最後の我慢

須藤二村

最後の我慢


https://kakuyomu.jp/user_events/1177354054889667307

しりとり企画

キーワード【スープ】

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「オマエ達、寄生虫! ダカラデテ殺ス! オマエ達ハ死ヌ!」


 原住民のリーダーと思しき戦士が大きな声で言った。


 俺たちは、夫婦二人して巨大な鍋の中で人間【スープ】になろうとしているのだった。

 体はロープで縛られて身動きが取れず、湯の温度が上がっていくのをじっと耐えているしかなかった。



「だいたい、あなたが新婚旅行の代わりにアマゾンを探検したいなんて言うからこんなことになったんじゃない!」


「いや! 君がセスナの運転をしてみたいって言わなければ、墜落することなんて無かった!」


「低空飛行してみようよ、ってあなたが言うからでしょ! あなたこそ沼を越えて近道しようとするから罠に引っかかったのよ!」


「あの沼が罠だったなんて気付くわけないだろ。それにしたって、君が草むらじゃトイレ出来ないって言いだすから……」



 人間はいざと言う時に本性が出るとはよく言ったもので、俺たちは新婚早々に破局の危機に瀕している。もっとも今はそれどころではない。このさわがしい女とごった煮のスープにされるなんて、たまったもんじゃない。


 そうだ、俺たちは墜落したセスナからなんとか抜け出し、お嬢さん育ちの妻をなんとかなだめながらジャングルを彷徨さまよった。ところが、沼を渡ったところで全身が痺れて気を失い、次に二人が目を覚ますと鍋の中、というわけだ。


「わたし今までずうぅーっと我慢してきたけど、最後だから言わせて貰うわ! いつも論文論文て、あなた大学が休みの日にだってどこかへ連れて行ってくれたことなんて無いじゃない」


「仕事だからしょうがないだろ。料理も炊事も洗濯も掃除もまるで出来ない君を養っていくにはお金だって必要なんだ。それくらい分かるだろ」


「それでも良いってあなたが言ったんでしょ。そうやっていつだって理屈で押し通せば済むと思ってるんだわ。人間には理論じゃなくて感情があるんだから!」


「待てよ、君のご両親にしたって俺はずっと……」


 と言いかけて、俺は目の前を飛ぶ大きな青い蝶に気がついた。


「あれだ……あれを君に見せたくてここに来た」


 レテノールモルフォ。アマゾン川流域に生息する、もっとも青く美しく輝く蝶。

 美術館で出会った時、この蝶が描かれた絵を見た君が、いつか実物を見てみたいと言っていた蝶だ。


「あんなのまだ覚えてたの? でも……すごく綺麗……」


 蝶が通り過ぎて見えなくなるまで、俺たちは黙ってその青いきらめきを目で追っていた。


「……わたしずっと焦ってたんだわ。あなたが後悔してるんじゃないかって」


「我慢しないでもっと早くに言ってくれれば良かった」


「あなたこそ。……ごめんなさい」


「いいさ、俺の方こそ黙っていて悪かった」



 だが、そんなやり取りも、もうあまり猶予がないと思われた。顔中びっしりと大粒の汗が覆って心臓の鼓動はもはや限界に近い悲鳴を上げている。

 二人とも湯の温度にこれ以上は耐えられそうになかった。



 その時、原住民の酋長しゅうちょうであろう老人が小屋から現れた。

 かんむりに付けた羽根の数は頭が見えないほどに飾られ、顔のしわは深く年輪のように刻まれている。


 俺は最後の交渉に出た。


「聞いてくれ! この女は性病持ちのアバズレだ! 食っても美味うまくない。同じ鍋で煮たらにごるからとっととつまみ出せ」


「何言ってるの! あなたみたいなガリガリの学者よりわたしの方が美味しいに決まってるわ!」


 成り行きを見守っていた酋長が、二人の言い争いを見て口を開いた。


「あ〜、あんた達みたいのは犬も食わない。途中で寄生虫のいる沼を通っただろう。うちの息子がたまたま見つけてなかったら今ごろ命が無かったわい。一刻も早く熱湯で殺さんと二人とも死んでしまうぞ」


 最初に見た戦士は、この老人の身内だったのか。通りで他の部族の奴らには話が通じなかった。


「じゃ、俺たちは助かるのか?」


「もう少しのじゃ」


 どうやら、助かるらしいと分かって湯の中で一気に脱力してしまった。酋長の息子にはもっとちゃんとした外国語を勉強するよう後で伝えておかなければならない。


 俺たち二人は、どちらからともなく顔を見合わせた。


「我慢するのは、これで【最後】にしよう」


 そう言って、キスした二人の顔は真っ赤だった。

 お湯でのぼせたせいかどうかは、誰にも分からない。





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最後のキーワード?【最後】

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