一釣さんとお花見

休みの日はだいたい10時か、遅くても11時まで寝ていることが多い。


この日はいつもと同じ時間に起きて、お弁当を作っていた。


「よし、できた」


2つ並んでいる重箱を前に、あたしは呟いた。


今日は一釣さんとお花見に出かけるのだ。


初めてのデートに張り切って、いつもよりも腕を奮ってお弁当を作ったのだった。


重箱の1段目は塩むすびと鮭と梅干しのおにぎりコーナーで、2段目はおかずコーナーである。


鶏の唐揚げにきんぴられんこん、にんじんの砂糖煮、たまご焼き、小さなハンバーグ、ひじきの煮物とつめこんだ。


別の容器には、食後のデザートとして食べるりんごが用意してある。


ちなみに使っているこの重箱は、一釣さんの私物だ。


本人曰く、4年前の年末に商店街の福引きで当てたのだそうだ。


スマートフォンで時間の確認をすると、もうすぐで一釣さんが迎えにくる時間だ。


重箱を重ねてフタをすると、風呂敷で包んだ。


キティちゃんがかわいい保冷バッグの中に重箱とデザートのりんご、温かいほうじ茶が入っているすいとうを入れた。


カバンにスマートフォンを入れ、財布と折りたたみの傘が入っていることを確認した。


後は今日の服装の確認だ。


白のコットンレースのブラウスにベージュ色のワイドパンツである。


普段はヘアバンドをつけたり、下ろしたりしてることが多い長い髪は、今日は編み込んだうえにお気に入りのバレッタで留めてハーフアップにした。


そのうえからスプリングコートを身につけると、玄関へと足を向かわせた。


歩きやすいようにと思ってスニーカーを履いたら、玄関のチャイムが鳴った。


一釣さんだ。


「はーい」


そう言ってドアを開けると、予想通りの一釣さんだった。


「おはよう」


あいさつをしてきた一釣さんに、

「おはよう、光也」


あたしはあいさつを返した。


一釣さんの今日の格好は白のニットに黒のズボン、そのうえから黒のロングカーディガンを羽織っていた。


足元はスニーカーだ。


改めて見てみると、本当にスタイルがいいな。


それゆえにどんな服も簡単に着こなしてしまうから、ある意味すごいなと感心してしまった。


「行こうか」


声をかけてきた一釣さんに、

「うん」


あたしは首を縦に振って返事をした。


ドアを閉めてカギをかけると、

「それ、俺が持っていようか?」


一釣さんに声をかけられた。


「これ?」


保冷バッグを見せたあたしに、一釣さんは首を縦に振ってうなずいた。


「じゃあ、お願いしようかな」


あたしがそう返事をしたことを確認すると、一釣さんはあたしの手から保冷バッグを受け取った。


「これ、お弁当?」


そう聞いてきた一釣さんに、

「うん、お弁当。


光也が昨日持ってきた重箱の中に入ってるから」


あたしは答えた。


「へえ、それは楽しみだな」


一釣さんは笑いながら返事をした。


マンションの下に止めていた一釣さんの車に乗ると、彼の運転で隣の県にある大きな公園を訪ねた。


駐車場に車を止めると、あたしたちは車から降りて公園へと足を向かわせた。


公園は桜が満開で、休日と言うこともあってか大勢の花見客でにぎわっていた。


「わーっ、キレイ!」


満開の桜を見て声をあげたあたしに、

「ちょうどいい時にきたな」


一釣さんは言った。


売店でペットボトルの緑茶を2本買うと、あたしたちは場所を探した。


「ここがいいんじゃないか?」


そう声をかけてきた一釣さんに場所の確認をすると、

「うん、よさそうだね」


あたしは首を縦に振って返事をした。


その場所に一釣さんが持ってきたレジャーシートを敷くと、あたしたちはそこに腰を下ろした。


「少し早いけど、お弁当にしようか?」


そう言ったあたしに、

「賛成」


一釣さんは返事をした。


包んでいた風呂敷を外すと、重箱のふたを開けると並べた。


「わーっ、すごいなあ」


一釣さんは声をあげた。


「ハート形のたまご焼きなんてどうやって作ったの?


難しくない?」


一釣さんはそう言ってハートの形をしているたまご焼きを指差した。


「簡単だよ、たまご焼きを斜めに切って片方をひっくり返して切り口にあわせるだけだから」


そう説明をしたあたしに、

「なるほど」


一釣さんは首を縦に振ってうなずいた。


「それじゃ、いただきまーす」


あたしたちは両手をあわせると、食事を始めた。


一釣さんは鮭のおにぎりをかじると、

「うん、美味い!」

と、嬉しそうに声をあげた。


「ありがとうございます」


あたしは返事をすると、塩むすびを口に入れた。


美味しそうにおにぎりを頬張っているその顔に、あたしは心の底からお弁当を作ってよかったと思った。


すいとうのカップに温かいほうじ茶を注ぐと、

「はい、どうぞ。


熱いから気をつけてね」


それを一釣さんに差し出した。


「ありがとう」


一釣さんはカップを受け取ると、ほうじ茶を飲んだ。


その様子からあたしは視線を一釣さんから桜へと向けた。


桜はとてもキレイで、風に吹かれてヒラリヒラリと舞っている。


それを見つめていたら、

「まほろ」


一釣さんに名前を呼ばれたので、彼の方に視線を向けた。


何故かあたしの目の前にはたまご焼きがあった。


その先に視線を向けると、割り箸でたまご焼きをつまんでいる一釣さんがいた。


…えーっと、これはどう言うことなんだろう?


「食べないの?」


何も行動を起こさないあたしに、一釣さんが首を傾げて聞いてきた。


…これはつまり、“はい、アーン”的な?


早い話がやれって言うことなんでしょうか?


一釣さんはあたしを見つめている。


…うん、本当にやるみたいだ。


あたしは口を開けると、たまご焼きを口に入れた。


もう特別ですよ!


「あっ、美味しい」


自分で作ったたまご焼きだけども、とても美味しかった。


我ながら上手にできたな。


そう思いながらたまご焼きを咀嚼していたら、

「ところで…」


一釣さんが何かに気づいたと言うように声をかけてきた。


「この花の形は何?」


一釣さんが指を差して聞いてきたのは、にんじんの砂糖煮だった。


「にんじんの砂糖煮です。


子供の頃に母がよく作ってくれたお弁当のおかずの1つなんです」


そう答えたあたしに、

「これ、にんじんなんだ」


一釣さんは納得をしたように返事をした。


「食べる?」


あたしは一釣さんに聞いた。


「いや、ちょっと…」


一釣さんは何故か首を横に振って断った。


にんじんを甘く煮ること自体がありえないと思っているのかな?


「マズくないですよ?」


そう言ったあたしに、

「いや、美味いとかマズいとかじゃなくて…」


一釣さんは呟くように言い返した。


「もしかして、にんじんそのものが嫌い…とか?」


そう聞いたあたしに、一釣さんは驚いたと言うように眼鏡越しの目を大きく見開いた。


「えっ、そうなの!?」


思わず聞き返したあたしに、

「どうも苦手なんだ…」


一釣さんはやれやれと言うように息を吐いた。


「ああ、なるほど…って、ポトフに入ってたにんじんは食べてたじゃないですか!」


いつだったか一釣さんが作ってくれたポトフにはにんじんが入っていて、彼はそれを食べていた。


「味つけしてるヤツと細かく切ったヤツなら食べれる」


そう答えた一釣さんに、

「よくわからないです…」


あたしはそう返事をすることしかできなかった。


味つけとか細かく切ったって…うーん、全く理解ができない。


「でも、これも砂糖で甘く味つけしてありますよ?」


あたしは割り箸でにんじんをつまむと、一釣さんに見せた。


一釣さんは渋々と言った様子で口を開けると、にんじんを口に入れた。


あ、できた。


そんなことを心の中で呟いたあたしに、一釣さんはモゴモゴと口を動かしてにんじんを咀嚼していた。


すると、一釣さんはフッと口元をゆるめて微笑んだ。


あ、出てきた…。


彼が微笑んだその顔に、あたしは胸がキュンとなったのと同時にガッツポーズをしたくなった。


「ど、どうですか…?」


結果はわかっているけれど、あえて聞くことにした。


「美味しい」


微笑みながら答えてくれた一釣さんに、

「そうですか」


あたしは嬉しくなった。


改めて作った甲斐があったと、心の底から思った。


「まほろは本当に料理が上手だな」


そう言った一釣さんに、

「あたしを褒めても何もでないですよ。


と言うか、光也も料理が上手です」


あたしは返事をした。


「そう?」


「そうです」


あたしが首を縦に振ってうなずいたら、一釣さんはクスクスと笑ったのだった。


やっぱり、いいなあ。


心の中でそう呟いたら、

「ちょっとトイレに行っていい?」


一釣さんが聞いてきた。


「いいですよ」


あたしが返事をすると、一釣さんは腰をあげてその場から離れた。


その後ろ姿を見送ると、あたしはカップの中に視線を向けた。


「あっ、花びらが入ってる」


ほうじ茶のうえに桜の花びらが1枚浮いていた。


風流だな。


そう思いながら、あたしは少し冷めてしまったほうじ茶をすすった。


「おおーっ、なかなかの美人じゃないのー?」


「えっ?」


カップから顔をあげて視線を向けると、目の前に顔を紅くした中年男がいた。


お酒臭い…。


もしかしたら、どこかで会社の宴会がやっているのかも知れない。


「お嬢さん、1人なの?」


「えっ、いや…」


その顔が近づいてきたのと同時に、酒臭さも強くなってきた。


うえっ、吐きそう…。


「すみません、妻に何か用事ですか?」


聞き覚えのある声に視線を向けると、

「光也…」


一釣さんだった。


彼の方が背が高いと言うこともあってか、中年男を見下ろしていた。


黒いものが見えるのは、あたしの気のせいだろうか?


「何だ、旦那さんと一緒だったの」


一釣さんに見下ろされた中年男はあたしから離れた。


すると、

「あっ、こんなところにいた!」


そこへ現れたのは、スーツ姿の若い男だった。


「課長、何をしてるんですか!


トイレに行くと言ってなかなか戻らないから」


呆れたと言うように言った彼に、

「いやー、すまんかった」


中年男はガハハと笑いながら謝った。


「課長、戻りますよ。


みんな、心配しているんですからね」


「はいはい」


若い彼はあたしに顔を向けると、

「すみません、大丈夫でしたか?」

と、聞いてきた。


「はい、特には…」


そう答えたあたしに、今度は一釣さんの方に顔を向けた。


「旦那さんも申し訳ございません」


そう謝った彼に、

「いえ、とんでもございません」


一釣さんは返事をした。


「さっ、戻りますよ。


足元に気をつけてくださいね」


「はいはい」


中年男は若い彼に連行されるように、あたしたちの前から立ち去ったのだった。


おじいちゃんと介護しているヘルパーさんみたいだなと、彼らの後ろ姿を見ながらそんなことを思った。


「大丈夫だった?」


一釣さんがあたしの隣に腰を下ろした。


「うん、話しかけられただけだから」


あたしはそう答えた。


「それよりも、さっきあたしのことを“妻”って言っていなかった?」


あたしの聞き間違いじゃなかったら、一釣さんはそう言っていたはずだ。


「言ったよ、“彼女”と言うよりも“妻”と言った方が信憑性があるかなって思って」


「いや、意味がわからないです…」


信憑性って何だ、信憑性って。


「でもいずれは、まほろは俺の妻になる訳じゃん」


「えっ…」


い、いずれって…。


「いつ?」


「さあ、俺は今すぐでもいいけど」


な、何と…!


サラリとそんなことを口に出した一釣さんに、あたしの心臓はドキドキが止まらなかった。

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