第6話 夜陰 6

 エレンと名乗った少女は過去の僕を知っているのだろうか?


 しかし、それどころではなかった。

「小屋のほうへ行ったぞ!」

 ラケル氏の声がしたので、僕は姉妹を下がらせ外に出た。


 亡者が爛れた身体でこちらに近づいてくるのが見える。ギクシャクした動きのくせに案外移動が早い。なにしろ、痛覚が麻痺しているのか、棘だらけの潅木の枝が脛に当たっても意に介さず進むのだ。


 一歩ごとに小枝をバキバキとへし折る音がする。身体の表面に皮膚の残っているところが見当たらず、もはや生前どんな姿のやつだったのか、想像する手がかりもない。

 僕も下手するとああなるのだ。


 波打つ金髪をなびかせ剣をかざして追うラケル氏、後ろに槍を持つ人物が続く。槍使いは鳥の嘴のようなものが着いた奇妙な兜を被っていて顔が見えないのだ。


 彼ら生きている人たちは、俊足とはいえ道を選ぶから回り道をする。

「予想外です。私の血より欲しいものがあるとは……」

 ローラの声に似ている。奇妙な兜の人物はリデル嬢だ。

「かえって好都合というもの」

 槍の穂先が月明かりに煌めき、亡者の背中を直撃した。


 亡者は獣の断末魔めいた恐ろしい悲鳴をあげた。のたうちながら、口を中が見えるほど大きく開いて喚いている。歯と舌は獲物を食い荒らすのに充分な程度に残っているが、そこも腐った色をしている。


 僕もあんな風になりうるのだ……分かっていたが、そのことへの嫌悪と恐怖に心身を囚われてしまった。助太刀しようと思っていたのに、体が動かない。

 亡者は怯んだがもちろん死なない。遅々として這いつくばっているが、小屋への前進を止めもしなかった。


 ラケル氏はその前方へ、小屋を背にして回り込んだ。リデル嬢も続く。

「叡智の光よ! 我が同胞に力を」

 リデル嬢により短く祈りの言葉が発せられると、ラケル氏の剣が光に包まれた。

「そこまでだ! 死に損ない野郎」

 隼のような剣さばきと神聖魔法の効果により、亡者は体の大半を塵芥と化し、黒ずんだ骨格だけが残った。


「見事です。お兄様。……ひと月弱というところかしら」

「また動き出すまで? ふた月はするだろう」

「いずれにせよ、次は私はいません。くれぐれもお気をつけて」

「ああ……そうだな」

 ラケル氏は悲しげに眉をひそめたように見えた。

 それはほんのわずかな間で、すぐに快活そうな好男子の顔に戻った。

「もう大丈夫だ。出ておいで。馬車に戻ろう」


 ラケル氏の呼びかけに姉妹は戸口に顔を並べたが、明らかに警戒を解いていない表情だ。

「あら。これは失礼」

 リデル様がクチバシ付き兜を外すと、銀髪が流れるような曲線を描き、端正な顔が現れた。長い睫毛と吸い込まれそうな瞳が、特にローラに似ているのだ。

 白銀のローラ……と僕は一瞬思った。

 その足下には亡者の残骸が散らばっている。美と醜の残酷な対比があった。


 姉妹は手をつないで小屋から出てきた。幼いメリッサは、つないでいない方の手に細い杖を持っている。

 リデル様は僕のほうを向いた。

「傷の具合はいかが? 馬車まで歩けて?」

「大丈夫です」


 みんな僕が加勢しなかったのは傷のせいだと考えているかもしれない。申し訳ないが、本当の理由は言えなかった。

 己の末路(と言えるなら)が恐ろしくなって体が竦んでいたなんて。


「ねえ、お姉ちゃんにつかまっていいよ。メリッサはじぶんで歩けるから」

 幼いメリッサがエレンとつないだほうの手を僕に近づけた。

「ちょっ、メリッサ」

 エレンは頬を赤らめた。


 それから馬車まで移動するわずかな間にも、エレンとメリッサの姉妹は僕たちに何度も礼を言った。

 今のところ僕は仲間として扱ってもらえているようだ。



(続く)

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