に可愛いわけでもないけれど、男は手の届きそうな平凡な女が好きなのだと思う、それなりにモテたし、いい男ほど言い寄って来た。


私も当たり前のようにいい男ならばどん底まで惚れてしまう。だけど何度も何度もどこか影のあるような女だったり、分厚い唇がよく似合う色気女だったり、見つめられるとはにかむような子鹿女だったり、そういうトンビにあぶらげ掻っ攫われてしまうのだ。


毎回、幼馴染の要がやっている喫茶店でケーキを大量に作ってもらっては、泣きながら食べるのが習慣になっている。


「ねえ要、いっそヨサクで雇ってよ」


私はいかにもなんとなく思いついた程度で言ってみただけだったけど、要はすぐさま


「いいよ」


と頷いた。



喫茶【ヨサク】は庭のある平屋の、だだっ広い土間と庭を使って営んでいる。

庭はイングリッシュガーデン風で、土間にはアンティークの1人掛けソファとコーヒーテーブルが13席並ぶ。奥の部屋一室を潰して大きなキッチンにしてあり、それは真っ青な壁で覆われ、要は更に奥の部屋で寝起きしている。


店員の今川並子(いまがわ なみこ)にそう案内されるずっと前から私は知っていた事だったけれど、「なるほど」とメモをとるフリをしておいた。


「星(ほし)さん、なにかわからないことがあったら、店長ではなく私に訊いてくださいね」


「なるほど」


「それから、店員は私のほかにもう1人居るのですが、彼は少し、その、放浪壁があるみたいで、数ヶ月に数週間分しか働かないんで、次来た時に紹介しますね」


「なるほど」


その日の晩、閉店後に名前通り地味でにこりともしない並子が帰り、私は着替えて要とお茶をすることにした。


「ねえ、放浪癖の男なんかいるの、知らなかったよ」

私が言うと、

「あんたもう男の話してるの」

呆れた口調で要はキャスターの甘い煙を庭に吐いて、それは丸い月に向かってのびるスモークツリーと同化していった。


次のシフトが入る水曜日の朝は大雨だったので、雨の雫が連なっているような、水色レースのワンピースを選んだ。けれど、傘を差しても風が強過ぎて骨が折れ、ヨサクに着いた頃には、白いサンダルが泥はねの水玉模様に変わり、ワンピースは雫どころかずぶ濡れになっていた。


「こんな日はカッパでも着ていたほうがマシなのに、バカね」

要に借りた黒いリネンのシャツワンピースでタイムカードを切った。

「女の子はいつだってお洒落をするのが義務です」

私が返して要を振り向いたら、そこには要は居なくて、黒いお化けがいた。


いや、お化けではない。

人だった。


「あれ? 誰だっけ、あんた」


黒人でもない。

日本語を話す、日焼けのひどい男だった。


「星梨絵子(ほし りえこ)です。どうも初めまして」

私が慌てて開いた口を微笑みに代えて挨拶をすれば、


「ああ、人増やしたんだ。俺、藤(ふじ)っていうの。下の名前は一番の一って書いてひとつ。イチ、とかよく呼ばれる。よろしくね」


人懐こそうに白い歯を見せるその様は、異様に人を惹きつけそうな笑顔で、しかし私には黒いお化けにしかやはり見えなかった。


「ご注文繰り返します」


仕事をイチに教わっていたら、なんだか不安になってきた。

イチときたら、皿は割るしグラスは倒すし、テーブルクロスが汚れて苦情を言ったお客さんには「ああ大丈夫、このくらいで騒がないでも、死ぬわけじゃあるまいし。僕なんかこの間行ったジャングルで、虫の幼虫食べたけど、屋内のくせに皿にハエが集る始末で」と話し始めてお客さんを更に怒らせたのだ。


だけど不思議なことに、私が要を呼びにキッチンへ向かって「放っておいて大丈夫、今忙しいから梨絵子は注文とってきて」と言われて戻ったら、何故だかイチとお客さんは笑いあって楽しそうにしていた。


「なんの魔法を使ったの? あんなに怒っていたのに」

私が閉店後の掃除をしながらイチにそう訊くと、

「魔法なんて使ってないさ。俺がしたのはね、コミュニケーション」

と笑ったのだった。


帰り際に、「よかったらこれ」とイチは大きな葉に包まれたナッツのアソートのような、よくわからないジャングル土産をくれた。


家に帰って包みを開け、缶ビールでナッツをひとつまみすると、案外美味しくて笑いが出た。

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ヨサクにて やまかわあいこ @aikoyamakawa

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