第32話 ポセイドン・スナイパー


「ふう、紳士淑女を装うってのも思いのほか重労働だな。肩がこるったらないぜ」


 無事に『王者の方舟』の客室に辿りついた俺は、貴婦人そのもののクレアを前にひとしきりぼやいてみせた。


「音を上げるのはまだ早いわ、ゴルディ。これから社交界デビューがあるのよ」


 タイを緩めてベッドに倒れこんだ俺をクレアが脅し文句を絡めつつ、冷やかした。


「社交界ね。俺にはとんだ百鬼夜行としか見えないがね」


 乗船時に目に映った客の面々を思い返し、俺は嘆息した。サンダースの赤毛は遠目でも判別できたが後は皆、善男善女の皮を被った妖怪ばかりという印象だった。


「私はこの仕事のために『顔』を新調したから気づかれないと思うけど、あなたは鬘とつけ髭だけなんだから、ふるまいには気をつけてね」


「ああ、わかってるさ。この馬鹿げたクルーズがもう少し身体になじんでくれれば、あとはシャイな田舎貴族ってことで押し通せる。なに、婚約披露パーティーまでの辛抱さ」


 俺が希望含みの展望を披露すると、窓の外の眺めていたクレアが肩越しに振り返った。


「……ね、甲板に出てみない。そろそろ夕涼みにちょうどいい頃合いよ」


「他の連中は?」


「ジニィたちはカジノのクロークを見に行ってるはずよ」


「コートが安物のフェイクだとばれるんじゃないか?……ブルたちはどうしてる?」


「さあ、あの身体でそうそうあちこち歩きまわったら目立つでしょうから、部屋で寝てるのかも知れないわね。……それより気になるのはノランね。私があつらえてあげた衣装がお気に召さないみたいなの」


「まあ、あいつには好きなようにさせてやるさ。何せ身内が船のあちこちにいるんだ、気にし始めたら仕事どころじゃないだろう」


「……そうね。それじゃあ私たちも夕涼みがてら、偵察に出てみましょう」


「やれやれ、またお芝居か。待ってくれ。ドアを出る前に田舎貴族になりきらなくちゃな」


 俺は緩めかけたタイを再び締め直すと、クレアを伴って甲板に足を向けた。ちょうど涼みに出てきた乗客の姿がちらほらと伺え、目立ちたくない俺たちとしては好都合だった。


「見て、ゴルディ。あそこの人だかり……真ん中にいるのが今回の主役、ヴァネッサよ」


 クレアが目で示したのは船首に近い一角だった。若い夫人を中心に人だかりができていて、どうやら真ん中に入るのがカーライル家の長女、ヴァネッサらしかった。


「ふうん、確かにお人形さんみたいだな。しかし意に染まぬ相手と結婚させられるんじゃあ、せっかくのパーティーも苦痛だろうな」


「どうもスコットの依頼によると、ヴァネッサの意中の男性もこの船に乗っているらしいの。スコットの知り合いらしいわ」


「なるほど、兄としては父の進める縁談より、自分の友人との恋を応援したいってところかな。……んっ?何をしてるんだあの客は」


 何気なく人気のない方を向いた瞬間、俺の目は鴎に餌をやっている人物の挙動に吸い寄せられた。人物は男性で、あまり社交界とは縁がなさそうなたたずまいだった。


「あの人がどうかしたの、ゴルディ?」


「……見ろ、餌を待っている鴎の中に、偽物がいる」


「偽物?」


「フェイクだ。精巧な動物型ドローンだよ」


 俺がクレアに囁くと、男性が投げた餌をついばんだ鴎のうちの一羽が突然、首から青白い火花を散らして落下を始めた。


「餌と見せかけてナノグレネードを放ってるんだ。どうやら『覗き屋』がお嫌いらしい」


 夕涼みの輪を離れた俺はそっと男性に近づくと、えへんと一つ咳払いをした。


「……船上から鴎の餌付けとはまた、優雅ですな」


 俺が声をかけると、男性は振り返って丸眼鏡の奥の目を瞬かせた。


「はあ、これはどうも。ご覧になられていたんですか?」


「ええ、たまたま目に入ったもので。私は田舎で不動産業を営んでいるコークスという者です。こっちは妻のクレア。……海鳥がお好きなようですな。それとも動物全般?」


「海洋生物全般です。……まあ、学者の卵みたいなものです。僕はオーギュスト・ラング。この船には父の代わりに乗ったんですが、社交界の人間より動物の方が気になってしまう始末です」


 そう言うとオーギュストは眼鏡の奥の目を細めた。


「動物だけじゃなく、乗客を偵察する機械も気になるようですな」


 俺が何気にドローンの方に話を向けると、オーギュストが一瞬、真顔になった。


「アパートの経営をなさっているにしては、変わったことにお詳しいようで」


「なに、私も私生活を覗かれるのには我慢がならない方でして。偽物の鴎にはご退場頂くに限ります」


 俺が空を見上げてそう漏らすと、オーギュストは再び柔和な表情に戻り「そのうちゆっくりお話したいですね。……では僕はこれで失礼します」と言ってその場を立ち去った。


「ふむ、こいつは面白くなってきた」


 俺がこぼれた餌をついばみにやってきた本物の鴎に目をやった、その時だった。


「乗客のみなさまに、ご連絡申し上げます。皆様に早急にお伝えしたいことがございますので、お手数ですがラウンジにお集まりください。繰り返します……」


 アナウンスが流れた途端、のどかな甲板の空気が一瞬で緊張をはらんだ物に変わった。


「時間からすると、そろそろね」


「そろそろって、何がだい」


 まるでアナウンスの中身を知っているかのようなクレアの口調に、俺は思わず問いを投げかけた。


「たぶん船に『予告状』が届いたのよ。泣く子も黙る『盗賊ゴルディ一家』からのね」


              〈第三十三回に続く〉

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