第28話 出勤
ローラとともにベッドの中にいる。
神様が最初に造った男女のように生まれたままの姿で。
抱きついて豊かな乳房に頬をうずめれば、ローラは僕の髪を撫でてくれる。彼女の背中に回した手を腰のあたりへ這わせた。なめらかな感触。
何か異質なものに触れた。男の手のような。僕はとび起きた。
「誰だお前は!」
目が覚めた。
僕は本当に上体を起こして拳を突き出していた。その拳やら何やらの行き場がない。
なんつー夢だ。
妄りがましい夢を見ている場合ではない。君と暮らせる時を。二人で迎える夜と朝を。現実にするんだ。ローラ。
邪魔者以外はな!
* * *
昨日、ローラの気配が戻るのを待ちながら、ナイフの手入れや考えごとをしているうちに眠ってしまった。結局、彼女の居場所を感知できないまま朝になった。
ローラは上に帰らなかったのだ。無断外泊。いや、そうじゃなくて!
認めたくないが、分かっているんだ。
ローラの暮らしぶりも「あの人」とやらの正体もまだまだ不明だというのに、帰宅しなかった晩のことを殊更に気にしても無意味だと。
住処のほうにこそ、「あの人」と同一人物かしらんが彼氏面した同居人がいる可能性が大いにあることも。
とはいえ、ローラがいまどこにいるのか知りたい。それには魔力感知を妨げる仕掛けの施された範囲とは、どこからどこまでなのかも知っておきたい。
ともかく起きよう。
いろんなことがありすぎて慌しい休日だった。けれど、ローラに会えたとき疲れなんて吹き飛んだように感じた。
「きじとら堂」で魔鉱石6個セットを買うと、耳族の姐さんが何かおまけを1つくれた。
「いつもありがとうございます。今日は暑いから気をつけてくださいね。塩飴をどうぞ」
この人は僕が亡者だと知らないのだな、と改めて思う。ところで生きている人なら、食べ物をもらったとき好物でなくとも少しは喜ぶものだろうか?
ふと、脳裏にリデル様の声が蘇った。
「あなたがお姉さまと離れていながら支障なく行動できるのは、お姉さまの魔力が桁外れに強いからです。例外的なことですのよ。
それに魔力というものは、使う者の好不調や、さまざまな要因に左右される不安定なものです。
活力を補給するものをお姉さまの魔力の他にも確保しておきなさい」
リデル様から直接この通りに言われたわけではない。ラケル氏を介した伝言や、周りからの情報などが混ぜ合わさってこんなふうになった。
「あの……何か?」
姐さんは三角耳を少し後ろに倒し、まるで釣り銭が足りないと勘違いしているお客でも見るような目で僕を見ている。
まさか亡者が何の暑さ対策かと考えていたとは言えず、てきとうに答えた。
「塩飴って美味しいのかな、って」
姐さんの耳が元に戻った。
「何でもない時に食べてもさほど美味しくないけど、疲れた時や弱っているときはとても美味しく感じるんですよ」
「そうなんだ。ありがとう」
地上への階段を上ると、まぶしい夏の日差しだ。
あかり取りから差し込む光を広く行き渡らせるような仕掛けがあるのだ。
週末の定休日に休んだだけなのに、職場に着いたのがものすごく久しぶりのように感じる。「東都魔人相談所」。
「室長、おはようございます」
「おはよう」
ドナ室長は休み前とは違う眼鏡をかけている。たしかお孫さんに不評だったほうだ。娘夫婦は帰ったのだろう。
「おはよざーす」
あきらかに休めてないサリアさんが現れた。金髪を後ろで纏め、褐色の肌はますます日焼けしたように見える。
「おはようございます」
休めてない人その2、セロ氏は顔が赤くなっている。あとで顔の皮がむけるやつだ。声も枯れている。
「これ、氷苺です。お茶の時間にでも皆でいただきましょー」
サリアさんは室長に、凍った苺の山盛りに入った籠を渡した。
「親戚の氷苺の屋台を手伝ったら、まあ近年稀にみる割の良いバイトだったんですけど、日当の一部が現物支給でした。火炎魔法で解凍するまでこのままなんで、どこに置いても大丈夫です」
「あなたは解凍する係だったのね」
「私も手伝わされましたよ。呼び込みの手回しオルガンを回しながら歌いました」
「へえ、どんな歌?」
「えーと」
「室長、申し訳ないですけど、あの歌はしばらく聞きたくないです……。セロも歌わなくていいから」
もしかして、僕がエレンを振った夕方に聞いたのはその歌だったのか。分からないけど。二人の親しげな雰囲気が妙に腹立たしいな。
ところでセロ氏も眼鏡を替えたように見える。そんなことないか? そもそもこの間まで眼鏡を掛けていただろうか? まあどうでもいいか。
「セロ君、モロー君、今日は出かけてもらいますよ。
目的地は豪商ユーミズ氏のお屋敷です。セロ君は行ったことがありますね。モロー君も記録に目を通しておくようにね」
それから室長とセロ氏が話しあい始めた。
今日はマジックアイテムの修理に忙しくなりそうだが2人出かけて大丈夫か、とかセロ氏は昼休みには戻りたいとか。
「そうね。ただ、こちらは前任者が辞めてしばらくになるでしょう。共通の知人がいなくては心細いと言われてね。モロー君の挨拶が済むまでの間だけでも居てやってよ」
ユーミズ家の屋敷に同居している、当主の伯母にあたる老婦人が、老い支度がてらマジックアイテムをこの相談所に寄贈しようと考えている。
それを受け取りに来てほしい……というのが依頼の内容だった。
お金より、たとえ貧しくとも必要な人の手に渡るようにという考えだ。
金品による謝礼も不要だそう。
ただし、品物にまつわる身の上話を聞いてほしいというのが条件。また、一度ですむとは限らない。
「だからセロ君1人で行かせるのではなく、モロー君に引き継ぐ必要があるのです。
モロー君、引き継いでからはあなたが担当ですよ」
「はい」
塔の住人としてローラを探す手段と思っていた仕事だが、再会できたら無関係というわけにはいかなかった。
いつか一緒に暮らすにもお金は要るんだし。
「サリアさん、受付と工房はしばらく私たちでやっていきましょう。セロ君たちが戻ってくるまでの辛抱ですからね」
サリアさんはいつの間にかシャキッとしていた。
「大丈夫です。接客の疲れは工房で癒すんです!」
表口を開けて、相談室の看板を出した。
また今日も一日の仕事が始まった。
(続く)
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