オペラに捧げる

昼休みに社長からのメールがきた。


『今夜は迎えに行くから自宅で待っててね


お泊まりセットの用意を忘れずに


9時に迎えに行くから』


「お泊まりセット…?」


メールの内容に、私は呟いて首を傾げた。


てっきりいつも通り、ホテルに泊まるのかと思った。


どこかへ旅行に行くのだろうか?


よくわからないけど、帰ってきたらすぐに用意をしよう。


そう思いながらサンドイッチを食べ終えると、会社に戻った。



家に帰ると、すぐに荷物をまとめた。


2日分の着替えと下着とタオルと歯みがきセット…で、いいかな?


何か足りないものがあったらコンビニで買えばいいだけだ。


シャツとジーンズに着替えて、先ほどコンビニで買ってきたオムライスで夕飯を済ませた。


それからテレビを見ていたら、玄関のチャイムが鳴った。


ピンポーン


モニターで確認をすると、社長だった。


荷物が入っている黒のトートバックを手に持つと、玄関へと向かった。


ドアを開けると、

「じゃあ、行こうか」


社長が言った。


「はい、わかりました」


私はドアを閉めると、しっかりと戸締りをした。


「荷物、持ってあげようか?」


社長がそう言って手を差し出してくれたけど、

「ありがとうございます、でもそんなに重くないので」


私はそう言って断ったのだった。


社長の車に乗って到着したところは、タワーマンションだった。


「あの、ここって…?」


窓からタワーマンションを見あげた私に、

「僕が住んでいるところだよ」


社長が運転しながら答えた。


「えっ、自宅ですか?」


タワーマンションに住んでいるんだろうなとは思ってたけど、まさか本当に住んでいたとは…!


「50階建ての最上階が僕の自宅だよ」


「さ…!?」


最上階ですか!?


サラリと答えた社長に、すぐに言い返すことができなかった。


やっぱり、社長だ…。


地下にある駐車場に車を止めると、そこからエレベーターで最上階へと向かった。


「驚いた?」


エレベーターの中でそう聞いてきた社長に、

「何となく、予想はしていました…」


私は呟くように答えた。


「予想してたの?」


「さすがに最上階までは予想してはいませんでしたけど…その、ホテルのスイートルームみたいに広い部屋に住んでいて、部屋の数に関しては使っていない部屋の方が多いんじゃないかと」


「ああ、なるほどね」


私の予想に社長は首を縦に振ってうなずいた。


「やっぱり、そうなんですか?」


そう聞いた私に、

「ほとんど正解だね」


社長はそう言って、私の頭をなでたのだった。


エレベーターを降りると、

「ホテルだ…」


赤いじゅうたんが敷かれている廊下を見ながら、私は呟いた。


「ホテルじゃなくて、僕の家なんだけどね」


社長はそう言って私の肩を抱き寄せた。


カードキーを使ってドアを開けると、

「広い…」


予想以上に広かった部屋の光景に、私は何も言えなかった。


廊下が長い…。


驚いている私に、

「ようこそ、おいでくださいました」


社長は執事のような口調で言って、私の前で跪いた。


まるで初めて出会った時のようだと、私は思った。


彼は私をホテルのスイートルームに招待して、こうして跪いたのだ。


「こ、こんばんは…」


何を言っていいのかよくわからなくて、とりあえずそう言った。


「“こんばんは”って…」


社長はおかしいと言うように、クスクスと笑った。


だって、本当に何を言っていいのかわからないんだもん…。


心の中で呟いたら、

「おいで」


社長は靴を脱いで、中に入るようにと促してきた。


靴を脱いで長い廊下を歩くと、社長はドアを開いた。


「わあっ…」


ここがリビングなのだろう。


ホテルのスイートルーム…いや、もはやそれ以上に広いと言っても過言ではなかった。


右側に視線を向けると、黒の革張りのソファーにガラスのローテーブル、薄型の大きなテレビがあった。


テレビの隣には観葉植物が置かれていた。


左側はテーブルとダイニングキッチンである。


ここが、社長が生活をしているところなんだ…。


初めて訪れた彼の部屋を観察するように見ながら、私は思った。


この部屋の大きな窓に視線を向けると、

「わーっ…」


まるで宝石のような美しい夜景に、私は声をあげた。


足元にバックを置くと、窓の方に歩み寄った。


「キレイ…」


足元には、見渡す限りの夜景がある。


それがビルから漏れる灯りだったり、車のライトだったりと種類はさまざまだけど、とてもキレイだった。


まるで独り占めしているみたいだ。


そう思いながら足元の夜景を眺めていたら、後ろから両腕が伸びてきたかと思ったら私を抱きしめてきた。


「あっ…」


少しの間だけど、社長の存在を忘れてしまっていた。


「――ずっと、君を僕の家に招待したかった」


「えっ…」


社長が耳元でそんなことを言ったので、私の心臓がドキッ…と鳴った。


「初めて出会った時も、こうして窓から夜景を見てたよね?」


「…覚えてたんですか?」


呟くように聞いた私に、

「忘れたことなんてなかったよ」


社長はささやくように答えた。


「――心愛」


社長が私の名前をささやいたかと思ったら、彼の方に躰を向かされた。


端正なその顔立ちが近づいてきて、

「――ッ…」


唇が重なった。


窓にぶつけないようにと、後頭部に彼の大きな手が回ってきた。


「――んっ、はっ…」


口の中に舌が入ってきて、だんだんとキスが深くなってくる。


かき回すように動き回るその舌に、躰が熱を持ち始める。


「――んっ、んんっ…!」


その舌が私の舌を捉えたかと思ったら、チュッ…と吸われた。


ビクンと躰が震えて、お腹の下がジン…と熱くなる。


彼に触れたい、彼と気持ちよくなりたい、彼と繋がりたい…。


頭の中はそればかりしか考えられない。


「――ッ、はあっ…」


唇が離れて、彼が私を見つめてきた。


「――ああ、キレイだね…」


熱っぽい瞳で私を見つめて、テナーの声でささやいてきた。


彼が耳元に顔を寄せたかと思ったら、

「この夜景を見ながら、君を食べることを夢見てた」


そうささやいてきたかと思ったら、フッ…と耳に息を吹きかけられた。


「――あっ…」


ビクン…と、熱を持った躰が震えてその場に崩れ落ちそうになってしまった。


「まだこれからだよ…」


彼はそう言って崩れ落ちそうになった私の躰を支えると、耳にキスをしてきた。


「――んっ、あっ…」


チュッチュッと耳に何度も音を立ててキスされて、唇の間に挟むように軽く食まれる。


窓ガラスに躰を預けると、熱くなったその躰に冷たさが心地よかった。


「――あっ、はあっ…」


耳にキスしていたその唇は伝うように首筋に下りてきて、私の躰を支えていた大きな手はシャツを脱がしにかかってきた。


「――んっ、ああっ…」


耳と首筋を執拗に攻めてくる唇と舌に、ただ感じることしかできない。


躰は彼を求めていて、じれったくて仕方がない。


パサリ…と、足元にシャツが落ちた音がした。


「――初めて君を面接で見た時、君を食べたらチョコレートの味がするのかなって思った」


そう言った彼に、

「――えっ…?」


私は訳がわからなくて聞き返した。


彼はジーンズのチャックに手をかけると、ジーッ…とそれを下ろした。


「名前が“ココア”ってチョコレートに関係していて、そのうえ誕生日もバレンタインデーだから、ずいぶんとチョコレートに縁があるんだなって思ったんだ」


彼の手によって脱がせられたジーンズが足元に落ちた。


「君の躰はチョコレートでできていて、チョコレートの味がするんだって思った」


「――詩文さん…」


彼の両手が背中に回ってきたかと思ったら、ブラを外しにかかろうとした。


「――ま、待って!」


その手を止めた私に、

「どうかした?」


社長が首を傾げて私を見つめてきた。


その瞳から目を伏せると、

「――詩文さんも脱いでくれなきゃ、困ります…」


呟くように、私は言った。


私は下着姿だけど、詩文さんはスーツのままである。


私ばっかり脱がせられて、何だか不公平だ。


「へえ、君が脱がせてくれるんだ?


じゃあ、お言葉に甘えちゃおうかな」


社長はそう言って妖しく微笑んだ。


妖しく笑っている彼の躰を窓ガラスに預けると、

「――んっ…」


その唇を重ねた。


チュッ…と何度も音を立ててキスをして、スーツのジャケットに手をかける。


それが足元に落ちたのを確認すると、唇を離した。


彼は妖しく微笑みながら、私を見つめていた。


その瞳から目をそらすように、彼の耳に顔を近づけた。


「――んっ…」


耳に唇が触れたとたん、彼の躰が震えた。


何度も音を立てて耳にキスをして、ネクタイに手をかけると外した。


「――あっ…」


首筋に唇が触れたのと同時に、彼が声をあげた。


そこにキスを繰り返しながら、シャツに手をかけてボタンを外して行った。


「――んっ、あっ…襲われてるって、こう言うことを言うんだね…」


詩文さんが言った。


「襲ってなんかいませんよ?」


彼の首筋から顔をあげると、私は言い返した。


「ああ、そうだったね。


脱がせているんだったね」


そう言い返して妖しく笑んだ彼から目をそらすように、首筋に顔を埋めた。


「――んっ…!」


唇を当てて強めに口づけると、彼の躰がビクリと震えた。


「――でも君と出会って、恋人にならなければ…僕は何も知らないままだっただろうね。


キスした時の唇の温度も、躰を重ねた時の気持ちよさも、ひとつになった時の喜びも、全く知らないままだった…。


熱を持った躰に窓ガラスの冷たさが心地いいんだってことも、知らなかったよ…」


パサリと脱がせたシャツを足元に落として、ズボンのベルトに手をかけようとした。


「――そして…僕が意地悪で、こんなにも君への独占欲が強かったことにもね」


社長がそう言ったかと思ったら、グルリと躰が逆転した。


先ほどと同じように躰を窓ガラスに押しつけられて、社長と目があった。


「――やられっぱなしは嫌い、だと言うことも」


社長は妖しく笑いかけると、私の首筋に顔を埋めた。


「――あっ、ああっ…!」


背中に回った彼の両手がブラのホックを外した。


「――ああ、もうこんなにもなってる…」


「――んあっ…!」


胸の先を口に含まれたとたん、躰が震えた。


彼の手が太ももに触れた瞬間、私の躰がビクッと震えた。


「――し、詩文さん…」


その手は上へ上へと進んで行って、

「――あっ…!」


ツッ…と、ショーツのうえを指がなぞった。


「――震えてるね」


ささやかれるように言われたその声にも、私の躰は反応してしまう。


ショーツのうえをなぞっていた彼の指が隙間から入ってきて、

「――んあっ…!」


もうすでに洪水状態になっているそこに触れてきた。


ずるりと、もう片方の手はショーツを脱がせた。


ブラもショーツも脱がされて、これで私の躰を隠しているものはなくなった。


彼は胸から顔をあげて私を見つめると、

「――ああ、思った以上にキレイだね…」

と、呟いた。


私を見つめているその瞳は熱っぽくて、潤んでいた。


当たり前だけど、彼の瞳の中にいるのは私だけである。


「――今の君は、ここから見える夜景よりもとてもキレイだよ…」


「――やっ、ああっ…!」


彼の指が中に入ってきたかと思ったら、確かめるように中をかき回された。


「――あっ、んああっ…!」


その指が私の1番弱いところに触れた瞬間、声をあげた。


「――ああ、そう言えば君はここが弱かったね」


「――やっ、ダメ…ああっ、んっ…!」


彼の指がそこを突くたびに、どうしようもない快感が襲ってくる。


もう何も考えられない…。


早く彼が欲しい…。


早く彼と繋がって、早く彼と気持ちよくなりたい…。


そればかりが頭の中を回っていた。


「――ああ、もう無理だ…。


もう我慢できない…」


カチャカチャとベルトを外しているその音にも、躰は反応してしまう。


もうすぐで彼とひとつになるんだ…。


「――あっ…」


灼熱はゆっくりと中へと押し進むように入ってきた。


「――んっ…」


彼は苦しそうに息を吐きながら、慎重に灼熱を中へと入れて行く。


それがじれったくて仕方がない。


「――んっ、はあっ…」


「――ッ…」


私の躰を労わっているのだろうか?


早く繋がりたいから、彼が欲しいから気にしなくてもいいのに…。


「――ッ、はあっ…」


やっと灼熱が中に収まったのと同時に、社長は深く息を吐いた。


「――詩文さん…」


私は彼の名前を呼んで両手を彼の頬に添えると、自分から彼と唇を重ねた。


すぐに唇を離すと、彼が妖しく笑いかけてきた。


「――どうやら、思っていたことは一緒だったみたいだね」


彼はそう言って私の片脚を持ちあげた。


「――もう、本当に我慢しないから…。


君が“やめて”って言っても、僕は聞かないからね?」


妖しく笑いながらそう言った彼に、

「――構いませんよ、詩文さんが望むなら…」


私は言い返した。


それに対して彼は妖しく笑いかけると、腰を動かして灼熱を突きあげてきた。


「――んっ、ああああっ…!」


激しく、それも力強く突きあげれたので躰がビクッと震えた。


「――あっ、はあっ…!」


彼の首の後ろに両手を回して、彼を受け止めることが精いっぱいだ。


「――んっ、心愛…」


ささやくように名前を呼ぶその声にも、躰は反応してしまう。


「――あっ、ああっ…!」


窓ガラスの冷たさが熱くなった躰に心地いい。


「――詩文…さ、ん…」


彼の名前を呼んだら、

「――心愛…」


彼は私の名前を呼んでくれた。


腰を動かして突きあげてくる灼熱に感じることしかできない。


頭の中がぼんやりとし始めて、もう少しで意識が飛んでしまいそうだ。


「――詩文、さん…!」


唇を動かして、彼の名前を呼んで彼と見つめあった。


私を見つめているその瞳に向かって、

「――好き、です…」


私は、彼に自分の気持ちを伝えた。


彼に自分の気持ちを伝えたのは、彼と再会して初めて過ごした週末の時だったと思う。


どうしてなのかは自分でもよくわからないけれど、今すぐにでも彼に気持ちを伝えたいと思った。


気持ちを伝えた私に、

「――僕も、君が好きだ…」


彼はささやくように言って、灼熱を突きあげた。


「――あっ、あああああっ…!」


「――ッ、んっ…!」


頭の中が真っ白になったのと同時に、彼は深く息を吐いて私を抱きしめた。


床のうえは冷たくて、火照った躰にとても心地よかった。


「――ッ、はあっ…」


荒い呼吸を繰り返しながら、私は隣で横になっている彼に視線を向けた。


彼も私を見ていたのか、お互いの視線がぶつかった。


「――ッ…」


目があったとたん、私たちはお互いの躰を引き寄せて唇を重ねた。


唇が離れると、

「――心愛…」


社長は私の名前を呼んで、私を抱きしめた。


彼の背中に自分の両手を回すと、私も彼を抱きしめ返した。


「――詩文さん…」


名前を呼んだら、

「――かわいい…」


彼は私の額にキスをしてくれた。


「――君を食べたらチョコレートの味がするんじゃないかって思ってたけど…」


何の話をされたのかよくわからなかったけど、先ほどの話かと私は振り返った。


私と初めて出会った時、私の躰はチョコレートの味がするんじゃないかと思っていたと彼は言っていた。


「――私を食べたら、どんな味がしたんですか?」


ジョーダンっぽく質問してみたら、

「さすがにチョコレートの味はしなかったけど…」


彼はクスクスと苦笑いをしながら答えた。


「ですよね」


いくら私がチョコレートが好きで、名前がチョコレートに関係しているからと言う理由で、これで躰からチョコレートの味がしたらもはやシャレにならない。


「それで、実際食べてみて私はどんな味がしたんですか?」


そう聞いた私に、社長は額にキスをした。


「君の味がした」


「…えっ?」


「チョコレートの味はしなかったけど、心愛――君の味がした」


「――ッ…」


その答えが恥ずかしくて、私は顔を隠すようにして社長の胸に顔を埋めた。


「どうかした?」


そう聞いてきた社長に、

「…何でもないです」


呟くように、私は答えた。


「フフッ、かわいいなあ」


社長の大きな手が私の後頭部をクシャクシャにするようにしてなでると、

「ああ、そうだ。


忘れるところだった」


何かを思い出したようだった。


「えっ、何がですか?」


そう聞いた私に、

「外山くんからお礼にケーキをもらったことを忘れてた」


社長が答えた。


「ケーキですか?」


「例の件のお礼ですって言って、外山くんからもらったんだ」


「そうなんですか」


「ショートケーキとレアチーズケーキとモンブランと…オペラが入ってた」


「オペラですか!?」


社長の胸から顔をあげた私に、

「ああ、見てくれた。


君は本当にチョコレートが好きなんだね」


社長はクスクスとおかしそうに笑っていた。


「今に始まったことではないと思いますよ」


私がそう言ったら、

「君のチョコレート愛は僕が1番知っている」


社長が言い返した。


オペラとは、フランス発祥のケーキである。


グラン・マルニエまたはコアントローのシロップをしみ込ませた生地にガナッシュ、コーヒーのバタークリーム、もしくはモカシロップで層を作ってチョコレートでおおったケーキだ。


オペラ座をモデルとして作られ、ケーキの表面にはオペラ座の屋根に立つアポーロン神像の黄金の琴にちなんで金箔が施されている。


バタークリームとガナッシュの大人で濃厚なハーモニーがたまらないんだよねー。


あー、早く食べたい。


「その前にシャワーを浴びようか?


ケーキはその後でもいいと思うよ」


社長が言った。


「…ああ、そうですね」


私が返事をしたら、

「いい子だ」


社長が起きあがった。


「えっ、一緒にですか?」


そう聞いた私に、

「当然」


社長は笑いながら答えたのだった。


「大丈夫、心愛ちゃんが思ってる変なことはしないから。


本当に一緒に浴びるだけだから」


社長にそう言わせたとなると、私はどんな顔で彼を見ていたのだろうか?


「だから、ね?」


社長は首を傾げて、私に手を差し出してきた。


「…本当にしないでくださいよ」


差し出されたその手を受け取ると、起きあがったのだった。


社長と一緒にシャワーを浴びる――変なことはしなかったけれど、ちょっかいは出してきた――と、バスタオルでお互いの躰と髪を拭きあってから、おそろいのバスローブを身につけた。


バスルームを後にしてキッチンに入ると、やかんに水を入れてお湯を沸かした。


「お皿はこれでいいですか?」


棚から皿を出した私に、

「うん、いいよ」


同じく棚から紅茶の缶を出した社長が返事をした。


「すごい紅茶の数ですね」


棚の中にはたくさんの紅茶の缶があった。


「ああ、紅茶が好きで集めているんだ」


「へえ」


社長は紅茶が好きなのか。


そう言えば、コーヒーを飲んでいるところをあんまり見なかったような気がする。


「それで、ケーキは?」


そう聞いた私に、

「君の目当てはオペラなんだね…。


冷蔵庫に入ってるよ」


社長は困ったように笑いながらも答えてくれた。


冷蔵庫を開けると、ケーキの箱があった。


取り出して箱を開けると、

「わーっ、すごーい」


私の視線はすぐにオペラへと注がれた。


もちろん、オペラは私のである。


オペラを皿のうえに置くと、

「詩文さんは何にしますか?」


社長に聞いたら、後ろから彼の両腕が伸びてきて私を抱きしめてきた。


「えっ、何ですか?」


クスクスと笑いながら聞いたわたしに、

「んーっ、何かかわいいなって思って」


社長もクスクスと笑いながら答えた。


「かわいいって…」


私が社長のことをことあるごとに“意地悪”と言っているように、社長も私のことをことあるごとに“かわいい”と言っている。


「本当にかわいいんだもん。


心愛はかわいい、かわいいよ」


「もう、そんなに言わないでくださいよ…」


何度も言うから恥ずかしくて仕方がない。


「何か新婚みたいだね」


何気なく言った社長の言葉に、

「…えっ?」


私の心臓がドキッ…と鳴った。


「新婚、ですか?」


思わず聞き返した私に、

「そう思わない?」


社長は言った。


確かに、私たちのこの様子は新婚に見えるのかも知れない。


社長は私の左手を手に取ると、それを目の前に掲げた。


いつくしむように社長は薬指の付け根をなぞると、

「早くここに、“僕の”だって言う証をつけたいな」

と、呟いた。


「ぼ、“僕の”ですか?」


思わず聞き返した私に、

「うん、近いうちに指輪を買いたい」


社長が答えた。


「指輪ですか…」


左手の薬指を見つめている私に、

「ダメ?」


社長が顔を覗き込んできたかと思ったら、首を傾げて聞いてきた。


もしかしてとは思うけど、結婚を考えているのかな?


ピーッ!


その音に視線を向けると、やかんからだった。


「ああ、沸いたみたいだね」


社長は少しだけ手を伸ばすと、ガスを消した。


私はその場から動くことができなくて、ただその様子を見ているだけだった。


「心愛?」


私の名前を呼んできた社長に、

「はい…」


私は返事をした。


「ケーキ、食べようか?」


そう言ってきた社長に、

「はい。


詩文さんはどれにしますか?」


私は箱の中のケーキを彼に見せた。


「んーっ、ショートケーキ」


彼はショートケーキを指差して答えた。


「はい、わかりました」


私は返事をするとショートケーキを箱から取り出して、皿のうえに置いた。


社長と同じことを言うつもりはないけれど、今の私たちは本当に新婚夫婦みたいだ。


「どうかした?」


社長の顔に視線を向けたら目があって、彼は聞いてきた。


「新婚だなって、思いました」


そう返事をした私に、

「やっぱり?


かわいいね、心愛は」


社長は笑って答えてくれた。


私がケーキをテーブルへと持って行っている間、社長は紅茶の用意をしていた。


紅茶を注いでいるその姿はとてもかっこよくて、絵になっていた。


彼と一緒に暮らす日がくるのかも知れない。


彼とテーブルを囲んで、一緒に食事をする日がくるのかも知れない。


一緒の時間に起きて、一緒の時間に眠って…いつになるかはわからないけれど、その日がくるのかも知れない。


「心愛」


私の名前を呼んだ社長に視線を向けると、彼は紅茶が入ったカップをテーブルに置いたところだった。


「はい、食べましょう」


私は返事をすると、椅子に腰を下ろした。


社長は向かい側の椅子に座るのかと思ったら、何故だか私の隣の椅子に腰を下ろしてきた。


「えっ、あの…」


何で?


「んっ?」


聞こうとした私をさえぎるように、彼は首を傾げた。


「向こうに座らないんですか?」


そう言って向かい側の椅子を指差した私だけど、

「君がデートの時みたいに、僕に食べさせてくれるんじゃないの?」


社長はそんなことを言い返してきた。


えーっ!?


目を見開いている私に、社長はフォークを手に持つとオペラを1口サイズに切った。


「はい、どうぞ」


社長がフォークに刺したオペラを差し出してきた。


…本当にやるみたいだ、ジョーダンではないみたいた。


「オペラ、食べたかったんでしょう?」


そう言った社長と目の前のオペラの誘惑に負けて、私は唇を開けてオペラを口の中に入れた。


口の中にフワリと広がったコーヒーのほろ苦さとチョコレートの濃厚な甘さが舌のうえでとろけた。


うーん、大人の味だ。


「美味しい?」


そう聞いてきた社長に、私は首を縦に振ってうなずいた。


「僕ももらおうかな」


チョコレートが好きな人は絶対食べるべきだ。


そう思っていたら社長の顔が近づいてきたかと思ったら、チュッと唇が重なった。


…えっ?


何が起こったのかよくわからなくて戸惑っていたら、唇が離れた。


「うん、確かに」


社長はそう呟いて触れた唇を舌で舐めた。


何度かその姿を見ているけど、いつも思うことはエロチックである。


「どうかした?」


「い、いえ…」


呟くように返事をした私に社長がフォークに刺した1口サイズのオペラを差し出してきた。


オペラを見てから社長を見たら、

「食べないの?」


社長がそう言ったかと思ったら、オペラを口の中に入れた。


「ああっ…!」


食べられてしまったことに思わず声をあげたら、

「――ッ…」


また唇が重なった。


「――んっ…」


後頭部に彼の両手が回ってきたかと思ったら、髪の中に指を差し込まれる。


「――んっ、ふっ…」


クシャクシャにするように髪を乱されて、口の中に彼の舌が入ってきた。


コーヒーのほろ苦さとチョコレートの甘さがまとっているその舌、彼の唇から感じる熱い温度に、頭がクラクラとしてきているのが自分でもよくわかった。


「――んんっ…」


触れている彼の唇に、口の中をかき回している彼の舌に、髪を乱している彼の指に、もう感じることしかできなくなる。


「――ッ、はっ…」


唇が離れたのと同時にこぼれ落ちたのは、熱い吐息だった。


お互いの唇の間には、銀色の糸が引いている。


後頭部の髪を乱していた彼の手が頬に添えられて、

「――んっ…」


チュッ…と、彼の唇が頬に触れた。


彼が私を見つめて、

「なあ、心愛」


私の名前を呼んだ。


一重の切れ長の彼の瞳には、私が映っていた。


彼の形のいい唇が動いて、

「――僕と一緒に暮さないか?」


音を発した。


「――一緒に暮らす、ですか…?」


呟くように、私は聞き返した。


それは、“同棲”ですよね…?


「週末だけ会うのはもう無理だ。


今すぐにでも一緒に暮らしたい」


社長はそう言うと、私を抱きしめた。


「――詩文さん…」


彼の名前を呼んで、彼の背中に両手を回した。


「もう君なしで生きて行くのは、無理なんだ…」


呟くようにそう言った彼に、

「――私だって、あなたなしでは生きて行けないです」

と、返事をした。


もう彼なしで生きることは無理だ。


初めて出会って、恋に落ちたあの時から、彼は私の人生で必要不可欠となった。


何度も会うたびに、キスをされるたびに、躰を重ねるたびに、ひとつになるたびに、彼への思いは消えるどころか募って行く。


このまま彼のそばにずっといたいと、そう思うようになった。


だから、

「詩文さんと一緒に暮らしたいです」


私は言った。


毎日、彼と顔をあわせたい。


一緒の時間に起きて、一緒にテーブルを囲んで食事をして、一緒の時間に眠るその生活を彼と送りたい。


彼は私を見つめると、

「心愛」


私の名前を呼んで、唇を重ねた。


唇が離れてすぐに彼は私を抱きしめると、

「一緒にいてもいいんだね?」

と、聞いてきた。


「はい、一緒にいてもいいですよ」


私は答えた。


「週末に会わなくても、毎日会えるからいいんだね?」


「会えますよ」


抱きしめていたその躰を少しだけ離すと、彼は私の左手を取った。


左手の薬指の付け根にそっと口づけると、

「君が別れたい、離れたいって言っても、僕は君のことを離すつもりはないからね?」


そう言って、私を見つめた。


「それは私も一緒です。


と言うか、詩文さんから離れるつもりなんてありませんから」


そう言った私に彼はフフッと笑うと、もう何回目なのかはわからないけれど、また唇を重ねてきた。

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