大阪の少女とイェーテボリのメイド

夏山茂樹

skypeガールズ

 イェーテボリの自然は豊かで大都市にしては滅多に見られないものだと思っている。ある日、日本に住むネット友達とスカイプで話をしていたら、私の送った写真を見て彼女がこう言いだした。


「スウェーデンって自然が多いわよねえ。なんか羨ましいわ」

「そうかな? 確かに私の住む街でキャンプしたりすることはあるけど……」

「キャンプ?!」


 彼女の素っ頓狂な声がリネア様から誕生日プレゼントに頂いたiPhone越しに聞こえてきた。彼女の声は割れて、私には何を言っているか全く聞き取れなかった。


「カランの住む街はどんな感じなの?」


 私は日本語の代わりに英語を話す。スウェーデンでは英語を話す人々がとても多いのだ。


「えー、私? 大阪って、日本第二の都市なんだけど東京くらいの大きさに一〇〇〇万人が住んでいるのよ? 考えたら正気の沙汰じゃないわ!」


 私は彼女の思うところがあって、日本について話そうとした。だが話し出そうとすると笑いが止まらなくて、なかなか英語を話せないでいる。


「どうしたのよ?」


 カランが心配そうに私に尋ねてきた。日本では当たり前のことも、この国ではどこか遠い世界のように感じられてならない。


「日本って面白いよね!」

「どうしてよ?」


 私はこのとき、なぜか笑う気持ちはすっ飛んで彼女に話す決心ができた。ヨーハン・ヘルストレムというひとりの男がこの街で起こした事業は大きくなって、彼の家族に、使用人の私に、この街の人々に多大な利益をもたらした。五〇万人はスウェーデンでは二番目に多い人口だが、それでも日本の地方都市より少ないという。


「スウェーデンより狭いのに、日本ってスウェーデンより人口が多いよね!」

「ああ……」


 カランのどこか納得するような声がiPhoneから聞こえてきた。私はリネア様の使用人として、高校を出てすぐに住み込みで働くようになった。イェーテボリという大きな街の、ヘルストレム家という大きな邸宅の元気な年下の身長が高い少女の世話を私はしている。

 それでもネットの動画越しにみる日本の高いビルの群れ、電車に押し込まれる人々の呻く声、そんな中わずかに残っている公園の自然。ただ、森はないけど。


「逆にスウェーデンって大きいし、アパートだって安いんじゃないの?」


 アニメのような地声を持つカランの声が冷静になって私の胸に響いた。スウェーデンは自然が大好きだ。人々の暮らしの中に自然があって、その針葉樹林に、白い雪の中に、流れる大きい川に人の死体が隠せそうだからミステリーというジャンルが流行っている。


「そんなことないよ。私たちは自然が大好きなの。自然を守るために、新しい建物を作ることを禁じるくらいに」

「えっ?」

「日本人はそういうことはしないの?」

「ど田舎に行けば自然は嫌なほど見られるし、神戸という場所に行けば昔からの自然が見られる。宝塚という街には自然豊かな遊園地の跡地に学校が建っていて、日本で一番有名な歌劇団が身近にあるわ」


 私は日本の人々が作り上げた文化というものに思いを馳せた。想像する大阪の大きな街の中に私は立っていた。戦争に負けた日本は立ち直るために、今まで持っていた心の余裕すら犠牲にして必死に追いつこうとしていった。アメリカに、イギリスに、ドイツに、様々な国に。そうして心の余裕を犠牲にして得たGDP世界二位の地位はどう日本人に映るのだろう? 


 ただ、わずかに残った希望や余暇のために彼らはテレビを見て、共有の井戸まわりで会話をした。今日のテレビはどうだった、大江健三郎はいいぞ、アトムより鉄人ね、なんてことを考えながら。

 そうした人々の過去を経て、日本の大きな都市がある。小さな街を行き交う電車やバスを通る人々がいる。私はその生活の中に取り残されたカランのことを思った。不登校の彼女は英語だけは得意だ。カランの目に、大阪という街はどう映っているのだろう。私はふと気になって彼女に尋ねた。


「大阪ってどんなところ?」


 すると彼女は一瞬引きつったような声を出した。そしてそれからわずかに声を漏らして答えた。


「人が多くて苦しい。でも、私はその苦しさが大好き」


 好きになれる苦しさとはなんぞや? 私は疑問に思いながらも、それ以上彼女に問うことはしなかった。時刻は夜の一〇時をとっくに過ぎていた。日本ではもう朝になっているだろう。


「ねえカラン、眠くない?」

「眠いよう、日本は朝だもん」

「もう寝たら? オールは健康に良くないってリネア様がおっしゃってたわ」

「そう。美容院の経営者の娘さんがそういうなら、私はもう寝るわ。おやすみ」

「おやすみ」


 私はスカイプのアプリを閉じると、ベッドにiPhoneを投げて倒れ込んだ。東京ほどの大きさの中に住む一〇〇〇万人。私はその人々が行き交う中での苦しみを愛せるだろうか。いや、それは無理だ。

 だが私にも愛するものがある。ヘルストレム家の邸宅とリネア様との生活だ。明日も私はリネア様のパーティを開くために準備をしなくてはいけない。さあ、もう寝ないと。私はそう思って瞳を閉じた。

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大阪の少女とイェーテボリのメイド 夏山茂樹 @minakolan

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